医療ガバナンス学会 (2023年1月6日 06:00)
この原稿は月刊集中1月末日発売号掲載予定です。
井上法律事務所所長
弁護士 井上清成
2023年1月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
令和4年12月28日、東京都内で日本産婦人科協会(助産師部会)の特別講演会「私たちは、全国各地の開業助産院での正常分娩を支援します」が開催された(注・日本産婦人科協会は、後に出て来る「日本産婦人科医会」とは異なる団体である)。
令和3年後半、22年にわたってお世話になっていた嘱託医療機関が閉鎖したため、北海道旭川市に所在する「助産院あゆる」(院長・助産師北田恵美)では分娩を停止せざるを得なくなった。その後1年以上、北田助産師は、支援住民グループ「助産院に産声を!応援会 旭川」や北田助産師の所属する北海道助産師会の支援を受けて、旭川市・北海道庁・地元産婦人科医会・国立大学病院など旭川市内すべての関係者の方々に後任の嘱託医療機関受託の調整を求めて来た。ところが、今に至るまで、旭川市内の医療機関は市立病院や周産期母子医療センターの病院(2院)も含めて、どこも嘱託を受けてなかったし、その間、市役所も非協力的であった。そこで、支援住民グループ共同代表2名と北田助産師は、前向きな話合いを求めて、地域での主導的立場にある国立旭川医科大学病院産婦人科部長・地元産婦人科医会会長・旭川市副市長の3名を相手方として、2022年12月6日に旭川簡易裁判所に民事調停を申し立てた。
日本産婦人科協会では、このような嘱託医療機関問題に悩む旭川の事例を契機として、全国各地での開業助産所での正常分娩の維持・継続を支援するに至ったとして、特別講演会を開催したのである。
その講演会において、筆者は、「助産所の嘱託医療機関には負担もリスクも責任も生じないし、分娩はすべて異常分娩でもない」ことを述べた。以下は、その講演の要旨である。
2.厚労省通達と日本産婦人科医会医療対策部との齟齬(総論)
厚労省医政局総務課・地域医療計画課・看護課による事務連絡「助産所、嘱託医師等並びに地域の病院及び診療所の間における連携について(再周知)」(令和4年6月6日)では、「嘱託を受けたことのみをもって、嘱託医師等が新たな義務を負うことはない」と明記してある。つまり、「嘱託」には「負担」も「リスク」も「責任」も生じないということなのである。
ところが、日本産婦人科医会医療対策部「助産所との嘱託医契約について」(平成18年12月)では、厚労省通達とは必ずしも同様の理解がなされていなかったようで、「産婦人科医にとりましては、謂れのない圧力を受け心身ともに疲弊している状態に、更なる負担を強いられるのです。従いまして全面拒否の姿勢を示したいところですが…」、「嘱託医契約は個人の立場で行われるものであり、本会が強制するものではありません」、「従いまして、本契約の締結に当たっては、(注・産婦人科医の)先生のQOLを十分考慮されまして対応いただければと思います」などと消極的な見解が述べられていた。
つまり、もともと厚労省通達と日本産婦人科医会医療対策部との間には、齟齬があったように思う。
3.日本産婦人科協会(助産師部会)の考え方
ところが、日本産婦人科協会(助産師部会)の考え方は、厚労省通達と軌を一にするけれども、日本産婦人科医会医療対策部とは異なるようである。
一般に「産科医」は、「嘱託医は、必要ならば診察し、対応し、適切と思われる支援をする必要があるのではないか?」と思いがちだが、「嘱託」というものはそこまでの責任を負うものではない。つまり、「嘱託医」には、「応招義務」があるわけではなく、当然、「損害結果回避義務(過失)」が生じるわけでもない。
また、「助産院の嘱託医になった場合は、裁判などで訴えられる可能性があると言うことで、助産院の嘱託医になるのが嫌がる医師が多いのだと思われます。しかし、それは杞憂です。
助産院で分娩を希望する患者さんは、定期的に嘱託医の妊婦健診を受けています。したがって嘱託医は患者さんのリスクを把握することになります。その時点でリスクが高ければ、大病院に紹介します。
また助産院も独自に医療賠償責任保険に加入しています。
井上弁護士(注・筆者)の『嘱託医療機関には、負担もリスクも責任も生じません』は、そのようなことを踏まえて、我々医師の立場のことを例えているのだと思われます。」とのことであった。
4.日本産婦人科医会医療対策委員会の考え方は正当
「助産所調査から嘱託医契約書の問題」(平成16年4月19日、日本産婦人科医会医療対策委員会)では、平成16年2月15日に開かれた全国ブロック医療対策連絡会において、以下の検討が行われていた。抜粋すると、次のとおりである。
・まず基本的な問題ですが、「今何故このようなものが必要なのか。助産所での分娩の安全性には問題があるので、医療機関で分娩するように啓蒙すべきではないか」という意見です。最初に述べたように助産所で1%の出生があり、根強い人気のあることは否定できません。助産師にも現行法上開業する権利があります。そこで我々産婦人科医も患者さんを守る立場から、少しでも安全な分娩のために協力する必要があるのではないでしょうか。また助産所での分娩が安全でないから止めるべきと言うのは、それでは診療所での分娩が安全かという議論に結びつくのではないでしょうか?
・次に「嘱託医の管理責任が問われないか。医療事故があったときに責任が生じないか?」という疑問です。嘱託医には助産所について全ての管理責任はないと思われます。嘱託医が医療行為を行った場合、あるいは助産師から相談された場合には責任が生じると思われます。
この日本産婦人科医会医療対策委員会の考え方は、良識的であり、正当なものと言ってよい。
5.荒堀憲二産婦人科医(高山赤十字病院周産期母子・小児医療センター長)の考え方〔2022年12月15日SBSKメルマガ69号 旭川問題が民事調停にNo2より抜粋〕
(1)問題の所在―「分娩すべてが異常分娩であって正常な分娩はない」という一部の産科医の考え方に対してー
「正常な分娩はない。そもそも危険なものに責任は持てないので助産所の嘱託医は受けられない」「大学病院の産婦人科で、嘱託医を引き受けているところはない」という考え方があるらしいが、その考え方は適切ではない。
(2)飛躍したレトリック
「この前提は間違っている。医療介入なく終了する分娩は全分娩の9割 と言われるから『1割のお産は正常ではないが、9割のお産は正常な経過をとる』が真である。そのお産が正常な9割のグループに入るか異常な1割に入るかは、必ずしも予測できないために、『全てのお産は1割の異常分娩に備えるべきだ、すべてのお産は異常だ』という飛躍したレトリックを生み出したのであろう。」
(3)不必要な医療介入
「正常な分娩を異常分娩に準じて進めると、かえって産婦の不安が増し、自らのオキシトシン分泌を減らし、結果、異常分娩を誘発することになる。その弊害は1960年代以降の施設分娩ではよく見られた現象である。だから『正常なお産はない』と突き放すのではなく、またすべてのお産を異常扱いするのではなくて、『安全に終了するはずの9割のお産を予測し、不必要な医療介入を減らし安全で幸せなお産に資することが、社会で求められる医療の姿勢』と認識すべきである。」
(4)異常の判断について
・「医者が胎児の異常を診断する際に利用する胎児心拍連続モニター(分娩監視装置による)は、胎児死亡を減らすより帝王切開を増やすことに貢献しているとして、その判断に当たっては慎重な姿勢が必要だ。」―(今井賢・日本医事新報社)「産婦人科レジデントの教科書」
「(胎児心拍数モニタリング)
現在の日本では、ほとんどすべての病院でCTGによる胎児心拍数モニタリングが行われていますが、実はCTGは、陰性的中率はきわめて高いものの、偽陽性が多い検査としても知られています。つまり、CTGによって『胎児は元気である(RFS)』ことはかなり正確に言えますが、逆に『胎児は元気ではない(NRFS)』と診断して帝王切開したが、何の問題もない元気な赤ちゃんが生まれてきた、ということはよくあることです。メタ解析では、分娩時のCTGにより帝王切開や器械分娩は増えるが、周産期死亡率は変わらないという報告があります。CochraneレビューでもCTGは間欠的児心拍聴取と比べて優位性が示されていない、ということも産科ガイドラインに記載されており、有名な話かもしれません。」
・「実際WHOも正常経過をとる分娩には、分娩監視装置による連続モニターは必須ではないと説明している。」―(WHO推奨)「ポジティブな出産体験のための分娩期ケア」
~「出産プロセスの医療化が続くと、産婦自身の出産能力が損なわれ、出産体験に悪影響を及ぼす傾向があります。」「自然に陣痛が始まった健康な産婦に対して、入院時に慣例的に分娩監視装置(胎児心拍モニタリング)を用いて胎児の健康状態を評価することは推奨されない。」
・〔2022年12月24日SBSKメルマガ70号 旭川問題が民事調停にNo3〕
「イギリスの調査から言えることは、しっかりした搬送システムがあれば、低リスク産婦の自宅分娩や助産所分娩では、病院より圧倒的に異常が少ない」
(5)責任の負担はない
・「我が国の妊婦健診は12回程度行われているが、いくら早期から健診を始めても、またその回数を増やしても異常分娩の予防や死産の防止には貢献しない。それが定期健診の限界ですから『嘱託医が行う2回程度のスクリーニング健診で責任をとらせられるから困る』などという医師の発言はどんな場合を想定してのことか、私は理解に苦しむ。スクリーニング健診で、例えば胎盤の早期剥離が予測できるなら別だが、それは不可能である。よって、そもそも健診は先々の異常を予測できるような精度の高いものではない。」
・「もちろん高血圧や重篤な内科合併症は見逃してはいけないが、これは経過中に助産師が健診で気づいて病院に紹介するから、これも嘱託医の責任問題にはなり得ない。」
(6)結論
・「異常異常という恐怖心喚起の前に、その判定と対応は本当に母子の福祉に寄与するのかを問い直さねばならないという現実もあるのだから、『すべて異常』の掛け声は見直されるべきだと思う。」
・「実際、厚労省からの通知でも、『嘱託を受けたことをもって新たな責任を負わせることはない』と明言している。素直にこの通知を読めば、嘱託医を受けることに対するネガティブが発言は無くなるはずである。」
・大学病院では全国に例がない、という点であるが、むしろ「ここ旭川ではそれが必要でありそのことが産婦を助ける」のだから産婦人科の部長さんには「地域のために勇気をもって先陣たれ」とエールを送らせて頂きたい。
6.医療法・医療法施行規則・厚労省通達の定め
医療法第19条(法律)・医療法施行規則第15条の2(厚労省令)・厚労省通達では、「嘱託を受けたことのみをもって、嘱託医師・嘱託医療機関が新たな義務を負うことはない」という前提の下に、「分娩時等の異常に対応するため」嘱託医師を定め、「嘱託医師による分娩時等の異常の対応が困難な場合のため」嘱託医療機関(病院又は診療所)を定めておかなければならないとされている。しかしながら、「嘱託医師・嘱託医療機関は、分娩時等の異常への対応に万全を期すために定めるものであるが、必ずしも経由しなければならないという趣旨ではない」し、「実際の分娩等の異常の際には、母子の安全を第一義に適宜適切な病院又は診療所による対応」をすべきものである。
したがって、行政官も産科医その他の医療従事者も、これらの法令の定めに従わねばならず、得手勝手な解釈・運用をしてはならない。