医療ガバナンス学会 (2021年9月16日 06:00)
帝京大学大学院公衆衛生学研究科
高橋謙造
2021年9月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
Airborne transmission of respiratory viruses
https://www.science.org/doi/10.1126/science.abd9149
この総説の著者グループは、COVID-19対策のトップランナーである台湾、イスラエル、米国等から構成されています。COVID-19パンデミックで観察された多数の超拡散現象や屋内と屋外での感染の違いなどが、SARS-CoV-2ウイルスの飛沫感染や付着物による接触感染だけでは説明できないという点について取り組んでいます。その主たる説明が、空気感染(エアロゾル感染)の関与です。飛沫感染の主となるのは、Droplet(液滴)という比較的大きな飛沫であり、これは2m程度浮遊するうちに自重で落下します。それに対して、より小さくて軽いエアロゾルは、空気中に滞留して蓄積され、気流に乗って長距離を移動することができます(これが空気感染です)。
これまでのウイルス学の知見等からは、空気感染は否定的に扱われてきました。しかし、空気感染を示す強力かつ明白な証拠はいくつもあります。換気が感染に与える強い影響、屋内と屋外での感染の違い、十分に立証されている長距離感染、マスクや目の保護具を使用しているにもかかわらず観察されたSARS-CoV-2の感染、SARS-CoV-2の屋内での高頻度のスーパースプレッディング現象、動物実験、気流シミュレーションなどがそれらです。これらの背景を反映して、この総説では空気感染の重要性について検討しているのです。
ウイルスを含んだエアロゾルの伝播は、エアロゾル自体の物理化学的特性、温度、相対湿度、紫外線、気流、換気などの環境因子に影響されますが、人体に吸入されたウイルス入りエアロゾルは、気道のさまざまな部位に沈着し、小さなエアロゾルは肺胞の奥深くまで入り込むことができるそうです。
それに対して、SARS-CoV-2においての飛沫感染ははるかに効率が悪く、飛沫が支配的になるのは、個人同士が0.2メートル以内で会話をしているときだけであることがわかってきました。エアロゾルと飛沫の両方が感染者の呼気に生成されることがありますが、飛沫は数秒以内に地面や表面に速やかに落下するため、飛沫よりもエアロゾル感染の方が支配的になることも明らかになってきました。これらの記述が、対策を考えていく上で決定的に重要であると考えます。
なぜなら、日本はこれまで、「3密(密集、密接、密閉)」を主たる対策、しかも特に密集、密接対策を主として推進し、密閉対策には十分に配慮されて来なかったからです。対策の根本概念として、接触感染、飛沫感染を主たる感染経路として考えてきており、密接、密集対策で回避できる対策を重視して来たとも解釈できます。そのために、密接、密集対策として飲食店などが槍玉に上がり、経済活動を停滞させることもやむなしとして来たのでしょう。確かに、酔って大声で話せば、飛沫は飛散するので、周囲の人の鼻粘膜や口にも飛沫は入り、テーブルにも付着するでしょう。この対策のために、「マスク会食」などという、他国では全く推奨されていない方法が推奨されて来ました。しかし、感染は抑制できない。それで、アルコールの販売自体を中止要請するという事態になったのでしょう。
しかし、もし、空気感染が寄与しているとすればどうでしょうか。エアロゾル対策が主となるわけですから、その対策の主眼は、徹底した換気(つまり密閉対策)とマスク装着等に主眼が置かれるべきです。実際にこの論文が強調しているのは、「換気、気流、空気ろ過、紫外線消毒、マスクの装着などに特に注意して、短距離と長距離の両方でエアロゾル感染を軽減するための予防措置を講じる必要がある」ということなのです。
また、今回のScience誌に限らず、Nature, Lancetなどでも空気感染は議論されて来ました。
Ten scientific reasons in support of airborne transmission of SARS-CoV-2(2021/5/1掲載)
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(21)00869-2/fulltext
このComment論文では、「SARS-CoV-2の回収可能なウイルス培養サンプルがないため、空気感染についてしっかりとした結論を出すことができない」と空気感染を立証する研究の難しさについて論じるとともに、「COVID-19が空気感染であることを示す10の論拠」が展開されています。
10の論拠の中でも重要であると考えられる事例をいくつか挙げると、1)隔離されたホテルでは、隣り合った部屋にいても、お互いに顔を合わせたことのない人の間で、SARS-CoV-2が長距離にわたって伝播すること、2)SARS-CoV-2の感染率は屋外よりも屋内の方が高く、屋内の換気によって大幅に減少すること、3)厳格な接触・飛沫予防策がとられ、エアロゾルではなく飛沫を防ぐように設計された個人防護具(PPE)が使用されていた医療機関において、院内感染が報告されていること、4)空気中に生存するSARS-CoV-2は検出されており、実験室での実験では、SARS-CoV-2は空気中で最大3時間、半減期は1.1時間で感染力を維持したこと。5)SARS-CoV-2が、COVID-19患者のいる病院のエアフィルターや建物のダクトで確認されていること、などです。
Mounting evidence suggests coronavirus is airborne — but health advice has not caught up(2020/7/8掲載、2020/7/23改訂)
https://www.nature.com/articles/d41586-020-02058-1?fbclid=IwAR03tqQBuo0BbFqleqPqyLp6U4LPo2X-WpXPrhELrw59xAdoBVXcxgH3vJk
このNews Feature記事においては、空気感染を立証するには、「空気中にウイルスを入れて、みんながその空気を吸うこと」が唯一の方法であるとして、科学的立証の方法の難しさについても言及しています。また、この論文記事が掲載された頃には、空気感染説に懐疑的態度をとっていた英国の緊急時科学諮問グループ(Scientific Advisory Group for Emergencies : SAGE)も、その後に空気感染の重要性を認識し、SAGEの勧告として発出しているようです。
HOCI and EMG: Masks for healthcare workers to mitigate airborne transmission of SARS-CoV-2, 25 March 2021(2021/4/23掲載)
https://www.gov.uk/government/publications/emg-masks-for-healthcare-workers-to-mitigate-airborne-transmission-of-sars-cov-2-25-march-2021
また、同様に空気感染に懐疑的な意見を出していたWHOや米国CDCでも、その後に空気感染の可能性を認めています。
空気感染が科学的に立証できない、しかし、どうやら可能性が高いらしいというのが世界の議論の主になっており、それに準じた対策が提唱されて来ています。
例えば、米国Bostonでの学校運営対策では、1)換気の徹底とCO2測定による換気効果のモニタリング、2)教師や保護者を含めたワクチンの徹底、3)週2回の学童に対するPCR検査、4)マスク装着の徹底 が教室運営の基本対策になっています。
前回からの繰り返しになりますが、世界がCOVID-19対策に取り組み始めて2年も経ちません。多くの議論がなされ、誤った対策も実行され、消えて行きました。スウェーデン、英国で提唱された集団免疫対策などはその典型でしょう。しかし、正体不明の相手に、それまでに明らかになっている知見をもとに対策を組むこと自体は間違いではありませんし、非難すべきでもありません。
大切なのは、新たな科学的知見が出て来た時です。その知見の実務への応用可能性を検討し、それに合わせて政策、対策を微調整(fine tuning)していくことなのです。無謬性を最上の価値に据えて、「日本は上手く行っている」と言って現状の分析を怠るのは間違いです。
20世紀の遺物然として、現状の分析を怠ったまま敗戦に向かう大本営発表を繰り返すのか、21世紀の対策として科学的にfine tuningをして行くのか、私は後者がCOVID-19対策には必須だと考えます。