医療ガバナンス学会 (2010年11月8日 06:00)
国家の理念なきインフルエンザワクチン接種の料金設定
武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田 智裕
※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/
2010年11月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
しかし、昨年とは異なり、インフルエンザワクチンの価格決定権は各自治体に委譲されました。このため、市町村によってインフルエンザワクチン接種価格が異なる事態が発生しています。
「たかが1本の注射の値段じゃないか」と思われるかもしれません。しかし、この価格を巡る混乱は、筋の通っていない、理念なき医療行政の象徴のような気がしてならないのです。
■「とりあえず昨年と同じ」価格に
今年は、昨年のような全国統一価格(1回につき3600円)が決定されていません。その上で厚生労働省からは、「ワクチン接種に関わる費用負担に ついて、必要に応じて低所得者の負担軽減措置を講じること」という通達が出ています。そのため、市町村は、所得に応じた補助金まで考えた上で費用設定をす る必要に迫られました。
結論から言うと、多くの自治体は「昨年度と同じく一律3600円」(市町村内で価格を統一)という決定をしています。
しかし、今年は昨年度とは違い、インフルエンザワクチン流通が自由化されている分、ワクチンの納入価格は500円くらい値下がりしています。
せっかく自ら金額を決める権限委譲されたにもかかわらず、多くの自治体は「とりあえず昨年と同じ」価格にしてしまっているのです。
ワクチンの納入価格の値下がりを考えれば、安く設定することもできるでしょう。むしろ、昨年の問題点や、これからの医療体制の発展と充実などについて深く検討すると、高く設定する選択肢だって十分にあり得るのです。
■上限価格の設定はベストなやり方なのか?
今回、一部の自治体は、3600円という金額を「公定上限価格」という位置づけています。「ワクチン接種料金として3600円を超える金額を徴収してはならない。ただし、それ以下の金額で行うのは各医療機関の自由」ということです。
この場合、ある医療機関は上限価格目一杯の3600円で接種を行うかもしれません。また、あるクリニックは普段からのかかりつけの患者へのサービスの意味合いで、採算度外視の2000円という設定をするかもしれません。
結果的に、各医療機関が切磋琢磨し合った金額を提示するようになります。そのため、この「上限価格」設定は、3600円の統一料金よりも利用者全体の総額としての負担金額が少なくなります。実にうまい価格設定だとみなさんは思われることでしょう。
しかし、この方式がベストだとは思えません。
上限価格のみを設定するのはいびつな価格決定の仕方です。この方式のもとでは、医療機関はいかに効率よく、数をこなすか、という勝負を強いられます。そのため、医療機関は疲弊してしまい、発展することができなくなります。
その上、新たな付加価値をつけたサービス、例えば「500円の追加料金で、夕方6時から9時までの夜間のワクチン接種を受け付けます」というような新規サービスが生まれる余地もないでしょう。
■「4300円」の統一価格設定を行ったさいたま市
現状では、インフルエンザワクチン事業は既存の医療機関が日常の診療を行なった上で、追加業務として施行しているものです。昨年度の新型インフルエンザ接種においては、ほとんどの医療機関は時間外での業務を行ったのです。
現場の負担を考えると、手厚い価格設定にするという考え方をするのが妥当なのではないでしょうか?
国家事業としての煩雑な書類業務が発生することを加味して、昨年度よりも高い公定価格設定をしてほしいというのが現場としての要望です。
私が診療を行っている自治体(さいたま市)は、ワクチン接種料金は統一価格4300円、診察のみで接種を行なわなかった場合にも診察代金2835円という価格設定を行ないました。
ワクチン納入価格が値下がりしている中での値上げです。これは、医療機関の人的コストにまで配慮した決定と言ってよいでしょう。
■理念を持った価格設定をしてほしい
これまで見て来たように、時間的余裕がなかったとはいえ、「昨年と同じ」と決めた自治体が数多くありました。また、「広く、多くの人が利用できるように」という意味では上限価格設定も有効なのかもしれません。
しかし、「上限を決めて安くする」というやり方は、極めて短絡的だと言わざるを得ません。
そもそも「なんでもかんでも安くするべき」という発想では、日本の医療技術の進展が阻害され、国民が最先端医療を受けることが不可能になるでしょう。
また、医療機関は「応召義務」(不採算の医療行為でも断ることができない)を背負った上で業務を行なっています。さらに、保険点数で定められてい なくても利用者の安全のために必要な業務、および医療機材(本当に数えきれないくらいあります!)を利用者に価格転嫁することは一切認められていません。 全て医療機関の持ち出しで行なうことを強いられているのです。
このように他業種とは異なる事情が、医療においては存在します。
ですから、あえて私は言いたいのです。昨年度の価格よりも高い公定価格を設定することは、医療機関の疲弊を解消するために必要なことだと思います。医療機関に手厚い待遇をすることは、巡り巡って利用者に手厚い医療体制となって還元されるものなのです。
今回のインフルエンザ接種事業では、「無難に前例通りで済ませたい」のか、「安くすることを主眼にしたい」のか、「医療を発展させたい」のか、という決定権が各自治体に丸投げされてしまいました。
現場からすると、他の医療政策と同じく、国家としての戦略がよく分からない事態になってしまっているのです。