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Vol.22179 東京大学学生のコロナ留年に対して、大学教員の立場からの問題指摘

医療ガバナンス学会 (2022年8月29日 06:00)


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鳴門教育大学嘱託講師
黒田麻衣子

2022年8月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

東京大学教養学部から留年措置を受けた杉浦くんが、不当申し立てをした件が報道され、MRICでも連日さまざまな立場の方が寄稿をされている。筆者も、杉浦くんから直接相談を受けた一人として、大学教員の立場から私見を述べたい。

一連の報道に対するネットのコメントなどを見ると、「留年をくらった学生がゴネているだけ」のような、当該学生を無責任に非難する方もいらっしゃる。「留年の撤回」だけが争点になっているような報道があるため、そのような心ないコメントが入るのであろう。

筆者は学生本人から話を聞いて、そもそもの問題は、東京大学が当該学生に対して、成績処理についての説明責任を果たさなかったことにあると感じた。なぜ説明責任を果たさなかったのか。コロナ感染によって欠席してしまった授業回に対して、配慮を怠ったからである。本人からのヒアリングによると、成績が出た日に病院からの正式な感染証明書を受け取っている。それまでにも学生は、コロナ感染による欠席であること、一人暮らしの高熱で連絡が遅れてしまったこと、補講を受けたり追加レポートを提出したり等の措置を受ける意思があることをくり返し指導教員に伝えていたと聞いている。正式な感染証明書が必要であると大学に言われるも、東京の感染状況から医療機関が逼迫しており、証明書を受け取るのに時間を要した。感染証明書をやっと受け取ったのは成績開示日。彼はそれを提出しようとしたが、大学は受理せず、学生のコロナ欠席を「自己都合欠席」と見なしたままの成績を確定した。その上、成績に疑義を申し立てた当該学生の成績を「転記ミス」として大幅に下方修正し、具体的な説明を果たさないままに成績処理の正当性を主張している。

教育者として、筆者はこの一連の大学の対応に強い憤りを覚える。

まず、大前提として、我々教育者には、学生の成績処理に対しての説明責任がある。入試でも求められれば得点開示せねばならない世の中である。生徒・学生の成績は、彼らの進路に大きく関わる問題であり、我々教育者には、責任がある。生徒・学生には自分の成績がどのような経緯でこの得点に至ったのかを知る権利がある。説明のできない成績処理などあり得ない。

筆者も、勤務大学で前期の成績を出した。筆者の授業でも学生に毎回のレポートを課している。80人を超える受講者のレポートを毎週読んで得点化することは骨の折れる仕事だが、筆者は毎回2周読んだ。毎週、すべてのレポートを読み終えて得点化したあと、もう一度、全学生のレポートに目を通し、最初(1人目)と最後(80人目)で自分の評価にブレがないか、自己検証をした。さらに、前期成績を教務課に提出する前に、すべての学生の成績に対して「疑義が出たときに学生が納得出来る説明ができるか」を確認した。筆者の担当授業は、単位不認定が即留年に繋がりはしないが、教員免許科目であるので、単位不認定は免許に関わる。不認定だった学生は、次年度再履修するか、当該免許を諦めなければならない。大きな責任を伴うので、特に不認定の学生には、「本当にこの子は不認定なのか?」「この子に単位を認定できる可能性はないのか」と何度も自己確認をした。それが、学生の成績を出すことの義務であり責任であると筆者は考える。

なぜそこまで周到にチェックをするのか。ひとつには、学生からの成績疑義に対する危機管理である。説明責任を果たせないのは、教員としての資質に関わる問題だからである。

もうひとつの理由は、筆者自身が学生時代に不当な成績処理をされた経験をもつからである。筆者は2つの授業で不当な扱いを受けた。1つは「西洋教育史」。1つは「教育心理学」。どちらも、真面目に授業を受け、レポートを提出し、きちんとテストも受けたのに単位不認定になった。疑義を申し立てたところ、「西洋教育史」は「助手の転記ミスで10点になっていた」と言われ、笑って「ごめんごめん、直しておくよー」と軽く手を振られて、単位が認定された。笑いごとではないと腹が立った。単位認定されたが、一生忘れない。転記ミスは、人間なので起こり得る。だからこそ、責任をもって何度もチェックしなければならない。
かつて筆者が高校教員だった折にも、学内で転記ミスは時々起こっていた。教務課であった筆者が見つけたものもあれば、生徒の申し出によって発覚したものもある。テストの採点ミスも同様だ。今回の東京大学も、転記ミスによって当該学生の成績は大幅に下方修正されたという。だが、その転記ミスがどこで起こったのか、どの項目で17点も差し引かれたのかの説明はない。転記ミスは重大な過失である。説明責任と謝罪責任があるはずであるが、東京大学はそのどちらの責任も果たしていない。

筆者の場合、もう一つの不当な成績処理「教育心理学」では、酷い扱いを受けた。筆者は心理学に強い関心があったので、とても真面目に授業に臨んでいた。筆者の授業ノートコピーを大袈裟ではなく同級生の半数以上が持っており、同級生の多くが今も「必修の教育心理学は筆者のノートに助けられた」と言ってくれている。ほとんど授業にも出ず筆者のノートを頼りに試験を受けた学生がA判定をもらう中、筆者は単位不認定であった。当然、抗議に行った。教授は成績について説明できなかった。「毎回提出していたレポートは読んでいたのか?」との問いに、教授は「毎週100人分のレポートを読む時間などあるわけない」と言い放った。言葉に窮して発したのは、驚くべき言い訳だった。「あなたは優秀である。このまま学校教員になったら“出来ない子”の気持ちがわからない。“出来ない子”の気持ちを理解させるための恩情として、不認定にした。」——到底、納得のできない理不尽な理由である。当該教授は数年後、別の学生からセクハラ・アカハラの訴えを起こされ、大学を去った。

極端な例ではあるが、学生からのレポートをまともに読んでいない大学教員は一人や二人ではない。東京大学の当該授業担当教員がレポートを読んでいたのか否か、筆者にはわからない。だが、提出されたレポートには0点の評価のものがあったと聞く。当該学生は、他の学生からレポートを借りて自分のものと引き比べた上で、何故自分のレポートがそれほど低い評価を受けているのかがわからないと述べている。どのような基準で0点となったのか、どの部分が他学生と比べて劣っていたのか、担当教員には説明の義務がある。東京大学は、複数人の担当者でチェックしたと回答しているらしいが、複数人が0点をつけるレポートとは、どれほど劣っていたのか。それほどまでにレポート執筆能力が低いのであれば、他の科目でもレポート不可となっているはずであるが、どうもそうではないらしい。だとすれば、どういう経緯で「複数人の担当者でチェックした」成績が17点も下方修正されるのか、提出されたレポートが0点になるのか。

当該学生は、自分のレポートは他の学生と比べて遜色ないレベルであったと述べている。筆者にはその自己評価が適切だったかどうかはわからないし、言及もしない。だが、担当教員の目からみて「他の学生に比べて著しく劣る」と評価したのであれば、具体的に示すべきである。大学教員は研究者でもあり、科学者でもある。我々研究者が論文を執筆する際には、確かなエビデンスを出さねばならない。根拠の不十分な論文は、認めてもらえない。そうした世界に日々身を置いている研究者・科学者が、なぜ根拠も示さぬままで平気な顔をしていられるのか、筆者は理解に苦しむ。この授業は学生にとって必修単位であると聞く。学生は来年度、この授業を再履修しなければならない。来年度に向けて、「自分の何が足りなかったのか」を明らかにしたいと考えるのは当然のことであり、学生にはそれを聞く権利がある。そして、これは入試ではなく、授業であるのだから、足りない部分を指摘し、指導し、次年度に活かせるよう助言するのは教員として当然の仕事である。

一刻も早く、当該科目の成績処理について、学生に納得のいく説明を果たしてあげて欲しいと切に願う。その上で、もしコロナ感染に対して文部科学省が求めているような「適切な措置」を講じていなかったのであれば、真摯に謝罪し、後期が始まる前に適切な措置を講じて、コロナに感染した学生が不利益を被らないよう、対応をしてあげてほしい。

教育機関は、懲罰機関であってはならない。たしかに、一部の学生にはコロナ感染を「利用」するような酷い者もいる。しかし、一部の「悪者」を罰するために多くの真面目な学生まで不利益の巻き添えにすることは教育機関の成すべき所業ではない。しかも今回、学生のコロナ感染は詐病ではなく事実であり、医療機関の証明書も出ている。教育機関は、学生を温かく育てていく場所でありたい。一教員として、東京大学の対応に再考を願う。

 

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