最新記事一覧

Vol.23218 要介護者も共同住宅で住み続ける。相馬井戸端長屋の10年から見えてきた多様な高齢者の受け皿としての可能性

医療ガバナンス学会 (2023年11月30日 06:00)


■ 関連タグ

相馬中央病院 内科医
齋藤宏章

2023年11月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は2022年7月より福島県相馬市、相馬中央病院で内科医として勤務しています。今回はこの相馬地域で震災後に立ち上げられた、災害公営住宅「相馬井戸端長屋」に関する研究結果を紹介させてください。

●震災後に相馬地区で設立された公営住宅「井戸端長屋」
ご存知のように、東日本大震災では相馬市を含む福島県浜通りは地震、津波、その後の福島第一原子力発電所事故によって大きな影響を受けました。長期的な避難や環境の変化の影響を身体機能の弱い高齢者は特に受けてしまいます。相馬市は震災以前から高齢化率の高い地域の一つであり、2010年にすでに高齢化率25.3%となっていました。震災後、相馬市では2000人以上が仮設住宅に避難しました。長期的な避難生活が予想されたため、このような人の中には、県外や別の地域に移住や働きに出た人もいます。

困るのは高齢者です。家族と共に、新しい住居に移住した人もいましたが、もともと家族が近くに住んでいないような独居の方、家族は移住しても本人は生まれ育った相馬市に留まりたいと残った人など、多くの孤立した高齢者がいました。これらの孤立してしまう高齢者が長期的に身体力や生活力を落とさないように暮らしていけるようにと設計、設立されたのが「相馬井戸端長屋」です。長屋は、入居者同士が共助して生活を支え合っていくということをコンセプトとして設立された公営住宅です。「井戸端会議」をするような環境を、ということで相馬井戸端長屋と銘打たれています。長屋では個々人の個室に加え、共同風呂、共用の洗濯機が用意され、昼食宅配(外部業者が毎日弁当を配達)、保健所の看護師が1~2カ月に1度、住民の健康状態をチェック、買い物目的で近隣の商業施設までバスで定期的に送迎などの取り組みが行われています。また、各長屋は住民から代表者を選出し、長屋の住民の様子を把握したり、保健センター、市役所との連絡係を担ったりしています。

このように色々と環境が整えられてはいますが、あくまで居住されている人たちが自立して生活することが前提にされているため、常駐の医療従事者や特別な医療サービスは提供されないという点がミソです。また、入居中に身体能力が落ちて行っても、訪問介護等のサービスも利用しやすいようなバリアフリーの構造と部屋の作りも配慮されています。災害公営住宅は各地にありますが、このような先駆的な取り組みは他に例がなく、私たちの研究チームからもこれまでいくつかの英文論文として、報告してきました。

●超高齢者や要介護者の拠り所に。長く健康に住める場所としての長屋
今回の調査では震災から10年が経ち、実際に結局どのような人が長屋に入居し、その後どうなったかを解析しました。調査は長屋設立から丸10年以上が経過した2022年12月末の実態を調べています。
2012年の設立以降、長屋には震災によって居住が困難になった65名が入居されました。入居者の入居時の平均年齢は76.2歳と高齢です。特筆すべきは全体の4割以上に当たる29名が80歳以上で、尚且つ90歳以上の方が4名もいたことです。また、入居時の介護認定状況を見てみると、10名が要支援認定、12名が要介護認定をすでに受けていました。驚くべきことに、一般に日常生活で介護を特に必要とするとされる要介護3以上の人が5名も含まれていました。いかにこの長屋が多様な高齢者の受け皿としての役割を担っていたかがわかります。調査時点では、65名のうちの30人が入居を継続し、21人が入居中に亡くなり、14人が長屋から退去していました。平均入居期間は約6年半で、実に6割に当たる39人が5年以上の入居を継続できていました。2013年から2016年の間に入居している方もいるので、この数値は驚くべきです。また、調査時点では8名の90歳代の方が長屋での生活を継続されていました。

長屋は突然できたご近所付き合いの近い半集団生活のような環境です。また、高齢の方が入居した場合、やはり、環境の変化で逆に体調を崩したり、体調が悪くなった場合や、生活に馴染めなかった場合には入居が継続できていなかったりすることが多くなっていないかという懸念があります。その意味で、多くの人がこのように長く居住を継続できている、というのはこの取り組みの持続可能性を示すものだと思います。
また、入居中の死亡数が多いですが、長屋は入居時点で高齢者が多いため、当然、時間が経てば亡くなる方が出てきます。したがって、ここでいう入居中に亡くなったというのは決して悪い意味ではないのです。文字通り長屋で亡くなる方もいれば、一旦病院に運ばれてその後になくなる方もいます。元気な間は地元、相馬の見慣れた景色で住んでもらいたいという想いで長屋が作られていることを考えると、人生の最期までいることのできる長屋は震災後の住民にとっては重要な役割を果たしてきたことが伺えます。

調査では、このような共助や自立を促す環境が入居者の身体状況を保つ働きもあるのではないかと仮説をたて、入居後の介護状況の変化も追っています。興味深いのは、長屋入居後に要介護認定が改善した例もいたということです。入居中に3名の方が、要介護度が改善しており、1名は要介護3の認定から2年後には要介護2に改善していました。もう1人は要介護2から1年後には要介護1へと、最後の1人は要介護2から翌年には要介護1、さらに2年後に要支援2へと改善していました。もちろん介護認定は必ずしも本人の身体状況のみで決まらず、改善するような疾患の罹患や、支援できる体制にも左右されます。しかし、逆にいうと、認定のレベルを下げても生活が送れる、という環境をやはり長屋は提供できていたのでしょう。

●地元に住み続けるという貴重な価値
この研究結果は「井戸端長屋: 東日本大震災後の孤立した高齢者のための共同住宅による解決策」(原題:Idobata-Nagaya: A Community Housing Solution for Socially Isolated Older Adults Following the Great East Japan Earthquake)として、 Frontiers in Public Healthという査読つき英文誌に11月22日に掲載されました。どなたでも読めますので、ぜひお時間ある際にご覧になっていただければ幸いです。この論文の筆頭著者の阿部暁樹さんは、相馬育ちの相馬高校出身で、実は長屋のうちの1つは母校の中学校のすぐそばに立っています。私は今も阿部さんと月に1度程度、市の定期訪問にお供させてもらっていますが、彼は訪問するとよく入居者に可愛がってもらっています。どこどこの阿部です、というと皆さんには「ああ、あそこの阿部さんなんやね」と声をかけてもらえるのです。そんな会話をみなさんで集まってしているときの笑顔を見ていると、やはり、地元に住み続ける、土地勘のある場所で生涯を送るということの価値の重要さを痛感します。

論文では、このような長屋の取り組みは、災害のみにとどまらず、超高齢化社会、特に家族の支援をえにくく孤立しがちな高齢者が増える現在では、各所で応用可能ではないかと提言しています。震災後の困難を乗り越えてきた相馬だからこそ、また新たな挑戦が生まれてくるのかもしれません。

最後に、調査にあたっては、相馬市役所の方々、保健センターの方々に多大にご協力いただきました。いつも訪問の際にあたたかく私たちを迎えてくれる住民の皆様にもこの場を借りて感謝申し上げます。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ