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Vol.23055 令和5年鹿児島ツアー道中記 「時代の風は南から」

医療ガバナンス学会 (2023年3月27日 06:00)


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東京大学大学院法学政治学研究科
原田眞道

2023年3月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

昨年に続いて医療ガバナンス研究所の上先生にお声掛けいただき、鹿児島合宿に参加いたしました。今回のテーマは「海洋国家薩摩」。
鹿児島と言えば明治維新ばかりが注目を集めますが、それ以前に中世から続く「国際貿易港」としての歴史もあります。そこには我が国の内と外とを「つなぐ場所」としての鹿児島の姿があります。
大陸から伝わる人、モノ、そして文化や技術を、海路を通じて受容してきた九州のうち、まず、玄界灘を擁する北部九州は、壱岐・対馬・五島列島を中継地点としながら、東アジア社会圏との活発な交流のうちに発展を遂げました。「漢委奴国王」の文字が刻まれた、かの金印の存在もその証左のひとつです。筆者のふるさと筑前博多も、大陸との交易のなかで都市基盤が形成され、それが今日の繁栄へとつながっています。

一方、南部九州は、鹿児島から奄美・琉球を経て大陸へつながる「海の道」によって栄えました。合宿初日に参禅した大慈寺(志布志市)は、明治以降、廃仏毀釈により苦難の歴史をたどったものの、もとは1340年に創建、中世には京都五山に次ぐ「十刹」に叙せられた名寺です。そこに残された資料や言い伝えからは、志布志が「南の玄関口」となって日本とアジアとをつないでいたことが窺えます。
また、大隅では「薩摩の秘剣」自顕流発祥の地と、そこからほど近くにある道隆寺跡(肝付町)を訪れました。そこでは肝付氏の菩提寺として同家ゆかりの人々の石塔が多く並ぶなか、琉球の僧侶達の無縫塔も連なっており、明・清と日本に両属するかたちで王国としての存立を保っていた琉球にとって薩摩が重要であったのと同様に、薩摩にとっても琉球とのつながりが重要であったことが窺われました。

16世紀の半ば東アジア海域世界は、後期倭寇の活発化や明の海禁政策の緩和、さらにはヨーロッパ勢力の進出によって、大きな変革期にありました。
一方国内では、それまで圧倒的都市力を誇っていた博多が、勘合貿易の終焉や戦国の争乱の影響を受けて、貿易港としての地位を相対的に低下させます。同時期に島津家が、領内各地に形成されていった中国海商の居住地「唐人町」とのつながりを足掛かりに、中国、朝鮮のみならず、東南アジア、さらにはヨーロッパ諸国にまで外交関係を構築し、新しい技術や文化を他藩に先駆けて導入したのは決して偶然ではないはずです。島津家、そして薩摩の人々はその地理的、歴史的条件から、この時期すでに優れた国際感覚を身につけていたのではないでしょうか。グローバル化によってその恩恵と同時にコロナ禍のような試練の中に立たされることともなった我々は、そこから大いに学ぶところがあるように思われます。

ツアー最終日には内之浦(肝付町)のJAXA宇宙空間観測所にも足を運びました。鹿児島は、海洋国家としての国の内外をつなぐ歴史を蓄積し、今日では宇宙とつながっていました。

このほかにも、鹿児島合宿からは多くの学びをいただきました。一人の空手家として、自顕流の稽古のうちに考えたこともありましたが、それは稿を改めて論じたいと思います。
むすびに、島津義秀さま、久崇さまはもちろん、上先生をはじめ、このツアーにかかわってくださった皆様に、心より感謝申し上げます。この学びを日々の暮らしのうちに活かしてまいります。

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