最新記事一覧

Vol. 373 「無償の労働」が埋めている医療の受給ギャップ

医療ガバナンス学会 (2010年12月9日 06:00)


■ 関連タグ

医師の重労働は職責をはるかに超えている

武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田 智裕

※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/

2010年12月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


以前、このコラムで、奈良県立奈良病院の産婦人科医師2人が時間外手当の支払いを巡って奈良県を訴えた裁判について取り上げました(「医師は非番でも飲酒禁止?」)。
11月16日、高等裁判所でこの裁判の二審判決が下されました。判決内容は、一審判決を支持するものでした。
これにより、医師の「当直業務」は通常業務と認められ、時間外手当の支給が認められたことになります。奈良県のみならず全国の病院に与える影響は大きいでしょう。

被告側の奈良県医療政策部長は、「交代制勤務の対応も必要となるが、医師不足の折、直ちに実施することは不可能であり、夜間や休日の診療を継続することが困難になる」とコメントしました。
「医師不足だから、多少の過重労働は仕方がない」という理屈はもっともらしく聞こえます。「夜間休日診療を維持するために医師に頑張ってもらうのはやむを得ない」と思う人もいるもしれません。

ところが不思議なことに、奈良県の医師求人の特設ホームページを見ても、奈良県立病院は医師の募集を行っていません。募集されているのは、コストが通常の医師の3分の1から2分の1で済む研修医のみです。
奈良県側は「医師不足」を理由に時間外手当の支払いを拒んでいましたが、実際には医師を増やそうとはしていないのです。
結局は医療財源不足が本質的な理由で、医師も増やせないし、時間外手当も払えないということなのでしょう。

■ 医療価格を抑えたために医療の供給が追いつかない

現在、医療に対するニーズは極めて多様化し、そして膨張しています。
「夜中におなかが痛かったのに、時間外だという理由で診察を受けられなかった」「平日は勤めがあるので土日に診察してほしい」「待ち時間が長い」 など、10年前であれば間違いなく「患者のわがまま」の一言で片付けられていたようなニーズにも、医療機関は応えなければなりません。
とはいえ、既存の医療機関のほとんど(私のクリニックも含めて)は、こういったニーズに100%応えられてはいません。
なぜならば、限られた経営資源で24時間対応できる体制をつくり、患者がいつ来ても待ち時間が少なくなるようなスタッフの人員を確保しておくことは不可能だからです。

経済の原則にのっとれば、「需要」と「供給」は市場原理により拮抗するはずです。でも、国民皆保険のもとでは、公定価格が引き上げられない限り、日本の医療価格が上昇して均衡点に達することはありません。
多様化、そして膨張する利用者のニーズに、現在の医療が答えられていない(供給が追いつかない)状態を図に表すと以下のようになります。

http://expres.umin.jp/mric/img/mric_2010vol372.jpg

需要が増大しているのにもかかわらず医療価格が引き上げられないために、図のオレンジ色の幅の部分の需給ギャップが解消されていないのです。
医療費を現場の要求に応じて増大させることが可能であれば、需給ギャップは解消されていくはずです。毎回選挙の度に、医療費増額が叫ばれます。ところが土壇場で急に舵を切るかのように、医療費増額は実現されないのです。

■ 「無償の労働」でニーズに応えようとしているのが現状

日本の医療費がOECD平均よりも低いのは今に始まったことではなく、10年前と同じであるという意見もあります。医療に対する需要(要求)が10年前と同じならば、そういう理屈も成り立つでしょう。
しかし、現在の日本においては、質の高い医療サービスを受けて、助けてもらうことが、誰にとっても当然の権利となっています。
多様に膨張する利用者のニーズを否定し、10年前のように、医療は「いざと言う時の特別な救済」だと国民に受け止めてもらうことは不可能でしょう。

そのため現時点では、医療の需給ギャップは、医療従事者の「自己犠牲」と言っても良い職業意識による「無償の労働」で埋めようとする努力がなされています。
冒頭の奈良県立病院は、判決後に「今年7月に労使協定を結び、時間外労働は年間1440時間まで可能、事情があればさらに360時間延長できる」とコメントしています。
仮に年に1800時間の時間外労働があったとすると、それは1カ月当たり150時間(!)の残業を意味します。「協定を結んだから、過労死基準の2倍近くの労働時間を医師に課して良い」とする考え方は、私にはとても正気の沙汰とは思えません。
また、やむにやまれず、そうしなければならないのであれば、医師募集が大々的に行われていないのもおかしな話です。

■ 医師を増やせないのなら、せめて医師の待遇改善を

患者には、良質の医療を受ける権利が間違いなくあります。そして医師は、患者が良質な医療を受けられるようにベストを尽くす義務があります。
しかし、その義務を果たすためには、「健康に働き続けられる労働環境」が必要となります。労働環境を整備するのは国家の義務です。しかし、国家は医師に対してその義務を果たしていない状況なのです。
現状では、医師の職責に期待される限度をはるかに超える負担が、医師にかけられ続けています。

医師不足というならば、せめて医師の募集くらいはすべきです。さらには、医師でなくてもできる仕事(例えば事務仕事など)は原則的にすべて事務方が行うなど、医師の勤務時間そのものを減らす工夫と努力は、すぐにでもできるはずです。

日本では、各都道府県に最低でも1校は医科大学が配置されていて、医師の数は毎年3500人純増しているのです。だから本当は医師が不足しているわけではありません。
医師を補充する予算がないというのなら、せめて医師の待遇を改善しないと、医療崩壊は進んでいく一方なのではないでしょうか。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ