医療ガバナンス学会 (2010年7月14日 07:00)
対談 村重直子・井上清成
構成 ロハスメディア 川口恭
2010年7月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
村重
「私は、日本の医療には無過失補償・免責制度が必要だと思っています。井上先生は、無過失補償制度として裏の国民皆保険というものを提唱なさっていますが、どういうコンセプトで、どういうものが必要と考えてらっしゃるのか教えてください」
井上
「通常言われる国民皆保険制度は、医療を受ける時に、誰でもいつでもどこでも、それで安く適切な質の医療を提供してもらえるというものですよね。その国民皆保険を守らないといけないと皆言っていて、原則論としては合意があるわけですね。だけど、医療には、いわゆる事故が起こりうるし、その頻度は他の分野に比べても高いです。過誤とかじゃなくてもですね」
村重
「普通にやっていても、副作用はありますからね」
井上
「いわゆる有害事象ですね。それらが副作用なのか、法律に言う『重大な過失』なのか、『過失』と言っていいのかも分からないものなのかは別にして、いずれにせよ、いっぱいあります。医療に関して多くの問題が起こりうるんだったら、その分をどうするのか、と。個別に裁判をやって、被害の救済とか制裁とかというのはあまり芳しくない。なぜかと言うと、元が皆保険の枠の中でやっているものなのに、問題が起こるとそのまますぐ裁判というのはバランスが悪いですね。そこで裏の皆保険という話になるのですが、医療を受ける時に保険でやるんだったら、そこから生じたイレギュラーな副作用や過失・過誤による事故のようなものの補償も保険でやったらどうかという話です」
村重
「そうですね、かなりの確率で望ましくない結果が起こるわけですからね」
井上
「患者さんにとって思わしい結果が出ないということはままありますし、医療に伴う有害事象もままある、だったらそういうものは保険に込みにしたらよいではないかということです。ハッピーな結末に終わるものへの保険給付と同時に、そうならなかった場合への保険給付があってもいいんじゃないでしょうか。それが皆に公平に分配できてこそ、真の皆保険になると思います」
村重
「飛行機に乗る時も皆さん保険かけるわけですから、医療を受ける時の表の保険と同時に裏の保険もかけておくということですね」
井上
「表の方も皆保険ですから、一つ一つ明示的にかけるわけじゃないけれども、そうですね。本人が、リスクとか利益とかいちいち狙ってやるものではない。だったら裏の保険も、一つ一つ意識はしないけど、たまたまぶつかってしまった人、ラッキーなことにぶつからなかった人をトータルに見て公平に行くようにできないかと」
村重
「皆でリスクを分散させましょうということですね」
井上
「そういうことです。目的は、不公平な残念な結果を甘受しなければならないある特定の人に対して、できるだけ公平に起きてしまった損害、被害というと加害者がいるようですが法律家的に言うならば、不公平な被害を皆で補填してあげようと。あくまでも起こった被害というか被害者を救済してあげようというのが目的です」
村重
「誰かの責任を追及するのが目的でなくて、救済が目的と」
井上
「加害者を探して制裁を加えるということが第一義的に大切なことではなくて、起きてしまった被害をいかにして皆救うかという方が重要なことなので、まずはそれをどこまでやれるかということですね」
村重
「加害者を特定する必要がないわけですね」
井上
「できるだけ多くの人を救済しましょう、できるだけ公平に救済しましょうということを皆保険でできれば、表と合わせて本当の名実共に皆保険になると思います」
村重
「公平に救済しましょうというのは、裁判を起こした人だけがたくさんお金をもらえるのではなくて、ということですね。裁判という大きなハードルを越えなくても、公平に皆が救済される」
井上
「ある人が裁判を起こせば、究極まで頑張った人に対してはある意味『頑張り料』があって、賠償額が高くなるわけです。私は法律家ですから、その金額を適正だと仮定します、お医者さんからすれば本当に適正かは異論があるかもしれませんけれど。ところが、公平に全員に『適正』にしようとしても、今の世のシステムでは、適正さと公平さは共存できません。皆が高い金額で公平ならハッピーですが」
村重
「皆さん、そのためにたくさん税金を払いましょうという話になって、でもそれが成り立たない以上はできないですね」
井上
「個別の案件における適正さとは別に、皆で税金払いましょうという財源の全体の中での公平さを含めた意味での適正さがどこにあるのかというのは、残念ながらまだ十分に議論されていないと思います。公平さまで含めた意味での適正さで、できるだけ多くの人が公平に救済できるようにするのが大切でしょう。同じ皆保険制の下で医療を受けて、それでハッピーな人が多いけれど、残念ながら不幸な結果が出てしまった人がいれば、それをできるだけ漏らさずに救済するというのが基本的な理念です。ですから、あえて適正と公平と言葉を分けるとしたら、どちらかと言えば公平を重視して物事をまず考える。それが裁判風の適正に近づけば近づくほどいいけれど、そのために公平を崩してしまっては何にもなりません」
村重
「表の医療費が他の先進国に比べてかなり安く抑えられていますから、裏の皆保険側だけ高くというわけにはいかないでしょうね」
井上
「金額が、適正でなく、安くなってしまう可能性もあります。安くなった場合に、裁判における適正と裏の皆保険による公平さを含めた適正金額の落差とをどう考えればいいのか、これが非常に重要な問題です。裏の皆保険を実現するとしたら国民の間のコンセンサスが必要になるんじゃないかと思うんですが、その時にその落差を裁判で埋める手を残すべきなのか、なくすべきなのか、これが非常に重要な問題になっちゃうわけですね」
村重
「免責を入れて、無過失補償を受けたら訴訟できなくするかどうかですね」
井上
「落差の部分を個別に裁判でやればいいじゃないかという政策を取ってしまうと、何のために公平な金額を皆に補償しようとしたのかということが分からなくなる。被害を受けた方が、つらい中で弁護士を頼んだり支援を受けながら必死で裁判をやって自分の被害を何とかカバーして行くというのは、その人個人を評価すれば偉いと思います。それ自体、個人をとった場合には何も非難すべきことはないですけれど、それを皆がやっていったとしたら、もしくはできない人もいたら。できないというのは能力だけの問題ではなくて、諸環境もあるでしょうから、そこにまた落差ができてしまったとしたら、何のために無理して公平さの中に適正さを求めたのか分からなくなってしまいます。これが一番大きいです。皆保険で、皆が満足快適100%というのは、実際には絵空事だと思うんです。多少なりとも我慢しながら、皆がトータルでハッピーになろうとしている時に、裏の方では頑張っただけ差があるというのは、表と裏で違いがあるのでうまくいかないと思います」
村重
「そうですね」
井上
「ただ弁護士風に言えば、難しいのは、本来は権利があるんじゃないのか、それをなくしていいのか、という側面もあるわけです。全体の中で押し潰すという風に、人によっては受け取るかもしれません」
村重
「それについては、どちらを取るか選択できるのであれば克服できるのでないかと思います。落差の分が大きいと、選択と言っても実質的な意味がなくなりますが、公平さの中に適正さをなんとか入れることができるなら、裁判という『頑張り料』分はもらわなくても、少し安いけれど、簡便な手続きで、皆で支えてもらったお金を受け取る裏の皆保険か、裁判か、どちらか選んでねというのはあり得るんでないかと思います」
井上
「それがアメリカで現実にやられている形ですよね」
村重
「そうですね。アメリカとフランスで」
井上
「典型的なアメリカのは、選択をして、もらうなら終わり。リスクまでトータルに考えて裁判やるぞという場合はもらわない。たとえ裁判に負けたからといって戻ってもらうことはできないと。チャンスを本人が主体的に選ぶということでクリアしています」
村重
「本人の意思で選ぶということであれば、権利を制限したことにはならないと思います」
井上
「それは十分に言えます。権利の制限ではなく自己決定だと言えるわけですよね。だから、そういう考え方で通すという手もあります。もう一つの場合は、ニュージーランドのような国が典型ですが、法律で無過失の制度だけでやるんだと決めてしまう」
村重
「過失を問うという発想そのものを持たない国ですね」
井上
「いわゆる事故については、医療事故であろうと交通事故であろうと」
村重
「スポーツの事故とか家で転んだとかもカバーされるみたいですね」
井上
「それこそアクシデントということで考えて、アクシデントに対する補償というのは、この位のものなんだという金額レベルの国民的コンセンサスがあれば、権利を制限したことにはならないわけです。たとえば今、医療過誤訴訟の裁判で慰謝料3000万円を取れるという時に、3000万円という金額自体が本当に権利なのかという問題はあります。世によって時代によって大きく動きます。それを考えると、皆で決めた場合には、必ずしも奪うことのできない権利と言うことはできません。そうなればニュージーランド風に事故はこの位の金額のものなんですよと、皆で考えて、不当でない金額で合意してしまえば、そうすればそれはそれで終わるということで決まりますよね。もう少し実務的にやるのがスウェーデン。補償の金額と裁判の金額がほぼ同じなんですよね。だから裁判をあえて起こすインセンティブがないので、医療過誤訴訟もないんですね。わざわざ弁護士頼んでも同じ金額なら、そりゃ無過失補償にしますよ、当たり前の話です。ただ、ここにはトリックがありまして、例えば慰謝料が概ねないとか、元々の裁判の金額の水準が低いとかの背景事情があるわけです。ところが日本は、戦後すっかりアメリカナイズされてしまったので、損害賠償が高額化してしまったんですね。皆がその意識を持っているので、そのベースで考えると、なかなかスウェーデン風に無過失の金額を裁判に揃えるというのは難しいです。残念ながら現在の国民の意識として、スウェーデン方式を直輸入するわけにはいかない」
村重
「金額がアメリカ並みに高騰してしまったという話ですが」
井上
「並みとは言ってません。ヨーロッパに比べると明らかにアメリカに近くなっちゃっているけれど、アメリカほどは先鋭化はしていないというレベルです」
村重
「医療費がアメリカと日本とではかなり違うじゃないですか。医者の収入もケタ違いなわけですよ。その中でアメリカの医者は収入の何割かを保険料に払ってます。要は、民事訴訟は最後はお金で解決するということで、ハイリスクハイリターンと言いますか、収入も高いし保険料も高いし賠償金も高いということで成り立っている世界です。日本の場合は、給料が安い、特に若いうちはタダ働きが当たり前で、正規の雇用もない、社会保障もない、労災もないという状況で安く安く働いている中で、ほとんど保険料を払えないんですよ。そこのアンバランスもあると思いました」
井上
「バランスがある一定以上崩れたら精神論だけでは通用しません」
村重
「だから、もうやってられないということで診療所とか病院を閉めるという話になってきます」
井上
「なってきますよね。経済的に見て、あまりにもアンバランスが行き過ぎれば、当然途中で破綻しちゃいますね。精神論でカバーできる方が美しいけれど、ものには限度があります。医療費をアメリカ並みに高騰させるわけにはいかないのだとしたら、補償の部分も、皆で議論しながら、イチ、ニのサンでやらないといけない時期にきているんじゃないかと思います」
村重
「一応、日本にも無過失補償かのように見えるものがありますけれど、でも日本の法制度は、明示的でないかもしれませんが、補償のコンセプトの中で誰かの過失を想定してますよね」
井上
「そうです。日本のは、無過失と言いつつ、誰の責任かということは非常に意識していて、とりあえず問わないよと言いながら、最終的には過失のある人に責任を負わせるという摩訶不思議な制度です。無過失補償とは過失を問わないものなのに、結局問うています」
村重
「本来の無過失というのは救済だけを考えるものですよね」
井上
「救済の局面は、それだけで終わりということです。加害者がいて被害者がいてというリンクを切って、被害者救済だけするのが無過失。本当の原状回復は無理にしても、できるだけ元に戻しましょうというもの。だからといって加害者を放っておくということではなくて、それは別のシステムで扱います。放っておくのは、世の中の秩序としてアンバランスが生じてしまうので、これはまたあり得ませんね。ただし補償を通した何かではなくて、制裁なのか教育研修なのか、別建てのシステムが必要になります。これができて初めて被害者救済だけを扱えるということにもなるわけです。加害者がやりたい放題というとバランスが悪いので、責任というか、今後どうしていくのかということをシステムで解消していく必要はあります」
村重
「そういう加害者が明確な場合はということですよね。加害なく被害が生じる場合も多くあるから」
井上
「加害があっても、なくても、何であっても支払う、そこに区別はないというのが無過失補償です。加害者と言われる人がもし存在するならば、別の仕組みで、それが悪い人なら制裁、そうでなければケースによって教育したりということになるでしょう」
村重
「教育によって改善が見込まれるケースはということですね」
井上
「改善できないものを教育しても意味ありません。一方で、教育で改善できるものに制裁を加えるのも余分なことです。ただし制裁を全くゼロにしていいかというと、制裁というファクターがないと社会秩序のバランスが取れません。どの範囲なら、教育で、どの範囲なら制裁かということをあらかじめ決めておく必要があります」
村重
「そこにも国民のコンセンサスが必要で、皆さんで情報や意見を出し合って議論して合意する必要がありますね。範囲を決められるかどうかも議論が必要でしょう」
井上
「議論する前提として、情報公開して、考え方をリーダー的な人がいくつか提示して、公の場でバトルを繰り広げて、皆でどうしようか考えて、で恐らく妥協するということが必要なんだと思います。しかし、現在は、情報公開はしないわ、考え方を提示しないわ、議論しないわで、先にある結論に寄せて行くようなことがやられている。こういう方法では、難しい問題にまともな解決策は出てきません」
村重
「無理に策を作っても、国民の心はついてきませんよね」
井上
「悪口を言うと、特に村重さんの所属していた厚労省周りでは、公開せず提示せず議論せず、結論だけに寄せて、逆算した形で体裁を取り繕うようなことばかりしていませんか」
村重
「全く仰る通りです」
井上
「世の中がグチャグチャの分かりにくい時代に、そういう手法だと、的外れなKYな政策を打っちゃうことになります。世の中が安定していて、全体の方針が一貫して決まっている時代なら、まあいいかもしれないですけれど、こういう価値観の見えない時代になると、時としてとんでもない政策になってしまう可能性があります。理論としてはあり得ても、現場からはあり得ないというような」
村重
「仰る通りです。国民のことを考えずにニーズと関係ない政策を次々に展開しています」
井上
「一応、彼らの弁護をするならば、昔はそれでよかったんです」
村重
「そうです、そうです。昔と同じルーチンを粛々とやり続けています」
井上
「国民のニーズが大差なくて、国のめざす方向性が概ね決まっていた時代には、それが合理的な進め方だったんだと思います。しかし現在は、日本がうまく立ちゆかなくなってきていて、日本をどうするのかという方向性、コンセプト自体を決めることの方がより重要になっています。昔のように、方向性に疑いを持たなくてよかったホンワカしたいい時代なら、手堅く技術的な詰めをしてというやり方で問題なかったんでしょう。でも、今は大外れの政策ができてしまいます」
村重
「国民の二―ズが同じ時代というお話がありました。医療の世界で言うと、国民皆が長生きしたいと思っていた時代と重なるのかなと思ってうかがいました。もちろん今も長いに越したことはないんですが、どういう状態で長生きなのかとか、命の長さよりもっと大切にしたいものがあるとか、多様な選択がある時代になってきていて、患者さんから言われることもバラバラまちまちになっています」
井上
「あるレベルまで経済的なものが満たされてきたならば、そのゆとりが教育に向かい、そして知的水準が上がれば、当然に色々な考え方が出てきます。百家争鳴の状態になるのが当たり前です。もちろん、百家がずっとそのままということではなくて、残るもの淘汰されるものがあってしばらく落ち着いて、成熟してくるとまた百家争鳴になるという繰り返しなんだと思います」
村重
「その百家の部分をすっ飛ばして、クローズドに決めたら、国民はついていけなくなりますよね」
井上
「弁護士でも医師でも誰でもそうだと思うんですけど、歳を取ってから、自分たちが若い頃にはなかったことに直面すると、その状況の想像がつかないんです。だから、それに対して何をしたらいいかというのもピンボケになるわけです。例えば医療の世界で言うと、昔は刑事処分なんかはもちろんなかったし、損害賠償訴訟も行政処分もほとんどなかった。若い時にそういう時代を過ごしてきて、でも今は訴訟が頻発して若い人が困っていると言われても、そういう上の方にいる人たちは現場から離れちゃっているというか、端的に言うと若い人の苦労が分からないわけです。勘が働かないと言ってもいいかもしれない。パラダイムシフトが必要な時に、そういう上の方の人だけで決めると、必ずピンボケになります。無過失補償の設計は昔ながらの官僚の発想では難しいのが当たり前です。それは官僚に限らず、医師でも法律家でも、昔ながらの人には難しい」
村重
「だからこそ議論百出させるしかありませんよね」
井上
「少なくとも一回選択肢を提示しとかないといけないだろうと思います。ところが法律家が皆黙っているもんですから。これは私が言っているわけではありませんよ。スウェーデンの無過失補償について調べに行った時に、そこのCEOの人から言われたんです。3年前だか4年前だかに行ってレクチャーを受けたわけですが、端っから黙って聴いているつもりはないもんですから質問責めにしたわけです。それも野党的質問というか、法律家的に言うと反対尋問ですね。向こうは当然いい話しかしませんけれど、何もかもうまい話があるわけない、無過失補償を可能にした何かがあるはずだと思って一生懸命掘り返そうと質問していたら、CEOがついにキレましてね。それで言ったことが、日本の弁護士が無過失補償を採り入れたって、いいことないでしょうと。どうも元々スウェーデンというのはクレームの多いお国柄なんだそうですね。裁判が多かった。ところが無過失補償を入れたら訴訟が退治されたというかゼロに近くなったそうです。そんな制度を入れたら、弁護士は仕事がなくなるだろうと言ってキレたから、私は日本の弁護士代表として来たわけではないと言い返したんですけれど、後で考えたら反論になってなかったですね。無過失補償は、訴訟を根絶やしにするかはともかく大幅に減らして実効性をなくしてしまう程の劇薬になります。損害賠償訴訟をすることが正しいと思っているような人には、そんな制度自体想像がつかないものかもしれません。私の身の周りでも、皆が、えっ?と言いますね」
村重
「私もフランスの無過失補償のディレクターと話をしたら、フランスでは訴訟か無過失補償か選べる制度で、90~95%は無過失補償に行く、裁判は劇的に減ったと言ってましたね。フランスで制度ができたのは、患者さんたちが被害を救済される権利を求めて声を上げたところからだそうですが、弁護士にはとても評判が悪いそうです」
井上
「弁護士で無過失補償を好む人はいないでしょうね」
村重
「そういった中で、よくぞ声を上げてくださったと思います。ありがとうございます」
井上
「何となく自爆している感じでしょうか」
村重
「これをきっかけに議論百出になればと思います」
井上
「今日話をしても分かるように、制度は各国それぞれちょっとずつ異なっていて、唯一の正解というのはどうもないらしい、バリエーションがあってもいいらしいということは分かりますね。だからアイデアを色々と出せばいいのでないかと思います。私が提示したのは、表の皆保険があるんだったら裏の皆保険もあっていいんじゃないかという、世界に冠たる国民皆保険と言っているわけですから、裏の部分までひっくるめて名実ともに世界に冠たるにしたらいいという提案です。各国のものをそのまま移植しても多分うまくいかないので、本当に国情に合ったものを探るために、どんなものがいいのかいくつかアイデアを提示して議論すればいいと思います。その一つとして私が提示するのは、裏の国民皆保険です」
(この文章は、ロハス・メディカルweb http://lohasmedical.jp に6月5日付で掲載されたものです)