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Vol. 298 『ボストン便り』(16回目) 「アメリカで生活するということ」

医療ガバナンス学会 (2010年9月19日 06:00)


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『ボストン便り』(16回目)
「アメリカで生活するということ」

細田 満和子(ほそだ みわこ)
2010年9月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から 05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医 療」の理念と現実』(日本看護協会出版会、オンデマンド版)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

海外留学の意味

この夏は日本に一時帰国し、日本食とともに東京の酷暑も満喫してきました。今回の帰国では、2010年4月にお亡くなりになった多田富雄先生を偲ぶ会に も行ってきました。多田先生は科学者であるとともに新作能の作家でいらっしゃり、ボストンで先生の能を上演する計画に関わっていたこともあり、親しくさせ ていただいておりました。また、脳卒中サバイバーで、リハビリ診療報酬制限撤廃運動ではリーダーとしてご活躍されていらっしゃり、日本における「健康に関 する社会運動Health Social Movements」として多くのことを学ばせていただきました。偲ぶ会は、科学と芸術の融合を体現していらした先生を慕う方々が、文字通り各方面から集 い、先生の思い出を語り合う素晴らしい会でした。

ところで、多田先生への追悼文を書かせていただいた藤原書店の『環』2010年夏号では、政治学者の御厨貴氏が、「今日本をどう立て直すか」というシンポジウムのまとめとして、海外留学に関する故矢口洪一氏の言葉を載せていられました。
矢口氏は最高裁判所長官を務められ、裁判官の海外留学を初めて導入された方ですが、裁判官を留学に行かせてみたら、法律書を買い込んで、裁判所をのぞい て、法律の先生と話をするだけで、その国の文化も教養も何も勉強しないで帰ってきた、と嘆いておられたそうです。御厨氏は、矢口氏が海外留学の導入でやら せたかったことは、「向こうに行って、とにかく向こうの生活をしてこい」ということであり、専門に凝り固まるのではなく、異なる国の人の視点を汲み取っ て、日本を「外から見る」ことができるようになれ、ということだったといいます。

この話を読み、目から鱗の落ちるような思いがしました。そうか、海外留学をさせたい人は、より深く専門を学ばせたいのではなく、実は海外での生活を体験 させ、その国の文化を感じてきて欲しいと思っていたのか、と。私の場合、渡米して数年はニューヨークの郊外に住みましたが、大学の事務局に行くよりも先に 子どもの学校区に登録をしに行き、専門書を探す前に保育園探しをするというよう、まずは生活を立て直すことが最優先で、勉学は後回しの日々でありました。 その後も、学校や地域でのボランティア活動や子どもたちの友達づきあいで何かと忙しくしており、気がつくと勉学のための時間が限られてしまい、こんなこと でいいのかとよく思っていたものでした。ところが、海外では専門を勉強するよりも生活をするのが大事といってくれる人がいらっしゃるとは、なんとも心慰め られる思いがしました。
でもこうして今振り返ってみれば、子どもの学校、子どもの友達のお母さんたち(ママ友達mom friends)との交流、地域社会でのお付き合いなど、日々の生活の中から見えてきたものは実にたくさんあります。今回は、そんなことなどを思い出しな がらお伝えしたいと思います。

自己主張と寛容性

子どもの通っている学校でのマスク騒動は、今でも、私がアメリカに住む際の態度を方向付けてくれた出来事として思い出されます。その態度とは、自分は日 本とは異なる文化の国に住んでいて、その国の文化を尊重するけれど、譲れないと思う時はきちんと主張をしなくてはいけない、ということです。この出来事は また、きちんと主張さえすればこの国の人はある程度理解を示す寛容性がある、ということも教えてくれました。

事の顛末はこうです。ニューヨーク郊外に住んでいた2006年末の寒い時期、現地の公立小学校に通っていた当時8歳の娘は、風邪のひきはじめのような咳 が出ていました。そこで、学校にマスクをつけて行かせました。そうしたら娘は保健室に連れて行かれた挙句、マスクはスクール・ナースに捨てられてしまいま した。このマスクは、一時帰国したときに日本で購入した超立体の子供・子顔用マスクでして、せっかく日本から持ってきたものをなぜ捨ててしまうのだ、 ちょっと物申さねばと思って、予約をいれてスクール・ナースと面談の機会を持ちました。
スクール・ナースの言い分は、風邪の予防なら手を洗うのが一番で、マスクは効果ないどころか、マスクをしているとかえって風邪の菌を外に出さないから余 計悪くなるというものでした。そして、マスクをはずす時に手が触れたので、そのマスクは菌に汚染されてしまったから捨てた、ということでした。
これに対して、私はこう意見を述べました。手を洗うのが重要なのは百も承知で、その上にマスクをしているのだからどこに問題があるのか。マスクの中で菌 が循環するなんて話は聞いたことがない。マスクをすれば、湿度のある暖かい空気を吸うことになるので、乾燥した冷たい空気から守られて呼吸が楽になる。さ らにマスクは、咳して菌を外に飛び散らして他の子に風邪をうつすのを予防することもできる、と。
最終的には、アメリカではマスクをする習慣がないから他の子ども達が変だと思う、という彼女の言い訳に理解を示して、文化が違うのね、という話で終わり にしてきました。なんでも彼女のおばあさんはアイルランド出身で、子どもたちが風邪をひくと、治るようにと窓辺に玉ねぎを置いていたそうです。だからマス クもそんな風なものね、とスクール・ナースは言うのですが、マスクの着用は文化が違う以上に、公衆衛生の基本の問題ではないかと思いました。その証拠にア メリカでも、マスク着用と手洗いを訴える当局のポスターは、病院の廊下やトイレなどでよく見かけます。ただ、そこまで言うと関係が悪くなってしまうと思っ たので黙っていました。また2009年の新型インフルエンザ流行の時でも、マスクをしている人の姿はほとんど見かけませんでしたので、本当にアメリカ人は マスクをすることに抵抗があるのでしょう。

いずれにしても、アメリカに住んでみると、考え方や態度が日本のそれとは異なるという場面にしばしばぶつかります。室内に靴のまま入ってくるということ もその一つです。でも、電気やガスの点検・修理の人が家の中に入ってくるとき、靴を脱ぐようにお願いすると、快く、あるいはしぶしぶでもたいていは了解し てくれます。たまに「脱ぐことになっていないから」と土足のまま入ってくる人もいますが、そういう時は、床に新聞紙を敷き、その上を歩いてもらっていま す。
こうした例に限らず文化が異なるのは、面白い面もありますが、戸惑うことも多くあります。アメリカに住む前は、「郷に入れば郷に従え」と思っていました が、しかしそれだけでなく、自分の文化を主張することも大事だということ、主張したからといって相手が気を悪くすることは基本的にないことも、異国に住ん だからこそ学べたと思います。

虐待と博愛

アメリカの最もよい面と最もひどい面が見えてきたのも、ママ友達や近所づきあいの延長からでした。これも数年前のことですが、ママ友達のひとりにローラ (仮名)という4人の男の子の母親がいました。長男は16歳でボーディング・スクール(寄宿舎のある学校)に行っていて、8歳と7歳、2歳と続きます。下 の3人は我が家の娘たちと友達なので、よくプレイデイト(学校以外で子どもたちが遊ぶことをこちらではこういう)をしました。
お家は広く、庭には公園のような遊具やプールもあるので、よく彼女の家に行っては子どもたちを遊ばせていましたが、そんな時いつも一人の女の子が彼女の 家にいました。その女の子は週末を通してずっと月曜日まで泊まっていて、時には1週間ずっと泊まっていることもありました。この女の子は、私も何度か学校 で見かけたことがあるので、どういう訳なのかとある時聞いてみました。ローラによるとこの女の子は、ローラの次男の前年の同級生で、今年は学力が追いつか ないという理由で特別教育のクラスにいる子だそうです。ローラは、この子は読み書きもできるし、そんなことはしないほうがいいと思うと言っていました。そ れなら、どうしてこの子の親は抗議しないのかと私が聞くと、ローラは、この女の子の親は学校に何も言わないのだ、と言いました。
ローラは、その女の子が虐待を受けていることを実は疑っているのだ、と話を続けました。いつも同じ服を着ていて、お風呂にも入っていないようなので、あ る日、下着や服を用意して、お風呂に入れてあげたそうです。すると、その子の体中にあざがあったそうです。また、お泊りが終わってその子の家に送りに行く と、その子はいつも家に入りたがらず、特に父親や叔父が近付くと大声を上げて叫んで、ローラにしがみつくのだといいます。ローラは性的虐待も疑っていまし た。
その女の子はプロジェクトと呼ばれる低所得者向けのアパートに、祖母と両親と叔父と一緒に住んでいました。一人っ子ですが、母親や祖母は彼女に何の関心 も見せず、ローラがその子に与えたパジャマやコートをどうやら横取りしている様子だともいいます。その子が週末を、時には丸々1週間をローラの家で過ごす のは、親が面倒を見ようとしないからで、ローラは自分の子と共に彼女の面倒を見ていました。ローラに、「あなたの慈善(チャリティ)を尊敬するわ」と言っ たら、彼女はきっぱりと「これは慈善じゃないわ。子どもは愛される必要があるのだから、愛しているだけなのよ」と言っていました。ここにアメリカの良心を 見た。ローラの言葉を聞いて深く感動し、心からそう思いました。

最近話題になった映画に、「The Blind Side」(2009年公開。邦題は「幸せの隠れ場所」)というのがあります。NFL(プロのアメリカン・フットボールのリーグ)のマイケル・オアー選手 の実話を基にした映画ですが、貧困と暴力の中に生きるアフリカ系アメリカ人の男の子(後のオアー選手)が、二人の子どものいる裕福な白人家庭に養子として 温かく迎えられ、大学に進学してフットボール・クラブで活躍し、やがてプロ選手になるというサクセス・ストーリーです。感動を呼ぶ作品として評価は高く、 男の子を迎え入れる母親役を演じたサンドラ・ブロックはアカデミー主演女優賞を受賞しました。一方でこの話は、豪邸に住む富裕層が、スラムに住む貧しい若 者を救っているという事態は、格差によって生じた問題を、格差を「利用」することで解消しているだけ、とシニカルに読むこともできます。
この映画を見て、すぐにこれはローラとあの女の子との物語だ、と思いました。コーカソイド系アメリカ人のローラとアフリカ系アメリカ人の女の子との関係 も、美談としてだけ語られるものではなく、批判的な視点からも考えなくてはならないでしょう。しかし、これもアメリカという国の選択で、ひとつの社会のあ り方なのでしょう。虐待やドラッグや暴力、ホームレス、病気や人種・民族による差別、アメリカのひどい社会状況はニュースを見るまでもなく身近に沢山あり ますが、それでも何とか豊かな国として他国に映るのは、ローラのような博愛心を持つ人が、草の根的に頑張っているからなのだと思いました。

貧しさと豊かさ

これもまた、アメリカの貧しさと豊かさの対照性を感じた出来事です。ニューヨークでは、引っ越した早々にブロック・パーティ(近所同士のパーティ)に呼 ばれました。我が家も巻き寿司を持って参加し、何人もの知り合いができました。大学で経済学を教え、二人の子どものいるジョーとは特に親しくなり、彼女の 通っている教会にもしばしば行くようになりました。そんなある時、ホームレスの人々に食べ物を配るという教会の事業のお手伝いをすることになりました。
これは「スープ・キッチン」と呼ばれていて、温かいスープだけでなく、サンドイッチ、果物、さらには衣料品や洗面用品を届けたりします。夜の10時半 に、総勢約25人が教会前に集合し、年配の女性たちが用意してくださったスープやサンドイッチが積み込まれた2台のバンに乗り込み、マンハッタンに向かい ました。高級店が立ち並ぶマディゾン街や5番街を含む6箇所くらいまわり、食料や衣料品配りをしました。
出発前にボランティア・リーダーから言われたことは、「ホームレスの人たちとできるだけ会話すること」でした。もともと社会学的知識から、ホームレスの 人たちはどんな状況でも尊厳を持って生きていることは知っていましたが、実際に人々と接して、話をしてみて、それを実感することができました。日本語やロ シア語、フランス語等9ヶ国語をあやつるジャック、自伝を書いているというポール、ダーク・カラーの服しか着ないというジョナサン、それぞれ個性も能力も ある人たちと、別れの時間がくるまで楽しくおしゃべりをしました。

ホームレスは、アメリカ全土で20万人、ニューヨーク市内だけでも3500人いると言われています。市当局や協会や市民団体が、食料援助や職業訓練を 行っていますが、なかなか景気が上向きにならず、その数は増え続けています。ホームレスの増加は、公衆衛生においても重要課題として位置づけられていま す。それは彼らは精神疾患やアルコールやドラッグへの依存という問題を併せ持っているからです。ジャックも離婚と倒産が重なり、精神的に不安定になってし まったといっていました。
一緒にスープを配っていたエル・サルバドルから来ている友人が、「アメリカはこんなに豊かな国なのに、どうして沢山のホームレスがいるの?私の国は貧し いけれど、これほどひどくない」と驚いていましたが、日本もある程度は豊かな国のはずなのに、アメリカと同じではないかと言葉に詰まりました。
そしてその答えの一つは、やはり格差なのだと思いました。スープやサンドイッチを用意してくれた教会のご婦人方の住んでいるところといえば、広い庭のあ る高級住宅地やGated Community(周囲と隔絶された門番つきの特別住宅地域)です。ランチなどに招待されて訪ねると、優雅な調度品に囲まれた、いくつ部屋があるか分か らない邸宅にため息が出ます。こうした生活を送っていることを責めることはできませんが、ホームレスの状況と比べると、同じアメリカなのかと複雑な気持ち になりました。

異国で生活して日本を思う

このように、生活の中でアメリカのいろいろな姿を垣間見てきました。振り返ると、彼らがこうした生活を見せてくれた理由のひとつは、彼らとの信頼関係が あったからではないかと思います。スクール・ナースに言うべきことは言ってもいいのだと思えたのは、校長主催のブック・クラブ(読書の集い)に毎回参加し たり、各国の文化を紹介するイベントや夏祭りなどでボランティアをして、日ごろから学校の先生たちと交流していたからだと思います
またママ友達が何人もできたのも、毎週のベイク・セール(家庭から持ち寄るお菓子を子どもたちに売って、その売上金を子どもたちの遠足や学用品に当てる という習慣)のボランティアで、頻繁に顔をあわせていたからでしょう。また、子どもたちのプレイデイト(学校外の遊び)に付き合い、時には数人の子どもた ちが遊びにくるのを受け入れ、送り迎えをしたり、してもらったりという関係があったからだったと思います。

近所づきあいが円滑に行えたひとつの理由は、いつも庭の芝を青々とさせていて、家の回りを花で飾っていたからだと思います。というのもある時、庭に水遣 りをしていたとき、犬を連れて散歩をしている近所の方が「お花がいっぱいで素敵ね。前にこの家に住んでいた人たちは、なんの花も植えていなかったのよ」と 非難がましく言うのを聞きました。地域住民に受け入れられるためには、家の周りを小奇麗にしていることが大事なのだと思わされました。でも、ボランティア をしたり、子どもの友達を家に呼んだり、朝晩の水遣りと雑草抜き、枯れた花の始末を毎日したりすることには、それなりの努力と時間がかかります。
異国にいて、その生活にどっぷりと浸かって文化に触れ、かつ日本を深く理解した卓越したお手本は、まさに多田富雄氏でありました。多田先生は、30歳代 にデンバーに留学されていたとき、学究に打ち込むと同時に、夜な夜な下町の酒場に出かけては、労働者の人たちと交わり、彼らの人生と深く関わってこられま した。だからこそ、アメリカの文化も人々の考え方もよく分かり、その「外から見る」という視点を持った上で日本人の心を深く洞察し、臓器移植や原爆や自然 といったテーマで新作能を書かれていったのでしょう。
しかし、研究も生活も充実されていた多田先生と違い、私の場合はボランティアやママ友達とのお付き合いで仕事の時間が限られてしまい、反省することしき りです。つくづくライフ・アンド・ワーク・バランスは難しいものです。しかし、生活の中から得られたものは大きかったと思います。私が見てきたアメリカ人 の生活は、ニューヨークとボストンという限られた地域の、ほんの一部の人たちのことなのでしょうが、それでもいろいろなことを教えられました。ある程度 「外から見る」という視点を得られたような気がしますので、今度は、その視点から日本をどのように見てゆくのかということが課題になってきます。大きな課 題ですが、現状をきちんと把握した上でじっくり考えていきたいと思います。

<参考>
・御厨貴(他)2010,いま、日本をどう建て直すか-人づくり/街づくり/国づくり,環,42号,p.327
・多田富雄,2009,ダウンタウンに時は流れて,集英社
・学校ボランティアについて,ワシントンポスト2010年9月7日(ダウンロード)

http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/emailafriend?contentId=AR2010090603023&sent=yes

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