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vol 9 「米国南カリフォルニア大学留学体験記その4」

医療ガバナンス学会 (2006年5月10日 08:07)


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2006年5月10日発行
南カリフォルニア大学に学んで
(Hollywood, Health & Societyとメディア・アドボカシーとは?))
南カリフォルニア大学(USC)
医学部附属健康増進・疾病予防学際研究所(IPR)客員研究員
ならびにHollywood, Health & Societyリサーチインターン
別府文隆

●はじめに

初回の予告で触れましたように、今回はこれまでも何度か名前の出てきたHollywood, Health & Society(適切な日本語訳が決まっていませんが、意訳すると「ハリウッドから健康と社会について考えるプロジェクト」とでも訳せるでしょうか)、とその活動の背景となっているメディア・アドボカシー等の考え方
やノウハウについて簡単にご紹介します。
1.Hollywood, Health & Society(以下HH&S:1)とは?

米国疾病管理予防センター(以下CDC:2)と米国がん研究所(以下NCI:3)のグラントによって運営されている、南カリフォルニア大学(以下USC)コミュニケーション学部附属ノーマン・リアセンター所属のアウトリーチ組織です。アウトリーチ組織とは、研究だけをやっている「研究機関」ではなく、テレビドラ
マの関係者に積極的に働きかけ、良好な関係を作り、社会の医療健康情報基盤と福祉向上のためにテレビドラマを通じた広範な視聴者層への情報普及活動を支援することを目的とした組織、という意味です(後述するように研究も行ってはいますが)。よって通常、HH&Sはアウトリーチ機関とか、プロジェクト・オフィスなどと呼ばれます。

CDCやNCIのグラントによって運営されているとは言え、単なるGrantorとGranteeの関係で、運営はHH&Sが独自に行いますし勿論意思決定権はCDCやNCIにはありません。
2.スタッフの日常:概要

研究調査は主にCDCやNCIの研究者やUSCをはじめとする全米の協力大学の教授陣・院生によって成されているので、HH&S専属スタッフ(4名プラス所長)たちの日ごろの主な業務は、①関係作り、②毎年開催されるSentinel for Health Awardsの準備・開催業務、③年に数回開催されるパネルディスカッションの準備・開催業務、④テレビ関係者向けのニュースレター作りなどで、⑤評価調査の指
揮・コーディネート(学会発表や投稿準備も含めて)は実質2人のプログラム・スペシャリスト(二人とも若い女性で公衆衛生大学院修士号MPHを持っています)と所長のVicki Beck(もともとはテレビ業界やマーケティング業界のキャリアを持ち、大学や医学部でのメディア・コミュニケーション講義の経歴を経て現在に至ります。HH&S立ち上げの発起人の一人です:お孫さんが6人いるようには見えない若々しく素敵な女性です)によって切り盛りされていると言って良いでしょう。業務内容の具体については後述します。
3.設立背景と根拠

HH&Sの設立は2001年で今年で6年目に入りますが、5年間のグラントが更新された形をとっています。当初はCDCのみのグラントで設立されました。設立まで6年以上の準備を費やしたそうです。準備は主に活動の根拠を更に固める為の調査結果(エビデンス)を整理・蓄積することと、関係諸機関・メンバー間の調整でした。特にUSCに設立された点には戦略的な意味があります。つまり、全米の大学
の中でUSCが最もハリウッド(テレビ・映画業界)においてネームバリューが高く、長年の人的コネクションが豊富で、テレビ業界から受けが良いという事実を活用したものです。特に運営資金が政府機関から出ているような取り組みですから、連邦政府に対してアレルギーのあるテレビ関係者も多いので配慮が必要だったようです。USCは格好のクッション兼インターフェイス兼人的リソースとなっているわけです。映画をその活動範囲に入れていないのは準備に時間がかかりすぎるため、とのことでした。

HH&Sの取り組みを理論的体系的に支えているのは1999年から毎年行なわれているHealth Styles Surveyという社会調査結果と、Entertainment Education・Media Advocacy・Social Marketingという3つの体系です。

Health Styles Surveyとは、CDCならびに協力企業であるPorter Novelliによって行われている無作為抽出された全米規模の社会調査で、米国民のライフスタイルや健康度に関する調査です:4)。これにドラマやメディア由来の情報に関する質問項目を含めて調査を実施することで、「ドラマ中の主人公の行動やエピソードが一般市民の医療健康に関する知識・認識・受領行動や行動変容に与える影響
は大きい」というエビデンスを抽出しています。

後者の3トピックについては概要のみ紹介します。Entertainment Educationとは「ドラマや劇作という一般市民に受け入れられやすい娯楽の形を通して公衆衛生・福祉などの諸問題の解決方法や情報の普及啓発を目的とした教育活動を行うこと」を広義に意味します:5)6)。また、Media Advocacyとは、「医療健康福祉に関連した公共政策を改善するために、自治体や団体レベルの活動と連動し
たマスメディアの戦略的な活用のことである。」とされています:7)より独自に翻訳引用:8)。そしてSocial Marketingとは、「企業マーケティングのテクニックを、対象である一般市民や社会全体に、それぞれの健康度や快適な暮らしを促進する行動(生活)習慣を広めるために活用することである」と定義されています:9)より独自に翻訳引用:10)。

ここにあげた3つはどれも日本語に正確には訳しにくい概念です。しかし、異なる目的と利害を持った関係者(テレビ業界・政府行政関係者・研究者などの専門家・患者団体その他圧力団体)のコーディネート・調整という「細心の配慮と微妙なさじ加減」を要するHH&Sの活動には、必須の方法論的・精神的支柱となっています。

 

4.スタッフの日常:詳細

①関係作り

後述する全てが「関係作り」に含まれるという見方も出来ますが、ここでは個別に見て行きます。テレビドラマの制作者(主に脚本家やプロデューサーおよびそのアシスタント達)との日常的な電話やe-mailによる意思疎通がとても重要です。スタッフが全員口をそろえてHH&Sの業務のKey to Success(成功への最も重要な鍵)だというのがこの「日ごろの関係作り」だからです。

日ごろからテレビ制作者が実際の番組制作に活用しやすくわかりやすい形の情報発信(後述するニュースレターやパネルディスカッション等:11)をして些細な相談に乗り、コミュニケーションを充実させることで「useful(便利)で信頼できる連中」だと思ってもらうことが大事です(HH&Sのサービスはその一切が無料です)。土日はきちんと休みをとるようですが、平日はゆっくり昼ごはんを食べる暇もないと言っていました。電話による連絡は、数分間の電話相談レベルで終わることもあれば、数ヶ月の大きなプロジェクトに発展することもあります。開始当初は年間数十件程度のコンサルテーション・プロジェクト数だったようですが、ここ数年は200~300件以上の相談数に上っているそうです。実際にHH&Sが
手がけたプロジェクトの具体例については後述します。

②Sentinel for Health Awardsとは?

HH&Sは年に1回、医療・健康に関する優れたドラマ・エピソードを制作したドラマ制作者(脚本家・プロデューサー)に対し、Sentinel for Health Awardという賞を授与しています。筆者は昨年の秋に米国脚本家協会西支部(WGA-West)のレセプション室で開催された授賞式に参加しました。参加者のほとんどはテレビドラマ関係者で、HH&Sや南カリフォルニア大学(USC)の関係者、CDCやNCIの
関係者も散見されました。同じハリウッドでも、テレビで見るアカデミー賞の授賞式とはだいぶ趣きの違う、非常にカジュアルなものでしたが、受賞者の喜びの表情とHH&Sの存在感は大変印象的でした。詳細については、12)ならびに13)に詳しいです。
③パネルディスカッションの準備

HH&Sでは年に1、2回のパネルディスカッションをテレビ制作者向けに行っています:14)。その時々で、医療福祉政策上解決すべき重要な課題(医療保険問題、生活習慣病、最先端の遺伝子研究、感染症予防などなど)、逆にメジャーなニュースにはなりにくいけれども深刻な問題など(人種による健康格差や十代の若者の感情障害など)通常のマスメディアに取り上げられにくい現実をテレビドラマ制作者にエピソードとして採用してもらうためのものです。ここでは戦略的に、パネルディスカッションのパネラーとして事件や問題の当事者が選ばれ、生のエピソードやストーリーが語られます。それによってテレビ制作者の製作意欲を掻き立てる狙いがあるのです。これはメディア・アドボカシーの基本です。メ
ディアの作り手は数字などの調査結果や統計データよりも読者・視聴者を惹きつける「ストーリー」を求めているからです。

こういう取り組みを知ると、「当事者の想いとメディアに描かれた描かれ方」のギャップや利害相反が懸念されますが、筆者が参加した本年2月のパネルディスカッション:15)においては、市民団体などのパネリストの1人が「ドラマは社会を変えることができる営みなのです」と制作者を支援するポジティブな発
言をされていました。「どういったテーマで、どういったパネリストを招待して行うか」、という企画はほとんどが所長のVicki Beckによるものだそうです。彼女の力量と実行力の高さがわかります。運営は米国脚本家協会とHH&S・USCの共同で行われます。
④テレビ関係者向けのニュースレター作り

HH&SではReal to Reel: Health News for Writers and Producersというニュースレターを不定期で発行しています。これは最新事情をテレビ制作者にわかりやすくアップデートするためのもので、こちらでこれまで発行された全文が読めます:16)。プレスリリースは随時行っていますし:17)、この他にも簡単なQ&A形式にまとまった病気や治療法に関する網羅的な情報源Tip Sheetsも提供し、テレビドラマ制作者が医療健康エピソードをできるだけスムーズに制作できるよう支援を行っています。:18)。

⑤評価調査の指揮・コーディネート

学会発表が2回、シンポジウムやカンファレンス開催が大小あわせて5回、協力書籍が1冊:5)、すでに学術誌に4本の関連論文を掲載済みで19)20)21)22)、HH&Sが関わったプロジェクトから成立した投稿中・準備中・分析中の論文が学術誌のものだけで7、8本あるとのこと。筆者もリサーチ・インターンとしてそのうちの1部(分析中)に関わっています。調査研究関連の実績や詳細についてはこちら23)をご参照ください。

 

5.具体例の紹介

HH&Sの活動によって成立した人気ドラマ中のエピソードの概要をご紹介します。

まず日本でも人気の医療ドラマER(NBC)ですが、5 a day運動(がんや生活習慣病予防のために1日に野菜や果物を5回は摂取しましょう、という公衆衛生キャンペーン)に関するエピソード(アフリカンアメリカンの10代の若者がチーズバーガーばかり食べて高血圧から肺水腫になってしまう)がシリーズ11で放送され:24)、乳がん関連遺伝子BRCA1,2や早期発見のためのマンモグラフィー検査に関するエピソードをシリーズ12の2回に渡って(米国において2005年10月~11月に放送)放送しました。どちらも企画段階からHH&Sがサポートしたエピソードです。後者はUSCのValente助教授の大学院講義・演習とタイアップして放送前後のデータ収集による評価調査が行われています(Valente博士だけでなく院生も参加しています)。

その他にも、日本ではWOWOWで放送中のGrey’s Anatomyにも乳がんに関するエピソードが放送されました:NCIのウェブ提示)。また、前述したSentinel forHealth Awards2005 の受賞作品では、(HH&Sが関わったプロジェクトではありませんが)コメディーにおいて全米ナンバーワンの高視聴率を誇るGeorge Lopes Showにおける「娘のコンドームや経口避妊薬の使用に困惑する親の対応」など、正確な情報に基づいていてかつ大切な家族の議論を支援するエピソードが放送されました:12)。HH&Sの関与したエピソード以外にも豊富に優れた医療健康エピソードが日々生まれており、Sentinel for Health Awardsはそういったドラマを再評価し、作り手のモチベーションをさらに高める機会でもあるわけです。
●まとめ

駆け足での紹介になってしまいましたが、まとめの導入として所長のVickiBeckが言っていたHH&Sの本質を示している言葉を紹介します。HH&Sの業務は「非常にsensitiveな作業の積み重ねである」とのこと。利害の異なる当事者(テレビドラマ制作者・政府行政関係者・研究者や専門家その他)をコーディネートすること、全米のAdvocacyグループからの要求やクレームへの対処、ドクターやその他の専門家からの要望やクレームへの対処、などに追われて毎日が過ぎるそうです。如何に相互のWin-Winを形成するか、に手腕が問われます。

大変な毎日だと想像しますが、この点に関して筆者が特に重要だと思うことは、HH&Sの設立・運営から彼女たちの日々の取り組みに至るまで、「思いつきの行き当たりばったり」で行われているものは何一つ無く、学問的蓄積と社会的活動の両面から裏打ちされて戦略的に準備されたものである、ということです。今回ご紹介したように日常業務の全てが背景理論やエビデンスをしっかりと踏まえて行われています。そして日々の活動から新たなエビデンスを蓄積しつつあるのです。限られた資源を活用し戦略的に問題解決をするという経済学的視点やソーシャル・マーケティングの原則を踏まえた実に現実的・実践的な取り組みであると言えます。そしてその理論的枠組みの上に女性スタッフ達のコミュニケーション能力や関係作りといった「ソフト・スキル」があって始めて具体的な活動が成功している、と言えるでしょう。また現在の日本にこういった業務が出来る人材がどれほどいるのだろうか、と考えてしまいました。

自分はまだまだこのHH&Sにおいてお客さん扱いですが、留学2年目となる今年はより一歩踏み込んで関わり彼女達に貢献し、HH&Sの活動を実践レベルでより深く理解できるように精進したいと思っています。
文献・参考ウェブサイト

1)HH&Sのウェブサイト

http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs

2)CDC内の関連ウェブサイト

http://www.cdc.gov/communication/entertainment_education.htm

3)NCI内の関連ウェブサイト

http://www.cancer.gov/newscenter/entertainment-Greys

4)HH&S内のHealth Styles Surveyに関するウェブ

http://www.cdc.gov/communication/healthsoap.htm

5)Entertainment Educationに関する教科書
Singhal, A., et al Entertainment-Education and Social Change: History,
Research, and Practice. (2003) Lawrence Erlbaum Assoc Inc.

6)Entertainment Educationに関するブログ記事

http://healthcomm.blog32.fc2.com/blog-entry-132.html#more

7)Media Advocacyに関する教科書
Wallack, et al, News for a Change: An Advocate’s Guide to Working With
the Media. (1999) Sage.

8)Media Advocacyに関するブログ記事

http://healthcomm.blog32.fc2.com/blog-entry-107.html#more

9)Social Marketingに関する入門用教科書
Weinreich, N, K., Hands-on Social Marketing : A Step-By-Step Guide (1999)
Sage.

10)Social Marketingに関するブログ記事

http://healthcomm.blog32.fc2.com/blog-entry-113.html#more

11)HH&S for Writers

http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs/writers

12)(株)シナジー社のウェブサイト:Sentinel for Health Awards 2005の
特集記事
**近日中に公開予定です。10日前には確定すると思いますのでお知らせします。

13)HH&SのSentinel for Health Awardsのページ

http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs/sentinel

14)HH&S内のパネルディスカッションのページ

http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs/panels

15)パネルディスカッションに関するブログ記事

http://healthcomm.blog32.fc2.com/blog-entry-136.html#more

16)HH&Sのニュースレター Real to Reelのページ

http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs/updates

17)HH&Sプレスリリースのページ

http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs/press

18)HH&S Tip Sheetsのページ

http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs/tipsheets

19)HH&Sの投稿済み研究成果その1
Wilson, K. E., & Beck, V. (2002, September). “Observations from the CDC:
Entertainment outreach for women’s health at CDC.” Journal of Women’s
Health and Gender-Based Medicine, 11 (7).

20)HH&Sの投稿済み研究成果その2
Kennedy, M. G., O’Leary, A., Beck, V., Pollard, W. E., & Simpson, P.
(2004). “Increases in calls to the CDC National STD and AIDS Hotline
following AIDS-related episodes in a soap opera.” Journal of
Communication, 54, 2, 287-301.

21)HH&Sの投稿済み研究成果その3
Whittier, D.K., Kennedy, M.G., St. Lawrence, J.S., Seeley, S., & Beck, V.
(2005). “Embedding health messages into entertainment television: Effect
on gay men’s response to a syphilis outbreak.” Journal of Health
Communication, 10, 251-259.

22)HH&Sの投稿済み研究成果その4
Backer, T.E., Dearing, J., Singhal, A. & Valente, T. (2005). “Writing
with Ev – Words to transform science into action.” Journal of Health
Communication, 10, 289-302.

23)HH&S研究関連のページ

http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs/research

24)5 a day運動とドラマについての学術雑誌記事
別府文隆:医療メディア論から見たヘルスコミュニケーションのあり方, Jpn
Pharmacol Ther(薬理と治療)vol.33, no.5 2005, pp430-432

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