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Vol. 273 特定看護師制度にみられる日本の医療従事者養成の誤謬

医療ガバナンス学会 (2010年8月30日 10:00)


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医療法人 医真会 理事長
森 功
2010年8月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

【はじめに】

鈴木寛文部科学副大臣より「特定看護師制度の導入」についての厚生労働省の検討会での方針が示されている。目的は”チーム医療の円滑化が第一(意味不明の言辞)”であるが、文面後半には”医師の増員は10年以上かかり、大学病院等では外科、小児科、産科等では勤務内容が過酷で若手医師に敬遠されている “と記され、若手医師の業務補填が見え隠れする。政治家が直面する課題に具体的、現実的に対応をすることは大切であるがこれはとても認められる制度ではない。
人手不足は”既存の医師・看護師などを相当数外国より招請する”ことが喫緊の処置であることはイギリス、スウェーデンなどの医師補充策を見るまでもなく明らかである。小生はナイロビで診療所を開き、ナイロビ大学からも医師、看護師の協力を得ているが、彼らはなぜ日本は我々に門戸を開かないのかと常に問いかける。彼らにとって日本語会話は2、3ヶ月で十分に習得するし、読み書きは6ヶ月で可能である(日本に来ているケニアの友人たちでの経験)。医学の修練は理論・実務ともに日本の平均よりも優秀である。イギリスの教育・研修制度が貫徹しているためでもある。そのような当然の施策を一顧だにせず、安直に米国のNP(Nurse Practitioner)制度の物まね(医師の指示下でのみ稼動)を行うなんぞ看護をなんと考えているのかと問いたい。ケニアでは30年前は医師の不足が目立ち、海外からの医師の支援をえていたが、看護制度は大学教育であり、イギリスの制度をもとにし、メトロンーシスターレジスタードナースで構成され、あくまで”看護”を行っていた。麻酔、創傷処置などの簡易医療を担当していたのはクリニカルアシスタントであった。最近の看護師は助産師、カウンセラーでもあり簡易医療も可能である。HIVのARTにも積極的に対応している。彼らは医師と協力して診療に当たるがあくまで自分の頭で考え、医師と話しながら自ら行動している。決して医師に従属しているのではない。

そもそもカッコつき特定看護師養成の発想は日本特有であり、看護のみならず医療の幹となる教育研修を深く考慮せず、基盤つくりを放棄してきた医療人の姿でもある。pragmatismに徹する官僚とそれに追随する政治家、物言わぬ医師・看護師らによりさらに日本の医療者養成が歪められてゆくのは座視しがたい。

【医療従事者育成の基本的欠陥】

1.国としての統一した方針がない

1)医療・福祉は社会保障の原点であり、従事者養成の計画は医療機関の数・量・配備=統制に基づき共通したカリキュラムを持った長期計画で立てるべきである。医師不足が指摘されると教育内容無視の安易な定数増員で済ませるとは無責任極まりない。

2)医科大学は乱立し80あるも(ドイツは20で共通カリキュラムである)教育内容は放任、教育者の不足は質が担保できず留年者の増加すら生んでいる-学生選抜の無策=ヒューマニティー・ホスピタリティのない医師・応用力のない偏った医師などを生む-ことは国としては医師教育制度がもはや破綻していることを意味している。ドイツの医師教育は同じ6年制であるが、初期2年間で医療人としての基本的な資格を社会医療、看護を3ヶ月程度実習することなどで自他共に判断し、国家試験でスクリーニングされる。それをクリアーした学生が3年間の座学と実習、1年間の準医師としての研修を経て2度目の国家試験の後医師となり、卒後の臨床研修は廃止されている。

3)看護師他医療従事者は”専修学校教育”が基本=学問の軽視と実習の形骸化しており、大学教育では理論と実践の乖離にならざるを得なくなっている。

4)国家資格が看板化され、品質のrenewal-accreditationがない。必然的に専門性も形骸化している。

2.教育システムが”徳川時代のフレーム”を持ち-各教育機関に委ねられたソフト・ハードはまさに寺子屋方式の現代版である-客観性・相互批判という科学性の喪失と欧米の表面的模倣に終始している(指導者の研修無しのチュートリアルなど)。

【特定看護師制度に象徴される看護師の課題】

日本の看護師に関する数値は下記に記す(厚生労働省統計より)。
2007年度では看護師就業者数は以下の通りである
総数    保健所  病院    診療所  助産所
1,370,264  8,381  851,912  297,040  1,636
諸外国の看護師数(2006あるいは2007)人口1000人対比
日本9.3  アメリカ10.6  デンマーク14.3  ドイツ9.9  イギリス10.0
看護師養成所・学校 2009
学校総数 保健師 助産師       看護師          準看護師
3年課程  2年課程  5年一貫教育
1,677   215  174   721    229     73      265

1.教育施設と課程は上記の通り異なるが、免許は同じというのは日本独特である。
大学は215あり、看護師養成以外に保健師、助産師養成にかかわっているが、あくまで施設としては専修学校と並列関係にある。
大学卒・正看護婦と今も存在する準看護師との経済的格差は乏しい=数値あわせ?
実地研修の実態は主として民間病院での書類つくりのための実習?と誤解される不十分な内容である。

2.看護師の約60%は病院に就職しているが、さらに80%以上は民間病院であり、保険上も患者何人に一人という数値的評価であり、看護の専門性:成人・小児・精神・障害は加味されていない。つまり数さえあれば良いわけで助産師と看護師の職務内容は一取り沙汰されたが、今もって現場では重合している。
看護師の就業数は人口1,000人対比では他の国と同じような数値であるが、病院数がたとえばドイツは2,000であるのに日本は8,800と大きく異なり、施設あたりの看護師数は1/4-1/6という実態になる。
看護の質の評価が無視されている現場では、限られた人数による疲弊・マンネリズムから定着率の悪化が反復されており、悪循環を繰り返している。なかにはリクルート企業と一緒になった”渡り”という短期で転職する層まで生まれている。

3.専門看護師制度(感染症・集中治療など)が設けられて数年になるが現場ではその存在は見えてこないし、看護へのメリットも明らかではない。ただ、看護師の中に著しく少数の資格者を生んだのみである。学会では活動しているが現場の医療、医療安全も含めて、には無縁である。その上米国のNurse Practitionerを模倣した特定看護師(医師に従属)を特定機能病院などの診療補充者として養成することが提示されているわけである。
看護師の荒涼とした裾野を無視して、自己満足的で、特定医療機関を対象とした”別格看護師”を設けることは新たな看護への格差導入でもある。
イギリスの看護の実情と比較してみよう。(石川看護雑誌Vol.3(1)2005 P95-102参考)
イギリスでは看護師の養成は「看護師・助産師・保健師法」により「看護・助産審議会」が行っており、資格認定も含めて一括担当している。教育は大学のみで3年間全日制であり、「看護師登録資格取得」を目的とする。看護師の国家試験はなくこの大学教育での資格認定が代替である。その教育は1年間の「Common Foundation Program-基礎」に続いて「Branch Program-専門性」を学ぶ。その専門領域は成人看護、小児看護、精神看護、学習障害看護の4領域である。勿論さらに上級を志望する者には学士から博士課程まで用意されている。看護の専門性は日本のように特定の限局したものではなく意味が異なる。

4.病院機能評価と看護
日本医療機能評価機構による病院機能評価は、開始以来12年を経て認定病院数は、2565/8708(2010年7月2日現在)の現状である。余談だがそれほど認定数が少ないのは認定が社会的に評価されず、職員のモラル向上以外にメリットがないことが明らかになり、受審する病院が増えないことによる。
看護部門の評価は(V6.0 4.2項)管理運営が中心であり、医師と同じで具体的な品質評価には至っていない。健康保険上の看護基準と実際の看護の質の評価には立ち入れない状況である。ここでも看護はあくまでも対患者の数値的意味でしか評価されていないことになる。

基盤としての一般看護師の保険上の評価を改めず、教育、研修システムを整備せず、大学教育は一部の看護師に限られている現状では看護師の置かれている地位は不当に低いレベルが続き、看護の学術的評価も乏しい。
そこに新しい看護師の階級性としての特定看護師を設けるなど有害でしかない。
巷では”訪問看護師”が在宅医療、特に緩和ケアーなどに努めているがその評価は経済的な面も含めて不十分で放置されている。

【おわりに】

なぜ今特定看護師が必要なのか。民間では必要としていないので大学あるいは特定医療機関での医師の補充者としての人員確保が目的であろう。離島や過疎地での医師代替者になるのであろうか?それほどの職業モラルを持った人が多数生まれるとは現在の総プチブル化した状況では素直には期待できない。
社会保障制度は租税を中心とする国家への負担の国民への正当な還元である。それを担う人材育成について、百年の大計とは言わないが、せめて海外に眼を開き、教育・研修の基本に戻り、施設を整理し、経済的支援をし、人事を充足し、法整備のもとに再生を期すという施策を考えるのは官僚主義の下では不可能なのであろうか。少なくとも徳川時代から引きずる相互批判のない寺子屋式教育制度とそれに基づく形式的研修、最終目標化された更新性のない国家資格取得は改革したいものである。
日本国民がより妥当な医療・福祉制度を確立するためには第二次大戦後の国民皆保険制度の例を見るまでもなく”Huge Disaster”を待たねばならないとでもいうのか。もっとも当時も医薬分業は”生業を徳川医師から学んだ開業医-医師会”が抹殺した歴史がある。
全く、医師たるものその独善的、閉鎖的、非科学的職業集団者たる性格は未だ変わらず、その医師に従う看護師はどこに行くのであろうか。 医道有理

平成22年8月16日

MRIC Global

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