医療ガバナンス学会 (2022年9月20日 06:00)
元・血液内科医
平岡諦
2022年9月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
男女共同参画局のHpに「ジェンダー・ギャップ指数 GGI」が載っている。スイスの非営利財団「世界経済フォーラム」が教育・健康・経済・政治の各分野ごとに算出し、ジェンダー・ギャップの「見える化」を図っているのだ。ゼロが完全不平等、1が完全平等を示す。2022年、日本のGGIは教育;1.000、健康;0.973、経済参画;0.564、政治参画;0.061、総合146か国中の116位だ。教育を等しく受け、十分健康な女性が、経済、政治の分野で活躍できていないのだ。これほどに人的資源の無駄をする社会が、持続可能(susutainable)とは思えない。日本を「衰退途上国」と呼ぶようになっているのも当然だ。
よく耳にするのが「ガラスの天井」である。アメリカ議会に設置された「ガラスの天井委員会」は「資格や実績がある女性・マイノリティをキャリアの階段の上層部から閉めだす役割を果たす、目に見えない打破することのできない障壁」と定義しているようだ。しかし最近、特に産業界では、キャリアアップの階段自体が壊れていて(「壊れた階段」)、「初めの一歩」での格差が結果として上層部に占める女性の割合を少なくしていると考えるようになってきた。
前稿(MRIC No.22186)で示した「保育園落ちた日本死ね」の現実は、まさに「初めの一歩」を踏み出せない母親の怒りの言葉だ。医療界での「壊れた階段」「初めの一歩の格差」の例が、東京医科大学における女子受験生の入学差別だ。過酷な労働環境にある医療現場を背景として、大学側は「育児責任を担うことが多い」として女性の入学を抑制したのだろう。
●自民党政治のダブルスタンダード:
「明治民法の家父長制度を否定し、「個人の尊厳と両性の本質的平等」に基いた家族を規定しているのが現行憲法だ。それを否定し、「家族の意向を優先させる」という古い考えを持ち込んだのが、自民党の『日本国憲法改正草案』(2012.4.27)(以下、自民党改憲案)である」(MRIC No.22186)。
結党以来、自主憲法制定を党是とし、改憲案を発表してきた自民党政治のダブルスタンダードをまとめると次のようになる。すなわち、現行憲法に基づく建前(例えば「一億総活躍社会」)に対して、自民党改憲案に基づく本音(「女性は家庭で家事・育児」)が見え隠れする施策ということだ。
改憲の先頭に立つ安倍政権ではその差が大きく、泣かされた国民が「死ね」という過激な発言や「銃撃」という過激な行動に出たと思われる。自民党改憲案は安倍政権だけでなく岸田政権でもダブルスタンダードを成立させている。その例は最近制定・設置された「こども基本法」「こども家庭庁」だ(2022年6月15日成立)。「名は体を表す」というが、敢えて「家庭」を入れた「こども家庭庁」のネーミングからもそのダブルスタンダード振りが窺えるではないか。
こども基本法の目的は「日本国憲法及び児童の権利に関する条約の精神にのっとり・・・こども施策を総合的に推進すること」となっている。そして、基本理念の一つが「こどもの養育は家庭を基本として行われ、父母その他の保護者が第一義的責任を有するとの認識」である(「こども基本法案 概要」)。また「こども家庭庁設置法(令和4年法律第75号) 概要」の中に「こどものある家庭」の文字が6度も使われているのだ。そこには「家族の意向優先」「女性は家庭で家事・育児」に基づく施策がすでに見え隠れする。
●「統合失調症」を患っている日本社会:
自民党政権が続く限り、時の首相によって強弱はあるだろうが、現行憲法と自民党改憲案に基づくダブルスタンダードが続くだろう。現行憲法と自民党改憲案は矛と盾との関係、すなわち矛盾である。これらを「統合」することは不可能である。「統合」不可能が長期間続く、すなわち日本社会は「統合失調症」を患っていることになる。「病因」が自民党改憲案、「症状」が冒頭にのべたGGI であり日本社会の衰退だ。
これを救う標語には「To shrink the gender gap first ジェンダー・ギャップ縮小第一」以外に無いだろう。世界医師会の標語「To put the patient first 患者第一」を模した筆者作成の標語だ。精神科医のスラングにhead shrinker がある。妄想に取り付かれて大きくなった頭(head)を縮めて(shrink)あげる人、それが精神科医ということだ。統合失調症を治療するのは精神科医だ。
国連で採択されたSDGs (持続可能な開発目標)の目標5は「ジェンダー平等を実現しよう」である。次にように言っている。「職場での男女平等と、女性に対する有害な慣行の根絶に関し、新たな法的枠組みを導入することは、全世界の多くの国で広く見られるジェンダーに基づく差別に終止符を打つうえで欠かせません」。日本では改憲か自民党改憲案の破棄か、その二者択一をまず行う必要がある。世界の流れ(ポツダム宣言の「理性のあゆみ the path of reason」)を考えると、改憲ではなく自民党改憲案の破棄だろう、そうしなければ世界に通用しない。改憲を選び自民党改憲案に基づく施策を続けるなら、日本社会は衰退し続けるだろう。
●明治維新(1968)から77年で迎えた敗戦(1945)、敗戦から77年の現在(2022):
「敗戦までの77年間と敗戦からの77年間は、いずれも前半が上り坂、後半が下り坂で奇妙な一致をみる」「戦後の日本は東西冷戦構造を巧みに利用し、焦土から米国に次ぐ経済大国に上り詰めた。しかし1989年の冷戦の崩壊と共に「失われた時代」を迎え、坂道を転がるように転落の一途をたどって77年後の現在に至っている」と分析している人がいる(田中良紹「フーテン老人世直し録 662」)。
「敗戦から77年」の後半の下り坂の要因として、私は自民党改憲案を第一に取り上げたい。明治民法の家父長制度を否定した現行憲法・第24条の個人主義(全体主義に対する個人主義)、そして現行憲法・第24条を否定した自民党改憲案・第24条は「家族の意向優先」である。「否定の否定」であるがこれは弁証法の「否定の否定」の法則とは全く異なり、単なる「懐古」、明治民法への回帰に過ぎない。したがって国際社会では通用しないのだ。
「安保条約の改訂で対米自立を追求した祖父の岸伸介元総理」「反共主義を強調しアメリカに取り入り、それによって日米対等の関係を追求」(田中良紹氏の言葉)したとされている。反共主義を強調するため「国際勝共連合」を関連団体にもつ旧・統一教会と繋がったのだろう。一方、安倍元首相は改憲を追求するため、「個人より家庭優先」の現・世界平和統一家庭連合にエールを送ったのだろう。
「対等の関係」を追求した岸元首相と、「蔑(ないがし)ろにされた人々」(ひろゆき氏の言葉)を生み出した安倍元首相との違いは明らかである。その結果が銃撃事件だ。安倍元首相の死を無駄にしてはいけない。安倍元首相の国葬とともに自民党改憲案を国(自民党)として葬らなければ第二、第三の不幸な事件が起きるだろう。そして何より、日本社会が衰退から脱却できない。 (以上)