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Vol. 282 プロフェッショナル・オートノミー:日本医師会の情報操作と医療界のガラパゴス化(その4/5)

医療ガバナンス学会 (2010年9月8日 06:00)


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健保連 大阪中央病院 顧問 平岡 諦
2010年9月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


((その1)では、「世界の常識」とその背景を見てきた。
(その2)では、「世界の常識」の成立過程を見てきた。
(その3)では、日本医師会の医療倫理観と、日本医師会の「国内向け情報操作」のルーツを見てきた。

本稿では、日本医師会の翻訳に見る「情報操作」の実際を見てみよう。

【1】世界医師会の宣言、倫理綱領の原文とその意味。

翻訳の基となる原文をまず確認しよう。原文はいずれも日本医師会のホームページ掲載されている。
「患者の人権擁護が医療倫理の第一」であることを最初に示したのが、つぎに示すジュネーブ宣言(Declaration of Geneva)(1948年)の部分である。

The Health of my patient will be my first consideration.
I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat.

「時の権力」による患者の人権侵害を擁護するために、professional autonomyの重要さを最初に述べたのが、つぎに示すジュネーブ宣言(1948年)の部分である。

I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat.

医師による患者の人権侵害を擁護するために、self-regulationの重要さを最初に述べたのは、つぎに示すWMA医の国際倫理綱領(The WMA International Code of Medical Ethics)(1949年)の部分である。

A physician shall deal honestly with patients and colleagues, and report to the appropriate authorities those physicians who practice unethically or incompetently or who engage in fraud or deception.

以上の考えをまとめたのが1987年に採択された「プロフェッショナル・オートノミーと自己規律に関するWMAマドリッド宣言(WMA Declaration of Madrid on Professional Autonomy and Self-regulation)である(その1の【1】医療倫理観の「世界の常識」とは」を参照)。

professional autonomyの基本は、診察における個々の医師の判断が何ものからも自由であること、すなわち、個々の医師が「患者の人権侵害」という医療倫理に反す あらゆる圧力に屈しないことである。だからprofessional autonomyを医療倫理の本質的原則と捉えるのである。それがつぎの部分である。

1. The central element of professional autonomy is the assurance that individual physicians have the freedom to exercise their professional judgment in the care and treatment of their patients.

2. The WMA and its National Medical Associations re-affirm the importance of professional autonomy as an essential component of high quality medical care and therefore a benefit due to the patient that must be preserved.

コインの裏表のようにprofessional autonomyとself-regulationとが結び付いていることを示しているのが、つぎの部分である。

3. As a corollary to the right of professional autonomy, the medical profession has a continuing responsibility to be self-regulating.

そして、世界医師会は各国の医師会に対して、それぞれの国の医師に対するself-regulationのシステムを確立し、維持し、積極的に参加する ことを勧めているのである。すなわち、医療倫理の遵守を「個人の努力まかせ」にするのではなく、「システムとして補完」しようと言っているののがつぎの部 分である。

4. The WMA urges its National Medical Associations to establish, maintain and actively participate in a system of self-regulation for the physicians in their respective countries.

【2】日本医師会の翻訳に見る「国内向け情報操作」の実際。

つぎに、「国内向け情報操作」と思われる個所の、日本医師会による翻訳を見てみよう。情報操作が行われているのはprofessional autonomyに関する個所と、professional autonomyと一対をなすself-regulationの個所である。

(1)professional autonomy に関する情報操作。

1):マドリッド宣言の翻訳における情報操作。

日本医師会のホームページには、「World Medical Association Declaration of Madrid on Professional autonomy and self-regulation」の原文とその和訳「プロフェッショナル・オートノミーと自己規律に関するWMA マドリッド宣言」が掲載されている。その第2項ではprofessional autonomyの意味を歪曲させる誤訳がある。

原文:The WMA and its National Medical Association re-affirm the importance of professional autonomy as an essential component of high quality medical care and therefore a benefit due to the patient that must be preserved.
日本医師会の翻訳:世界医師会と各国医師会は、質の高い医療の本質的な要素として、プロフェッショナル・オートノミーの重要性および患者安全のための利益を再認識する。

問題点:「therefore」を省く誤訳である。「守られなければならない患者のための利益」、すなわち「患者の人権擁護」のために professional autonomyが重要であることを再確認したのである。「therefore」の意味を省くことによってprofessional autonomyの意味を判らなくしているのである。

2):日本医師会発行「WMA 医の倫理マニュアル」における情報操作。

2007年、日本医師会はWMA Medical Ethics Manualの日本語版「WMA 医の倫理マニュアル」を発行し全会員に配布し、発売もしている。この中に二か所の翻訳による情報操作が見られる。

第一は、この中に掲載されているジュネーブ宣言である。本文18頁と日本語版付録の中の二か所に掲載されている。その翻訳を以下に示すが、professional autonomyの重要さがまったく消失しているのである。

原文:I will maintain the utmost respect for human life.
I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat.
日本医師会の翻訳:私は、たとえいかなる脅迫があろうと、生命の始まりから人命を最大限に尊重し続ける。また、人道に基づく法理に反して医学の知識を用いることはしない。

問題点:この翻訳は、二つの項目にある言葉を混ぜ合わせ、「even under threat」の意味、すなわちprofessional autonomyの重要さを不明にしているのである。本来の翻訳を以下に示す。
I will maintain the utmost respect for human life.
「私は、人命を最大限に尊重し続ける。」
I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat.
「私は、たとえ強迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すために、自分の医学的知識を利用することはしない。」

第二は、What’s special about medical ethicsの中のAutonomyについての説明個所である。下線、カッコは筆者による。

原文:As will be evident throughout this Manual, both of these ways of exercising physician autonomy have been moderated in many countries by governments and other authorities imposing controls of physicians. Despite these challenges, physicians still value their clinical and professional autonomy and try to preserve it as much as possible.
日本医師会の翻訳:本書で明らかになるとおり、医師の自律性を前面に出すこのようなやり方は、多くの国において、政府や、医師に関わるその他の規制当局に よって(1)、抑制されつつあります(2)。このような難しい状況にもかかわらず(3)、医師は、臨床家と専門職としての自律性をいっそう重視し、それを できる限り守ろうとしています。

(1):誤訳である。「政府や他の当局が医師への種々の規制をすることにより」とするのが正しい。
(2):現在完了形を現在進行形のように訳しているのは誤訳である。また、「moderated」がまったく訳されていない。この部分の意味は「このよう なやり方(前文から判断すると、いわゆるパターナリズムに基づくやり方)は、政府や他の当局による医師への種々の規制により、行きすぎないように抑制され てきました。」となる。
(3):誤訳である。「these challenges」とは「政府や他の当局による医師へのchallenges」である。すなわち「政府や他の当局による医師への種々の規制」である。 これらの規制が「患者の人権侵害」におよぶ時にはautonomyが必要なのである。「患者第一(To put the patient first)」という原則を実践するために、医師はautonomyに価値を置き、できる限りそれを守ろうとしているのである。個々の医師としては clinical autonomyを、医師集団としてはprofessional autonomyが必要であり、守ろうとしているのである。

日本医師会の翻訳では、医師がautonomyを主張することが悪いことであり、政府その他の当局がそれを規制しているように思わせるのである。

(2)self-regulation に関する情報操作。

日本医師会のホームページには、「World Medical Association Declaration of Madrid on Professional autonomy and self-regulation」の原文とその和訳「プロフェッショナル・オートノミーと自己規律に関するWMA マドリッド宣言」が掲載されている。その第3項ではself-regulationの意味を歪曲させる誤訳がある。

原文:In addition to any other source of regulation that may be applied to individual physicians, the medical profession itself must be responsible for regulating the professional conduct and activities of individual physicians.
日本医師会の翻訳:個々の医師に適用されるいろいろな規制に加え、医師自身が自己の職業的行為を律することに責任を負わなければならない。

問題点:これは誤訳である。「the medical profession医師専門集団(各国医師会であろう)」が「individual physicians個々の医師」の医療上の問題点を制御する必要があるのである。制御するためのシステムが必要なのである。それがself- regulationの意味である。両者を混同して誤訳することにより、self-regulationの意味を歪曲しているのである。また、第4項にお いても同様に、医師集団と個々の医師の混同による誤訳がある。
なお、タイトルにおいてもself-regulationを「自己規律」と訳すことにより、self-regulationがあたかも個々の医師の問題 であるかのように見せかけていると言わざるを得ない。Self-regulationとして最も重要なのは、Finalyではじまる第7項、とくに後半の つぎの部分である。「各国医師会は患者の利益のために医師の倫理的行為を促進しなければならない。倫理違反は速やかに指摘され、倫理違反を犯した医師は懲 戒および更生させなければならない。これは、各国医師会だけが効果的かつ効率的に行いうる責任なのである」。各国医師会に「自浄機能のシステム」を持ちな さいと言っているのである。self-regulationの医師会の翻訳が「自己規律」であるのは、医師会があえて「個々の医師の自己規律」と「医師集 団(各国医師会であろう)内の自浄機能をもつシステム」とを混同させようとしているのであろう。誤解を生まないようにするためにはせめて「自浄機能」また は「集団内自己規制」とするのがよいだろう。

【3】日本医師会の「情報操作」の告白。

日本医師会発行「WMA 医の倫理マニュアル」には畔柳達雄・日本医師会参与による「あとがき」がある。そこにはつぎのように記載されている。
「この作業の過程で、私は法律家および一読者の立場から文章を読み、意訳も加えて多少の手直しをした。」

すなわちこれは、日本医師会として情報操作を行ったことの告白である。単なる「日本語版」ではなく、日本医師会参与としての畔柳氏の考えが入っているということである。
「このようにして出来上がった成果物をもとに、樋口教授に監訳者となることをお願いしたところ快諾をいただき、多忙な時間を割き、改めて全文を見直してくださった。」

情報操作と思われる上述の問題部分以外の翻訳は、本当に素晴らしいものである。問題部分、とくにジュネーブ宣言の「even under threat」部分の誤訳の異様さは目立つものである。この異様さは日本医師会の「国内向け情報操作」のためであろう。日本語版は東京大学法学部教授・樋 口範雄監訳となっている。翻訳の責任を持たされた樋口範雄教授はどのように考えておられるのだろうか。

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