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Vol. 364 無過失補償制度でデバイスラグの解消を

医療ガバナンス学会 (2010年11月27日 06:00)


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井上法律事務所 弁護士 井上清成
2010年11月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

1.九大病院 補助人工心臓の管外れる

2010年9月15日付西日本新聞(夕刊)に、「九州大学病院(福岡市東区)は15日、脳死になった人からの心臓移植を希望して入院中の重症心不全の患者が、補助人工心臓の管(カニューレ)が外れて意識不明の重体となる医療事故があったと発表した」という記事が掲載された。
その後、10月26日付の同紙は、「人工心臓外れた重体患者が死亡/九州大病院」と続報。患者は10月25日に死亡したという。

もともと、9月15日付同紙によると、「9月13日午前11時17分、病棟個室のトイレからナースコールがあり、看護師が駆けつけたところ、出血して意識がない状態で倒れていた」らしい。
詳しい事故原因は必ずしもはっきりしていないが、同様の事故は九大病院では初めてで、全国では4例目とのことである。

2.「なぜ前世紀の遺物をいつまでも」

この補助人工心臓は、製造承認が20年前の「国立循環器センター型」(国循型)と呼ばれる対外型であった。
海外の医療機器をめぐる環境は日進月歩であり、これまでに人工心臓約20機種が製造・販売されている。ところが、国内で承認されているのは今もって国循型を含めた2機種しかない。
我が国では人工心臓も明らかに「デバイスラグ」の状態にある。「ドラッグラグ」と同様の状況だといってよい。

再び9月15日付同紙に戻ると、次のようなくだりがある。
「問題が起きたのは体内の装置とポンプとの間に血液を流す長さ約30センチのカニューレで、ポンプとカニューレの接続部分が外れ、そこから出血していた。接続部分は2本の結束バンドで締め付ける方式で、バンドは2本ともカニューレについたまま外れていたという。ポンプはこぶし大で、患者は通常、首からつり下げた胸の前の袋にポンプを入れて移動する。ただ、ポンプはさらに小型冷蔵庫ほどの大きさの空気圧を送る対外装置と約5メートルのチューブでつながっており、患者の移動範囲は室内などに制限される。」

海外の医師には、このような我が国の置かれた状況を厳しく批判する者もいるらしい。10年3月22日付朝日新聞「Globe」によると、ドイツ北部バードユーンハウゼンにある心臓病センターの専門医、ラティフ・アルソグル氏は、国循型の補助人工心臓に対して、「『なぜ、前世紀の遺物をいつまでも使うのか。早く博物館に飾るべきだ。』と手厳しく批判した」とのことである。

こうして見ると、九大病院の事故はデバイスラグの結果、起こるべくして起こってしまったやむを得ない有害事象だと思う。その意味で、我が国の厚生労働省も含めた国家的なシステムエラーの結果の一つだと評してもよいかもしれない。

3.デバイスラグの発生要因

11月13日に東大医科学研究所の講堂で開催された「現場からの医療改革推進協議会」第5回シンポジウムで、村重直子医師より、ラグ問題に関する発表があった。それによると、「日本には無過失補償・免責制度がない」ことがデバイスラグなどの発生要因だという。
患者の置かれた状況について、村重氏は次のように指摘している。
「重篤な後遺障害に苦しみ、さらに訴訟しなければ十分補償されない。メーカーにとっても、リスクが高すぎる。日本では開発できない。輸入できない。医学の進歩の恩恵にあずかることができない。医療者にとっても、リスクが高過ぎる」

極めて正当な認識ではないだろうか。我が国の訴訟リスクは高過ぎるのである。もちろん、ここでいう「リスクの高い訴訟」とは、医療過誤訴訟と製造物責任(PL)訴訟のことにほかならない。
海外の先進各国もかつては、今の我が国と同じであった。しかし、訴訟リスクのもたらす委縮などの弊害を反省し、徐々に無過失補償制度を各国の実情に合わせつつ、導入していく。そうしてでき上がった無過失補償制度は、アメリカ型、フランス型、ニュージーランド型、スウェーデン型など、各国の諸事情に合わせてまちまちである。ただ、いずれも無過失補償制度の名に値するものであり、医療過誤訴訟やPL訴訟を遮断している。このように、一律にする必要はなく、国情に応じてまちまちでよい。
ちなみに、我が国の産科医療補償制度も無過失補償制度といわれることもあるようだが、無過失補償制度の名に値しない。訴訟を遮断するものではないからである。

4.真の訴訟リスクは風評被害

ところで、真の訴訟リスクは、必ずしも敗訴のリスクではない。実は、風評被害である。報道被害といってよいかもしれない。
一般に報道が最も過熱する時期は、刑事ならば逮捕から起訴まで、民事ならば医療過誤訴訟やPL訴訟の提起のときである。それ以降は報道が急速に冷めていく。刑事ならば多少は続報もあるが、民事だとそれもないに等しい。
例えば、2年後に医療者や製造業者が勝訴判決を得ても、取り上げるメディアはまずない。仮に報じたとしても、加熱した第一報のことなど、皆が忘れている。

つまり、一般人は、民事訴訟の提起時の報道で悪イメージを植え付けられ、そのまま脳裏に定着させてしまう。これこそが由々しき風評被害であり、報道被害である。
今年の3月8日、財団法人化学技術戦略推進機構の日吉和彦氏は、「医療機器産業参入への道」というテーマの講演で、会員企業の声として、技術も資金もある化学・電機電子産業の大手企業は「万一のとき、会社全体をPL風評被害にさらすリスクを冒す気はない」と紹介したらしい。「PL法またはPL訴訟が怖いのではなく、報道されて社名が傷付くのが嫌なのだ」ということである。

このような観点からしても、デバイスラグ解消のためにはやはり、無過失補償制度の整備が必要であろう。訴訟を根絶やしにすれば、それこそ医療事故の報道も大幅に減っていく。そうすれば、報道被害もなくなるだろうからである。

(月刊『集中』2010年12月号所載「経営に活かす法律の知恵袋」第16回を転載)

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