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Vol.243 感染拡大臨界 ~ 長距離移動の影響のエビデンスは存在する ~

医療ガバナンス学会 (2020年12月4日 06:00)


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東京大学大学院工学系研究科 教授
大澤幸生

2020年12月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

いわゆるGo toキャンペーンの影響について、政府要人ならびに複数の都道府県知事が口をそろえて「エビデンスはない」と主張している。エビデンスが無いということの理由は3通りあり得るだろう。ひとつは、数日間滞在するだけの長距離移動者が感染拡大を招いているというような因果関係を示せるだけのデータが、「まだ収集できていない」ということ。しかし、そんな状況にあっても、滞在日数はさておき長距離移動を示すデータとして航空機による移動データなどは手に入る。データサイエンティストたちは、このような手に入るデータでできるだけの努力はしているのである。

二つめの理由は、これらのデータサイエンティストの努力の中に見出せる。すなわち、手に入るデータを分析した結果として、長距離移動が感染拡大を招いているという因果関係は示せないという「結果」を得たということである。例えば、第13回新型コロナウイルス感染症対策分科会(令和2年10月29日)事務局提出資料を基に内閣官房・内閣府が作成した資料( https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000696903.pdf  )では「グレンジャー因果性」を計算することによって、長距離移動と感染拡大の間に因果関係はないという結論を得ている。

この結果がGo to キャンペーンの続投を支持するエビデンスになっているという情報を聞いた瞬間、これまで施政者に期待していなかった筆者もさすがに「なんという無意味なデータの濫用か」と凍り付いてしまった。一般読者向けの記事であるから数式は省くが、グレンジャー因果性とは何か簡単に説明しておこう。いまここに、片方が結果で、もう片方が原因ではないかと思われる二つの事象があるとする。このうち、原因ではないかと思われる事象のデータセット(ここでは航空移動者の数の時系列)と、結果ではないかと思われる事象のデータセット(ここでは感染者数の増加の時系列)が得られたとき、前者のデータセットにおける各時点の値が、同じデータセット内での過去の期間における値から推定するよりも、二つのデータセットを併せて推定するほうが正確に推定できる場合に因果関係を認めるのである。もっとも、そんな計算の結果を待つまでもなく、上の資料の図を見ると、どの時点をとってもその直前の期間の影響を受けているとは思えない感染拡大をしている。例えば沖縄では、後半の期間で旅客数が増加しているが、逆に感染拡大が減っている。

しかし、そもそも因果関係を統計的に検証することは困難な問題である。特にグレンジャー因果性は、感染拡大のように急速で可逆性の乏しい現象の因果関係を捉えるときに用いるべきではない。例えば、以下の問題を考えてみよう。
因果関係の説明についての例題)室内で水の満ちたガラスの水槽に、10回に1回だけ偶々命中するという下手なピッチャーP君が、一秒に一個ずつ石を投げ続けている。命中すると水槽が割れ、部屋の床の濡れる面積は一気に、そして後に徐々に広がり、最後は広がるのをやめる。以下の問いに答えよ:
問1:各時点において、P君が新たに投げる石の数を図示せよ
問2:各時点において、新たに水で濡れる床面積を図示せよ
問3:上記の二つの時系列の間の因果関係を検証する方法を示せ

問1と問2については、答えは図1のとおりになる。グレンジャー因果性を計算するまでもなく、両者の間に因果関係は見いだせない。しかし、P君の投石が床の水濡れの原因になったのは明らかである。これは使っているデータが「どの石が命中したか」という情報を含まないせいであるから、いかなる統計検定手法を駆使しても因果関係は見いだせない。

感染拡大という社会的現象も、床→社会、水→人々の感染状態、投石→人の移動、石の命中確率→人が接触した他者を感染させる確率という対応関係におおいて上記の問とのアナロジーでとらえられる。原因が結果を招くまでに不確実性が介入し、しかもその結果はいったん始まると爆発的に拡大し、免疫の獲得によるウィルスへの不応期を有するという非線形現象である感染拡大現象は、仮にデータがあってもグレンジャー因果性に限らず統計的な因果性の検証を困難にする三重苦を追った社会現象である。まして、手当たり次第にデータをあてがわざるを得ない状況の中で「因果検定といえばこの方法があるらしいから使ってみよう」などといういい加減な判断で、国民の生命にかかわる因果関係を看過するミスを繰り返さぬように、基本的なデータリテラシーを政策策定者のブレーンの皆様に身に着けて頂くことは喫緊の問題であろう。

http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_243.pdf

図1:身近な例を考えてわかる、因果関係をデータからとらえることの難しさ
さて、Go toトラベルのように、人々の一過性の長距離移動も、旅行者を受け入れる側のエリアからすれば上記の「石」にあたる。この場合、わずかな石が起こす洪水は甚大だということを、筆者は、坪倉正治氏(福島県立医科大学・教授)とともに、人工的に生成した社会ネットワーク上での感染拡大シミュレーションによって示してきた。途中からは内閣官房の資金によって、研究室のメンバーに加え村田忠彦氏(関西大学総合情報学部・教授)、倉橋節也氏(筑波大学ビジネス科学研究科・教授)、前川智英氏(株式会社トラストアーキテクチャ代表取締役社長)、の力も借りて、現実に近い人々の住場所のデータを用いてシミュレーション研究を拡張している。しかし、そのシミュレーションの結果を見る前に次の問いについて考えてほしい:

「遠い星から飛んできた隕石と、近くで拾ってきた石と、どちらを平気で触りますか?」

少なくともふつうの人の答えは、後者であろう。これが何故かというと、近くから拾ってきた石であれば普段から近くにあったのに自分は今無事で生きているという安心感があるのに対し、遠い星の石は人体にどんな影響を与えるか未知だからである。私は今年の5月ごろから上記の坪倉氏との共同研究で、「スケールフリーネットワーク」を少し改良した社会ネットワークモデルをつくり、その上で感染拡大のシミュレーションを行っていた。その結果、
(a)人との接触をせっかく「8割減」のように制限しても、感染者数のピーク近くで早々と解除した場合、初めから制限しないよりもはるかに爆発的な感染拡大が見られた。一方、十分時間が経ってからであれば、解除しても爆発は起きにくくなった。
(b)人々が過去と接していなかった人と接する頻度が増すと、社会ネットワークの構造が変化して感染が爆発する現象が見られた。
これらの現象については、MRICの第111回(Vol.111 3種類の第二波:いま、何をすべきか | MRIC by 医療ガバナンス学会  http://medg.jp/mt/?p=9647 )に述べたとおりである(当時は統計的な検証に至っていなかったが、実験を重ね傾向の統計的な検証とアルゴリズムの確立と理論化した論文は、PLOS ONEに採択された。ただし発行予定の2020年12月3日に以下のページに公開されるまで原稿は示せない
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0242766 )。このうち(a)は、各自が自分のコミュニティの中で人とつつましやかに触れ合いながら生活していたところ、途中で解放されて一気に近隣者を経て感染を拡大させてしまう現象である。逆に十分に時間が経ってから解除すると、ネットワークの至る所にある「行き止まり」つまり他のコミュニティとの境界まで達して止まるので、それ以上は拡散しない。ところが、ここでもし隣のコミュニティと繋がっていたら話は変わる。それが(b)である。(b)は、普段付き合っている人に仲間たち(コミュニティと呼ぶ)とは異なるコミュニティと接触することを意味している。いわば、他の星からの石を触ることである。

では、どのくらいの頻度で他のコミュニティと触れると危険だろうか。この研究で用いている人工的な社会ネットワークは、各人が予め決められた数の相手と計画的に接触することによって成長してゆくが、接触相手の数(相手から接触される数も含めて)には上限が課されている。その結果、
・計画的に接触した相手の数(m0)
・計画していないのに接触してしまった相手の数(m1)
を数えたとき、後者が前者を上回ると感染者数は爆発的に増えることが分かった。しかも、一気に100倍、1000倍という桁で増えることも珍しくない。もちろん、一方的に計画して「俺はお前に会いたい!」では、相手の方が計画していないのであるから感染拡大に寄与してしまうことにも気を配る必要がある。この結果をもとに筆者らは「求め合う人と計画的にあう」ことを奨励している。これは、Stay HomeならぬStay with Communityという社会生活規範である。この規範を破ると一気に感染格出してしまうことを、私の研究チームでは「感染拡大臨界」と呼んでいる。

長距離移動も、まさしく遠くから石ならぬ人が飛んできたということであり、リスクをはらんでいる。これについては内閣官房が自身のページから公開した「マルチエージェントモデル等のシミュレーション 行動自粛の方策の検討 #2」https://www.covid19-ai.jp/ja-jp/presentation/2020_rq4_countermeasures_analysis/articles/movie016/  のとおり、シミュレーションを用いた実験的社会から明確なエビデンスが得られている。このシミュレーションは人口統計データから関大大学の村田忠彦教授による精緻な技術を駆使して逆算して得られたリアリティの高い合成人口データを反映して行われたものであり現実性がある。このエビデンスが示す内容を簡単にまとめると(1)(2)のようになる:

(1)マスク着用などの感染予防をしていない人が大都市間の中長距離(25キロ程度以上)の通勤を行う場合、それが50万人に1人でも十分高リスクとなる。旅行では接触頻度が100分の1とすると5000人に1人)でもこのリスクを持つことになる。
(2)1000人に1人程度を超えて長距離通勤者が増えると、長距離移動はクラスタ間ブリッジの役割を終えるので緩和されるが、なおかつ誰一人として長距離移動をしないレベルには程遠いリスクを持ってしまう

このうち(1)に関して考えてみると、Go Toキャンペーンの利用者はのべ4000万人程度であるので、これらの利用者が一人あたり3~4日旅行したとすると約1000万人つまり日本人の約1割となる。これは5000人に1人よりも500倍大きい。仮に(実際には難しいが)マスクで感染リスクを20分の1まで抑える(東京大学医科学研究所の研究成果によれば、N95マスクをテープで顔に貼り付けるとほぼ0にすることが可能のようだが、貼らなければN95でさえ20分の1程度である。Effectiveness of Face Masks in Preventing Airborne Transmission of SARS-CoV-2 | mSphere: https://msphere.asm.org/content/5/5/e00637-20.full )としても、あと25分の1まで抑えるような抑制方法を検討しなければならないことになる。

その方法を考えるにあたって、再び先述の「感染拡大臨界」という原理が役立つことになる。つまり、Stay with Communityという社会生活規範を国民が全員守って生活をすることは強力な感染拡大防止力を持つので、上記の「あと25分の1」を目指すには有効であると考えられる。これは、既にm1がm0に接近してしまっている地域への行き来を抑えることを意味する。ひとつの方法は、各市町村で十分に多数の人に対して調査を行い、m1とm0の比較を行うことであるが、市町村にその時間がないなら雑駁に言えば、
(a)大都市:無防備の状態では人の往来が激しく、電車の中や店舗で接近することの多さを考えるとm1は既にm0を超えており、マスク着用、禁三密、手洗いなどを奨励する以上に制御のしようがない
(b)過疎地、寒村等:知らない人の訪問が非常に少ないため、m1はm0よりも少なく今後も増加する可能性は低い
(c)上記の中間:住宅街(デリバリーや通行人がm1にあたる)、観光地(頻繁に観光客が来る場合は大都市と同様にm1が多く、そこに至る前段階でm1=m0という感染拡大臨界を迎える)
などのようにとらえて良いであろう。現在、政府等の判断は既に感染者の多い大都市へのGotoキャンペーンを止めることに腐心しているように見えるがこれは(a)に対する注意バイアスであり、本質的に注意を要するエリアは(c)の中に存在する。

以上を3か条にまとめる。

・感染拡大という現象は、異なるコミュニティからの移動者や無計画な対人接触がわずかに増えるだけで爆発的な感染者数の増加を招く「感染拡大臨界」、免疫を獲得したためにウィルスへの反応が穏やかになる「不応期」など非線形性に満ちている。

・上記のような現象に対して、手に入るだけのデータから既存の統計的検証によって因果関係を検証することには限界がある。その例題が上で紹介した投石問題であり、類題がCOVID-19の感染拡大現象である。適切なデータを選択して用い、かつ「この方法で因果検定ができるそうだ」などという浅い理解にもとづいて因果の有無を考えるミスの決してないように、基本的なデータリテラシーを政策策定者のブレーンの皆様に身に着けて頂くことは喫緊の問題である。

・感染拡大臨界に接近したエリアへの長距離移動は、わずかな人数でも感染拡大が一気に発散するというエビデンスは確かに存在する。それによれば、過去から現在までの感染者数ではなく「感染拡大臨界」を基準としてGo toキャンペーンの見直し対象を選択することがポイントになる。いわば「感染者が増えているから」ではなく「あと一押しで爆発するから」という考え方を導入するだけのことである。

最後に、表層的なデータからの評価ではなく、事象間で影響を及ぼす過程に踏み込んで未知事象のデータを用いる観察的検証も加えて推奨したい。そもそも感染拡大臨界の存在に筆者が着目するようになったのは、それまでの自分のモデルでは説明できない感染者の増加を起こしかけている国があることに6月に気づいたからであった。そう、日本である。

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