医療ガバナンス学会 (2011年1月26日 06:00)
小松恒彦
帝京大学ちば総合医療センター 血液内科教授
「医療報道を考える臨床医の会」 発起人代表
2011年1月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
■1980年代~1990年代、新薬への期待が溢れていた頃
私が医師になった1989年当時、現在であればあって当然の薬でも、国内には存在しない薬剤がたくさんあった。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)の院内感染が大きな問題になっていたにも関わらず、MRSAに効く抗生物質が存在しなかった。
多くの臨床医が「バンコマイシン」の発売を心待ちにしていた。真菌(カビ)に効く「フルコナゾール」、一部の白血病の特効薬「ベサノイド」など、それま では治療できなかった病気が新薬の登場で容易に治療できるようになり、無邪気に新薬の発売を喜んでいた。医学、医療の未来は明るいと思い胸が弾んでいた。
■新薬の限界と医療制度の壁
1990年代後半になり、私自身も医師としての経験が増えてくると「やはり薬だけでは解決できない」という思いが強まった。当然のことだが、すべての病 気が新薬で治るわけではないことに気づいたのである。また日本発の新規抗がん剤はほとんどなく、欧米では使える薬剤が日本には存在しない「ドラッグラグ」 の問題も顕在化してきた。
その頃私は「在宅化学療法」というテーマに挑戦していた。若い患者が多いイメージだった血液がんでも患者の高齢化が目立ち、通院が負担となっていた。と いって入院とすると、体力気力が減退してしまう。そこで私は訪問看護ステーションと連携し、抗がん剤を抱えて往診に行く、という珍しいスタイルを試みたの である。
そこで医療制度の壁に直面した。そもそも医師、看護師が往診にいくことは診療報酬上極めて効率が悪い。外来ならば半日で10数人を診察できるが、往診で はせいぜい1~2人である。抗がん剤に伴う白血球減少に対し白血球増加刺激剤(G-CSF)の投与を行うと「医師の診察なしに薬剤を使用することは医師法 上問題がある」といわれボツに。ならば白血球減少期に抗菌剤を予め処方しようとすると「予防投与は認められない」と。
口では「外来化学療法」とか「在宅医療」とか言っても、それに見合った制度改革は全くなされていなかったのである。この経験から「一臨床医では壁を破れ ない」という思いが強まり現在に繋がるので、ある意味、いい経験であった。医療制度を熟知しなければ、すぐ壁に当たるのである。
■新規抗がん剤ラッシュの2000年代
2000年代となり、続々と新規抗がん剤が発売された。血液がん領域だけでも、「リツキサン」「グリベック」「マイロターグ」「ベルケイド」「ブスル フェクス」「トリセノックス」「アムノレイク」「サレド」「レブラミド」「トレアキソン」・・・。私ですら使ったことのない薬剤もある。
多発性骨髄腫という血液がんについて論じてみよう。1990年代には、抗がん剤を様々に組み合わせた「プロトコル(抗がん剤の組み合わせや投与量のセッ ト)」が数多く報告されたが、互いを比較検討した研究は極めて少なくどのプロトコルが優れているのか不明であった。しかも抗がん剤治療で小康状態が得られ ても多くは再発する。そのため1990年代後半~2000年にかけて「自家移植」という治療法が流行した。
「自家移植」というのは、抗がん剤治療の合間に、自分の造血幹細胞を分離保存し、その後抗がん剤大量投与を行い保存しておいた造血幹細胞を体内に戻す、という手法である。
移植回数も「1回がいい」とか「2回連続して行った方がいい」とか異論が噴出した。結局、従来の抗がん剤治療のみよりは自家移植を併用した方が生存期間 は延長される、というところに落ち着いたが、1回なのか2回なのか、移植後にインターフェロンを投与した方がいいのか、未だ結論はない。また自家移植を行 えるのは、65歳以下で全身状態が良好な患者に限られる。しかも自家移植を行っても結局再発することも多い。
サリドマイドという、以前副作用で退場させられた薬剤が骨髄腫に有効なことがわかってきたが、2000年頃、当時先進国でサリドマイドを製造している国 はなかった。メキシコ、ブラジル、インドなど後発医薬品を製造している国から、主に医師の個人輸入で入手し患者に処方していた。
個人輸入の問題はさておき、投与量も「400mgが望ましい」「100~200mgでも十分」など、これも異論が噴出。しかも「輸入品は純度に問題があ る」といった論調もでて、何が正しいのか不明。現在、日本のサリドマイドである「サレド」の承認用量は「200mg」。薬価は輸入サリドマイドの 10~20倍に設定された。
その後「ベルケイド」「レブラミド」が発売された。「ベルケイド」は当初、薬効不明の薬剤(現在は解明された)、「レブラミド」はサリドマイドの改良 版、という位置づけであった。しかもこれらの薬剤の使用は「難治、再発に限る」とされている。新薬を最初から使うことができないのである。欧米の主流は 「ベルケイド」「レブラミド」を最初から使っている。これらの新薬は非常に薬剤費が高いため、医療費抑制の観点からこのような縛りがあるのかもしれない。
しかし最初からより有効な薬剤を使うことで、トータルな社会的損失を減らせるのではないだろうか。という訳で、現在、多発性骨髄腫に使える薬剤はかなり 増えた。しかし「検証なき進歩(?)」であり、どういう患者にどういう治療がベストなのかという根本的な問題は解消されておらず、当分は解決の目処もな い。
■業界内での情報共有、は成り立つか
そもそも「医療業界」などという業界は存在するのであろうか。医師、看護師、薬剤師、検査技師、療法士、事務職。私はいま病院の運営にも若干携わっているが、多くの場合利害が相反し、何か物事を決める場合は必ず軋轢が発生する。
「チーム医療」という言葉がもてはやされているが、それは逆に如何に「チーム医療」が根付いていないかを示していると思う。どの業種も、お偉いさまは活動の拠点となる学会に所属し、その権威をもって他に相対する。
このような状況で、より良い医療を構築するには患者と医療者が共通の目標をもち、互いの理解を深めるという地道な作業を継続し、それを行政が制度として実現する仕組みが必要であろう。
医療者と患者の「情報の非対称性」の解消にはメディアの協力も欠かせない。そういう意味では、今回の「がんワクチン報道」は極めて残念である。記者らは正義を実現したと考えているのかもしれないが、あの報道は誰も幸せにしない。
しかし、この騒動を通して多くの人々と出会うことができた。さらにこの問題について互いの立場や考え方を知る機会に恵まれた。マスメディアは「第四の権力」であることを自覚いただき、今回の騒動が「災い転じて福となす」ことを祈念してやまない。
初出:インフォシーク内憂外患
http://opinion.infoseek.co.jp/