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Vol.9 東大医科研「がんペプチドワクチン臨床試験」は人体実験か?

医療ガバナンス学会 (2011年1月14日 06:00)


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鹿鳴荘病理研究所 広島大学名誉教授
難波紘二
2011年1月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


一連の論評の最後に2010/10/16日付け「朝日」社説「東大医科研-研究者の良心が問われる」を取り上げる。
東大医科研の「がんペプチドワクチン臨床試験」(以下「医科研プロジェクト」)は「ヘルシンキ宣言」にいう人体実験ではなく、社説で医科研プロジェクトをナチス医学犯罪に喩えた、「朝日」の論説委員は無知か、悪意によりそう書いたものであることを証明する。

論考を精緻にするために、参考文献として以下を主に用いた。
[1] G.J.Annas et al.: The Nazi Doctors and the Nuremberg Code: Human Rights in Human Experimentation. Oxford University Press, 1999
[2] 資料集・生命倫理と法編集委員会編:資料集・生命倫理と法. 太陽出版, 2003
[3] 秦 郁彦他編:世界戦争犯罪事典. 文藝春秋, 2002
[4] グイド・クノップ(高木 玲訳):ヒトラーの共犯者–12人の側近たち(上・下). 原書房, 2001
[5] H. Eberle & M. Uhl(ed.): The Hitler Book. John Murray, 2005
[6] ウィリアム・L.シャイラー(松浦 伶訳):第三帝国の興亡(全五巻). 東京創元社, 2009
[7] WIKI: Subsequent Nuremberg Trials
[8] WIKI: Doctors’ Trial
[9] WIKI: Nuremberg Code
[10] WIKI: Declaration of Helsinki
[11] 近藤均他(編):生命倫理事典. 太陽出版, 2002

まず問題の社説の問題点(A.として指摘)「それが医学研究の大前提であることは、世界医師会の倫理規範<ヘルシンキ宣言>でもうたわれている。ナチ ス・ドイツによる人体実験の反省からまとめられたものだ。」は、このパラグラフ自体がまったく不必要であるということだ。この箇所の二つのセンテンスは、 書き手がナチス医学裁判と「ヘルシンキ宣言」について無知であることをさらけ出しているだけでなく、東大医科研でナチス人体実験と同様な、おぞましい実験 が行われていたと示唆する効果をもつものである。
そこでまず、ナチスによる医学実験とはどのようなものだったのか、具体的に見ておこう。

【ナチス医学実験】

これはナチス親衛隊長官(1929/1就任)ハインリッヒ・ヒムラーの指揮下にある親衛隊軍医及び化学者の手により行われたものだが、ヒトラーが政権掌 握後、「全権委任法」を成立させた直後に始まった、「生産に役立たない」精神障害者及び知的・肉体的障害児の「安楽死」(すべてドイツ国籍の「アーリア 人」)処理(41年末までに7万人を殺害)から始まり、「最終解決計画」つまりホロコーストの過程で派生的に行われたものである。

人体実験の種類を以下に要約する。
(1) 「高々度(減圧)実験」
=ダッハウ強制収容所で空軍軍医がユダヤ人およびロシア人に対して行ったもので、急速減圧室内に被検者を閉じ込め、高度1万2000メートルの航空機か ら、搭乗員が無酸素状態で空中に落下した場合の、人体の反応を調べるのが目的だった。被検者は全員、窒息死し、病理解剖が行われている。

(2) 「低体温実験」
=ダッハウで空軍軍医部が行ったもので、パラシュートで北海に着陸した搭乗員の体温を上昇させる、効果的方法の開発を目的として行われた。被検者は厳冬期 に裸で戸外に9〜14時間立たされるか、氷風呂に3時間漬けられた。被検者の多くに手足の凍傷が発生し、脳温度が28℃を下回った時点で死亡し、病理解剖 が行われている。生き残った被検者も、最後には殺されている。

(3) 「マラリア実験」
=ダッハウで行われたもので、1200人以上の収容者に対して、マラリア原虫をもつ蚊に血を吸わせるか、蚊の唾液腺を磨りつぶしたものを注射し、人工的に マラリア感染を引き起こし、各種抗マラリア剤の効果をテストした。30人が実験により死亡し、300〜400人が合併症で死亡した。

(4) 「マスタード・ガス実験」
=ザクセンハウゼン、ナッツワイラー他の強制収容所で行われた実験で、被験者の腕にあらかじめ傷をつけ、そこに糜爛(びらん)性のマスタード・ガス原液を塗りつけたり、ガスを吸引させたり、ガス液を飲ませたり、注射したりした。

(5) 「ラフェンブリュック強制収容所での人体実験」
=これは親衛隊医療部が行った人体実験のなかでも、最もグロテスクで医学的に無意味なものだ。戦傷を再現するため収容者(ほとんどが女性)の下肢を切開し て、培養細菌、髭剃りで得られた毛、ガラス片などを挿入し、人工的に感染を起こさせ抗菌剤スルフォニールアミド(プロントジル)の薬効を調べた。また培養 したガス壊疽菌を注入して下肢の壊疽を起こさせ、同じ抗菌剤の効果を調べた。効果を比較するために対照を置き、こちらはガス壊疽を無治療のまま放置した。 銃創を摸するのでなく、実弾を発射して実験用の銃創を作ることもやっている。
さらに「組織の再生実験」と称して、収容者の手足の骨を切り、神経を切断し、筋肉を切除している。極めつけは骨移植で、その中には肩胛骨を丸ごと犠牲者から取りだし、病院に入院中の患者に移植したという例もある。

(6) 「海水実験」
=1944年にダッハウで空軍、海軍と民間化学会社ファルベンが協同で行ったもので、「船が難破したとき、非常食と海水を飲むだけでどのくらい生存できる か」を調べるのが目的だった。実験対象はジプシー(ロマ)で4つの実験群に分けられた。第一群は非常食だけで水は全くなし。第二群は、普通の海水を飲む。 第三群は、会社が調製した「塩分濃度は海水と同じだが、味は塩辛くない水」を飲む。第四群は、脱塩処理した海水を飲む、というものだった。この実験は、責 任者シュレーダーが親衛隊長官ヒムラーに実験用人体の提供を求めるかたちで行われ、ヒムラーは実験に必要な40人のジプシーを提供した。実験は12日間に わたって行われ、当然死者が出た。

(7) 「流行性黄疸実験」
=これは経口感染するA型ウイルス性肝炎のことで、当時は病因不明で、ロシア南部の戦線では60%の感染者を出していた。この病気の予防と治療法開発のた めにザクセンハウゼンとナッツワイラー強制収容所の医師カール・ブラントは、ヒムラーに実験材料の提供を求め、アウシュヴィッツ収容所からユダヤ人死刑囚 8人が提供された。

(8) 「不妊化実験」
=アーリア民族の優秀性を信じるナチスは、劣等民族であるロシア人、ポーランド人、ユダヤ人、ジプシーなどの絶滅を企んでいた。ジェノサイドは一つの方法 だが、手間と費用がかかる。そこで低経費で簡便で素早く行える不妊法を研究した。子孫が残せなければやがて劣等民族は絶滅するはずだ。北米産の植物から抽 出したカラディウム・セキヌムという薬物が注射されている。さらに男性には去勢や睾丸へのX線照射、女性には子宮内膜炎や卵管炎を起こす薬物の注入が行わ れた。
(実は優生学を最初に実践したのは米国で、その学問的指導者はチャールズ・ダヴェンポートである。「コールド・スプリング・ハーバー生物学研究所」の創設 者だ。彼の唱える「消極的優生学」の実践つまり劣等家系を断絶させるために、インディアナ州を皮切りに全米30州で「断種法」が施行され、1941年まで に約7万人が強制的に断種手術を受けさせられた。)

(9) 「発疹チフス実験」
=ブッヘンワルト及びナッツワイラー強制収容所で行われた各種感染症に対するワクチンの効果を試す実験で、対象感染症としては、発疹チフス、黄熱病、天然 痘、パラチフスA及びB、コレラ、ジフテリアが含まれていた。この実験の総括責任者は、ストラスブルグ大学教授で空軍医療部将校のオイゲン・ハーゲンだっ た。健康な収容者100人に対して抗発疹チフス・ワクチンを接種し、その後で菌を感染させた。対照として100人が選ばれ、ワクチンの接種なしで発疹チフ ス菌を感染させられた。第3のグループは、病原体であるリケッチャを維持するための「人間培地」として使用された。治療薬としてテストされたのはマウス抗 血清、ファルベン社製の顆粒状アクリジンとルテノールで、実験ノートを見るかぎり成果はまったくなく、99人の死者を出している。ファルベン社は後の「ヘ キスト社」である。

(10) 「毒薬実験」
=これはいかにして人間を迅速に殺害するかを目的に、ブッヒェンワルトで行われた実験で、日本人が発見した数少ない毒物であるトリカブト毒のアコニチンを 改良した、硝酸アコニチンが使用されている。ロシア人捕虜の食事に混ぜて即死するのを観察した。運良く生存したものも、病理解剖を行うために、殺された。 ピストルの弾丸に毒薬を詰めた後に、捕虜の大腿部を撃って薬理効果を観察した。後者の実験には死刑囚が当てられ、3名の被験者と2名の対照者が使用され、 被験者は約2時間で全員死亡、アコニチンなしの弾丸を撃ち込まれた2名の対照者は死刑から減刑された。

(11) 「焼夷弾火傷実験と骨格蒐集」
=ブッヒェンワルトで実施されたもので、英軍の不発焼夷弾から取り出された黄燐などの燐化合物を5人の収容者に浴びせて点火し、実験的に高度火傷を生じさせた。この実験は小児に対しても行われた。
もう一つは「民族遺伝学」の観点から行われた。初めは「劣等人種」であるユダヤ人、ポーランド人、アジア人などの頭部標本を、全身の写真、計測データ、 個人情報などとともに収集し、頭部の民族学的計測後は、頭蓋骨標本のみを保存していたが、やがて計画が拡大し、ストラスブルグ大学解剖学教室に100体以 上の屍体をアウシュヴィッツから直接輸送する方法に変わった。担当は同大学のヒルト教授だが、遺体を解剖し骨格標本にする作業が追いつかなかった。

(12) 「メンゲレの双子実験」
=ビルケナウ強制収容所において、医師ヨーゼフ・メンゲレが行った実験で、到着するユダヤ人を主体とした被収容者から双生児を選んで実施した。感染、輸 血、供血の実験、さらに移植実験、尿管を直腸につなぐ実験、男女の双生児に対して「交換輸血」を行い、性転換が起こるかどうかを見る実験、もっともグロテ スクな実験として一卵性双生児を人工的に「シャム双生児」に変える実験などが行われた。
メンゲレは、到着者の健康状態を調べ、「ガス室行き」と「収容所行き」の選別を行う際に、実験用双子を集め、特別な建物に収容した。双子の多くは子供 だった。普通の子供は直ちにガス室に送られた。実験終了後には双子の多くも殺された。[文献1, pp70-86より要約]

これらがナチス医学者の行った12種の人体実験である。「朝日」社説は東大医科研のペプチドワクチン臨床実験をこれらの残虐きわまりない蛮行になぞらえて いる。どこに共通性・類似性があるのか、釈明を求めたい。社説氏は本当にナチスの医学実験を具体的に知っていて、医科研プロジェクトをそれになぞらえたの だろうか?

【ナチス医学の裁判、もう一つのニュールンベルグ法廷】

ナチスの医学的蛮行に関しては、「国際軍事法廷(ニュールンベルグ裁判)」とは別に、米軍は「ニュールンベルグ軍事法廷I」を、1946年10月25日 から47年8月20日まで設置し、残虐な医学実験に関与したナチスの医師らを裁いた。裁判の過程で、検察側、弁護側とも「医師の倫理」、「人体実験の必要 性」、「人体実験が正当化される条件」などについて、医学史や医の倫理に関する文献を引用して論争となった。
ウォルター・B・ビールス(ワシントン州最高裁判事)を裁判長とする4人の裁判官は、1947年8月20日に判決を言い渡した。23名の被告のうち、 16名が有罪となり、刑罰は翌21日に言い渡された。7名が死刑(絞首刑)、5名が無期禁固、4名が禁固20年から10年の有期刑になった。死刑判決を受 けた7名のうち3名が非医師(化学者など)である。

判決文の後半で提示されたのが、10箇条からなる人体実験の必要条件を示した「The Nuremberg Code:ニュールンベルグ綱領」である。「綱領(Code)」と呼ばれるのは、大陸法系の国と異なり「コモンロー」系の国では、判例が「法」となり強制 力を発揮するからだ。しかし「ハムラビ法典」は英語ではThe Code of Hammurabiという。だから正しい訳は「ニュールンベルグ法典」である。

日本では「ニュールンベルグ国際軍事法廷」での裁判と「ニュールンベルグ軍事法廷I」での裁判を、ごっちゃにして書いた本が多すぎる。筆者の知るかぎり、『生命倫理事典』[11] だけが歴史的に正しい記載を行っている。
「ニュールンベルグ軍事法廷I」とよばれるのは医学犯罪以外に「ミルヒ裁判」、「判事たちの裁判」、「ポール裁判」、「IG ファルベン社(今のヘキスト社)裁判」、「クルップ製鋼裁判」、「神父たちの裁判」など12の関連裁判の筆頭に置かれたからである。

【ニュールンベルグ法典】

この法典は「医師の十戒」とも呼ばれる。その第1条には「許容しうる医学的実験」というタイトルが付けられている。

「われわれの前に提出された証拠の巨大な重みは、人間を対象としたある種の医学的実験は、理性的によく定義された範囲内で行われるかぎり、医学という職 業の倫理に、全体として合致することを意味している。人体実験の唱道者たちは、そのような実験が他の方法や手段による研究ではえられない結果を提供するこ とにより、社会に善をもたらすということを根拠に、自らの見解を正当化している。しかしながら、われわれ全員が同意することは、道徳的、倫理的、法的な諸 概念が満足されるためには、一定の基本原則が順守されなければならない、ということである。

1. 被験者の自発的同意が絶対的に必要である。

このことは次のことを意味している。被験者が同意をなす法的能力をもち、選択を行う自由権を行使できる状況下におくこと。暴力、欺瞞、詐欺、脅迫、また は他の間接的な形式による束縛、抑圧のいかなる要素も介在してはならないこと、並びに参加する実験について十分な知識と理解力をもたせ、被検者が了解し て、啓発された決断をなしうるようにすること。
この後者の要素は、被験者による肯定的な決断を受け入れるに先立ち、実験の性質、持続期間及び目的、実験の目的、行われる実験の方法と手段、合理的に予 期される不都合と障害、実験に参加することにより生じる可能性がある健康もしくは人格への影響、について告知することを要求している。
この被験者の同意の質を確かめる責任と義務は、実験を開始し、指揮し、参画する個々の個人に存する。これは個人の責任と義務であって、他人に転嫁することで罰則を免れることはできない。」[文献1, p102-103]

筆者は、この文章は「インフォームド・コンセント」について述べたもので、個人的には現代の医の倫理は、これに凝集されていると考える。
判決は「コモンロー」の精神に則って判決が導き出されたものであることを、次のように述べている。これは「ローマ法」、「ナポレオン法」という大陸法系の裁判しか知らない大陸ヨーロッパ人への啓蒙措置であろう。

「アングロサクソン法理学の下では、犯罪の疑いのあるすべての被告は告発された罪について、検察側が法的に適格で、信じるに足る証拠によって、被告の罪 が執行に値するものであることを、いかなる合理的疑いの余地なく証明するまでは、『推定無罪』として扱われる。そしてこの仮定を裁判の各段階を通じて、合 理的疑いを差し挟む余地のない量の証拠が提出されるまで、被告は甘受できる。『合理的疑い』とは、全ての証拠を十分かつ完全に比較し、考慮したにもかかわ らず、その名称が示唆するように、理性に合致する疑い、つまり理性ある人間が抱く疑いをいう。換言すれば、決断する責任を委ねられた、偏向と偏見のない内 省的な人物が、被告の嫌疑の真実性について、道徳的に不動の確信を抱く状態に至ったということのできない、心的状態を『合理的疑い』という。」[文献1, p104]

【ヘルシンキ宣言は6つある】

「ニュールンベルグ法典」には「インフォームド・コンセント」という言葉は用いられていないが、第1条で医学史上初めて、実質的にその必要不可欠性を述べ ている。この第1条は、「実験」を「治療」と、「被験者」を「患者」に置き換えれば、そのまま今日の「インフォームド・コンセント」に通じるし、歴史的に は世界医師会の「ジュネーブ宣言」(1948/9)、「医の倫理の国際綱領」(1949/10)、「ヘルシンキ宣言」(1964/6)につながって行くの である。

但し「ヘルシンキ宣言」は、その後1975年(東京)、1983年(ベニス)、1989年(香港・九龍)、1996年(南ア・サマーセットウェスト)、 2000年(英国エディンバラ)と5度に渉る大幅な改正をへている。[文献10, 11] 現行の「ヘルシンキ宣言VI」(2000年改訂)は、より膨大になり「臨床試験」、「治験」、「医学的実験」、「診療」についてもその定義を明らかにして いる。一貫して変わらないのは「患者もしくは被験者の同意なくして、治療・治験・実験を行ってはならない」という「インフォームド・コンセント」重視の精 神である。

「インフォームド・コンセント」という言葉が「宣言」に取り入れられたのは1975年、武見太郎日本医師会長が会頭を務めた東京大会においてである。これ は画期的な大会で「東京宣言」とも呼ばれる。[文献1, p.333-336] しかしながら現在有効な宣言は「ヘルシンキ宣言VI」である。つまり「ヘルシンキ宣言」は時代に応じて6種あることになる。

【朝日社説はどのヘルシンキ宣言に言及したのか?】

そこで問題の社説だが、再引用する。
A.「それが医学研究の大前提であることは、世界医師会の倫理規範<ヘルシンキ宣言>でもうたわれている。ナチス・ドイツによる人体実験の反省からまとめられたものだ。」

「それ」という指示語は前のパラグラフ、
「研究者は試験に参加する被験者に対し、予想されるリスクを十分に説明しなければいけない。被験者が自らの判断で研究や実験的な治療に参加、不参加を決められるようにするためだ。」を指している。

しかしA.で「世界医師会の倫理規範<ヘルシンキ宣言>」の説明に「ナチス・ドイツによる人体実験」を持ち出しているのであるから、このヘルシンキ宣言 は1964年の「ヘルシンキ宣言I」を指していると解釈するのが妥当であろう。1964年6月ヘルシンキで開かれた第18回世界医師会総会で採択されたこ の宣言は、前文、I.基本原則, II.専門的処置を組み合わせた臨床研究, III. 非治療的臨床研究の4章から成り立っている。

ナチ医学が断罪されたのは、「非治療的臨床研究」を「被験者の同意なく」行ったからであり、それが倫理的に許されないことを「ニュールンベルグ軍事法廷 I」は断罪し、判決文で「ニュールンベルグ法典」を示したのである。医科研プロジェクトはこれにまったく該当しない。II.の「専門的処置を組み合わせた 臨床研究」に該当するものだ。これに関して「ヘルシンキ宣言I」は「医師は新しい治療的処置を行う上で自由でなければならない」とした上で、当該医師に要 求しているのは、「被験者が受ける利益と危険の比較を行い、前者が大きいときにのみ、臨床試験が許される」、「医師は可能なかぎり、患者の心理に応じて十 分な説明を行った後に、患者の自由意志による同意をえなくてはならない」だけである。

従ってこの宣言に依拠する限り、医科研プロジェクトを「研究者の良心が問われる」と批判するのは無理である。ナチス医学犯罪への反省から生まれたのは 「ヘルシンキ宣言I」の「II. 非治療的臨床研究」の部分であり、これには被験者の「文書による同意」が要ると明記されている。これは患者でなく健康人を対象とした実験だからだ。

【ヘルシンキ宣言Iの誤読か?】

社説を文面通り読めば、社説を執筆した論説委員は「ヘルシンキ宣言I」を読み、医科研の臨床研究を「II.非治療的臨床研究」と解釈したとしか考えられない。この章には、
「1.人間に対して行われる臨床研究が純科学的な適用である場合(つまり本人の利益にならない場合)、その臨床研究の対象となる人の生命と健康を保護する立場を常に堅持することが医師の義務である。
2.臨床研究の性質、目的、および危険については被験者に医師からの説明が行われなければならない。
(中略)
4b.臨床研究実施中のいかなる時においても、被験者またはその保護者は、研究の継続に対する許可を撤回する自由を持たなければならない。研究者あるいは 研究チームは、研究を継続すれば被験者個人に害を及ぼす可能性ありと判断した場合には、研究を中断しなければならない。」
という条項がある。社説氏はこの条項が医科研プロジェクトに該当すると考えたとしか考えられない。しかしこれは健康な人を対象とした人体実験を規制した条 項であることは、ナチス医学犯罪という歴史的経緯から見れば明らかである。これが末期膵臓患者を対象とした医科研プロジェクトに当てはまらないのはいうま でもない。

【ヘルシンキ宣言VIは読んだのか?】

ところが「ヘルシンキ宣言I」はとっくに廃止されている。現在は「ヘルシンキ宣言VI」(2000)が「ヒトを対象とする医学研究の倫理原則」として、適用されることになっている。
これには「C.メディカル・ケアと結びついた医学研究のための追加原則」という章があり、「患者からインフォームド・コンセントを得た医師は、まだ証明 されていない、または新しい予防、診断及び治療方法が、生命を救い、健康を回復し、あるいは苦痛を緩和する望みがあると判断した場合には、それらの方法を 利用する自由があるというべきである」と明記している。ここまで「医師の裁量権」を認めているのである。

医科研プロジェクトが「ヘルシンキ宣言VI-C」に触れる点は何もない。想定外の合併症は臨床の現場ではしょっちゅう起こる。すべての合併症や副作用を 予測することなど不可能である。問題は起こったときにどう対処するかにある。問題の患者は食道静脈瘤の破裂を起こして下血したが、輸血により救命できた。 家族との信頼関係も崩れなかったことは、死後の病理解剖に承諾を与えていることからも明らかだ。今日、残念なことに病理解剖件数は著しく減少している。吐 血で重体になったにもかかわらず、遺族が解剖を承諾したというのは珍しいといえる。

さて社説氏は、「ヘルシンキ宣言VI」を読んだのであろうか?もし読んだとすれば、ここには「ナチ医学犯罪」を想起させるどのような条項もないことを 知ったであろう。どのような「臨床実験」にもインフォームド・コンセント(口頭または文書による)が必要とされている。読んでいたら、ナチス・ドイツによ る人体実験など持ち出せなかったはずだ。
もし「ヘルシンキ宣言」は一つしかないと思っていたのであれば、勉強不足の時代遅れであり、新しい原理に基づくがん治療法開発のための医科研プロジェクトを「研究者の良心が問われる」などと、倫理的に断罪する権利などない。

「ヘルシンキ宣言VI」を知りながら、わざとオリジナルな「ヘルシンキ宣言I」を持ち出し、「ナチス医学犯罪」と結びつけようとしたのなら、それは一種の記事捏造であり、「珊瑚礁落書き自作自演事件」以来の朝日の体質に由来するというしかない。

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