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Vol.23158 カレル大学 数学と医学の交差点

医療ガバナンス学会 (2023年9月5日 06:00)


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カレル大学 第一医学部医学科
村澤玖宣

2023年9月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

初めまして、医療ガバナンス研究所でインターンをさせていただいている、村澤玖宣です。
私は、チェコのプラハにあるカレル大学第一医学部 (The first faculty of medicine, Charles University)に在籍しています。

本年、カレル大学一行は国際交流の一つとして、東京医科歯科大学さんを訪問し、将来的な連携を視野に入れた意見交換会を行いました。カレル大学は、東京医科歯科大学さんを始めとして、日本の多くの大学と提携や交流を深め、各分野の国際的発展を視野にいれたアカデミック面のグローバル化を急速に進めています。

そんなカレル大学に所属する私は先日ご縁があり、インターンの一環として、上昌広先生と東京医科歯科大学M&Dデータ科学センター長の特任教授である宮野 悟先生とのご会食に同席させていただきました。
お話の中で宮野先生とカレル大学とで意外な接点があったのでご紹介させていただきます。
宮野先生が研究をされている時代から、特に先生のご専門でもあられる数学や物理学などの研究分野は世界の中でもトップクラスだったようで、「私が最初に論文を執筆したときに参考にした人がチェコ人で、君と同じカレル大学の研究者のIvan M. Havelだったんだよ。しかもその人は元チェコスロバキア大統領であるVáclav Havelの弟だったんだ。」とおっしゃりました。私は宮野先生とカレル大学とのこのようなご縁を知りました。
実際に、現在でもチェコ国内において、Václav Havelさんは有名です。彼は、知識人の反対勢力派を集め「市民フォーラム」を結成し、共産党体制の打倒(ビロード革命)の中心となった人物です。ビロード革命後の1989年12月に連邦最後の大統領に選出され、チェコスロバキア解体後の1993年1月に新たに成立したチェコの初代大統領に就任し、2003年に退任しました。その後、75歳で2011年12月18日に亡くなられました。その後、チェコ政府は国葬を決定し、同月の21日から23日の服喪の間、棺は国旗に覆われた状態でプラハ城に安置されました。現在は、プラハにあるヴィノフラディ墓地に埋葬されています。
彼の功績を讃えプラハにあるチェコ最大の空港の名前はVáclav Havel Airport Pragueと呼ばれています。
歴史を顧みても、設立から現在に渡るまでカレル大学は、心臓の伝達系の神経繊維組織の発見を始めとして医学界で名の知れたプルキニェ先生を始めとして数多くの著名なノーベル賞受賞者、研究者の方々を輩出しています。また、かの有名なアルベルト・アインシュタイン先生も大学で教鞭をとられていました。実際、第一医学部には、Purkyně instituteがあり、私も一年生の時に組織学を学ぶ際に利用していました。その建物はアルベルト・アインシュタイン先生の名前にちなんだAlbertov streetに位置しています。

近年のカレル大学第一医学部は、より一層国際交流に力を入れており、留学生向けの医学部英語プログラムを1994年に設立し、日本と同じ6年制で授業を行なっています。約50ヶ国から、毎年約150〜200名の留学生が入学し、全学年合計で約800名の学生が在籍しています。その中に、日本人は私を含めて約30人ほど在籍していて来年日本人第一期生が卒業する予定です。
また、カレル大学の哲学部には日本学科があり、日本文学・日本文化の研究が盛んなため、日本の大学との交流も幅広い分野で行なっています。
ここまでカレル大学の国際交流に尽力しているのは、同大学繁栄までの長い歴史的背景にあるようです。
カレル大学は1348年に神聖ローマ皇帝カレル4世によって設立されました。モデルとなったのはボローニャやパリの大学であり、瞬く間に国際的な名声を獲得しました。当初は、神学、リベラルアーツ、法学、医学の4学部がありました。チェコの学術界の地位は、カレルの息子であるヴァーツラフ4世の時代に強化されました。
当時は、宗教改革者ヤン・フスが学長を務めていました。その後の社会的・政治的革命により、大学は教養学部(Facultas artium liberalium)1学部のみに縮小され、後の宗教改革アカデミーの原型となりました。 ハプスブルク皇帝ルドルフ2世は、プラハを文化的な大都市に変え、大学は宮廷とともに栄えました。
17世紀初頭、ハプスブルク家の反体制運動に参加したプロテスタントのチェコ諸侯の強い政治的影響下に置かれました。 戦争の結果、教育機関は根本的な変化を遂げ、カレル=フェルディナント大学の一部となりました。(この名称は1918年まで存続)。フス派以前の4学部はすべて復活し、大学は現在のように国営の教育機関に生まれ変わりました。そして1882年、チェコ民族復興が頂点に達したとき、プラハのカレル=フェルディナント大学はチェコ語とドイツ語の2つの機関に分割されます。
20世紀に入る頃には、どちらの大学も高い学術水準を維持していました。ドイツ語で行っていた同大学の大学教授の一人には、先ほども触れさせて頂いた、かの有名な理論物理学者のアルベルト・アインシュタインがいました。それだけではなく、チェコ語で行っていた同大学の教授陣には、民族解放の過程で重要な役割を果たした尊敬すべき人物が含まれており、とりわけ1918年にチェコスロバキアの初代大統領でありマサリク大学創設者となったトマーシュ・G・マサリク教授が有名です。
カレル大学(独立後のチェコの大学の名称)は、世界的に権威のある学術研究機関と肩を並べるほどの成果を上げました。そして、その使命を自覚し、学術協力を育み続け、現在にいたるまでヨーロッパおよび世界の幅広いプログラムにおいて重要な役割を果たしています。

まだ私はカレル大学で学び始めですが、このような名高い先輩たちの功績を胸に、今自分自身が学んでいる医学の分野で世界的に認められる研究を将来的にできるよう、他分野に目を向け学習していこうと思います。

改めまして、今回、同行させてくださった上先生、貴重なお話を賜りました宮野先生に感謝の意を表します。
Reference:
1.https://cuni.cz/UKEN-106.html
2.https://juken.y-sapix.com/articles/19459.html
3.https://cuni.cz/UKEN-106.html

《著者経歴》
高校卒業後、Institute for Language and Preparatory Studies, Charles Universityを経て、カレル大学 第一医学部医学科 (The first faculty of medicine, General medicine, Charles University)に入学し、現在に至る。

 

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