医療ガバナンス学会 (2021年9月2日 06:00)
日本バプテスト病院 臨床検査科/中央検査部
中峯寛和
2021年9月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2.衛生検査所とは
衛生検査所とは、「人体から排出され、又は採取された検体について、微生物学的検査、免疫学的検査、血液学的検査、病理学的検査、生化学検査、尿・糞便等一般検査及び遺伝子関連・染色体検査を行うことを業とする場所をいうもの」とされています (1)。実際的には、臨床検査に関する法律で定められる施設基準や検査体制を満たし、各都道府県知事から衛生検査所として認可を受けた施設のことで、受託/外注検査所とも呼ばれます。
臨床検査は、患者さんの体内から取り出した細胞や組織(検体)を対象とする検体検査(血液検査、病理検査など)と、患者さん全体を対象とする生理検査(心電図検査、超音波検査など)の 2 つに分かれます。このうち検体検査の項目は、生理検査とは違って非常に多数あるため、患者さんが受診・入院する医療施設がそれらすべてを自前で行うことは、大規模病院であってもほとんど不可能です。自前で実施するのが困難な検査として、検査される頻度が極端に低い項目、専門性の高い項目などが挙げられ、これらが衛生検査所へ委託され実施されているわけです。また、クリニックなど小規模の医療施設のうちには、検体検査の大部分を衛生検査所に委託しているところもあります。
3.誤った報告の状況
当院は 2 年前から検体検査の一部を A 社に委託しています。この会社は大手衛生検査所のひとつで、各医学会から広く認知され、特に古典的染色体検査は、同社による結果以外は信頼性が低いとの風潮さえあります。その一方で、同社による遺伝子検査の一部には、誤った記載のまま報告されてきているものがあり、筆者はかつてこのことを指摘しました (2)。しかしそれでも、当院が最近委託した 2 検体について、依然として同じ誤りがあったため、A 社に対して訂正を求めたわけです。
まず、今回問題となった検査結果報告書の、どこがどのように間違っているのかを明らかにする必要があるので、該当する検査の概要を次の「4.」に、報告書内容をもとにした誤りの説明を「5。」に、それぞれ示します。しかし、この検査(サザン法による遺伝子検査。以下、サザン解析、と略)はかなり専門的であるため、血液疾患に関わる医療関係者以外には判りにくいかもしれません。そこでこの2項目はスキップして「6.」に移ることができます。
4.サザン解析
リンパ節が腫れたり、血液中に異常なリンパ球が増える場合には、炎症(反応性増殖とも言われ、多クローン性と特徴づけられる)なのか、癌(腫瘍性増殖であり、単クローン性と特徴づけられる)なのかを、はっきりさせる必要があります。それにはこのサザン解析が役立ちますが、この検査はリンパ球が正常の分化・成熟過程で、特定の遺伝子の並びが変化(再構成)するという特徴をもとにしています(利根川 進氏が 1987 年にノーベル生理学・医学賞を受賞された研究成果に直接基づいています)。特定の遺伝子とは抗原受容体(免疫グロブリンおよび T 細胞受容体)遺伝子と呼ばれるもので、遺伝子自体は核をもつほぼすべての細胞に存在しますが、正常状態ではリンパ球以外には再構成しません。
具体的な検査手順をごく簡単に述べますと、患者さんから採取したリンパ球を含む組織から DNA を取り出し、制限酵素と呼ばれる“ハサミ”で切って短くした後に、寒天のような物質の中で電荷をかけて移動させ(電気泳動し)、それを 1 枚の膜に移してから、抗原受容体遺伝子を見えるようにする、となります。図 1 にその結果の例を示しました。因みにサザンとは、電気泳動後の DNA を膜に移す方法(サザンブロッティング)を発見した研究者の苗字です(移す物質が RNA の場合はノーザン、タンパク質の場合はウエスタンと呼ばれ、これらは発見者名をもじったものです)。
図 1 サザン法による遺伝子再構成についての解析結果
http://expres.umin.jp/mric/mric_2021_169.pdf
5.誤った報告の具体的内容
図 1A を見て下さい。「陰性コントロール」(陰性対照)と「検体」が 3 列(レーン)ずつあり、それぞれのレーン番号が対応します。例えばレーン 3 を比べますと、「陰性コントロール」でみられるバンドに加え、「検体」にはこれとは違う高さのバンドもみられます(レーン 1, 2 にもそのようなバンドがみられますが、レーン 3 のものだけ矢印で示しています)。これらは再構成バンドと呼ばれ、もとの材料の中に腫瘍性に増えるリンパ球があったことを意味します(再構成バンドがみられるのは、同じパターンで再構成している細胞が一定数以上あるからです)。再構成バンドがみられたため、 A 社の記載は「遺伝子再構成を認めました」となっており、これはその通りです。
一方、図 1B でそれぞれを比較すると、「検体」のどのレーンを比べても再構成バンドはみられないので、A 社の記載は「遺伝子再構成を認めませんでした」(以下、再構成を認めず、と略)となっています。実はこれが明かに誤った記載なのです。レーン 2 について、「陰性コントロール」では 2 本のバンドがみられ、上の方が若干薄くなっている程度です(黒矢頭)。これと比較すると「検体」では、上のバンド(白抜き矢頭)は下のバンド(黒矢頭)に比べ、極端に薄くなっています。この濃さの差こそが遺伝子再構成があることを示しているのです(ただし、この試料は炎症細胞が大部分を占める組織のため、多くの細胞はそれぞれ再構成パターンが違うので、再構成バンドは出現しません)。レーン 1 と 3 のバンドが、「陰性コントロール」に比べて「検体」で極端に薄いのも同じ理由です。したがって、「再構成を認めず」との記載は誤りであり、正しくは「遺伝子再構成バンドを認めませんでした」(以下、再構成バンドを認めず、と略)と記載すべきなのです。
6.A 社への誤記載の指摘とその後の経過
この件について、筆者と A 社とで計 9 回も文書を交換しましたが、それらの内容を要約すると、次のようになります。 誤記載について A 社は早々に筆者の指摘通りであること認めましたが、幾つかの理由を持ち出してきて、訂正しようとはしませんでした。それらに対する筆者の反論には、「検査案内書の備考に補足説明する」との回答でお茶を濁し、訂正すべきとの筆者の要望は、結局のところ受け入れられませんでした。A 社と遣り取りした文書の具体的内容は以下ですが、スキップして「7.」へ移ることができます。
i) (筆者 → A 社)筆者が A 社に対し、以下を要望した。当院患者検体のサザン解析結果報告書にある、「再構成を認めず」との記載は誤りであり、「再構成バンドを認めず」と改正すべきである。なぜなら、再構成バンドはみられないが、遺伝子は細胞ごとに異なるパターンで再構成していることが明瞭に認められるからである。
ii) (A 社 → 筆者)すると A 社から 23 日後の日付がある次のような回答あり。筆者の指摘の通りであるが、このコメント(再構成を認めず、との記載)は免疫関連遺伝子再構成検査 10 項目に共通するので、社内での対応方法を検討する(下線部は原文のまま)。
iii) (筆者 → A 社)しかし、「再構成を認めず」を「再構成バンドを認めず」に変更しても、10 項目の報告内容に全く影響がないことが明らかなため、臨床検査医学的に議論の余地はないので、速やかに改正するよう強く要望した。
iv) (A 社 → 筆者)すると 31 日後に、A 社から次のような回答あり。A 社では、再構成バンドが検出されない場合には「再構成を認めず」とのコメントを報告書に記載している。本件について、A 社に関係する複数の血液腫瘍内科医および指導監督医からの見解をもとに社内検討した。その結果、「再構成を認めず」との文言は、これまで慣用的に用いられ浸透しており、またわが国の学会誌における症例報告でも使われていることから、変更はしないとの結論に至った。
v) (筆者 → A 社)足並み揃えが訂正を拒む理由にならないと判ったためか、今度は関係する医師の見解および学会誌を理由に挙げてきたか、と思いつつ、A 社に対し次のように反論した。
a) 衛生検査所において、受託検体から得られた検査結果をそのまま検査委託者に報告することは、受託検査事業の大原則である。にもかかわらず、再構成バンドが検出されない場合に「再構成を認めず」として報告することは、検査結果の脚色であり、この大原則に違反している(臨床検査に関する法律に抵触する恐れがあるとまでは、筆者は指摘せず)。いったい何の権限があって、そして何を目的にこのように脚色するのか、理解に苦しむ。
b) A 社関連の医師は、サザン検査に精通しているとは思えないため、「再構成を認めず」との記載が誤りであることを、30 年も前の文献 (3) を引用しつつ解説し、この記載がなぜ患者の病態を正しく評価するうえで支障をきたすのかを、「腫瘍細胞と、それを排除しようとする正常リンパ球」を軸に詳しく説明(次項を参照)。
c)“慣用による浸透”はいかにも非科学的であり、現代医療の方向性(科学に基づく医療、精密医療)とは逆行。
d) 学会誌における症例報告は学術論文の一つであり、できる限り科学的に正確な記載が求められるのは言うまでもない。そういうところに、A 社自身が誤りと認める検査結果がそのまま掲載されていることは驚きであり、筆者の求める改正を妨げる理由には全くならない。それどころか、A 社は、論文に掲載済みの誤った検査結果に対する、責任を問われかねない。今後このような事態の再発を防止するためにも、記載の訂正が必要。
vi) (A 社 → 筆者)すると 43 日後に、「再構成を認めず」とのコメントについては、筆者による指摘を踏まえ、検査案内書の備考に補足説明することとする、とだけ回答があり、報告書コメントの訂正が必要との筆者の要望は、結局受け入れられず。
vii) (筆者 → A 社)これだけ学術的に説明しても、A 社が改正しようとしないのは、学術以外の理由があるのかも知れず、これ以上の要望を断念。しかし、当院患者の報告書については、衛生検査書として検査委託側の要望に対応する義務がある旨を伝え、「再構成を認めず」を「再構成バンドを認めず」と変更した修正報告書を発行するよう依頼した。
viii) (A 社 → 筆者)すると驚いたことに、わずか 7 日後に、筆者の求める修正報告書が到着した。
ix) (筆者 → A 社)そこで、修正報告書の受領通知とともに、半年近くを要した今回の経緯を、とこかに記録する予定である旨連絡した。
A 社が誤りを訂正しようとしない学術以外の理由として、“訂正するには、検査結果報告書作成システムの大元を変更する必要があるので、手間がかかる”、“大手企業としてのプライド”などを想定していました。しかし、上記 viii) の迅速な修正報告書発行からは、そのいずれでもなさそうであり、A 社が誤りを改めようとしない理由はよくわかりません。なお、ix) で筆者が A 社に伝えた「どこかに記録する予定」とは、まさしくこの文書であり、このことを伝えてから 1 ヶ月以上を経ても A 社からコメントがないため、本誌に投稿したわけです。
7.誤記載による影響
このような A 社との文書の遣り取りについて、「些細なことにこだわって、時間を無駄にしているのではないか」との指摘を受けるかもしれません。そこで、こういうコメントを記載されると、何が医学的に不都合なのかを説明します。
今回筆者が問題にしている 2 検体のうちの 1 検体は、ホジキンリンパ腫と呼ばれる悪性リンパ腫の一つです。この腫瘍は、他の悪性リンパ腫とは異なり、組織の中の腫瘍細胞は数が少なく、大半の細胞は正常のリンパ球であることを特徴とします。ホジキンリンパ腫の病巣では、増え続けようとする腫瘍細胞と、これを排除しようとする正常リンパ球との “せめぎあい” が起こっています(この機序は、本庶 佑氏が 2018 年にノーベル生理学・医学賞を受賞された研究成果に直接基づいています)。この場合、正常のリンパ球が腫瘍細胞を排除するためには、それらの抗原受容体遺伝子が再構成していなければならないのです(「再構成がみられない」が正しいのなら、これらのリンパ球は働けません)。
8.おわりに
衛生検査所の中に、検査委託者からの指摘を検討し改善につなげる施設と、指摘を受け入れず改善しようとしない施設があるとすれば、将来性が前者にあるのは言うまでもありません。筆者は当初、A 社に対して「過ちては、改むるに憚ることなかれ」(3) という気持ちで指摘していました。しかし、結局筆者の要望が受け入れられなかったことから、A 社はもはや「過ちて改めざる、これを過ちという」(4) の状況あることになります。A 社が今後も受託検査事業を続けるのであれば、受託検体から得られた検査結果をそのまま検査委託者に報告する、という大原則を思い起こし、指摘されても改めないという姿勢を、根本的に改める必要があると思います。
文献
(1)衛生検査所指導要領の見直し等について(平成30年10月30日付け医政発1030第3号厚生労働省医政局長通知),別添 1.衛生検査所指導要領
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000761163.pdf
(2)中峯寛和.サザンブロット法とPCR法.In: 新津 望編.悪性リンパ腫診療ハンドブック.南江堂,東京.2010, pp 24-7
(3)Jacobson JO, Wilkes BM, Harris NL. Mod Pathol 1991, 4:172-7
(4)論語- 学而
(5)論語- 衛霊公