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Vol. 311 スペイン風邪が変えたワクチン研究の潮流―欧州から米国へ―

医療ガバナンス学会 (2010年10月1日 06:00)


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東京大学医学部5年 竹内麻里子
2010年10月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


1918年から1919年にかけて大流行したスペイン風邪の死者は、第一次世界大戦の死者よりずっと多い。第一次世界大戦では1800万人が犠牲になっ たが、インフルエンザは当時の世界人口16億人のうち5億人に感染し、死亡者は5000万人にも上った。アメリカでは50万人以上、日本でも38万人以上 が亡くなった。
それ以前にもインフルエンザの流行は数多く起こっていたが、1918年の流行は戦争により大きく拡大し、ワクチン開発の転換点となった。当時の様子を振り返り、ワクチン開発の流れを考察してみたい。

《スペイン風邪の流行》

●兵士とともに世界中に拡大した感染
第一波が始まったのは、1918年2月だ。1人の陸軍兵によってアメリカのカンザス州にあるファンストン駐屯地にインフルエンザが持ち込まれ、3月まで に数千人が感染した。同州のフォートライリー駐屯地等、他の基地にも感染が広がり、アメリカ国内の陸軍駐屯地36箇所のうち20箇所以上で感染が起こっ た。その頃ヨーロッパでは第一次世界大戦が終盤にさしかかっていた。西部戦線の膠着状態を突破するため、兵力増強が図られ、4月から夏にかけて210万人 の兵士がアメリカからヨーロッパの前線へ移送された。これは、アメリカ独立戦争当時にアメリカ=ヨーロッパ間を移動した人数の40倍もの規模である。史上 初めての大規模な人の移動により、同時にウイルスもヨーロッパ大陸へ渡り、イギリス軍・フランス軍でも罹患者が急増した。5月末までに4万人近いイギリス 軍兵士が感染し、5月にはインド、7月には北欧に感染が広がった。しかしこの時の死亡率は低く、数日間寝ていればたいていの患者は回復したようである。
余談だが、感染がアメリカから広がったにも関わらず「スペイン風邪」という名前がついたのは、中立国であったスペインだけが流行を公に報道したためだ。アメリカをはじめ多くの国では、士気の低下を恐れてインフルエンザの報道統制が行われていた。

●強毒化したウイルスの襲来
9月に入ると、毒性を増した第二波の流行が始まった。ボストン近郊のデブンズ駐屯地で髄膜炎様の症状を呈するインフルエンザ患者が出始め、9月末にはデ ブンズ駐屯地の兵士の20%がインフルエンザに感染した。1日に平均100人が死亡、基地病院は収容可能人数の5倍にあたる6千人もの患者であふれた。病 理学の世界的権威で、ジョンズホプキンス大学の初代医学部長も務めたウィリアム・ウェルチが、当時の米政府の要請でデブンズ駐屯地に派遣されている。患者 の初期症状はインフルエンザに似ていたが、10%が重篤な肺炎を発症し、その半数が呼吸困難に陥って死亡した。血痰や鼻血が特徴的な症状で、重症患者の皮 膚はチアノーゼで青くなった。ウェルチは遺体解剖を行ったが、肺は損傷が激しく、液体が充満して膨張していたという。

●船に乗って運ばれた強毒ウイルス
同じ頃、フランスの主要な軍港であるブレスト港には、世界中から船舶とともにウイルスが運びこまれた。ブレスト港を出航した船はシエラレオネ、ケープタ ウンにウイルスを広げながら進み、シエラレオネでは人口の6%ものアフリカ人が亡くなった。医療従事者にも感染が拡大してイギリスでは医師対患者の割合が 1対5000にもなり、10月にはベルリンやパリで1日に1700人以上が亡くなる日もあった。インフルエンザの流行で打撃を受けたドイツ軍は11月に降 伏し、第一次世界大戦は終結した。その後、散発的に第三波の流行が見られた後、スペイン風邪は収束していった。

《ワクチン研究とインフルエンザ対策》

●ウイルスワクチン製造の鍵~ウイルス培養可能な動物の存在~
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ドイツやフランスを中心に、コレラ・炭疽・狂犬病・破傷風などの感染症に対するワクチンが次々に開発されてい た。注目したいのは、ウイルス感染症である狂犬病のワクチンが、1885年に開発されていたことだ。狂犬病が感染症であることは知られていたが、当時は光 学顕微鏡しかなかったため、パスツールは病原ウイルスを発見できないままワクチンを開発している。狂犬病は精神症状を呈するため、原因微生物は脳や脊髄に いると推測され、実際に狂犬病で死んだ犬の脊髄をウサギの脳に移植すると、ウサギは狂犬病を発症して死亡した。そこでパスツールはウサギで病原体を継代培 養し、ワクチン開発に成功する。それ以前に行った炭疽菌の研究で、継代培養により病原体を弱毒化できることがわかっていたのである。

●インフルエンザ病原体探求をめぐる迷走
また1890年のインフルエンザ流行時には、コッホ研究所のファイファーと北里柴三郎が患者の咽頭からインフルエンザ桿菌を発見し、1892年にドイツ 医学週報でインフルエンザの病原体として報告した。しかし1907年流行時の研究で、アメリカ人のロードは患者20人中3人しかインフルエンザ桿菌を持た なかったことを明らかにし、その後も健康な人の6人に1人がインフルエンザ桿菌を持っているという研究結果がJAMAで発表された。
一方、滅菌フィルターを通過するタバコモザイクウイルスの存在が、同じく1892年にイワノフスキーらによって示されている。これがきっかけとなり, フィルターを通過する病原体としてウイルスの存在が知られ、患者の痰の濾過液を接種するとインフルエンザを発症することも明らかになった。

●壁にぶつかったワクチン開発
スペイン風邪当時、インフルエンザの原因はウイルスだと考えていた研究者も多くいたようである。しかしウイルスは試験管で培養することが出来ず、インフルエンザは実験動物として用いられていたマウスやウサギに感染しなかったため、ワクチンの開発は困難を極めた。
余談だが、当時欧米で実際に使用されたのは、二次感染による肺炎を予防するためのワクチンが多かった。患者の血清に含まれる肺炎球菌やレンサ球菌等、複 数の細菌に対してのワクチンが製造されていたようである。一方日本では、インフルエンザ桿菌を支持する北里研究所と反対する東京大学伝染病研究所とが対立 していた。しかし他に有効なワクチンが存在するわけでもなく、結局決着がつかないままインフルエンザ桿菌に対するワクチンが開発、使用された。

●止められなかった人の移動
ワクチン以外の対策といえば、集会の禁止や感染者の隔離であった。アメリカ公衆衛生学会は娯楽場・ダンスホール・映画館を一時休業させ、公葬を禁止し た。イリノイ州やニューヨーク州では患者の症状が完全に治まるまで隔離が義務付けられ、インフルエンザ流行の恰好の標的だった軍の基地でも、厳しく隔離が 行われた。一方で教会や学校は通常通り開かれ、医学会の抗議にもかかわらず、ウィルソン大統領の命令によりアメリカ全土から兵士が基地に集められ続けた。 その結果、流行が自然に収束するまで被害の拡大を抑えることはできなかった。
こちらも余談であるが、サンフランシスコやサンディエゴでは、市民全員にガーゼマスクの着用が義務付けられ、患者が急激に減少したと報告された。当時の マスクは鼻からあごまで覆うタイプで、見た目は日本でもお馴染みのあのマスクにそっくりだ。その後五大湖周辺の研究で、マスクの有無に関わらず感染率は 8%程度で変化はないことが明らかになっている。しかし少しでも感染を防ごうと、マスクを着用する人も多かった。

《第一次世界大戦後のワクチン》

●研究の中心はヨーロッパからアメリカへ
19世紀の微生物学の最先端はドイツ・フランスだったが、大戦後にドイツやフランスの5倍、イギリスの3倍ものGDP水準を達成したアメリカは、経済・ 政治面においてのみならず、医学研究においても世界をリードするようになっていた。アメリカの私立大学や民間研究所が次々と研究に乗り出したのである。北 里柴三郎や志賀潔はドイツの国公立研究所で働いていたが、志賀の数年後輩である野口英世が、アメリカの民間財団が運営するロックフェラー医学研究所で黄熱 病研究を行ったのは対照的だ。1921年にはフランス・パスツール研究所のカルメットとゲランがBCGを開発したが、1930年に電子顕微鏡が開発される と、1931年にはアメリカ・ヴァンダービルト大学のグッドパスチャーが動物でなく孵化鶏卵でウイルスを培養する方法を開発した。これによりウイルス研究 が加速し、1935年頃にはアメリカの微生物学者タイラーがロックフェラー研究所で黄熱病生ワクチンを開発した。タイラーはこの功績により、1951年に ノーベル医学生理学賞を受賞している。
また、製薬業界でも同様のことが起こった。アメリカの製薬会社メルク社は、元々1668年に創業したドイツメルク社の子会社だった。しかしドイツ敗戦に より接収されて1917年に独立すると、本家を追い抜いて成長し、現在ではアメリカ・ファイザー社につぐ世界第2位の製薬企業となっている。メルクは現在 までに、麻疹、風疹、ムンプス、肺炎球菌、A・B型肝炎、ロタウイルス、HPVなど多くのワクチンを開発している。

●戦争がワクチンに与えた影響
第一次世界大戦で極めて大規模な人の移動が起こったことは、スペイン風邪での甚大な被害につながった。しかしその経験から感染症予防の重要性がより強く認識されるようになり、アメリカに場所を移して、ワクチン開発は加速したのである。

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