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Vol. 374 医師の自律(その1/2)

医療ガバナンス学会 (2010年12月10日 06:00)


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小松秀樹
2010年12月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


【二つの立場】

最近の10年間、日本の医療は大きな試練に直面した。その中で、医師の自律について議論されるようになった。医療の質・安全戦略会議で、自律について、 理念を重視する立場と、現実を重視する立場の意見の違いが明確になり、論争があった。この対立構造は、最近数年間の医療をめぐる様々な論争に共通するもの だった。

第一の立場は、理念としての医師の自律を研究するものである。元臨床医、あるいは、臨床に携わっていても第一線から少し身を引いた立場の医師で、医療倫理学、公衆衛生、医療管理学などに専門を変更した研究者が中心になっていた。
研究者たちの考え方の中核には、西欧のprofessionの理念があった。理念からの演繹で制度を考えると主張していた。実際には、西欧の制度や文言 をそのまま持ち込もうとしているように見えた。しかし、professionの概念が歴史的に形成され、変質し、状況によっては衰退していくという感覚を 欠いていた。実際に、西欧でも医師の処分制度は国によって大きく異なる。それぞれの国の歴史が影響していることは間違いない。一説によれば、倫理は、個人 や集団の生存確率を最大化する戦略が長期間にわたって燻習されることで形成される[1]。少なくとも、倫理や理念は先験的に存在するものではない。

議論では、イギリスを中心にヨーロッパの制度が取り上げられることが多かった。イギリスのGeneral Medical Council(GMC)は、医師の卒前・卒後教育の監視と調整、医師の登録、医師の規範の作成、医師の適性審査と処分を担っている[2]。GMCは、 Shipman医師による連続殺人事件を契機の一つとして社会の介入を受け、厳罰化の傾向を強めてきた。しかし、Shipman事件は、医療の問題ではな く特異な人格の個人による特殊な犯罪である。GMCの現状を自律の終わりが始まったと表現するイギリスの医師もいる。Lancetランセットによれば、イ ギリスの医師の士気は「壊滅的瓦解catastrophic collapse」状態にある[3]。GMCの活動が医療提供体制を脅かす要因になっている可能性は否定できない。

自律を議論する上での第二の立場は、現実問題を起点とするもので、医療現場の第一線の臨床医がこの立場をとった。現実の医療事故や事件への対応を考える 中から、医師の自律についても議論されるようになった。西欧の理念も参考にはされたが、日本の現実が思考の出発点になった。どこからも金銭的援助を受けず に、インターネットを主たる通信手段として議論を深めた。当然ながら、厚労省も批判の対象とした。
研究者たちは、「10年後の医療の質保障のあるべき姿」を提言しようとした。10年後という文言によって日本の歴史や実情を思考の外に置いた。現場の医 師の意見を系統的に聞く過程を経ないまま、翻訳を主たる作業として提言の作成を急いだ。私は、この議論を聞いていて、ブレーキのない自動車のような危うさ を感じた。
これに加えて違和感を覚えたのは、自律を議論していたにも関わらず、厚労省から研究費が交付され、自律の議論に不可欠と思われる厚労省による医師に対す る制御の在り方が、議論の対象にならなかったことである。背景に大きな流れがある。2007年前後より、「医療事故調査委員会」が大きな論争になった。厚 労省は、関連した実務的問題を検討するために、一連の研究班を立ち上げた。院内事故調査委員会、届出(医療機関から医療安全調査委員会への届出、医療安全 調査委員会から捜査機関への届出)判断の標準化、処分を受けた医師の再教育プログラムなどについての研究班である。いずれも、研究というより規則案の作成 が求められていた。院内事故調査委員会の研究班は意見の対立のために合意に至らなかった[4]。再教育プログラムの研究班では、私も研究費の交付を受けず に協力していたが、驚いたことに厚労省の意向で、突然、中断された。一連の動きをみると、医師の自律の性急な方向付けが、厚労省の周到な意図に沿ったもの だった可能性は否定できない。

以下、最近10年間の動きを経時的にまとめて、それを基礎に医師の自律の問題を議論したい。

【危機顕在化のきっかけ】

1999年の二つの事件をきっかけに、日本の医療が激動期に入った。

1999年1月11日、横浜市立大学附属病院で、心臓手術が予定されていた患者と肺の手術が予定されていた患者が手術を行う際に取り違えられて、それぞ れ本来行うべき手術とは異なる手術が実施された。執刀医ら医師と患者を運んだ病棟看護師、手術室看護師が刑事訴追され有罪になった。
患者確認のシステムがない中で、一名の看護師が二名の患者を運ぶという無理な状況で事故が発生した。病院の報告書では最終的にシステムの不備が原因とされたが[5]、事情を知る人によれば、当初、当事者個人を罵る上司もいたという。

同年2月10日、都立広尾病院で左手中指の手術を受けた患者が、抗菌薬の点滴静注を受けた。点滴ルートを温存して何度も針を刺されないようにするため に、看護師が、血液の凝固を防ぐための薬剤「ヘパリン生食」を点滴ルートに注入した。患者は意識不明になり2時間ほど後に死亡した。その後の調査で、死亡 原因は、同じサイズの注射器に入れてあった消毒剤「ヒビテングルコネート」が誤投与されたためだと判明した[6]。
この事件では、同じ場所で同じような注射器にヘパリン生食数本とヒビテングルコネートが準備され、準備した看護師とは異なる看護師がこれを使用した。システム上の問題が主たる原因だったが、看護師が業務上過失致死で有罪になった。
病院側は事故直後から、消毒剤の誤投与の可能性を強く疑っていた。しかし、この事件を隠蔽しようとしたと解釈されるような行動をとった。院長は、警察へ の届け出を一旦は決意したが、東京都病院事業部副参事の反対を受けてこれに従った。死亡診断書の死因の欄には、当初は、不詳、その後、病死と記載された。 医師法21条の異状死体届出義務違反で有罪になったことについてはさまざまな議論がある。しかし、東京都副参事、院長の行動には明らかに問題があった。と くに、院長が都庁の事務官に従ったことは大きな問題である。副参事を無罪、院長を有罪とする裁判所の判断は、医師の判断は医学と自身の良心に基づくべきで あって、事務方の事情に基づく判断に従うべきではないという強いメッセージとなった。
この両事件を転機として、医療機関と医療従事者を非難する立場からの事故報道の件数が大幅に増えた。

【混迷】

当時、国民、メディア、司法、行政、病院管理者、病院開設者、医療従事者のそれぞれに固有の問題があった。それぞれの当事者が自らの問題を理解していな かった。このため医療は混迷期に入った。状況を最も知っているはずの医師も、メディアと刑事司法の攻撃に混乱していた。状況を俯瞰できず、ときに、混乱を 増幅するような対応をした。
事故が大きく報道されると、病院の存続にかかわる問題となる。開設者や管理者は病院を守ろうとする。これが報告書の内容に影響を与える。1999年から 2006年頃にかけて、医療事故に対するメディアの報道が加熱した時期に、院内事故調査委員会が、事実の調査より、病院を守ることを優先しているように見 えることがあった。病院管理者が病院の正当な利益を放棄したり、雇用している医療従事者の権利を著しく損ねたりすることがあった[4]。
警察捜査による影響も加わって、院内の信頼関係がなくなり、病院の運営に支障をきたすことまであった。

2001年、東京女子医大病院で12歳の女児の心臓手術中に、人工心肺装置が脱血不良で機能せず、患者が2日後に死亡した。この事件では、講師が証拠隠 滅で有罪になった。人工心肺装置を操作していた佐藤医師は、業務上過失致死で起訴されたが、本人に責任がないとして無罪が確定した。
東京女子医大は、院内事故調査委員会を秘密裏に立ちあげ、当該医療の専門家が関与しない中で、佐藤医師の人工心肺の操作に過誤があったとした[7]。佐 藤医師には当初この報告書の内容は知らされなかった。後日、この報告書の内容に同意しなかった佐藤医師には、病院からさまざまな圧力がかけられたという。 病院の作成した報告書をきっかけに、佐藤医師は逮捕起訴され、心臓外科医としてのキャリアを奪われた。冤罪事件ともいうべきこの事件では、多くの二次的紛 争が発生した。東京女子医大と調査委員会の委員は、佐藤医師から損害賠償を求められた。

2002年8月、名古屋大学は、腹腔鏡手術での大動脈損傷による死亡事故が発生した直後に、患者側弁護士を含む調査委員会を立ち上げた[8]。これによ り、刑事事件化の阻止と、病院の信頼の保全という目的を達成した。名古屋大学の対応は、民事で一切争わないことを前提としたものだった。この対応は喝采を 受け、「外部調査委員会」は一種のブームになったが、前提が異なると大きな弊害を招くことがあったはずである。
外部調査委員会はメディアスクラム発生に対応する形で立ち上げられることが多い。メディアは、外部調査委員会を、水戸黄門的な「超法規的裁断を行う正し い権威」として、評価する傾向がある。メディアスクラムに対応するという設置時の状況が委員に影響して、委員会の判断が、病院や医療従事者に過度に厳しい ものになりがちとなる。このため、患者側弁護士はしばしば外部調査委員会の設立を働きかけ、過失判定をめぐる議論の場にしようとする。これは同時に、弁護 士に経済的メリットをもたらす確率を高めるのではないか。「超法規的裁断を行う正しい権威」は、民主主義にはなじまない。しかも、裁判所のような権限と制 度を持っていないため、公平性を担保するのが困難であり、紛争を扱うのに適していない。

2002年11月、慈恵医大青戸病院で腹腔鏡下前立腺全摘術を受けた患者が、その1ヵ月後に死亡した。手術を担当した医師3名が2003年9月に逮捕さ れた。この事件は、メディアスクラムが最も顕著だった事件である[9]。青戸病院と大学はいくつか報告書を作成したが、大学は、青戸病院の報告書の事実に 関する記載に基本的な変更を加えることなく、患者の死亡原因を、輸血の不備による死亡から、医師の手術ミスに変更した[10]。この事件では3名の医師の 有罪が確定した。

私は、この事件について検討し、患者の死亡原因は輸血ミスが4件重なったためだったと確信し、二冊の著書で詳細を述べた[9,10]。輸血ミスは輸血体 制と教育の不備による。慈恵医大の輸血体制整備の責任者が大学事故調査委員会の委員だったことも、公平な議論の妨げになったのではないか。
この事件の背景には、新奇医療に走りがちな学会、大学病院、文部科学省の体質があった。メディアは新奇医療技術をもてはやし、国民もこれに追従した。実 は、この手術の日本におけるパイオニアの一人が、この事件に先立って、慈恵医大の第一例目の手術を実施した。この事件と同程度の出血があり、他にも重大な 術中合併症が生じた。幸い、適切な輸血で患者は死亡しなかった。
このパイオニア医師は慈恵医大の手術について非難したが、非難は彼自身にも当てはまることだったかもしれない。彼を含む当時のパイオニアの何人かは、この手術に習熟していなかった時期に、しばしば勤務先以外の病院でこの手術を実施していた。

開設者と管理者の間で紛争を生じた例もある。2001年に起きた三宿病院事件では、開設者が、管理者に対し、医療事故は管理者の義務懈怠が原因であり、 かつ事故後の対応に不備があったとして、懲戒処分を科した。さらに、医療事故検討のための外部委員会を設置し、その検討結果をインターネット上に公開し た。私は、これらの対応は、開設者が適切な対応をとっていることを社会に示すことで、病院を風評被害から守ろうとしたためだと想像している。あるいは、開 設者の意思決定機関の構成員が、社会や組織内における自分たちの立場を守ろうとしたのかもしれない。

当該医療に直接的な関係のない外部委員は、社会における自分の立場をよくする方向に判断が流されがちになり、しばしば、患者や遺族の慰謝を目標とする。 これが予断を生む。実際、この外部委員会は、開設者から提供された資料だけに基づいて検討するなど、調査の進め方に適切性を欠くところがあった。
三宿病院の管理者は、開設者側に事実誤認と名誉毀損があったとして損害賠償を求めた。この二次的紛争では、開設者に賠償金の支払いを命ずる一審判決が出 た。双方が控訴したが、裁判所は、管理者に対する処分は管理者の立場に対するもので、過失に対するものでないとし、開設者が管理者に対して、不適切な処分 を遺憾とする意を表することで和解が成立した。

【転機】

2006年2月の福島県立大野病院事件での医師の逮捕を機に、現場の医師が刑事司法に対し、公然と反論するようになった。2008年8月、大野病院事件 の無罪確定で警察・検察の方針に明らかな変化が見えるようになった。医師が刑事司法に対し、暫定的な勝利を得たともいえる。
大野病院事件では癒着胎盤への対応が問題になった。癒着があると判断されたときに、即座に子宮摘出を行わないといけないとすれば、子宮摘出の数は相当数 増える。子宮がなくなることによる弊害も大きいし、子宮摘出による合併症もある。判決は、このような状況で、剥離を継続した症例と、剥離を止めて即座に子 宮を摘出した症例を比較すべきだとしたが、そのような症例は検察側、被告側、いずれの証人からも提示されなかった。臨床経験豊富な産科の専門家が、同様の 状況で、実際には、胎盤剥離を中止していないと証言したことから、「胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできない」として、無罪が言い渡され た。

従来、司法は、医療についてのレイマン(素人)である裁判官が注意義務違反を認定して、業務上過失致死傷罪を成立させることに、意義を認めてきた。大野 病院事件の判決において裁判所は、予見可能性、結果回避可能性を認めた上での結果回避義務の有無を、実情からの帰納で判断しようとする態度を鮮明にした。
大野病院事件の判決の正当性の裏づけは、刑法211条の注意義務の解釈ではなく、刑法35条の「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」とする方が合理的に思える。当該専門分野の実情の精査が「正当な業務」を決める。

* 本稿は『日本臨床麻酔学会誌』Vol.30, No.7に掲載されたものです。

<文献>
[1] 大井玄:「環境世界と自己の系譜」.みすず書房, 2009.
[2] General Medical Council http://www.gmc-uk.org/
[3] Editorial: The unspoken issue that haunts the UK general election. Lancet, 365, 1515, 2005.
[4] 小松秀樹, 井上清成:「院内事故調査委員会」についての論点と考え方. 医学のあゆみ, 230, 313-320, 2009.
[5] 横浜市立大学医学部附属病院の医療事故に関する事故調査委員会:報告書. 平成11年3月.
[6] 都立病産院医療事故予防対策推進委員会:都立広尾病院の医療事故に関する報告書. 検証と提言. 平成11年8月.
[7] 佐藤一樹:被告人の視点からみた医療司法問題の実際. 診療研究, 447, 5-15, 2009.
[8] 名古屋大学区医学部附属病院医療事故調査委員会:医療事故調査報告書. 平成14年10月18日.
[9] 小松秀樹:「慈恵医大青戸病院事件 医療の構造と実践的倫理」 日本経済評論社, 2004年9月5日.
[10] 小松秀樹:「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か」 朝日新聞社, 2006年5月30日.

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