医療ガバナンス学会 (2011年1月20日 06:00)
私が皆さんに考えて頂きたいのは「日本の臨床研究・試験・新薬の研究開発に関する活動(以下「R&D活動」と略する。)は、我々世代がここ二十 年ほど、威勢のいい掛け声をあげているだけで、実際はボーっとしている間に、どうにもならない状況に陥っているようだ」という事実をどう受けとめるか、そ して、それに対して何をなすべきかということである。
この領域の識者と言われる方々(専門家、行政官、学者)は、常に「こうすべき、ああすべき」と声を張り上げる。私もその一人だ。しかしいつも不思議なの は、こうした識者のほとんどが、ほんの少し前(十数年前だったり、数年前だったり)に特定の誰か(政府、業界、学会)がやる気満々で実施したプロジェクト や政策の帰結や評価を一切語らず、どういうわけか「常に世の中は悲惨なのだ」という現状を前提に「こうすべき、ああすべき」と言うことだ。識者の皆さんは マルクス主義かなにかの信奉者なのだろうか。
毎年毎年、産官学が予算をとって、何かすばらしい、新しいことをして、世の中は少しは良くなっている「はず」なのに、毎年毎年、特に予算要求の時期が来 ると、「このままでは日本の臨床研究は沈没する。この施策を実施すべきだ」と言い続ける。奇妙な話だ。ポジティブシンキングなんだか、ネガティブシンキン グなんだか、わけがわからないが、「触らぬ神にたたりなし」「過去は水に流す」という日本文化だけは脈々と息づいているようだ。マルコフ過程における無記 憶性という言葉がぴったりだ。
話を戻そう。現在の日本のR&D活動の状況は、かなり辛い状況にある。上述の日本文化のせいだろうが、数値で説明しても誰も見向きもしないの で、あらましを述べよう。日本での新薬開発プロジェクトは、ここ十数年、順調に減り続けている。日本の製薬企業で働く日本人の数も減り続けている。特に 減っているのは研究者である。日本で実施されている治験での被験者の総数も長期低迷していると推測される。(これはここ十数年の日本人データ軽視政策の結 果だから、当局・一部の企業の方々にとってはむしろ喜ばしい話であろう。)つまり、民間セクターから日本に落ちてくるR&Dへのお金が今後増える 見込みは低い。こうした影響は、まず弱いところ・小さいところ、例えばCROやSMOと呼ばれる小さな研究開発支援会社の苦境として現れ、そして、徐々に 大きな企業や関連するプレイヤー(大学の研究者など)に広がる。外資系企業での日本人肩たたきの実情は、あなたのまわりにいる企業の方に尋ねてみて頂きた い。生々しい話が聴けるはずだ。
「企業や民間セクターの話など、ワシは知らんし、興味もない。国の研究費が少ないことが問題なのだ」というお上依存体質の識者も多い。何かあるとすぐに 日本版NIH、日本版FDAといった提案をする方々だ。そういう方々には「では、日本の今のR&Dの市場の何割が民間で、何割が公的なものか、ご 存知ですか?」と尋ねてみるとよい。実は国が支えている日本の新薬R&Dの市場の割合は、民間由来のそれに比べたら、ずっと小さい。これは米国も 日本も同様だ。「政府がライフ・イノベーションに数百億円予算をつける」なんて騒いだところで、民間トータルのR&D活動規模と比較したら小さな 額なのだ、というバランス感覚が必要なのである。(ライフ・イノベーション予算が役に立たないと言っているのではない。誤解なきよう。)
バランス感覚と言えば、もう一つ、識者と呼ばれる方々が無視する点がある。日本と米国のR&D活動の規模(例えば試験数や予算規模)は、多くの 指標で二桁近く異なっているという点である。規模がべらぼうに違うのだ。簡単に言って米国:日本=100:1という感じである。日本の政府、企業、大学 が、もう少し予算を増やせば、制度を改善すれば、プロジェクトが成功したら、あるいは精一杯頑張れば、米国とタメをはれるなどと思うのは幻想だ。70年ほ ど前の日本政府・軍部の見通しと驚くほど似た、ヤケクソ的幻想である。
我々の多くは、この日本とともに生きるしかないのだろうな、と思っている。R&D活動で改善できることはないか、貢献できることはないかと日々 考え、そして何かを実行する。しかし哀しいことに、最近の我々の活動や施策はしばしば見当違いで、あらぬ方向を向いている。典型的なのが「なんでもかんで もドラッグラグ症候群」である。薬や臨床研究に関する話なら、たとえその距離が10万光年くらい離れていても、無理やりドラッグラグ(の解消)に結びつけ てしまうという、悪性で難治性の病気だ。いわゆる日本の識者の95%くらいがこの病気に冒されている。
例えば、ドラッグラグと日本の治験の質の向上を結びつける方々がいる。しかし、治験の質が高くなったら、日本の治験やR&D活動がなぜ活性化するのかが私にはさっぱりわからない。経済学的には、むしろ逆の可能性が高いのではないかと考えてしまう。
こうした議論の多くで、科学技術論でいう「枠組みの誤り」があるように思う。ある問題に対していくつかのアプローチがある中、問題解決には不向きの特定のアプローチに固執し、解けもしない問題に無理に適用しようとする誤りである。
ドラッグラグはいわば富める国と貧乏な国の格差に関する問題、つまり南北問題である。むろん日本が貧乏でかわいそうな国の側だ。ドラッグラグを、試験の ルールやガイドラインの改善、試験実施施設や設備の改善、あるいは臨床研究スタッフの能力・質の改善でなんとかしてやろうと思うのが誤りである。そうした アプローチではドラッグラグは改善しない。するはずがない。「遺伝子組換え植物の登場で穀物の生産性が飛躍的に上がるから、地球上の飢餓の問題は一挙に解 決する」などという主張が夢物語であることに気付いている方なら、言わんとすることはご理解頂けるだろう。
真剣にドラッグラグ対策を講じるのであれば、なぜ現状の日本の惨禍が生じているのかのメカニズムをまず知らねばならない。現在の議論では、単なる思い付 きレベルの対策や「開発や申請が遅れるからドラッグラグが生じるのだ」といったバカげたトートロジーが溢れかえっている。対策を立てるのなら、推測される メカニズムに基づいて、登場するプレイヤーへのアプローチ(例えばインセンティブの付与)を考えねばならない。結果として生じる分配の倫理的考察も必須で ある。
さて、日本の臨床研究・試験の方法やあり方、パフォーマンスなどに問題があることは事実である。問題を解決しなければならないと誰もが思っているのだ が、往々にして我々は問題を「臨床研究道」、「臨床試験道」といった「道」として究める類の議論にしてしまう傾向がある。今般の朝日新聞報道を見て感じて いるのも、それだ。企業内の意思決定が、ビジネスの世界でどう生き残るかが目的ではなく、「企業内人材育成道」になったりするのと話は似ている。先述した とおりの日本のR&Dの窮乏を思えば、それもこれもある意味仕方のない現実逃避なのかもしれないが。
しかし冷静にみて、これまで述べてきたような、我々が直面する臨床試験の危機は、「臨床研究道」を究めんとする道場における試合ではないことは、当然の こととして知っておかねばならない。日本政府、企業、大学の眼前にあるのは、あの夜六本木のビルで海老蔵が直面したような、実戦慣れした怖いお兄さんたち との殴り合いである。(あ、すみません、海老蔵は手を出していないのでした。)研究者にとっての殴り合いの相手は、例えば数ヵ月後に命を奪ってしまう難治 性の腫瘍(という疾患そのもの)かもしれない。産業論に興味がある人にとっては、外国企業が殴り合いの相手かもしれない。時には、海外の同じ疾患の患者・ 消費者が闘いの相手であったりもする。こうした中で、日本の社会で新たな治療を待っている患者・家族・将来の患者(社会の構成員すべて)のために頑張らね ば、と思うのだから、我々は実戦を踏まえた議論をしなければいけない。
「臨床研究道 範士八段」「錬士七段」といったすごい方々が、臨床試験のあるべき姿を語ってくださるのはまことにありがたいが、こうしたすごい方々の話 は、殴り合いの喧嘩には役に立たぬことが多いように思う。「有害事象伝達のあるべき姿」について範士八段の先生がいくら立派な講話をしてくださったところ で、現場ではそんな講話をはるかに超えた世界、どうにもならぬほどの乱戦が展開されている。道場の外で、我々を待ち伏せしている、腕の太さが通常人の三倍 くらいあるK-1ファイターのような連中、場合によっては光りモノや飛び道具を隠し持っている連中との喧嘩について、師範の方々は、道を外れたくないから か多くを語ってくれないのだが、我々初心者が知りたいのはまさにそこだったりする。
さらに悪いことには、この医薬品R&Dの世界は、言葉の定義がいい加減である。例えば「有効性」「安全性」「因果関係」といった言葉すら定義が 共有されずに何十年も使われていることを思い出して頂きたい。現実に起きる出来事の解釈は、そうした言葉の定義の欠落によっても、わけがわからなくなって いく。
有害事象の伝達のあり方や試験ルールのダブルスタンダードについて語るのであれば、他にもゴロゴロ転がっているそれと同じくらい大きな(私のような実戦 俗流派からすると、それよりももっと大きく見える)問題、例えば、臨床研究の需要側からのアプローチが欠けていること、お上・規制当局頼みの病理、国際戦 略なきまま素人感覚で始まった1990年代以降のグローバル化の受け容れがもたらしている危機、あるいは、臨床研究の成果を発表する制度(例:一流科学 誌)を欧米が独占している現状について、識者やメディアの方々は、同じような時間と労力を割いて、同じような熱意で語っていただきたいと切に願う。
いや、待てよ。「範士八段の師匠であっても、六本木の路地裏では、刺青をいれたサッカー選手あがりの若者にボコボコにされるだろう」という私の思い込み が間違っているのかもしれぬ。臨床研究道の師匠たちはきっと、そのうちにきっと、驚異的な熟達の技で、日本の臨床試験の諸問題を鮮やかに解決し、日本を臨 床試験・研究の一流国に導いてくれるのかもしれない。そう、六三四の剣という漫画で、剣の達人である六三四のお父さんが、爪楊枝一本でゴロツキ数名を一瞬 で退治したように。
我々の夢が壊れませんように・・・
氏名: 小野俊介(おの しゅんすけ)
現職: 東京大学大学院薬学系研究科 准教授
職歴:
1989年 東京大学大学院薬学系研究科修了。厚生省入省
2002年 金沢大学薬学部
2005年 医薬品医療機器総合機構
2006年 東京大学大学院薬学系研究科助教授。 現在に至る。