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Vol. 384 朝日新聞「がんワクチン」報道をメディアの姿勢から考える

医療ガバナンス学会 (2010年12月21日 06:00)


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獨協医科大学神経内科 小鷹昌明
2010年12月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


朝日新聞の「がんワクチン」報道に関する見解として、東京大学医科学研究所附属病院は事実誤認、歪曲、論点のすり替え、あるいは捏造の可能性を訴えてい る。本治験に携わっているわけでもなく、がんを専門にしているわけでもない、まったくと言っていい程の門外漢の私(北関東に位置する大学病院に勤務する神 経内科医)ではあるが、こういう疑惑のメディア報道を耳(目)にすると、臨床の現場医師として一言申し上げたくなる。

予め述べておくが、私は、今回のこの一連の作為的な報道とされる事件に関して、真相を知るすべもなく、その立場にいるものでもない。ネットから伝え聞く 情報以上に真実を知る余地はないので、朝日新聞に誤認があるのか、ないのか、その真偽を伝えることはできない。醒めた目で熱く傍観しているだけである。私 の伝えるべきことは、こうした報道を通じて、多くの勤務医師が何を感じ、どんな行動を起こすかということである。

それは、一言で言うならば、「真実はどうあれ、朝日新聞は医療者の日頃の思いというものを考慮することなく、その地雷を踏んでしまった」ということであ る。また、「その報道は、切羽詰まった治験中の、あるいはワクチン治療に期待を寄せるがん患者に対しては、何の恩恵ももたらさない」ということである。

メディアの使命というか、危機への耐性というものは、端的に言えば「政治的弾圧や世間からの風評、他のメディアからの批判、もっと言うなら軍隊やテロリ ストからの恫喝に屈しない」ということである。メディアは、そういうリスクと隣合わせで報道しなければならないということを自覚するべきである。さらに、 新聞メディアの責務は、社会で発生している出来事について、できるだけ多くをわかりやすく、その背景と由来とを説明し、今後の展開をしっかり予測すること である。

そういう意味では、今回の事件について「責任を持って真実を伝えた」という自負はあるのかもしれない。しかし、医療者側からの「捏造」の可能性につい て、徹底的に抗議される可能性を本当に予測していたのであろうか。もし、そうしたことが想定の範囲外だとしたら、大野病院事件から何も学んでいないことに なり、新聞メディアとしては深刻的な危機的状況にあると言わざるを得ない。

医療者は、もうこれまでの医療者とは違う。現在の医療者のほとんどは、「医療崩壊」への道にマスコミが一定の割合でコミットしてきたと認識している。マ スコミの一挙手一投足の報道に対して、真偽の目を向けている。正しい、間違いの問題ではない。「現場の医師はそう思っている」ということである。

これまでメディアは、「患者や被害者側からの告発を選択的に報道し、医療側からの申し開きについては不信感を示す」という姿勢を採用することで、さまざ まな医療報道を行ってきた。もちろん、私も社会的疑惑を暴き、糾弾し、正義を訴えてきた新聞報道のすべてを否定するつもりはない。ただ、医療報道を行う際 に気付かなくてはならないことは、「批判さえしていれば、医療というものがどんどん改善していくわけではない」ということである。さらに言うなら、「メ ディアは、医療機関に対して仮借のない批判を向けることによってのみ医療の質が改善され、医療技術は進歩し、患者へのサービスは向上するという、空虚な幻 想に取り付かれたままになっている現状に早く気付け」ということである。

メディアが、テンポラリーに患者や被害者などの社会的弱者の味方に付くことは正しい。弱者の背後に回り、下支えすることにより議論の土俵にお互いを乗せ ることがメディアの役割である。あくまで議論の場を提供するという行為にのみ、メディアのとりあえずの役割がある。そこで冷静に議論し、その結果、弱者の 主張に無理があったのならば、それを公平にジャッジして、正しく報道することがメディアの使命なのではないのか。私はそう思う。しかし、メディアは一度擁 護した相手の主張が反証されて「弱者の言説には無理があった」と判明した場合に、それを打ち明けることは威信に懸けてけっしてしない。

本事件では、告発した患者や被害者がいたわけではない。報道によって、がん患者がどれだけ困惑し、不安を感じたか。そういう自体になることを朝日新聞は本当に想像できなかったのであろうか。

医療という公共的な資源を支えるためには、医療者をはじめとして国民全体で「身銭を切る」という自覚が必要である。非難することがメディアの仕事ではない。今のままだと、クレーマーたちとやっている行動が同じである。

もうひとつ現場の医師が将来に対して不安に感じていることは、「医療をめぐる訴訟が、増えることはあっても減ることはないであろう」ということである。

医療崩壊が叫ばれて以来、徐々にではあるが医療は再生してきていると感じている。栃木県においても、我が大学病院ではドクター・ヘリを導入したり、私た ちの扱う神経疾患患者に関して言えば、神経難病ネットワークを構築したりして、「断らない医療」を実践すべく努力している。そんな些細な毎日の医療活動 に、報道するべき事件なんかない。医療に関しては、当たり前の話題しかないのが本来の姿なのである。しかし、「今日も昨日と同じようにたくさんの方が治療 を受けて良くなりました」という話題をメディアは歓迎しない。常にセンセーショナルな話題を切望する。

医療の上げ足を取ることは、実は簡単なことである。なぜなら、私たちは常に不確実・不確定なことを試行錯誤で行っているからである。治験というものはその最たるものである。未承認の薬を実験的に使用しているのだから、当たり前である。

私もこれまでに数々の治験に参加してきた。「有害事象」というのは、「薬物を投与された被験者に生じた、あらゆる好ましくない医療上の出来事」であり、 必ずしも当該薬物の投与との因果関係が明らかなもののみを示すものではない(一方、副作用は、有害事象のうち因果関係が否定できないものを指す)。

私は、治験中の患者が鍋で火傷を負ったり、転んで怪我をしたりした有害事象に対して、それは明らかに投薬や病気とは関係がないので(本人の不注意ではあ るが)、治験コーディネーターと相談して「有害事象」に挙げなかった。これを権力者が指摘したら、私の取った判断は非難に値するであろう。「有害事象」に 挙げなかったとして新聞で報道されたとしても文句は言えない。「皆がやっている」という言い訳は、監視する立場の人間には一切通用しないからである。

社会が成熟してモラルやシステムが改善され、違法行為が少なくなればなるほど、権力側は自らの存在意義を持続させるために、これまでは問題にされなかった些細な違反を取り締まりの対象として強化する。

12月6日付けで「医療報道を考える臨床医の会」に届けられた、朝日新聞の代理人弁護士からの「申し入れ書」を通読した。朝日新聞は、「捏造」の疑惑を撤回しなければ法的措置も辞さない構えに出ている。議論の場は司法に移される可能性がある。

日本の弁護士が米国と比較して圧倒的に少ないことは事実であるが、その理由は、米国より弁護士を雇う事件が圧倒的に少ないからである。それをどう勘違い したのか、日本の法務省はロースクールを設置したりして弁護士の合格者を増やす決定をした。新人弁護士の失業が増える可能性がある。メディアは、今後、喧 嘩をふっかけることによって社会に変化を起こさせ、司法の介入をサポートする媒体として機能する世の中になっていくのではないかと勘ぐりたくなる。

東京大学は紛れもなく日本最高峰の大学である。そこで働く医療者の研究が、優位に最先端医療という名目で治験の基準が緩和され、研究費も上乗せされ、大 学がベンチャービジネスに乗り出すことも特例として許可されたかもしれない。東京大学の研究者を妬む人がいたのか、朝日新聞の記者が自分の業績を考えて無 理な記事を書いたのか、それはわからない。

ただ、ジャーナリストには、自分で書いた記事に関しては自分で責任を引き受ける覚悟が欲しい。私たち医師は自分の医療行為に対して、そういう覚悟で生き ている。中村祐輔氏を糾弾したいのならば、「私たちは事実を伝えたかっただけです。後は世論が判断してください」という言い訳は通用しない。

医療者側の抗議が留まることはないであろう。医療界は出河氏と野呂氏のことをけっして忘れない。今後も醒めた目で熱く傍観していく。「叩きさえしていれ ば医療は向上する」という呪縛から、もういい加減抜け出してもらいたい。医療者の士気をこれ以上削ぐようなことはしないでもらいたい。報道することによっ て世の中がどう変わるのか、あるいは変わらないのか、また、報道の責任を誰が背負うのか、「言論の自由」を唱うのであれば、そういうことをしっかり視野に 入れて報道すべきである。

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