医療ガバナンス学会 (2021年7月1日 06:00)
全国医師ユニオン代表
植山直人
2021年7月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
5月21日に「良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を推進するための医療法等の一部を改正する法律案」(以下、医師の働き方関連法)が可決された。これにより「地域医療暫定特例水準」(B水準)と「集中的技能向上水準」(C水準)の時間外労働の上限が年1,860時間となることを認める政令が2024年4月から実施されることになる。
私たちはいかなる理由があっても過労死ラインの約2倍(月平均155時間)の年1860時間の時間外労働を認めることに反対である。日本国憲法の第14条では「すべて国民は、法の下に平等であ」ると定めている。また、労働基準法第三条には「社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」と定められている。憲法第18条では「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」と定めている。今回の例外は年間1860時間もの時間外労働を業務命令として強制することができるものである。また、憲法第25条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定められているが、健康で文化的な生活など望めない過重労働を課すことになる。そもそも働き方改革ではライフ・ワーク・バランスの実現を目指すとしているが、医師の働き方改革では医師の健康を守る議論はあるが、働き方改革が目指す「育児や介護との両立など、働く方のニーズの多様化」やライフ・ワーク・バランスの実現については全く触れられていない。
医師の働き方関連法は、これらの問題を放置したまま国会で可決された。
2、日本の医師労働の実態と問題の本質
1)勤務医の長時間労働とその深刻な影響
厚労省は2016年12月に「医師の勤務実態及び働き方の意向に当に関する調査」を大規模なタイムスタディで行っており、その結果は、約4割の病院勤務医が過労死ラインを超え、約1割は過労死ラインの2倍を超え、1.6%は過労死ラインの3倍を超えて働いているという衝撃的なものであった。また筑波大学医学医療系客員准教授の石川雅俊らによる調査 によると、専攻医(専門医資格の取得を目指す医師)は長時間労働が常態化しており18.6%が中等度の抑うつ症状となっており、長時間労働が深刻な健康被害を引き起こしていると報告している。
医師であっても勤務医は労働者であり、長時間労働により抑うつ状態や過労死などの健康被害を受けていることは、極めて深刻な問題である。
2)常態化する労基法違反
厚労省の検討会資料では、1860時間を超えて働く医師が10%を超え、病院全体の27%、大学病院の88%に該当する医師が存在するとされている。しかし、2019年4月1日時点における86の特定機能病院の36協定において年の時間外労働時間が1860時間を超えるのは2つの病院のみであり、960時間を超えるのは17病院にすぎない。つまり、大半の病院において36協定違反が常態化しており、しかも監督官庁により容認され放置されているということになる。
また、無給で働かせることは極めて悪質な違法行為であるが、2019年の文科省調査では全国で少なくとも2800人を超える無給医がいることが判明しており、これまでこのような違法行為が漫然と放置されてきたことになる。
医師の働き方関連法を議論する前に、このような日本の勤務医に関する労基法違反の現状を、既存の労基法に則って改善するべきであるにもかかわらず、これを放置して新たな法律を制定したこと自体が、この法律の最大の問題点であると言える。医師の働き方関連法が、これらの問題を解決することに役立つものとなるためには、法令の運用を現実に即して調整するなどの積極的工夫が必要である。
3)根本的原因としての医師数抑制政策
必要医師数が社会のあり方、医療のあり方と共に変化することは当然である。とりわけ高齢・長寿化と医学の発展による専門分化が医師需要を増加させている。具体的には東京都の救急車の出動件数は、1963年から2018年の55年間で8倍に増えている。癌の罹患数は1975年から2015年の40年間に4.4倍増えている。しかし、日本では医師の養成数を医学部定員という形で政府が意図的に抑制しているため、この60年間で医師数は2.4倍しか増えていない。日本の人口当たりの医師数は2017年に人口1000人当たり2.4人であるが、OECD加盟国の平均は3.5人である。日本がOECD平均に届くには約14万人医師を増やさなければならない。厚労省は医師不足の問題を医師の偏在問題の問題としているが、絶対的な不足が根本的な問題であり、その原因は政府の医師数抑制政策にある。結果として大規模な医師不足を生じており、医学の発展を阻害し、国民の命と健康を守ることができない局面があちこちに現れている。
医学・医療の発展を担うべき医師の数を国が抑制しているため、日本の医学論文数は国際的な順位を下げていることが憂慮されており、COVID-19対策においても感染症専用病棟と感染症専門医の不足など先進国として十分な対応が取れたとは言い難い現状を呈したのである。
日本は財政問題という狭い視点で医療産業の中心を担う医師の数を抑制する統制経済を行っているが、これを抜本的に改善する必要がある。
3、働き方改革について
1)国が進める働き方改革
政府は働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律(平成30年法律第71号)の概要では、a.働き方改革の総合的かつ継続的な推進、b.長時間労働の是正、多様で柔軟な働き方の実現等として、c.雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保の3点を挙げている。さらに、国の講ずべき施策として、以下の4点を挙げている。d.労働時間の短縮その他の労働条件の改善、e.雇用形態又は就業形態の異なる労働者の間の均衡のとれた待遇の確保、f.多様な就業形態の普及、g.仕事と生活(育児、介護、治療)の両立。
一方、医師の働き方改革に関しては「改正法の施行期日の5年後を目途に規制を適用することとし、具体的には、医療界の参加の下で検討の場を設け、2年後を目途に規制の具体的な在り方、労働時間の短縮策等について検討し、結論を得る」とした。
2)医師の働き方検討会の議論について
<検討会の構成>
医師の働き方改革は、まさに医師の労働問題であるが医師の労働組合から検討会委員が選出されることはなかった。全国医師ユニオンは2009年の結成当時から医師の過労死問題をはじめ医師労働の改善のために厚労省に要請を行い、実態調査や情報発信を行って社会的にも認識されている。これを無視することは極めて不自然であり当初から、医師労働の解決を求める姿勢が見られなかった。
<検討会での議論の問題点>
すでに述べたが、日本の医師の長時間労働は医師数抑制政策が根本的な原因でありその解決が不可欠であるが、この問題は一切議論されなかった。また、本来であればワーク・ライフ・バランスの改善が求められるが、それが健康確保措置に矮小化されたため、出産・育児の問題や女性医師が抱える問題などは全く触れられなかった。また、医師の長時間労働の大きな弊害として医療安全性の問題がある。日本外科学会の調査では、「外科診療における医療事故・インシデントの原因」として「過労・多忙」が81.3%でトップとなっている。しかし、医療安全の面からの時間規制は全く議論されていない。さらに、労基法違反が横行している原因として、医師労働に関して労基署が適切な指導を行ってこなかったことが挙げられるが、この点に関しても議論されることはなかった。
検討会では初めに、医師は労働者であるかという極めて低レベルの問題から議論を始めることとなった。このためすでに指摘した問題が議論されることはなく、さらに健康確保措置のエビデンスに基づく有効性などに関しても議論されることなく、全く不十分な小手先の対応のみの検討会報告書が作成されることとなった。
4、残された課題
1)当直問題
医師の長時間労働の最も大きな要因は夜間の当直である。特に、宿日直許可と呼ばれる制度が問題である。ほとんど通常業務がない宿直については労基署長が認めれば労働時間とはならずに賃金も通常の1/3以上であればよいとするものである。しかし、夜間救急外来や入院中の重症患者や救急対応を行っているにも関わらず、宿直許可を取っていることを理由に当直労働を労働時間から除外している病院が少なくない。これは、宿日直許可を出している厚労省側の問題が大きいと言わざるを得ない。
2)自己研鑽の問題
次に重要な点として、労働時間と労働時間にあたらない自己研鑽の時間をどのように適切に判断するかという問題がある。一部の大学では 、「診療ガイドラインについての勉強」や「新しい治療法や新薬についての勉強」などを労働時間に該当しない研鑽例として示している。しかし、これらは患者の治療に直接影響を与えるものであり、これを行うことは医師の義務であり業務である。医師労働は頭脳労働の側面が強く患者の診断治療に関係する勉強は、医師の本来業務である。
3)客観的な時間管理と労働時間の合算
自己申告による労働時間管理は労働実態を反映しない可能性が高いため、不適切である。タイムレコーダー、電子カルテログイン記録、病院でのI Cカード使用履歴など、医師の労働時間管理を客観的なデータをもとに行うべきである。また、勤務医の外勤と呼ばれるアルバイトに関しては合算した労働時間で労務管理を行わなければ健康を確保することはできない。
一方で、アルバイトを一律禁止した病院があることが報道されているが、これらのアルバイトに関しては、勤務医の相対的に少ない収入を補填するものであると同時に、地域医療を支えているという現実をも見なければならない。
4)女性医師への配慮の課題
女性医師は、医師研修(研修医)や専門研修(専攻医)の時期と出産や子育ての時期が重なる中で、産休・育休が取れない、僻地への勤務が困難であり専門医資格を取得・維持できないなどの深刻な状況に置かれている。厚労省として、女性医師が活躍できるよう具体的な問題点の把握と解決策を提案する検討会を作るなどして速やかに問題を解決することが必要である。
5)無給医問題など大学の医師労働の改革
無給医問題の解決はもとより、解決したとする大学においても大学院生等を最低賃金ギリギリの低賃金で働かせている大学がある。これは働き方改革が目指す均等・均衡待遇の原則に反するものである。また、裁量権のない助教等に対する裁量労働制の強要なども違法である。
大学の働き方改革に関しては厚労省と文科省が協力して取り組むとなっているが、大学の医師が研究、教育、診療において適切な環境下で十分な能力を発揮できるための改革が求められている。
6)健康確保措置
今回の法律では「健康確保措置」が設けられることになるが、過労死ラインを大きく超える勤務医の労働実態があることから、今すぐ健康確保措置を実施する必要がある。しかし、28時間以内の連続勤務や勤務間インターバル、代償休息の付与を実現している医療機関は極わずかである。診療報酬による誘導のみならず、これらの措置が間違いなく実施されるように、具体的な方策を検討すべきである。
そもそも勤務医が28時間連続労働を行っていいとする根拠は不明であり、通常の8時間労働を基本とし、それ以上は原則時間外労働とすべきである。
勤務間インターバルは、E U諸国では最低11時間とされるが、医師の働き方関連法においては9時間で良いとされている。連続労働を規制することで十分な休息を与え、体調管理を行うことが最低限必要であり、睡眠時間7時間以上を確保することを考えると9時間では短すぎるため、EUに倣い原則11時間に延長するべきである。
5、求められる具体的な対応
1]夜間の時間外労働にあたる当直を全て交代制勤務とし過労死ライン以下の労働条件を実現するために必要な医師数を明らかにすること。また、これに基づき医師養成数を増員すること。
2]医療機関の管理者、中間管理者の医師等に関して、労働法制に関する研修・教育を徹底すること。
3]現在、医師に対する労基法違反が横行していることに鑑み、病院の医師労働に関する労基法違反への勧告や指導を労基署に強化させること。
4]第二次救急や急性期病院において夜間に通常の診療を行う場合には時間外労働として適切に扱うこと。なお、宿日直の許可は厚労省通達の「一般の宿日直業務以外には、特殊の措置を必要としない軽度の又は短時間の業務に限ること」を徹底すること。
5]医療安全の点からも夜間の労働に関しては交替制勤務を導入し、連続労働の上限をトラック運転手と同様の16時間とし、速やかにこれを実現すること。
6]労働時間の自己申告をやめさせ客観的管理を徹底させること。アルバイトの労働時間に関しても、自己申告とせずに客観的な労働時間管理を義務化すること。
7]自己研鑽の拡大解釈を行わないこと。診療ガイドラインについての勉強、新しい治療法や新薬についての勉強、自らが術者等である手術や処置等についての予習や振り返りやシミュレーターを用いた手技の練習等は患者の治療に不可欠の業務であることを明確にすること。
8]女性医師の出産・育児等の環境の整備を進めること。また、実態調査等を行い適切な制度を作るために女性医師の働き方改革に関する検討会等を設置し、実態に即した着実な解決にあたること。
9]無給医を完全になくすこと及び医師に対して均等・均衡待遇に基づく適切な賃金を支払うこと。無給医や均等・均衡待遇に反するような労務管理がなされているような病院はB・C水準として認めないこと。
10]大学病院において裁量権のない助教等に裁量労働制を適用させないこと。
11]研究に従事する医師に関しても適切な処遇を行うこと。
12]勤務間インターバルは11時間以上とすることを強く推奨すること。