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Vol.237 コロナ禍での新しい環境を求めて~ディオバン事件から学ぶこと~

医療ガバナンス学会 (2021年12月17日 06:00)


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この原稿はWeb医療タイムス(2021年10月20日配信)からの転載です。

和歌山県立医科大学医学部医学科5年
村田七海

2021年12月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●毎日が「調べて、書く」の繰り返し

新型コロナウイルス感染症は、私の医学部生活に大きな影響を及ぼした。1年間におよぶオンライン授業の末、無事CBT・OSCEを終え、ようやく臨床実習が始まった。
しかし、2021年4月中旬、再び登校禁止の通達がきた。私は臨床実習と並行して大学院準備課程で女性の骨密度と運動量に関する疫学研究を行っているが、登校禁止により研究室へ通うこともできなくなった。
そこで、学外で研究できる環境を求め、医療ガバナンス研究所でインターンをしている先輩に相談したところ、尾崎章彦先生を紹介していただいた。それからの毎日はとにかく「調べて、書く」の繰り返しである。
今回は、初めて英文の医学誌にLetterを執筆させていただいたディオバン事件について紹介する。
●最高裁判所で無罪となったディオバン事件

ディオバン事件とは、高血圧治療薬ディオバン(2000年販売開始、一般名︓バルサルタン)の医師主導型市販後臨床試験において、相次いでデータの改ざんが行われた一連の研究不正のことだ。

14年に同薬の製造元である製薬会社ノバルティスファーマとその元社員が薬事法違反の疑いで起訴された。
当時、私は高校1年生で、この事件について何も知らなかった。今となってディオバン事件について取り上げたのは、21年6月28日に最高裁判所で無罪が確定したからである。
ディオバン事件について何も知らなかった私が、Letterを執筆する過程は、とにかく知識のインプットに追われていた。
英語論文として世に出すということは、日本における研究不正への対応がどのようになされ、いまだ残る問題点は何なのか、ディオバン事件を通して世界中の研究者に伝えるということだ。言わずもがな事実を正確に述べ、論理的に書く必要がある。
●無罪判決は研究不正の擁護に

私はまず、尾崎先生をはじめ医療ガバナンス研究所の方々が一般向けに発信されてきた記事を読み、ディオバン事件の大まかな流れを把握した。
そして、ディオバン事件の真相が詳細に記載された書籍「赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件」(桑島巖著、日本医事新報社)を拝読した。
この著書からは、ディオバン研究の目的が「降圧効果を越えた心血管イベントの抑制効果を示すため」であることや、裁判で争論となった点が「学術論文は虚偽・誇大広告にあたるのか」であることなど、時系列で事実を詳細に確認した。
Letterを書くと決めてから2日後、インプットした内容をもとに初稿を提出した。私は、ディオバン事件の判決において、学術論文は研究者が仮説検証を行う場であり、医薬品の購入や処方を促す手段として不特定多数の人に知らせる媒体ではないと結論付けられたが、研究不正が認められているにもかかわらず無罪判決に終わることは、研究不正を擁護しかねない結果であることを主張した。
そして、ディオバン事件の反省から「臨床研究法」が制定され、製薬企業からの資金提供を受けて行われる臨床研究は、厚生労働省への報告や監査の実施が義務付けられたが、依然として製薬会社と医療者の不適切な金銭関係がまん延しているという事実にも触れた。
●仕上がりに近づくことがささやかな喜びに

論文を書くということは、想像以上に大変だった。初稿を上げてから、共著者の先生方から多角的に何度もフィードバックをいただき、数十回にわたり修正を繰り返した。修正しようとするたびに知識不足を痛感し、書く手を止めて調べるという作業は、とても時間を要した。
例えば、日本には米国の研究公正局(Office of Research Integrity)のような研究不正を取り締まる公的機関が存在しないことを追記するようご助言いただいた際は、「研究公正局が具体的にどのような機能を果たしているのか」「日本ではその機能を担う機関があるのか」「あるとすればどのような所なのか」などを調べる必要があった。
日本では研究不正の疑義が浮上しても調査が各大学の裁量に任されており、事実確認が不十分に終わることもあるが、米国の研究公正局は米国保健福祉省に属する政府の機関であり、強制捜査権を有しているため、調査内容が徹底されている。さらに不正すると罰則があるため、うやむやに水に流すことが許されないのだ。
一方、日本では研究不正が贈収賄などにかかわっている場合は警察・検察がその役割を担っていることがある。
私はさらに、こうして調べた内容を端的にまとめ、Letterの限られた文字数に収めなければならない。そのため若干キャパオーバーになりながらも、原稿が少しずつ改善され、仕上がりに近づいていくことに、ささやかな喜びを感じていた。そうして初稿から2週間後、Lancetへの投稿に至った。
●「村田さんの仕事はとにかく早く打ち返すこと」

原稿を書き上げることができたのは、先生方の手厚い指導があったからこそである。分からないことだらけでため込みがちになっていた私に、尾崎先生は「村田さんの仕事はとにかく早く打ち返すこと」とアドバイスをくださった。
そして尾崎先生をはじめ医療ガバナンス研究所の先生方は、Facebookのメッセンジャーを用いて根気良く、的確に私の考えが及んでいない部分について問いを投げかけてくださった。
Letter執筆時には臨床実習が再開し、大学での拘束時間も⻑くなっていたため、隙間時間にはメッセンジャー上で議論し、放課後に集中して原稿をアップデートした。私は先生方の問いに答えるために調べ、理解し、自分の言葉で返信するというプロセスを経ることで、知識のインプットから原稿執筆というアウトプットまで、とても効率よく繰り返すことができた。
振り返ってみれば、ゼロベースから調べ始めた私が、視野の狭いままに1日考えあぐねて返信するよりも、30分調べて分からなければその分野に精通する先生方にすぐに聞いたほうが、1日当たりの進捗が大きいのは当然である。
また、質問やフィードバックの内容が分からないときは、尾崎先生に直接お電話させていただき、その都度確認しながら進めることができた。そのため、コミュニケーションミスが起こりにくく、スピード感をもって進められたことは、とても恵まれていたと思う。
●論文は投稿して終わりではない

Letter執筆を通して学んだことが、もう1つある。それは、論文は投稿して終わりではないということだ。LancetのLetterに投稿したディオバン事件の原稿は、投稿から数日後にRejectを知らせるメールがきた。
私はその結果を大変残念に思っていたが、共著者の先生方と連絡をとっていたメッセンジャーグループに結果を報告すると、すぐさま「次はどこに出す︖」と返ってきた。
そして先生方が投稿先の候補をたくさん提案してくださった。私はその時、目先の結果に一喜一憂せず、もっと先を見据えて導いてくださっているように感じた。
その後、投稿先の候補の中から文字数などの条件を満たすジャーナルを選定し、Pre-submission inquiryとして9つのジャーナルに連絡を取った。そして最終的にはJournal of Human HypertensionのCorrespondenceに投稿し、現在は結果待ちである。
コロナ禍において臨床実習が中断され、学びの機会が減っていた中、オンライン上で一流の先生方とディスカッションし、原稿を仕上げることができたことは不幸中の幸いだった。 今の私にとって、論文を読み、自分で書くという作業は、いつどこにいても挑戦できることだ。これからも指導してくださる先生方への感謝を胸に、学生時代を最大限に生かしながら勉強に研究にまい進していきたい。

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