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Vol.178 コロナ禍の惨状は官僚支配によって引き起こされた

医療ガバナンス学会 (2021年9月15日 06:00)


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一般社団法人医療法務研究協会
副理事長 平田二朗

2021年9月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

1.2021年5月6日、7日に私はMRICに投稿し「コロナ禍、その対処方法の誤り」を指摘した(楽天のブログmilkywayジャーナルにも転載)。現在(2021年8月26日)爆発的なコロナ感染症の蔓延とそれに対する対処及び管理方法が破綻し、いわば「無政府状態」となった。蔓延状況が爆発的な地域では一般診療や救急医療も機能できない事態になった。政府や行政機関は「現在は災害と同じであり、自分の身は自分で守れ」と言っている。100兆円に及ぶ国民からの付託された税金を使っている政治や行政機関が、国民に責任を転嫁している。
元々厚生労働省や医系官僚及び感染症専門家と日本医師会は、感染予防をしない国民が悪くそれが原因で医療をひっ迫させているかのような論調を展開してきた。厚生行政は国民の命と健康を守るための組織であるが、5月に指摘した通り彼らには元々その能力はない。能力のない医系官僚たちが官僚統制と権益拡大を意図してコロナ問題を独占的に扱ってきた。その結果が無政府状態である。結論から言うと彼らは要らない。

2.5月に指摘した私の論文での対処方法は

(1)コロナ対策を国家的な規模で対処し、あらゆる社会的かつ医療のリソースを使っての組織的な対応であるべきとした。

(2)基本戦略を組んだ医系官僚を中心とした感染症村に司令塔を渡さず、国の主要組織を動かせるキャリア官僚が主導権を持つべきとした。

(3)政治家はこれまでの「新自由主義経済」「市場原理主義」の経済政策を改め「社会的共通資本」重視の政策に転換すべきとした。

(4)パンデミックや自然災害、温暖化などの脅威は、これまでの経済政策が作り出したものであり、これを転換することなしには、第2第3のパンデミックが押し寄せる。

(5)三十数年間続けてきた厚生行政の医療費抑制政策をやめ、あらゆる事態に対応できるゆとりのある医療体制の構築が不可欠である。今日の医療崩壊は長年にわたる医療費抑制政策によるパンデミックに対応できない体制がもたらしたもので、構造的な問題である。「市場原理主義」に導かれた「受益者負担」「自助努力」という国民の健康を国の経済の下僕とする政策で、国民負担を増やす医療や社会福祉は国の敵(医療費亡国論)であるかのように扱ってきた。国民の命と健康を守る政策に転換させること。

(6)医系官僚が長年夢みてきた「官僚統制」をなくし、官僚はその機能に応じた役割に徹し、かつ日本医師会は医師の利権団体から国民の命と健康を第一に考える組織へと改革が必要である。

(7)命と健康を守るために第一線の医療現場を尊重し、医師が患者を診療するにあたりその裁量権を最大限に保証する裏付けを持たせるべき。コロナ患者と一般診療や救急機能のトリアージは診療現場に任せるべきである。感染症村がコロナをすべてに優先させるべきとして、行政機関や政府、マスコミをあげて扇動してきたことにより、医療現場まで機能不全に陥っている。
また保健所を中心とする公衆衛生部門は第一線の診断治療機関でもないのに、感染症患者の診療管理を独占し統制してきた。少数の医師と保健師を中心とする保健所のスタッフで臨床の管理など出来るわけがないのに診断治療をめぐってはコロナと向き合う医師たちと対立するような事態がしばしばみられていた。そして今日のオーバーフローによる「責任放棄」である。災害級として責任を負えないとした。保健所はコロナの診断治療管理をするための組織ではない。公衆衛生管理の組織なのである。今回のコロナ対策では自分たちの権益拡大を図った節があるが、もともと担えるような組織ではない。保健所現場の人たちが目論んだとは言わないが、所管する厚生労働省や内閣府の中にそれを意図した人たちがいるはずである。そしてそれは破綻した。

(8)現在の医療制度や診療報酬制度、薬価制度などを、ステークホルダーの利害調整制度としてではなく、国民の命と健康を守るために透明性のある国民参加の制度に変更すべき。厚労省と医師会や製薬工業会などの関係団体は、社会保険料の配分をめぐり内輪のステークホルダーによる分配を繰り返してきた。健保組合などの支払者側は、厚生労働官僚の格好の天下り先である。製薬工業会も同様である。利害関係者が集まり年間45兆円にものぼる社会保険料を分配しあう構造となり、そこで主導権を握ってきたのは厚生労働官僚である。過去には主導権をめぐり日本医師会と争いを繰り返してきたが、この三十年は厚生労働官僚の一人勝ちである。日本医師会は官僚のお先棒を担ぐような存在となり、協力することで自らの配分を受け取ることが出来る存在となった。今回のコロナ対応を見ても国民の命と健康を守る最前線の指揮官としての機能はなく、厚生労働省や感染症村と同様の主張を繰り返し、自らの利権を守ることに終始している。

(9)医療に関する基礎研究分野は大幅に強化し、産学共同などという営利事業に振り回されることなく、命と健康を守るために学問と研究に力を発揮できる環境を整備すべき。PMDAの審査対象となる医療機器や薬品についての研究は営利事業の支援を前提として組み立てられ、財政的には製薬企業の援助を前提とした研究が大半である。公正で公共性のある基礎研究という趣旨から外れる形にしたのは政権である。国家予算がないからとのいいわけであるが、民間主導で研究開発された費用を回収する場として提供しているのは社会保険財政である。
過去に田辺製薬が製造した脳血流改善薬「ホパテ」は製造終了後に「効果がなかった」と認定された事例もあった。当時はいい加減な審査体制が横行していたので保険収載の期間に使われた費用は1千億をはるかに超えていた。現在は審査機関であるPMDAが新規参入障壁を作っているので開発費用はうなぎのぼり。治験症例を増やす努力や基礎研究を国として支えていないので莫大な費用になっている。構造的に生み出された高額開発費問題を解消することなしに保険薬制度がその尻拭いをしている。また治験症例不足や高額開発費が障害となって今回のコロナワクチンや治療薬の国内開発製造体制が滞っている。新薬が異常に高い薬価で収載される。高い薬価はステークホルダーの集まりで形成される。おおもとは官僚を守る機構であるPMDAの存在が問題。

(10)薬剤の開発研究は今回のコロナ禍で明らかになったように、PMDAの存在自体が障害となっている。薬害エイズ事件を発端に官僚機構を守るために作られたPMDAだが、現在の国家的な危機の事態でも、見事に国産もしくは日本発のワクチンや治療薬が承認されていない。アビガンやイベルメクチンの承認問題でも、この危機的状況下でも承認しようとしない。台湾では日本と比べて市場は狭く、製造販売体制が脆弱でかつ売り上げが少ないはずなのに台湾国産のコロナワクチンが開発製造承認された。効果はFDAが承認したワクチンよりはるかに高いそうだ。PMDAはいったん解散し再構築するべきであろう。中外製薬は中和抗体薬品をなぜ最初にFDAに承認申請を出しているのだろうか?かたや政権はワクチンの供給問題で後れを取り内閣が倒壊しそうになっている。官僚支配の典型であろう。またPMDAと製薬工業会及び厚生労働官僚の関係性を透明化すべき。製薬工業会は日本医師会とも関係性を持っている。

(11)マスコミの能力と機能の劣化は惨憺たるものである。専門家と称する感染症村の面々からの情報を、裏付けをとることなくそのまま垂れ流しにしている。デルタ株の脅威に直面しているのは日本だけではない。同じ東アジアの台湾や韓国とあらゆる面で比較検討してみればいい。首相が「ワクチン接種がすべて」という表現をしているが、ワクチン接種率は両国ともはるか後塵を拝している。なのに感染者数は劇的に違う。インドとの距離で言うと台湾は日本より近く、韓国も少し近い。リスクは同じなのになぜこの違いが出るのか?事実は無視し、マスコミが発するのは「自粛」ばかり。第三者として客観的で公平公正な報道はどこに行ったのだろう。コロナに関する情報が感染症村から沢山発出されるので、彼らが気に入らない報道はしないのだろうか?
また某大新聞社の社長が製薬工業会に出向き、自社の「薬害報道」について陳謝し、広告規制を解除してほしいと頼んだ事例がある。製薬メーカーの薬品広告費は「マスコミ対策費か?」と疑われている。製薬メーカーは有り余る利益を厚生労働省や医学界、日本医師会、政治家、マスコミなどに分配しているが、マスコミ自身の劣化も著しく、どこに焦点を置き誰の利益のために報道しているのか分からない状況である。視聴率や購読者が増えればそれでいいのだろうか?きちんとした裏付けや広範囲の情報収集なしに、安易に専門家と称する人たちを使い、感染症村や政府機関の広告媒体に成り下がっているように見える。

(12)最後にPCR検査と保健所のあり方。いまだに行政検査にこだわり、市中感染を放置し、感染者が出ると行政(保健所)の管轄下に置こうとする。しかしながら感染爆発によりほとんど機能しなくなってしまっている。自宅で亡くなる事例が多発し、挙句の果てに「自分の身は自分で守ってください」である。命を守るための組織が責任を放棄するのだから、開いた口が塞がらない。
保健所は本来公衆衛生の組織である。治療や診療の組織ではない。保健所に治療や診療の機能などない。医療機関をわが統制下におこうとする官僚のなせる業である。患者国民の命が危機にさらされていっているのにそれでも権限を手放そうとしない。なぜ患者を中心とする、行政や医療機関やその他の組織との連携策をとろうとしないのか?二類感染症にこだわり結果として医療にアクセスできずに亡くなる国民に対しては、「不作為の作為」ではないのか?
PCR検査にしても同様である。行政検査が基本であるべきとして、膨大に発生している市中感染を把握することも放棄してしまった。無政府状態である。ワイドショーでいまだに無差別にするPCR検査は行うべきではないという政治評論家がいる。それでは限定的な行政検査体制が生み出した今日の感染爆発、管理不能の状態に至った責任はどこにあるのだろうか?行政は自ら「管理不能です。自分の身は自分で守ってください。」と言っている。今になって感染症村の人たちが「PCR検査拡充を」と言い出した。1年以上前に自分たちが言っていたことを思い出してほしい。濃厚接触者か37.5度以上の発熱が4日以上続かないとPCR検査はしないと言っていた。自分らが発信してきたことへの反省の弁はなく、「拡充を!」と言っている。
どちらにしても今、医療は危機的な状態にある。一般診療や救急医療すらできなくなり、救急車があちこちで立ち往生している。救急隊員も医療従事者も自らの存在意義が問われる事態となった。厚生労働省の一部の医系官僚や感染症村の面々、公衆衛生に携わる面々「まさかこのような事態になるとは」という思いが去来していると思う。基本戦略を間違うとこうなる。最後は「責任放棄」の弁、「自分の身は自分で守ってください」。ほとんど同じ条件の東アジアの国が取った対策とここまで違いが出るとは、彼らも想像だにしていなかったろうと推測する。

いま今日の事態を生み出した責任を首相に取らせようとしている考えがある。たしかに行政府の長である首相は責任者である。だがその失敗の本質を突き、対案を出している政党や政治家、組織はない。重箱の隅をつついては責任を追及するばかりで、これではだれがなっても同じことではなかろうか?政治の世界の劣化ともいえる。ただこのまま時間経過すればなお混迷を深め、事態は悪化する。厚労省に巣くう官僚統制を目論む医系官僚主導から脱却し、国を挙げてのコロナ対策に転換させなければならない。江戸時代末期の「官僚統制時代」想起させる今日の事態である。

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