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Vol.23216 90代男性のゼリーによる窒息事故、介護施設に2,365万円の賠償命令(2)

医療ガバナンス学会 (2023年11月28日 15:00)


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医師 小松秀樹

2023年11月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

※この文章は長文のため2回に分けて配信しております。
全文をお読みになりたい方はこちらから。 http://expres.umin.jp/mric/mric_23215.pdf

●司法判断と科学的認識
司法は、今回のような問題が生じたとき、規範を軸にした論理で問題を認識・整理し、違背を認定します。この認定に基づいて、当事者を罰し、あるいは、当事者に賠償を命じます。しかし、規範というフィルターを通すと認識がゆがみます。事故の発生や救命に関する実態の確認をすっ飛ばして、悪いのか悪くないのか、責任があるのかないのかの議論になってしまいます。民事裁判は二当事者対立構造という形式のためか、当該事例についてくわしくやりとりしますが、統計学的な検討がおろそかになりがちです。また、権威とされる医師の証言や教科書・論文の記載をもとに、安易に準則を想定して判断の根拠とします。しかし、医療の世界では、意見は多様でさまざまな論文が発表されます。論文にならない意見もあります。現場では、準則が実質的に存在しないこともしばしばあります(3)。
社会システムは、内部で独自の言語論理体系でコミュニケートします(3,4)。それぞれの社会システムの進歩は内部のコミュニケーションに依存しています。システム間の齟齬は、それぞれの言語論理体系が異なるためであり、簡単に解消できるものではありません。

医学では、統計により全体像を定量的に認識したうえで、将来に向かって問題解決方法を考案します。その時点の手持ちの手段で問題発生の確率を低くする方法を考えます。通常、問題発生確率をゼロにするような方法はありません。場合によっては新しい手段を開発して解決を図ることもあります。新しい機器が発明されるかもしれません。賠償や刑事罰も問題発生を低下させる手段の一つかもしれませんが、問題発生を避ける方法がなければ、サービスの提供を阻害します。
医学を含めた科学では、実情認識も解決手段も、未来に向かって固定させることはありません。常に進歩させようとします。科学的真理は仮説的かつ暫定的なのです。

全体像を認識するのにどのような統計データが必要なのでしょうか。まず全体のサイズです。人口動態調査によると、2021年に日本全体で食物による気道閉塞で死亡した事例は4,239例です。同じ年の交通事故の死亡数が3,536人であることを考えると、決して少ない数ではありません。入手していませんが、年齢階級別の死亡数のデータもたぶん存在すると思います。介護施設における「要介護度・年齢」階級別の窒息事故の発生率、窒息事故における死亡数と死亡しなかった数。発見時の意識の有無、窒息の原因となった食物の種類、気道閉塞の部位、食物の除去成功率などが知りたいところです。

介護施設へのアンケート調査などで、要介護高齢者の食物による窒息事故事例を調べることは可能です。窒息事故の実像を浮かび上がらせるのに、死亡例と共通の母集団の、事故はあったが救命できた事例が重要です。大量の不正確なデータより、適切なサイズの正確なデータが役立ちます。適切なサンプリングをおこなえば、膨大な作業は必要ないでしょう。
何人かの知人が経験したごく少数の事例では、食物による窒息事故は、病院ではなく介護施設のみで発生しており、救命できた事例はありませんでした。救命例はあったとしても少ないだろうという印象でした。死亡した事例の記憶が強くのこっただけかもしれません。この印象が正しいかどうか、調査する必要があります。

●検察
2000年代初頭、1999年の杏林大学病院割りばし事件、2001年の東京女子医大事件、2002年の慈恵医大青戸病院事件、2004年の福島県立大野病院事件と大きな事件が相次ぎ、医療が崩壊するのではないかと大騒ぎになりました。私は、何冊かの本を出版し、多くの論文を執筆しました。法律の専門雑誌に投稿したこともあります(4)。私の主な主張は、先に書いたように、法律の世界と医療の世界は使用する言語論理体系が異なるというものでした(3, 4)。

当初、私は、医療事故については、専門の調査委員会を設立して、医療の専門家が裁判所に代わって、医療の適否について判断することを考えていました。しかし、この考えはすぐ放棄しました。絶大な権力が生まれ、適切な判断ができなくなるだけでなく、大きな弊害が生じることが予想されたからです。事務を担当するであろう厚労省の権力が、大きくなりすぎるのも問題でした。医師も官僚も権力を持ちすぎると暴走します。医師の適性審査と処罰の権限をもったイギリスの総合医療評議会(GMC)の実情は、惨憺たるものでした(5)。罰を与える権限を持つのならば、裁判官のようにそれに特化させて、社会から隔離しておく必要があります。

法律家で最も強く反応したのは検察でした。最高検察庁によばれて、検事総長をはじめ、検察の首脳10人ほどに対し、大量の資料を用意して、長時間の講演を行いました。この講演が『医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か』(朝日新聞社)という本になりました。東京地検の次長検事とは何度か議論しました。最も交流が大きかったのは、東京地検の医療問題を担当する検事たちでした。東京地検によばれて講演し、彼らの依頼で救急医療の専門家を紹介しました。虎の門病院の調査委員会で扱った事例を、院長の許可を得て、くわしく説明しました。彼らの要請で、いくつかの処置を見学してもらいました。刑事事件になったか、なる可能性があった処置だと思います。医療現場の実情は彼らの想像とはかなり違ったものだったようです。
あるとき、東京地検の連絡係の検事さんに、質問したことがあります。

私「東京地検には実務をこなしていくためのさまざまな日常的な決まり事があると思うのですが、不要になった決まり事をどのように廃棄しているのですか。」
私自身、病院のルール作成にかかわることがあり、廃棄を現実的な課題と感じていたからです。
検事:「困っているがきちんとしたルールはありません」
私:「古代ローマのように新たなルール優先で積み重ねて、過去を忘れるスタイルになるのでしょうね。多くの人が必要だと思えば、維持され、不要だと思えば、忘れ去られる。」
廃棄のための手続きを設けるとなれば、煩雑になり日常業務を妨げます。過去の記憶を、時代の変化の中でとどめるのは難しいし、いつまでもとどめられるものではありません。東京地検でも、日常業務を適切にこなしていくのに、固定した重い正しさより、環境の変化に合わせて自然に忘れ去られるルールが有効だったのでしょう。このルールは善悪を判断するのではなく、業務をこなすためのものです。

●今後どうなるのか
私の現時点での認識としては、それなりのサイズの固形物を経口摂取している限り、現実的な人員配置の範囲内で、窒息事故の発生を防ぐのは不可能です。また、実際に事故が発生すれば、救命するのは困難です。
栄養補助食品ゼリーが危険だとして、使用を禁止するとすれば、気道を閉塞させる大きさの他の食品もやめないといけません。そうなれば、カロリー不足、栄養不足が増えます。一部の高齢者は嚥下障害があっても、きざみ食、ミキサー食、とろみ食など固形物のない食物を極端に嫌って食べようとしません。強く抗議するので、対応に苦慮することがあります。

今回のような裁判所の判断が続けば、紛争になりかねない経口摂取は避けられるようになります。その分、胃ろうが増えるかもしれません。胃ろうは一時より減ったと思いますが、今も決して少なくありません。寝たきり状態の胃ろうについては、終末期が長くなるだけだとして必ずしも日本人は望んでいません(6)。
日本人の多くは、「ぴんころり」すなわち、元気に生き、病気になったらころりと死ぬ、寿命と健康寿命の差を短くしたいと望んでおり、要介護状態が長引くことを望んでいません。かつて、国際医療福祉大学の高橋泰教授に教えてもらったことですが、北欧で寝たきりが少ないのは、自分で食事を摂取できなくなったときは、多くの人が死にどきだと考えており、食事介助が一般的に行われていないからだとのことです。

高橋教授は、介護サービスの乏しい愛媛県旧大三島町と介護サービスの手厚い熊本県相良村とを調査し、旧大三島町では自立、死亡がともに多いこと、相良村では軽度障害が多く、それが維持されることを見出しました(7)。これを受けて、高橋教授は以下のように結論づけています。十分な介護サービスが提供されないとすれば、「『できる限り自立を続ける覚悟と、食べられなくなったときに、自然死を受け入れる覚悟』を持つことが重要となります。このような覚悟ができているならば、『適切に医療・介護の提供量が減らされる』ことは自分の望むような老い方、死に方ができる可能性を逆に高めるので、必ずしも悪い話ではありません。」

●介護を守るための対応
今後、同様の訴訟の頻発が心配されます。90代の要介護高齢者が死にきわめて近い存在であることを、遺族にはなかなか実感してもらえません。日本では貧困化が進んでいます。お金の苦労はつらいものです。遺族が生計に苦しんでいた場合、2365万円の賠償命令は、訴訟を検討するのを後押しするかもしれません。
介護施設は医療機関ではありません。本格的な治療は病院にまかせます。病院で死亡したとき、病院に適切にコンサルトしていなかった、病院に送るのが遅かった、などつけ入るきっかけを見出すのは難しくありません。制度上、大きな利益が得られない介護施設にとって、2365万円は重い負担です。

私は、今回の判決のニュースを読んで、あらためて2004年の福島県立大野病院事件(3)を思い出しました。大野病院事件では、妊婦が癒着胎盤による出血多量で死亡しました。担当医が逮捕され刑事責任が問われました。医療業界で議論が沸騰し、最終的に無罪になりました。裁判所が社会の現実と乖離した不適切な判断をして、社会に負の影響を与えることは珍しくありません。
社会の健全性を保つのに、言論活動は必要不可欠です。裁判所の判断を検討し、必要があれば批判しなければなりません。民によるチェック・アンド・バランスは想像を超える力を発揮することがあります。

引用文献
1)ゼリー喉に詰まらせ窒息死 判決で被告の介護施設側に2365万円支払い命令 広島地裁
https://news.yahoo.co.jp/articles/8debd2a40a7d040f5a5cb39b79b1cc2b0e80c016
2)小野沢滋:急性期病院からの退院―あなたの望みがかなうとは限らない. 『看取り方と看取られ方』, 小松秀樹他編, 国書刊行会, 2018年.
3)小松秀樹:社会と医療の軋轢. pp169-197. 『社会的共通資本としての医療』宇沢弘文, 鴨下重彦編, 東京大学出版会, 2010年.
4)小松秀樹:司法と医療 言語論理体系の齟齬. ジュリスト, 1346, 2-6, 2007.12.
5)小松秀樹:医師の自律(その1/2).MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.374, 2010年12月10日.
6)熊田梨恵:胃ろうはなぜ社会問題になったか. 『看取り方と看取られ方』, 小松秀樹他編, 国書刊行会, 2018年.
7)高橋泰:医療・介護の提供量が少なくなると、負い方、死に方はどのように変わるのか. 『看取り方と看取られ方』, 小松秀樹他編, 国書刊行会, 2018.

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