医療ガバナンス学会 (2022年8月2日 06:00)
イギリスの場合 ジョンソン首相が辞任に追いやられ、保守党党首選が最終段階となり、次期首相が間もなく選ばれようとしている(2022年7月24日現在)。辞任のキッカケとなったのは、新型コロナウイルスのため大人数での集まりを国民に制限している最中の、首相官邸で開いたパーティーであった。ワイングラス片手のジョンソン首相の姿も報道された。パーティー仲間と、それ以外の国民に対する、首相のダブルスタンダードが叩かれたのだ。叩いたのはジョンソン首相も属する保守党議員である。保守党の自浄作用が働いたと言える。
日本の場合:安倍元首相が凶弾に倒れ、山上容疑者の供述から、旧・統一教会との関係が注目されるようになった。元首相のダブルスタンダードは何か、「お友達」とそれ以外に対するものだろう。森友・加計学園や桜を見る会の報道を見ていると、「お友達」以外の国民は、不公平感、すなわちダブルスタンダードを感じたのではないだろうか、私もその一人だ。この間、「お友達」とワイングラス片手に上機嫌の元首相の写真も報道された。このような元首相の行為に対して、自民党最大派閥である安倍派(清和会)からはもちろんのこと、自民党の他派閥の議員からも批判は起きなかった。
旧・統一教会により「人生をめちゃくちゃにされた」(すなわち、人間の尊厳を傷つけられた)と思っている犯人にとって、旧・統一教会の幹部に対する元首相の特別扱いに対して、より強く不公平感(被差別感)を持つことは自然であろう。生活に切羽詰まった犯人が、政治のダブルスタンダードの象徴として元首相を標的としたのだろう。
犯人は犯行について元首相の政治信条と関係が無いと言っているようだが、はっきりとした認識は持っていないということであって、このような言葉が出る事自体、むしろ意識にはあったということだろう。動機が不可解として精神鑑定に回すと報道されているが、むしろ、このことに違和感を持つ。
日本国憲法が「人間の尊厳」の普遍性に基づいていることは先に述べた。普遍性に基づく憲法を改定するということは、その普遍性を否定する(特殊性を認める)ことを意味する。すなわち政治のダブルスタンダードにつながる改訂と言える。自民党の『日本国憲法改正草案』(2012.4.27)は、まさにそのような改定案だ(1)。先頭に立って改定を推進してきたのが元首相であった。ご本人は「もりかけ桜」がダブルスタンダードに当たるとはあまり考えていなかったと思われるが、政治のダブルスタンダードの象徴と捉えられても仕方がない。
『そろそろ、蔑(ないがし)ろにされた人々に向き合うべきかと』、これは元首相が襲撃されて間もなく、「ひろゆき氏」がツイッターで投稿した言葉である(報道による)。まさに的を射た言葉だ。この事件は、民主主義に対する脅威ではなく、不公平を感じさせる政治(をする政治家)に対する脅威であろう。信仰の自由は心の問題である、政治に利用してはいけないことをも示している。
もちろん、元首相は日本国民のために多くの仕事をされた。そうでなければ最長と言われる首相の座を維持できないことは確かである。最長期間、国民に夢を与えてくれたとも言える。それに対して国葬で報いるのも悪いことではないだろう。しかし、国民に不公平感を覚えさせるようなことがあれば、このような不幸な結果をもたらすこともあり得るのだ。
日本医師会の混乱:「戦後レジーム」が「人間の尊厳」に基づくように、戦後の医学・医療界は「患者の尊厳」に基づく医療体制を築いてきた。世界医師会の「患者第一」を標語とする「医の倫理」であり、世界の主要な医学・医療関係機関のロゴに使用されている「アスクレピオスの杖」である。「患者第一」とは「患者と呼ばれる状態の人間の尊厳を最優先に考える」ということである。「アスクレピオスの杖」とは、そのような「医の倫理」(杖)でもって、患者に害を与えることもあり得る医学・医療(蛇)をコントロールするという意味だ(2)。
以下に述べる日本医師会の混乱は、国内向けと国際社会向けとの日本医師会のダブルスタンダードに基づくものである。すなわち、その「医の倫理」が形式的には国際社会に通じるが、内容的には国内向けに過ぎない(普遍性に悖る)ということだ。
第一の混乱は、定款にある目的とロゴとの齟齬である。日本医師会は、その定款で、「医道の高揚、医学及び医術の発達並びに公衆衛生の向上を図り、社会福祉を増進すること」を目的にすることを謳っている。すなわち、「医道の高揚」を第一に掲げ、「医学及び医術の発達」のために内包した日本医学会の行動をコントロールすること、それを第一の目的としているのだ。「アスクレピオスの杖」をロゴに用いてしかるべきであるが、そのようになっていない。
「名は体を表す」というが、組織体では「ロゴが体を表す」のだろうか。日本医師会のロゴは乳棒、乳鉢(薬)を表現する蛇(医学・医療)である。医薬分業を嫌った竹見太郎会長の時代に制定されたそうだ。そこには杖(医の倫理)が示されていない。実際、日本医師会の「医の倫理」を詳しく見ると、それは「医の倫理」にはなっていなかった(3)。
第二の混乱は、日本医師会が日本医学会(及びその法人格である日本医学会連合)との差異を認識できていないことである。日本医師会のHpの「日本医師会について」を見ると、「日本医師会は、47都道府県医師会の会員をもって組織する学術専門団体です。」とあるが、これでは日本医学会との差異が判らない。一方、日本医学会連合の定款(目的)を見ると「医学に関する科学及び技術の研究促進を図り、医学研究者の倫理行動規範を守り・・・」となっている。そしてそのロゴは「アスクレピオスの杖」を象っているのだ。日本医師会は定款(目的)の第一にある「医道の高揚」を完全に見失っている。そのような日本医師会に内包されて国際的な活動ができない日本医学会が、法人格として独立したのが日本医学会連合であると言うこともできる。
日本医師会は2年ごとに会長選挙が行われる。今年の6月25日にあり、松本新会長が選出された。Hpにある「日本医師会長からの挨拶」を見ると、7月24日現在、なお「準備中」となっている。日本医師会がゴタゴタしているようだ。このような日本医師会を立て直すには、その「医の倫理」を世界医師会の「医の倫理」に準じたものにすること、すなわちダブルススタンダードの解消である。それ以外に道は無い。
(1)平岡諦;『憲法改正 自民党への三つの質問 三つの提案』2017,ウインかもがわ
(2)平岡諦;『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識』2013、ロハス・メディカル
(3)平岡諦「今、医の倫理を問う意味」;吉中丈志編『731部隊と大学』2022、京都大学学術出版会、393-418