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Vol. 234 村重直子の眼3 福祉業界で起業

医療ガバナンス学会 (2010年7月10日 07:00)


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対談 村重直子・小田知宏
構成 ロハスメディア 川口恭
2010年7月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


元厚生労働省大臣政策室政策官の村重直子氏が在野のキラリと光る人たちと対談していく、そんな企画に登場する3人目は、コムスンで福祉という仕事のやり甲斐に目覚め、同社崩壊後の2年間を別の業界で修行した後、改めて福祉業界で単身起業するという小田知宏・前スターティア執行役員社長室長だ。(担当・構成 川口恭)

村重
「『13歳のハローワーク』読みましたよ」

小田
「ありがとうございます。あまり文章を書くのが得意でないので、周りの人たちにも随分助けてもらいました。あれを読んで、優秀な若い人たちが介護の業界に入ってきてくれるようになるといいなあと思います」

村重
「起業されるんですよね」

小田
「今日、電話回線の手配をしたところです。来年から、自宅のある浦安市で障害を持つ子供のための療育サービスを提供しようと思ってます」

村重
「そういうサービスをやる会社は他にはどんなところがあるんですか」

小田
「公的な所も色々ありますけれど不足してます」

村重
「今は市がやっている仕事ということですか」

小田
「市の事業ですね。民設民営のところもありますけど」

村重
「公設の所と勝負になりますね」

小田
「公設の所には税金も入ってますので、純粋に民間の私たちがいきなり勝てることはないでしょうが、でも圧倒的に供給が不足しているので、棲み分けはできるかなと思います。あまりお金がある訳じゃないので、立ちあげたらすぐ売り上げがあるというようにしないといけません。そのためにも今年1年の準備が勝負だと思っていて、歩き回るしかないなあと思っています。浦安市内のことをよく知るためにというのもそうですし、自分のことを知ってもらわないと利用者が集まりませんので」

村重
「福祉分野で起業しようというのは、かなり思い切ったことのように感じます。どういう経緯でしょうか」

小田
「叔母が重度の障害を持っており、10年ぐらい一緒に住んでたので、障がい者に対する抵抗は全くないんです。だからといって、学生時代から障害福祉に興味があったわけではないんですね。元々は、社長をやりたいという思いがあって、大学は経済学部に入ったりとか、学生時代に家庭教師の会社を経営してみたりとか、商社(丸紅)に入って修行させてもらったりとかしてまして、25歳になってそろそろ自分の勝負すべき分野を決めようと思ったのが1999年でした。ちょうど、介護保険の始まる1年前です。色々な業界がありますけれど、介護業界は長期的に見れば間違いなく右肩上がり、自分が会社をやるんだったら成長する業界でやらなければいけないと思ったので、コムスンに入ったんです。

コムスンでは、最初は高齢者介護を担当していわゆる支社長をしていました。そして9年在籍したうちの最後の3年は障がい者支援事業部、障害を持つ方へのホームヘルプサービスをやる部門の責任者をしました。もう少し色々な障がい者への支援をやりたいと、児童デイサービスとかを立ち上げたり、障がい者に働いてもらう職場を作ったりとかしたんです。そうした経験を積む中で、私にとっては高齢者対象よりは障がい者対象の方が、仕事をすることで自分がより満足できる。あるいは仕事をすることで、お客様に満足を与えられるという気がしました」

村重
「初めてお会いしたのは、この頃ですね」

小田
「そうですね。でもご承知のように、その後で会社が潰れちゃったんで、面白いけれど仕事は別だよな、食ってくのは難しいよなと思って、別の業界のスターティアという会社で2年ほど働きました。上場してまして、従業員200人ちょっとの会社なんですね。社長になるという夢を実現するために、介護の業界を1回やめて、改めて他の業界でもう少し修行しようと。どの業界でも構わないんだけれど、そこでもう少し修行しようと思ったわけです。

今までは折口さんという、ああいう成長をとにかく求める、リスクを負ってもいいから成長するという人の下で仕事をしてたので、それは分かったと。すごくいい勉強をさせてもらったんですけれど、かなり偏っているので、別の堅い経営者の下でも仕事をしてみたいなと思ったんです。で、スターティアの本郷という社長は本当に堅くて、成長をある程度犠牲にしても構わない、減収減益でも構わない、でも絶対に潰さない、長い目で見て行こうという人で、この人から勉強させてもらおうと思って業界も考えずに入ったら、たまたま電話とコピー機を売ってたという感じです。

1年間役員をやらしてもらって、社長室長ということで、本当に色々なことを勉強させてもらいました。まずはやっぱり社長って面白いなと思いました。自分は社会にこんな貢献をしたい、こんな事業をしたい、従業員にはこういう風に幸せになってもらいたいという強力な思いを社長は実現できるんです。自分がこうしたいと思っていても、社長が言うなら、やはりこうしなきゃいけないし、社長っていいなあと思ったんですね。それと近くで社長の仕事ぶりを見せてもらって、上場企業でもこういう風にやればいいんだと、じゃあ自分の会社だったらこういう風にできればいいんだなと自信ができました。

その2年の間に障害福祉への気持ちもふつふつと湧き立ってきて、そろそろかなあ、と。でまあちょっと飛び出したということですね、売り上げのアテも何もないのに。3月末で役員の任期が終わりだったので、途中で辞めると迷惑をかけるから、ここで区切りということにしました。実際、売り上げの見込みがないことを色々とこう考えていると若干不安になりますけどね」

村重
「これから試行錯誤。仲間が増えるといいですね」

小田
「本当はみんなでできるといいなあと思うので、NPOということもあると思うんですが、でも今は自分1人なので株式会社でやります」

村重
「どんなところが楽しいですか」

小田
「自分は障害を持つ方の支援をするのが好きだと思いますので、まずは今の動きが障害を持つ方に何らか関係をできると思っていることですね。その前の仕事も、電話とかコピー機とか売ってましたので、当然電話がなければ会社ができませんし、コピー機は必ずどこの事務所にもあって、それをスターティアで入れさせてもらえば、より安くよりいいものになるということで喜んでもらえますので、すごい価値のある仕事だとは思うんですけれど、僕の向いている方向がそういうサービスよりも障がい者と関わることにより興味があったというのが現実ですね。なぜ楽しいかと問われると、こういう答えでしょうか」

村重
「以前お会いした時にもやり甲斐があると、ありがとうと言ってもらえるのが嬉しいと言っておられたのが印象に残っているんですよね。こういう仕事で、純粋にそう思ってやっていける方ってそう多くはないと思います。やっぱりキツイ部分もありますよね。とっても深く関わる部分があるので、その分キツイし、その分喜んでもらえた時の喜びがすごく大きいというのはあるとは思うんですけど」

小田
「キツイということを言ったら、どんな仕事でもキツイと思うんですよ。例えば、スターティアという会社はテレアポで営業のアポイントメントを取ってるんです。私は直接はやりませんでしたけど、泥臭い営業で、まあ見ているとみんな大変なんですよ。障がい者支援も大変かもしれないけれど、その大変な分、やり甲斐もあって、障害福祉の仕事は独特のやり甲斐というんですかねえ、障害を持ってなかなか自分1人では社会で自立できないという方に、何らかの支援をすることで障害の状態は変わらないんだけど何かできるようになるという、やり甲斐。関わっても全然変わらないこともたくさんありますけど。

たぶん僕みたいな人、そんなに多くはなくとも絶対いると思うんですよ。でもお金にならない、仕事にならない、で家族がいたりすると、他の仕事で生計を立てて、日曜日だけボランティアで何かやるというような形になって、自分の時間の一部しか関われないから障害の方に十分な支援はできないんだけれど、少しでも関わっていたいという人は世の中にまだまだいると思うんですよね。まずは事業として、うまくいけば仲間を呼べると思っています。

実は、コムスンがまさにそういう存在だったと思うんです。コムスンがなければ、たぶん今の私もないんですよ。高齢者や障がい者の仕事をしてなかったと思うので、志ある人だけじゃなくて、志はなくても少しは興味あるよという優秀な人間が業界に入って来てほしいと思うので、やっぱり自分1人が食っていければいいという話じゃなくて、事業として成立させたいんです。あまり儲かるわけではないでしょうけれど、仲間を雇えるぐらいは儲けたいなと」

村重
「お金にならない業界と言われてますけど」

小田
「あきらめないで工夫していけば絶対にどうにかなるんじゃないかなと思ってます。障害を持つ方自身に無限の可能性があると思っています。高齢者の場合は今まで頑張って生きてきて最後の集大成、障がい者の場合は、まさにこれから成長して、これから社会に貢献できるという無限の可能性を持っていて、私たちが支援することで社会の一員として、その人がまた他の人たちに色々なことができる可能性もあるわけですよね。社会全体にすごいプラスになるじゃないですか。それが実現できるかとしたら、たぶん、その仕事自体に国からかその本人からかお金が流れてきて、事業として成り立つに違いないと思ってます。具体的なプランはないんですけど、そういう世界が来るはずだし、そういう世界に行きたいと思います」

村重
「介護とか福祉とか、医療もそうなんですけど、普通のマーケットで動く業界とだいぶ違うというか、国とか制度とか法律とか補助金とか税金とか、そういったものの影響がものすごく大きいと思うんです。医療とか介護とかは、トータルの枠を抑え込んできましたよね。障害者自立支援法とかの影響もありますよね。今後どういう風に変わるのかわからないですし」

小田
「国の政策としては、僕は小さな政府主義なので、あまり福祉にもお金をかけるべきじゃないと思っています。もっと民間に参入させて、民間の知恵で限られた財源の中で最高のサービスを提供していくべきだと思っていますので、財源は障害を持つ子供が増えてくればトータルは大きくなるかもしれないけれど、1人あたりの財源は絞っていくべきで、絞られても事業者側がそれで今までと同じ支援を十分やっていけるようにするんだと思っています」

村重
「障がい者を支えて働けるようになることが、社会的に価値を産むと仰っていましたけれど、それに通じますね」

小田
「ただそうは言っても、かなりの税金を入れ込んでいるわけで、福祉っていうと、消費して終わりという感じですけれど、土屋先生が経済教室(日経新聞4月5日付)で書いてらっしゃったように、産業化、福祉も産業にするべきだと思っています。実際に障がい者は働けるわけで、国民からの10年後20年後へ向けての投資として捉えられますし、福祉も輸出できると思っているんです。いいサービスは海外にも売れるし、もっと簡単には、今中国からたくさんの人が来ていますので、経験してもらって、国に持って帰ってもらえばいいサービスになると思います。そこでどう日本企業が稼ぐかというのは、ビジネスモデルの問題ですけど、もの凄いチャンスですよね。将来の日本を強くするために、今の日本の福祉をうまく利用するということなんですね。今までは本当に消費で終わっちゃってますので」

村重
「そこは公設公営でやってる所とは全然違うビジョンなんじゃないかと思いました」

小田
「公設公営でも、目の前のこの子を将来のためにちゃんと社会人としてある程度働けるようにしてあげたいという点では全く一緒で、たぶん向いている方向は一緒だと思います。ただ、そういう意識を持って取り組むことで、関わり方が少し変わってくるかもしれないし、ノウハウも一子相伝というか自分のノウハウだけじゃなくて、形にしたりだとか教材にしたりだとかにしていけば、僕らはそれを輸出できる可能性もありますよね。何かどうせなら世界に、日本の国力を上げて行くことに寄与できたら、優秀な人が来るんじゃないかなと。同じように医療も凄いチャンスの中にあると思いますよ。医療なんか、もっとお金を使ってますからね」

村重
「希望がもてますね。小田さんのようなビジョンの人あまりいないですよね」

小田
「ビジョンはお金がかからないですから。ビジョン食って生きていけないのと、ビジョンだけだったら誰でも語れるので、まず自分でちゃんと食べて行くことだと思っています。最初のお客さんは20人ぐらいだと思うんですけれど、実際に目の前の1人の子どもを実際に療育しているという根拠があってビジョンを語っていきたいと思うんですよね。そういう風にやっていくと、今のビジョンは若干ズレているかもしれません。色々やると、現場で正しい方向が見えてきて、より精密なビジョンを語れるようになると思うんです」

村重
「仲間が増えることと、一つビジネスモデルみたいなもので、ちゃんと回るんだということを示せると、他にもそういう事業体が増えるといいですよね」

小田
「絶対そうなるはずと思ってます。特に今、精神障害を持つ方が増えてます。もう少し周りが配慮してあげれば働ける方ばかりなんです。事実それまでバリバリに働いていた方も多いわけですから、そこを支援することは社会的に価値があると思いますし、社会的な価値があれば、そこへの支援は事業として成り立つはずと信じています」

村重
「会社の場所は、もう決まっているんですか」

小田
「とりあえず法人登記するのは自宅ですね。本当にお金を使えないので。障害を持つ方を雇用して一緒にまあ準備していきたいなとは思っているんですけど、まさか自宅に来てもらうわけにはいかないので、その人には家で働いてくれと、俺がお前のうちにいくよみたいな感じ。障がい者であれば、多少助成金が出たりだとか、会社としても給与の負担が軽減されますのでね、その辺も色々考えながら、最初のうちはできるだけお金を使わずに、僕が歩き回るだけでやっていきたいなと思っていますけど」

村重
「ご家族はなんとおっしゃっていたのですか」

小田
「とりあえず理解はもらってます。子供が生後7カ月なんですけど、1カ月くらい前に会社をやめて障害福祉の仕事をしたいと思っているという話をした時に、最初の2週間は猛反対されましたけど、向こうが折れてくれて、妻が最初にやったことが保育園に申し込むことで、次にやったことが就職活動。僕は何も決まってないんだけれど、妻は自分が働き子供は預けてということをやってくれたので感謝してます。あとは役割分担で、僕がちゃんと家事をするということにもなってますけど。妻は家の近くの高齢者のデイサービスで働く予定です。元々、コムスンの社内恋愛というか、妻もヘルパーだったので。障がい者の支援の仕事はしたくないって言ってます。僕は引きずり込みたいんですけど、自分は高齢者がいいって」

村重
「道は険しそうですが楽しみですね」

小田
「具体的なビジネスモデルで、こんなに儲かるという話をできるといいんですけど。半年後ぐらいには、できていたいと思っています」

(この記事は、ロハス・メディカルweb http://lohasmedical.jp に4月14日付で掲載されたものです)

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