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Vol.24031 福島第一原発事故 帰還困難地域の今

医療ガバナンス学会 (2024年2月15日 09:00)


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福島県立医科大学 放射線健康管理学講座
松本智紘

2024年2月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

東日本大震災から約13年。福島第一原子力発電所の周辺は今、どうなっているでしょうか。
2011年3月11日、三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の大地震が発生しました。観測された最大震度は7。沿岸を襲った最大潮位9.3m以上の大津波。およそ2万人の死者・行方不明者を出した未曾有の大災害ですが、東日本大震災が他の地震災害と大きく異なる点は、福島第一原子力発電所(以降“原発”)の事故による、広範囲の放射能汚染です。この事故により、大量の放射性物質が飛散し、原発の半径20 km圏内の方々が避難を余儀なくされました。除染作業などによって放射線量が低下したことで居住可能になり、避難指示が解除された地域もありますが、いまだに線量が高く居住が難しい「帰還困難地域」も存在します。

2024年1月20日、私は初めて帰還困難地域に足を踏み入れました。
震災当時は高校生で、福島県相馬市に住んでいました。相馬市は太平洋に面する市で、沿岸部は津波の被害に見舞われました。しかし、相馬市に隣接する飯舘村や南相馬市の一部などが避難指示区域に指定される中で、相馬市は放射能汚染という観点では、避難が必要なほどの被害はありませんでした。避難指示区域に親戚などがいるわけでもなく、高校卒業後は県外に進学・就職したため、避難指示区域の状況についてはインターネット上の記事で知る程度でした。そのため、今回見学する中間貯蔵施設も、私服で立ち入り可能な線量であるということを知ってはいましたが、なんとなくうっすらと不安を感じていました。

【中間貯蔵施設見学】
中間貯蔵施設は双葉郡大熊町の沿岸、原発のまわりを囲むように設置されています。帰還困難地域に入り、バスに揺られて中間貯蔵施設に向かいながら、窓の外を見ると、家々の屋根瓦などがところどころ崩れたままになっているのが目に入りました。あたりは当然ながらひと気がありません。現在、帰還困難地域を通行する際は、基本的には徒歩や自転車での通行はできません(大野駅周辺などの特定復興再生拠点区域では可能です)。場所によってはまだ線量が高い可能性があるためです。中間貯蔵工事情報センターに到着し、係の方に身分証を見せて降車。情報センターに入り、原発を含む敷地の地図を見ながら、除染土壌の受け入れ・分別施設、土壌貯蔵施設などについて説明を受けます。ヘルメットと手袋を受け取り、再びバスに乗り込んだら中間貯蔵施設ツアーの始まりです。

ツアー中、敷地内に震災当時のまま残されている建物を見ることができました。津波にさらわれ、はるか頭上の梁がむき出しになった水産種苗研究所跡。原発のタービン建屋の熱交換器で温められた海水を使用し、ヒラメの養殖などが行われていたそうです。津波により、職員および関連団体の職員計7名が犠牲になったとのことでした。見学ルートを少し進んだところには、書類などが散乱したままの事務所。地震があったあの時に戻ったような感覚でした。

中間処理施設の敷地内は閑散としています。除去土壌の処理を盛んに行っていた頃は、たくさんの作業員や機械でにぎわっていたそうですが、今は除染により運び込まれた除去土壌の処理をほとんど終えているとのことでした。除去土壌は、放射性物質の漏れ出しを防ぐために二重の遮水シートの上で均し固められます。除去土壌に触れた水(保有水)は排水装置により、浸出水処理施設で処理され、放射性セシウムの濃度などを確認し、問題がないことを確認してから放流されます。除去土壌は放射能汚染のない土壌にしっかりと覆われます。中間貯蔵施設の除去土壌は、法律により2045年までに最終処分がされなければいけません。福島県外での最終処分が目標とされていますが、今のところ最終処分場の受け入れ先は決まっていません。最終処分しなければいけない量を減らすために、中間貯蔵施設では除去土壌の再生利用が検討されています。再生利用とは、例えば、十分な被覆などの処理を行い、安全性を確認したうえで土木資材として活用することだそうです。

http://expres.umin.jp/mric/mric_24031-1.pdf
〈被覆処理された除去土壌の上から見える景色〉

http://expres.umin.jp/mric/mric_24031-2.pdf
〈中間貯蔵施設の工区の様子〉

中間貯蔵施設の施設内には、周辺を見渡せる小さな展望台があります。登ってみると、事故のあった福島第一原子力発電所が目の前にありました。建物のまだら模様がかろうじて見える距離ですが、確かにニュースでよく見たあの原発です。
「私服でこんな近くまで来られるんだ…」
原発を目の前にして、最初に抱いた感想はこれでした。原発も廃炉に向けて環境整備が進んでおり、普通の作業着で歩くことができる、ということはインターネットの記事で知っていました。しかし、実際に肉眼で見える距離まで来てみると、咄嗟にそう思ったのです。地震が起きた当時、情報が混迷する中、原発は大きな恐怖と不安の根源でした。メルトダウンが起きれば東日本は焼け野原だろうなあ。そんなことを当時高校生の私は両親から聞かされていました。少しでも原発から遠ざかろうと、家族みんなで一時的に相馬市の自宅を離れました。地震から約一か月後、学校が再開するとの情報を得て自宅に戻り、それなりに震災前の生活を取り戻してからも、原発事故由来の問題に悩まされました。水や食べ物に不安を感じたり、県外では福島県出身と言った瞬間、腫れ物に触れるような扱いをされたりしました。様々な問題の中心にあった原発が、今目の前にあります。複雑な感情がこみあげると同時に、ここまで除染、環境改善に取り組まれた方々の不断の努力に深い尊敬の念を抱きました。

ツアーの最中、中間貯蔵施設の職員の方が丁寧に説明をしてくださっていました。見学ツアーを始めてからは、最初は県内の方がよく来られていましたが、だんだん県外の方も多く来られるようになったとのこと。九州や、海外の大学などからも見学の方が来ているそうです。除去土壌の処理など、いまだに現地が抱えている課題はたくさんあります。それらの解決には、県外の方々の理解と議論が欠かせません。様々な方が今も関心をもって現地に来られるのはとてもありがたいことです。ツアーを終えて簡単なアンケート記入・質問タイムの後、バスに乗り込み、情報センターを出発しました。案内をしてくださった職員の方々が、深々と礼をして私たちを見送ってくださいました。

【東日本大震災・原子力災害伝承館】
靴の裏で被ばく線量の測定を済ませ(問題ない値でした)、向かった次の目的地は、双葉郡双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館です。午後4時頃、あたりは大分暗くなっていました。

http://expres.umin.jp/mric/mric_24031-3.pdf
〈東日本大震災・原子力災害伝承館〉

伝承館は広々としたきれいな建物でした。入館料600円(高校生以下は300円になります)を支払い、順路に入ると、そこは巨大な円筒形のシアターでした。白い壁全体にダイナミックな映像やアニメーションが映され、福島に原発ができた経緯、地震や津波、原発事故発生当時の状況が切々と語られます。5分ほどの映像で震災当時に引き戻されました。リアルな津波の映像などもあるため、視聴の際は注意が必要です。

シアターの壁に沿って設置された螺旋階段を上りながら、震災で起きたことを時系列で追うことができます。階段を上りきると展示ブースです。ブースは5つに分かれており、それぞれ「災害の始まり」、「原子力発電所事故直後の対応」、「県民の想い」、「原子力災害の影響」、そして「復興への挑戦」を表しています。震災前の原発に関するポスターや、津波の威力を物語る破壊された物品など、震災の時を切り取ったような展示品が当時の状況を訴えてきます。臨場感あふれる映像やわかりやすい文章資料もたくさんあり、震災当時を鮮明に思い出しました。私も福島県出身でありながら知らなかったこと、理解できていなかったことをたくさん学ぶことができました。展示内容が充実しているので、初めて訪れる方は、観覧時間は1時間ほどを考えておくと良いでしょう。
最後のブースでは福島イノベーションコースト構想の紹介がされていました。福島イノベーションコースト構想(福島イノベ構想)とは、東日本大震災および原子力災害によって産業が失われたり、甚大なダメージを被ったりした福島県沿岸地域などにおいて、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクトです。私は福島イノベ構想の存在をこのブースで初めて知りました。「廃炉」、「ロボット・ドローン」、「エネルギー・環境・リサイクル」、「農林水産業」、「医療関連」、「航空宇宙」といった分野で発展を目指すようです。被災地がただの「かわいそうな被災地」で終わらず、震災をバネに、震災の前よりも活き活きとした地域へと成長していくこの構想は非常に夢があります。科学技術に対する慢心の結果とも言える原発事故。その教訓を刻んだこの地が産業の集積地になるからには、誠実なリスク評価と情報発信のもと発展することを切に願います。

伝承館の近くには双葉町産業交流センターがあります。食堂や土産物店があり、ご当地フードなどを楽しむことができます。私はなみえ焼そばが食べられると聞き、とても楽しみにしていました。なみえ焼そばは双葉郡浪江町の名物B級グルメで、全国ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」で1位に輝いたこともある逸品です。極太の麺、豚肉ともやしを基本としたシンプルな具材、濃厚なソース。噂には聞いていましたが、私は一度も食べたことがなく、この機会にぜひと思っていました。しかし、わくわくしながら提供食堂「せんだん亭」に行ってみれば、なんと営業時間外。営業時間は午前10時半から午後3時までとのこと。非常に残念です。
食堂は閉まっていましたが、目の前に土産物店があったため、お土産を買うことにしました。桃のグミとさるなしのジュースを購入しました。桃のグミは福島県桑折町産の桃、あかつきの果汁が使用されています。際立つ桃の香りと、くせになる芳醇な果実味で、一度食べ始めたら止まりません。さるなしは「コクワ」とも呼ばれる、キウイフルーツを小さくしたような果実で、福島県玉川村が生産量日本一だそうです。ビタミンやミネラルなどの栄養素がたっぷり含まれているとのこと。さるなしのジュースはさっぱり甘酸っぱく、夏に冷やしてぐびぐび飲みたい味でした。ウォッカなどを加えてもおいしいかもしれません。
半日程度の中間貯蔵施設および東日本大震災・原子力災害伝承館の見学でしたが、とても学びの多い訪問だったと思います。

【所感/総括】
現地で特に思ったことは、ニュースやインターネットの情報で知識はアップデートされても、イメージをアップデートするのは難しいということです。「原発は危険」という震災発生当時のイメージが強く、懸命な環境改善により敷地内に私服で立ち入れるようになった今でも、言いようのない不安を感じていました。不安や警戒は悪いことではありません。しかし、現実を理解しないまま膨らんだ不安は、事実を冷静に吟味し、最適解を見つける妨げになるかもしれません。そして、いくら情報を追って知識を更新しても、感覚を更新するのはなかなか難しいのです。ずっと県外にいた私は、今回現地を訪ねることで感覚を少し更新できた気がします。やっぱり現地に行かないとわからないことがある、と思いました。
今は閑散としている帰還困難地域ですが、この広い土地をキャンバスとして、これから様々な分野の産業が発展していくことが期待されます。大変な経験を乗り越えたからこそ、得られた強さもきっとあります。私も福島県に戻ってきたからには、地域の動向を発信し、少しでも復興の助けになれるよう尽力してまいります。

最後に、今回食べ損ねたなみえ焼そばについては、次回訪問時には何があっても食べようと思います。

【謝辞】
今回の中間貯蔵施設見学および東日本大震災・原子力災害伝承館の見学は、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)の共創の場形成支援プログラムにおける「災害など危機的状況から住民を守るレジリエントな広域連携医療拠点」の活動の一環として参加いたしました。このプロジェクトでは、災害などの危機的状況において、市民が困らずに医療ケアにアクセスできる社会の構築を目指し、5つの大学、15の企業、5つの自治体が協力して技術開発等に取り組みます。今回の見学で得た学びを今後の活動に活かしていくとともに、関係各位には深く感謝申し上げます。

災害など危機的状況から住民を守るレジリエントな広域医療拠点 WEBサイトURL
https://research-center.juntendo.ac.jp/coi-next/

 

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