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Vol. 312 「医療過誤」から「医療事故」に新聞報道はどう変化したか

医療ガバナンス学会 (2010年10月2日 06:00)


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データベースを用いて日本の新聞における医療事故報道の変遷を研究
東京大学医科学研究所
岸友紀子
本稿は2010年8月17日にm3.comの医療維新で配信されたものです。

2010年10月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


医療事故(医療過誤)に関するメディア報道は、医療界に大きな影響を与えます。医療界に安全対策を促すこともあれば、防衛医療を招くこともあります。私 は、この問題の研究を続け、最近、研究成果を米国の「Risk Management and Healthcare Policy誌(2010:3 33-38)」に発表しました。今回は、この発表内容をベースに、日本における医療事故報道の変遷について紹介します。

ご参考までに、アメリカでは1990年代半ば以降、医療事故対策とともに、医療事故報道についての研究が進んでいます。直接のきっかけとなったのは、 1994年にダナ・ファーバーがんセンターで起こった医療事故でした。乳がん患者に対して抗がん剤が過量に投与されたというものです。この患者がボストン グローブ紙のヘルスコラムニストであったため、紙面に大々的に取り上げられ、医療事故問題に対する社会の関心が高まったのです。

では日本ではどうでしょうか。それを検証すべく、日経テレコン21(http://telecom21.nikkei.co.jp/)のデータベースを利 用し、「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」「産経新聞」「日本経済新聞」の五大紙を対象として、1992年から2007年までに掲載された「医療事故」 および「医療過誤」いう単語を含む記事を調べました。日経テレコン21の基本データベースには、国内で発行されている新聞紙の記事内容が登録されており、 検索語を入力すると、登録されている「タイトル」「内容」「キーワード」から該当するデータが抽出されます。

日本における医療事故に関する報道は、1999年の東京都立広尾病院事件を契機に1998年の386件から1999年の1289件に急増していました。医 療事故をきっかけに新聞報道が増え、一般市民の関心が高まったことは、アメリカと同様です。ただし注目すべきは、その際、我が国では、事件発生当初で正確 な調査が進んでいない段階から、「医療過誤」という表現が新聞報道の大部分を占めたことです。「事故」でなく「過誤」という表現は、医療者の過失を前提と しています。事件の真相が十分に明らかでない段階で、新聞がセンセーショナルに報道することは、事故に関する先入観を形成する危険性があります。医療事故 の存在を一般市民が認識するのは、マスメディアを通じてであり、マスメディアの医療事故報道には一定の特徴があります。このことを、医療者も国民も、認識 すべきです。

こうした我が国の医療事故の報道内容が変わり始めたのは、2004年からです。1999年から2001年にかけて、大きな医療事故報道が続き、医療事故の 存在を一般市民が認識するようになりました。2004年に都立広尾病院事件の最高裁判決が下るまでは、医療事故報道は「訴訟」や「処分」にウェイトが置か れ、「システムエラー」や「原因究明」に関する報道は散発的でした。しかしながら、この判決以降、わずかずつですが、システムエラーや原因究明に関する報 道が増えてきました。この状況も、アメリカと類似しています。アメリカでは、1994年の医療事故のセンセーショナルな報道を契機に社会的な関心が高ま り、当初は医師の処分が注目されましたが、やがて、2000年には医療事故を減らすには背景にあるシステムエラーを考えることが重要である、というコンセ ンサスに到達しました。医療事故について社会がコンセンサスを形成するためには、きっかけとなる事件ならびに長期間にわたる議論が必要ということでしょ う。

そしてさらに、我が国の医療報道のあり方が大きく変わったのは、2006年の福島県立大野病院産科医師逮捕事件以降です。この事件では、癒着胎盤を合併し た前置胎盤の妊婦が帝王切開手術中に死亡し、担当医が業務上過失致死罪で逮捕されました。この事件をきっかけに、多くの医師が「担当医に過失がなくても、 結果が悪ければ刑事処分されてしまう」と感じるようになりました。このため、多くの医師が防衛医療を行うようになり、また訴訟リスクの高い産科医を廃業し ました。

当初、逮捕された担当医に対して批判的であったマスメディアも、時間が経つにつれて、この事件が我が国の産科医療システムに破滅的な影響を与えたことを報 道するようになりました。現に、2006年以降の新聞報道では「医療過誤」という単語の使用が減少し、「医療事故」という単語に置き換わっていました。ま た、2007年から2008年にかけての同事件の裁判報道と連動して、「システムエラー」や「調査」、さらに医療事故の背景の「医師不足」「医療崩壊」な どの単語の出現頻度が急増していました(http://expres.umin.jp/mric/img/MRICiryojiko.jpg)。このよう な変化は、長年の議論を経て医療事故に関する国民的な理解が深まってきたところに、福島県立大野病院事件がコンセンサス形成のきっかけを与えたことを反映 していると考えられます。

医療事故の報道姿勢については、新聞間に差がありました。「医療事故」という単語の報道量についても、総記事数に対する医療事故の記事割合が2007年で 読売新聞は0.2%であったが他紙の平均は0.1%で、読売新聞が他の4紙の約2倍でした。一方、「医療過誤」という単語については新聞間に差はなく、ど の新聞においても使用頻度は急速に減少していました。医療事故報道に対するウェイトの置き方には新聞社毎に差があるものの、いずれの新聞社も「医療過誤」 という表現を控え、冷静に分析しようとしていることが伺われます。

医療事故は医療訴訟と密接に関連し、医療制度を破壊する潜在的な危険性を有します。医療事故および医療訴訟は「医療界と世論の軋轢」と見なすことも可能 で、この問題を解決するには、これに対する世論の動向を正確に把握することが重要です。新聞は世論に大きく影響すると同時に、世論を反映するので、新聞に おける医療事故の報道を評価することは意義があります。しかしながら、この作業は新聞のデータベースが整備され、安価で公開されなければ、実行不可能で す。今回、このような研究が遂行できたのは、日本国内で発表されているすべての新聞記事を網羅したデータベースが整備され、インターネットを用いて閲覧、 検索が可能になったからです。これは、PUBMEDなどのIT技術が医学研究のあり方を変えたことと似ています。近年、医療とメディアの関係について様々 な研究が進んでいますが、データベースの整備・公開は、このような研究の進行を加速するでしょう。今回は新聞を研究対象としましたが、テレビ、雑誌、オン ラインメディアなどに関しても、同様の調査が必要です。このような媒体についてはまだデータベースが未整備であるため、早期の整備が望まれます。

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