医療ガバナンス学会 (2022年10月27日 06:00)
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( https://genbasympo17.stores.jp/ )
2022年10月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●全ゲノム情報に基づくゲノム医療
井元清哉(東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター・センター長、教授))
2019年12月に厚生労働省は「全ゲノム解析等実行計画(第一版)」を策定し、全ゲノム解析のもつ優位性を患者還元に繋げ、ゲノム医療の飛躍的な向上を目指すことを宣言した。この全ゲノム解析等実行計画を進めるため、2021年にAMED革新的がん医療実用化研究事業が開始され、2021年度においては1,500名の前向き症例を含む約1万人のがん患者の全ゲノム解析を実施した。演者は、本事業の解析班の研究代表者を務め、ゲノムデータの収集、解析、臨床情報の収集、臨床的意義のある変異をまとめたレポートの作成、データ共有の仕組み作りを進めている。
高速DNAシークエンサーの発展によって、正常細胞の全ゲノム配列を再現するのに必要なデータを10万円以下(いわゆる1000ドルゲノム)で得られるようになったのは7~8年前の話であるが、実は、これまでのイルミナ社に代表されるショートリードシークエンサーでは読み取れないゲノム領域が全領域(30億塩基対)の8%もあった。この領域の塩基配列が、本年3月に Scienceに掲載された論文により解読された。その背景にあるのは、PacBio社やOxford Nanopore社の開発する最先端のロングリードシークエンサーである。DNAシークエンサーの開発はますます過熱しており、そのインパクトはヒトゲノムに留まらず、コロナウイルスゲノム解析でも変異株の追跡においてその能力を示した。
ゲノム情報は日進月歩で解析技術が発達し、クラウドコンピューティングの発展もあり大規模にデータが集まる仕組みも構築されつつある。しかしながら、ゲノム情報だけではゲノム医療はできない。患者の精緻な臨床情報が不可欠である。臨床情報が無ければ全ゲノム情報の持つポテンシャルも発揮できない。この臨床情報の収集がゲノム解析と並んで事業の肝である。
臨床情報は、電子カルテに保存されている。一方、インターネット空間に接続されていない電子カルテの現状では、電子カルテに登録されている情報を再度人手でデータベースに入力するような「二重登録」を行う必要がある。新型コロナのHER-SYSにおいても臨床情報の収集を困難にさせたことは記憶に新しい。今こそ、高度に発展したデジタル技術を結集し、一次情報としての臨床情報が標準化された上で自動的に収集され、そこからゲノム医療、感染症等、目的に応じたデータベースに自動的に収集されるシステムの構築に、大きな力を込めて取り組むべきと考える。
●新型コロナウイルスの下水疫学
北島正章(北海道大学大学院工学研究院環境工学部門准教授)
下水中のウイルスを検出することで集団レベルの感染流行状況を把握する下水疫学調査は、都市内のあらゆる感染者から排出されたウイルスが下水処理場に集積するという下水道インフラの特性をうまく活用した疫学調査であり、見えない感染を「見える化」するツール(個人対象の疫学調査を補完する検査)として社会的に活用が期待されています。
我々の研究グループは、塩野義製薬と共同で下水中ウイルスRNAの高感度検出技術を開発し、この技術を用いた約2年半にわたる調査から、下水中SARS-CoV-2濃度は新規報告感染者数とよく相関することを示してきました。これは、下水中のSARSCoV-2濃度の測定により、効率的に地域の感染流行動向を把握することが可能であることを意味します。昨今の陽性者全数把握の見直しの動きの中で、下水疫学調査の導入により全数把握に相当する情報を取得しつつ陽性者の報告は定点把握に移行することで、「感染流行動向の把握」の目的を達成しながら医療現場の負担軽減に繋がることが期待されます。
下水疫学は、広域を対象とした下水処理場での調査だけでなく施設レベルの小集団に対しても適用可能であり、実際に我々の研究グループでは東京オリパラの選手村で下水疫学調査を実装しました。選手村の下水調査結果を毎日オリパラ組織委員会に報告し、個人の検査から発見される陽性者情報や市中感染の状況などと組み合わせ総合的に勘案されることで、パラリンピック期間中において更なる感染防止対策の実施に資するものとなりました。
さらに我々は、下水疫学がインフルエンザにも適用可能であることを実証しており、COVID-19とインフルエンザの同時流行も懸念される中で、下水疫学に対する期待は更に高まってきています。
本講演では、下水疫学の学術研究および社会実装をめぐる最新の動きを紹介しながら、社会における活用事例と今後の可能性について話題提供します。
●健保組合をスポンサーとする医学研究
川口恭(ロハス・メディカル編集発行人)
今年、「SATOMI臨床研究プロジェクト」なる一般社団法人が設立されたのをご存じの方も多いと思う。医療の高額化によって破綻必至の国民皆保険制度を延命させるため、「心ある医師達が行おうとしている、費用対効果も含めた真に『価値(value)ある』臨床研究を後押ししたい」と、寄付金を集めてJCOG(日本臨床腫瘍研究グループ)に業務委託の形で提供するという。
新しい薬や医療機器の使用が増える方向の研究であれば、それで儲かる企業が費用を提供してくれるのに対して、費用対効果に優れた医療行為を探すような研究にはスポンサーが付きにくい。厳然たる事実だろうし、そこに挑むのは大変に志の高いことと感じる。一方、寄付に頼って持続可能性はあるのだろうかと危惧も覚える。
実は、国民皆保険制度破綻に対する危機感と当事者意識は、医療従事者の専売特許ではない。健康保険組合の専従職員たちは、組合解散によって職場を失うため、強い当事者意識を持っている。そして健保組合は、費用対効果の高い医療行為を選び取るための試験実施に使える「財布」を持っている。保健事業費という。大企業の健保組合だけに限っても年4千億円以上使っている。
保健事業は、加入者の健康を増進することで保険給付(医療費)の「適正化」を図るものだ。保険事業への投下額が、その事業によって削減される保険給付額より大きければ、理屈上いくらでも事業費を拡大できる。
ただ残念ながら現在まで、健保組合は保健事業費を無駄遣いしてきた。代表例が、今年の『BMJ OPEN』誌で京都大学のグループによって医療費の抑制効果はないと報告された通称メタボ健診だ。
保健事業が無駄遣いばかりであることは健保職員の多くも自覚しているが、代わりに何をすればよいのか知見がない。今年度、知見を求める厚労省はモデル事業を補助金付きで募集、私たちの提案も採択された。
今後、費用対効果が高いばかりにスポンサーに恵まれない研究の企画者と、知見がほしい健保組合の橋渡しをしていきたいと考えている。
●ポストコロナの医薬品開発
細田雅人(インタープロテイン株式会社代表取締役社長)
2019年末に武漢で発生し「COVID-19」とWHOが命名したSARS-CoV-2による感染症が、年に一度の本シンポジウムで取り上げられるのは3度目となった。
2003年に中国で発生したSARS-CoV感染症は、全感染者の致死率は18%、65歳以上に限れば致死率は50%を超えた。一方で今回のSARS-CoV-2感染症は、全感染者(PCR陽性者)の致死率は、2022年9月18日時点で、世界では1.07%、日本は0.21%となっている。2020年の早期に2類相当から5類に引き下げが可能であったはずであり、マスクの常用や経済活動制限など自粛政策が長期に続く日本は、世界から観て異常と言わざるを得ない。
2年前の本シンポジウム時には既に判っていたことと思うが、日本の誤りは、弱毒性のSARS-CoV-2に対し、SARS-CoVすなわち強毒性で極めて致死率の高い感染症と同等の対策を取り出したことにある。そしてその政策を続けて今に至っている。42万人死亡説が自粛政策の基盤になっているが、それが誤りであっても方針転換できないその背景には、同調圧力社会を作って来たマスメディアがあり、その責任は重い。
一方で、少なくはない数の医師などが日本の社会現象の誤りを正常化させようと努めている。しかしその声は、結果として事態を沈静化の方向に向かわせるため、マスメディアはこれをほとんど無視し続けてきた。
上記には勿論、反論もあろう。COVID-19は、通常の風邪のコロナウイルスと明らかに異なる。冬季に限らず感染拡大を年中繰り返し、long-COVIDと呼ばれる長期後遺症の頻度がその特徴でもある。
それでも飲食店、アパレル、宿泊施設等のCOVID-19関連経営破綻状況の異常値、或いは、自粛政策に連動した若い世代の自殺者増には、目を覆う。
ポストコロナの時代が見え出した。元の時代のようには戻れなさそうだが人の動きは正常化しつつある。
ポストコロナの医薬品開発に関しては、限られた時間の中でスパイクタンパク質を標的としたワクチンの開発を迫られ、その影響により起こり得る免疫システムの問題がある。それらを含め、俯瞰的に医薬品開発について整理し、次のパンデミックに備える課題を述べてみたい。
●日本の戦略なき医薬品開発政策
中村祐輔(国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所理事長)
米国では「がんの治癒を目指した」ムーンショット計画が進められている。「ムーンショット」という言葉には、「人類を月に送ったアポロ計画に匹敵する壮大なプロジェクト」という意味が込められている。「延命」ではなく「治癒」がそのゴールである。宇宙船・宇宙服などのすべての部品を完璧に準備をしなければ、1969年のアポロ11号の月面着陸という成功はなかった。
翻って日本の過去20年を振り返ると、国家戦略の欠片もなく、予算が無駄に垂れ流されている。医薬品の輸入超過額は、2005年には5千億円を超え、2010年は1兆円を超え、2015年には2兆円、2019年には3兆円、そして2022年度は4兆円超えが確実となっている。この数字は、この間の我が国の無策を反映している。形だけの国家戦略では、今後もこの数字は大きくなることが確実である。かつて指摘したように、役所の各課で案をまとめ、それを束ねたものが各局の案となり、さらにそれを束ねただけで各省の案となり、それをガチャンと束ねたものが、国家戦略となるレベルの「お粗末な国家戦略」で、この国が立ち直れるはずがない。
今回のコロナ感染症流行で、日本のデジタル化の遅れのみならず、危機管理体制の脆弱性が顕在化した。流行当初のマスク不足、紙ベースの報告書など、昭和時代を生きている感がある。そして、ワクチン開発に不可欠な実験用のサルの不足にも直面している。コスト安のために、日本の実験用サルは海外からの約6000頭もの輸入に頼っていた。サルもコロナウイルスに感染するため、その輸入は制限され、そして、中国からは輸出制限がかかった。医薬品、とくにワクチン開発にとって、危機的な状況となっている。米国では10年以内にサルの国内供給体制を整えるために、400億円が投入されることになり、韓国でも国内自給を視野に政策が進められている。
この国には全体を俯瞰して医薬品開発を切れ目なく進める戦略も司令塔もないのだ。4兆円を超える医薬品の貿易赤字を見ても目が覚めずに、省益・局益が優先される国の在り方を変えることが急務だ。