医療ガバナンス学会 (2023年9月11日 06:00)
クリニック勤務助産師
海野 詩音
2023年9月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
ロビンさんの評判を聞いたのは、25年前にさかのぼる。私はリストラをきっかけに 30歳 を過ぎて、助産婦を目指した。看護学校、助産婦学校に通いながら、夏休みは、バリに飛び、 バリ舞踊やガムランにひたった。借金してでも、バリに飛んだ。バリ島芸術に魅せられてい たから。陰と陽、善と悪の終わりなき戦いというバリの世界観が舞踊や絵画に描かれる。ウ ブドの安宿に滞在中耳にしたのは、とても穏やかなお産を介助する助産婦さんがいる。赤ち ゃんが生まれて胎盤が出ても、臍の緒を切らず胎盤とつながっているため、赤ちゃんが穏や かだと。この噂を、何人からも聞き、ぜひその助産婦さんに会ってみたいとの思いが募った。 2008年にやっと会えた。友人がバリ人と結婚し、ウブドに住み、赤ちゃんに恵まれた。彼 女が、乳腺炎になった時、駆けつけて無償でケアをしたのがロビンさんだった。彼女から助産院の場所を聞き、訪ねて行った。
日本から会いに来たと告げると、『私オキナワに住んでいたのよ』と、予想もしなかった 意外な反応。当時私は東京に住んでいたが、バリと同じくらい沖縄にも惹かれていた。ガムランの響きは琉球音階に聞こえる。キジムナー(妖精)がいそうな、がじゅまるの森がバリにもある。正装し、花や線香のお供えを捧げる女性に、ウタキで祈る沖縄のノロさん(神職)を連想してしまう。ロビンさんは、海兵隊員のお父さんと家族で、沖縄に住んでいた。当時10 歳。美しい浜辺にタツノオトシゴが落ちていた、琉球ガラスの素晴らしい職人がいたと語る。 時はまさにベトナム戦争。嘉手納基地からB29が飛び、沖縄は悪魔の島と呼ばれていた。 ロビンさんのお父さんも戦争のPTSDに苦しみ、彼女は反戦家になったという。
当時のブミセハット助産院は、掘っ立て小屋と言ったら失礼だが、水中出産のためのバス タブ付きの小さい部屋が2つ、診察したり、お産後の女性が横になって休む簡素なベットが 2つ並んだだけの部屋が1つ。月に70 件のお産があると聞き、耳を疑った。おそらく、お 産当日や翌日に帰る人が多いのだろう。水中出産のバスタブに花を浮かべ、赤ちゃんを抱き 幸せいっぱいの笑顔の女性の写真を見た。赤ちゃんのへその緒が乾燥してとれるまで、胎盤 は塩漬けにし、花がたくさん盛られたお盆に入っている。へその緒の血流が拍動している間 は胎盤から赤ちゃんに必要な栄養と酵素などが供給されるため、臍帯切断の時期を遅延す るよう、米国産婦人科学会は 2017 年に委員会声明を改訂した。日本は、早産児には推奨さ れるが、正期産児には黄疸の問題があるので検討中である。
ロビンさんの助産院は村人みんなの駆け込み寺のよう。怪我をした人、老眼鏡が必要な人、 あらゆる人にケアを届ける。貧しい人には食料を提供する。さらに、地震やハリケーン等気 候危機で自然災害は増えるいっぽう。島外へも救援活動に向かう。これら被災地の救援活動、 妊婦健診、お産の介助、産後のケアをすべて無償で行い、世界中からの寄付で財団が運営さ れている。ロビンさんは寄付を募る目的で 2018 年に来日し、東京、京都、川崎で講演をし た。2019 年には、日本の助産師、ドゥーラ、お産に関わる人のための研修が、新しく建て 替わった助産院で行われた。研修中に、気候危機の講座があったが、正直、私は、アジア太 平洋地域に住む人々にとりどれだけ切実で深刻な問題であるか、理解していなかった。より 地球に負荷をかけているのは我々先進国に住む人間なのに。
自然災害により一瞬にして、住む家をなくす、お産が近づいているのに、屋根がない、食べ物もない、そんな状況を自分ごととして、想像できるか?『クレイジーでないと助産婦はできない』とロビンさんはいう。朝から晩まで、お産は待ったなしである。彼女はなぜ、そこまで過酷な人生を選んだのか?フィリピン人の祖母は伝統的な産婆で、村中みんなをお世話してまわったらしい。そのスピリットを受け継いでいるのだろう。また、米国に住む妹さんが、妊娠中、高血圧で昇圧症状もあったのに、病院で診察されずに帰され、母子ともに命を落とすという悲劇に見舞われた。妹さんの夫は韓国人で、アジア人に対する差別もあっ たらしい。ロビンさんは、この時、憎しみに生きるより、愛のために生きたいと誓い、助産 婦になったという。
ICM には世界 130 ヵ国から 2600 人の助産師の参加があった。開催国のインドネシアに は多様な島々の文化があり、ガムランや舞踊、優れたエンターテイメントで、参加者を喜ば せた。ロビンさんは、被災地での助産活動や、ドゥーラと協同する優しいお産について講演 した。ロビンさんの助産院で帝王切開が必要な搬送率は 3%以下と非常に少ない。ニュージ ーランドの助産師主催で、『pacific mother』という映画の上映があった。なんと、太平洋諸 島の美しい海から、沖縄や福岡へカメラは移動する。沖縄出身のフリーダイバーの女性が納 得のいく産み場所を探していた。不必要な医療介入をできるだけ避けたい、水中出産がした いという望みが沖縄では叶わないのか?開業助産師の助言で、ニュージーランドなら、彼女 の希望が叶うのではと、海を渡り、自宅で水中出産を叶えることができた。
ニュージーランドには LMC 制度(継続ケアの保障。医療システムから自律した、産婦のプライマリーケアに関する責任者制度)があり、女性が、自分のお産のパートナーを、医師にするか、助産婦にするか選べる。助産婦を選ぶ人がほとんどらしい。その助産婦が、妊婦健診、出産、産後のケアを継続し切れ目なくサポートする。産み場所も、自宅、病院、バースセンターと、女性が選べる。その費用はすべて無償。つまり国をあげて女性の選択と意思決定を尊重する支援が保障されている。日本はどうか。助産院で医療介入の無い自然なお産 を選ぶことができた人は全出産の 1%だと言われている。コロナ禍で、さらに根拠のない医 療介入が増えた。
福岡のシーンでは、二人めを身ごもった女性が、母から2代目の助産院を経営する助産婦を訪ねる。この助産婦が昔の産婆は偉かったと語る。つまり今、日本の助産師は医療のヒエラルキーの中で医師の顔色をうかがい、不必要な医療介入から女性を守れていない、とい う意味だろう。台湾では自宅分娩が 1%,イギリス 4%.オランダはかつて 30%だった。世界 の出産事情に触れ、日本の助産力の衰退と、女性に選択と意思決定が保障されてないことを 思い知った。ジェンダーギャップ指数が 125 位と落ちるいっぽうの国だ。もっと女性の声 を聞き、女性と共に助産師も声をあげないといけない。