医療ガバナンス学会 (2010年12月26日 06:00)
「朝日新聞のがんワクチン記事問題」については大きな関心を持って静観してきましたが、獨協医科大学神経内科小鷹昌明先生のMRIC記事、神戸大学岩田健 太郎先生のMRIC記事を見るにつけても少々異なった視点での思いを抱くに至り、意見を述べさせていただくことにしました。
そもそも朝日新聞といっても、第一線で活躍する正義感に溢れた優秀な記者もいれば、世の中の酸いも甘いも経験した中間管理職の編集部デスクの人達もいる し、さらにその上層には政財界とのつながりもある経営陣が控えているわけで、一言に彼らにメディアの正義を求めると言ってもいったい朝日新聞という組織の 誰を対象としているのか、あまりにも漠然としすぎていると思うのです。
特に上層部の「保身」と「経営至上主義」は相当強固なものであるようで、魚住昭氏は上の著書のなかで次のようにも書いています。「近年は経営効率を高め るための上からの指示が強くなり、「記事の訂正を出すな」、「他社に抜かれるな」、「車代を節約しろ」と要求される。このように記者というよりは業者と いったほうがいいような幹部の姿が目立っている。労働強化と管理強化が組織の活力を失わせ、記者たちが本来持っているみずみずしい感性や想像力まで奪い 去ってしまった。」
通常はいわゆるデスクといわれる編集部門は上層部の意向に従って、記事の取捨選択をして自己規制という形で紙面に介入するのが一般的で、世論から叩かれ ないようにすることに細心の注意を払うはずなのです。一方でスクープ記事を載せて人気を集めなければならないという使命もあるわけですが、スクープという のは一歩間違えば世間の批判をあびかねない危険性をもはらんでいるわけです。皮肉にも今回の記事は編集委員によって書かれた記事のようで、自分自身への自 己規制はかからなかったということではないでしょうか。そしてひとたびこういうことになって、ひょっとしたら記事を書いた本人は訂正して謝罪したい気持ち を持っているかもしれないのだけれども上層部が決してそれを許さないということも考えられるのです。
インターネットメディアの台頭によって、今や新聞は瀕死の状態にあります。購読者数も年々激減しているのが実情で、何十年か後には新聞というメディアは この世から消えてなくなっているかもしれません。今回の問題は「がんワクチン開発の危機」という医療の分野における一大事である一方で、「新聞というマス メディアの崩壊」という大きな社会問題が潜んでいるのではないでしょうか。そうなると朝日新聞が云々という話はもはや医療問題ではなくなり、我々医療者が 深追いするのは得策ではないと考えます。問題の記事の何が問題なのか、そのことは既に十分指摘できたはずで、今後の医療記事へはよりいっそうの注意が払わ れるでしょう。それは新聞社自身の危機管理にも直結するからです。そういう意味ではすでに医療界側の目的の大半は果たされているのではないでしょか。
ところで今回の「朝日新聞のがんワクチン記事問題」の論争では、何が悪くて何が悪くないのかの指摘が双方に間違っている気がします。「薬の副作用は隠さ ず公表しよう」という趣旨は何も悪くないのです。それを問題視した彼らの視点まで否定してしまってはいけません。視点は良かったのだけれども、残念ながら 副作用とは言いにくい、関係者として挙げられた個人名も間違っていますよということ。悪意がないのなら(軽率ではあっても)悪事とまではいえません。
「薬の副作用は隠さず公表しよう」ということが言いたいとしても、それを新聞の1面でスクープという形で主張することが適切なやり方であったかということ が問題なのだと思います。少なくともはっきりした形の違法行為があったなら1面扱いもいいでしょうが、「倫理的に見て許されないことだから1面で告発し た」というにはあまりにも根拠のない話だったわけです。それが社説とかで一般論として語られていたならそれはそれですばらしい記事になったかもしれませ ん。1面で固有名詞を入れて批判したことが決定的な間違いだったのです。
高久先生ご自身および日本医学会、各がん関連学会など怱々たる組織や団体・個人が抗議声明を発表したことが今回のことの重要性を物語っていますが、朝日 新聞とはそれほどまでしてあげなければいけないほどの重みのある団体なのでしょうか。言ってしまえばたかが一つの民間企業でしかないのです。我々は新聞と いうメディアをあまりにも買いかぶりすぎているのではないですか。「購読者数が多いので影響力が大きい」というだけのことならば、もはや購読者数をとって みても崩壊が始まっているのです。問題はこの瀕死の重症の古い体質のメディアを救出する価値があるのかどうかということ、抗議をするということはまだ見捨 てていないということになるわけで、更正を期待しているということになる。真に更正をもとめるなら、徹底的に批判するだけでよくなるものではないというこ とは、医療の悪いところを批判するだけでは良くならないことと同じ真実を含んでいます。新聞社が医療団体や個人を法的に訴えると脅しているのは組織幹部の 方針でしょうが、逆にこれは新聞社がいかに強い危機意識をもっているかということの表れで、あせる気持ちが結果的にさらに新聞というメディアが公共から転 落する速度を速めることになるだろうことは皮肉なことです。最後に私自身はもはや新聞の更正には期待していません。消えてなくなることは避けがたいからで す。