医療ガバナンス学会 (2011年1月27日 14:00)
【要約】来る1月26〜28日に宝塚市で開かれる第44回日本臨床腎移植学会の演題募集に際して、修復腎移植5例の医学的要約を行う演題と最適なレシピエントの選択を担当したNPO法人の判定委員会の経験を述べた演題の2演題が、狙い撃ち的に却下されるという前代未聞の事件が起こった。採否を決めたプログラム委員会には学会理事長が出席し、却下を主張したという。
演題の質が低かったからではないことは、医師側演題が5月開催の「米国泌尿器科学会総会」に採用されたことからも明らかである。発表の阻止が却下の目的と考えざるをえない。
この事件は、「臨床試験の自由」という、医学の進歩・学問研究の自由と密接にからんでおり、日本の患者の福祉を阻害する要因が、どこにあるかを明白に示している。
日本移植学会も日本臨床腎移植学会も、法人化していない「任意団体」にすぎず、厚労省が認可した「臨床試験」の結果発表を妨害する権利などない。日本移植学会は07年と08年に定めた倫理規定と生体腎移植ガイドラインを違法なものとして、早急に改訂すべきである。
Ⅰ.臨床腎移植学会とは何か
【日本「臨床」腎移植学会の歴史】
「日本臨床腎移植学会」という学会がある。腎移植は臨床的医療行為として行われるのだから、屋上屋を重ねるような名称だが、もともと1969年に「腎臓移植臨床検討会」として少人数のグループが温泉宿に泊まり込み、かみしもを脱いで浴衣がけで日本の腎移植をいかに普及させるかを熱心に議論したのが始まりで、1991年に「検討会」を「研究会」に改め、2003年になって「日本臨床腎移植学会」と名称変更したものだ。
「日本移植学会」が発足したのは1965年だが、腎移植に関してはそれ以前に1956年の新潟楠移植、1964年の東大第二外科生体腎移植、65年の京都府立医大死体腎移植と何例も実施されている。今に尾を引く「和田心臓移植」は1968年夏のことである。
この「検討会」を提唱し、一貫して支え続けたのが、学園紛争の東大を飛び出し東京女子医大に新天地を求めた太田和夫である。腎移植・人工透析の技術及びシステムの開発に尽力し、死体腎ドナーのネットワークの整備にも力を注ぎ、「臓器移植法」成立(1997)にも協力した。
が、明らかに内部告発に基づくと見られる「読売」の「欠陥US腎」輸入問題で失脚させられた。97年3月の定年退職後も「太田医学研究所」開設し、主として腎移植登録と統計作成という地道な作業を引き受けていたが、大腸がんを発症し、2003年の「学会化」に伴い事務局機能をかつて女子医大の助教授だった、新潟大学の高橋公太に引き継いだ。
太田の活躍の場であり、今も腎移植数で日本一の実績を持つ東京女子医大に、事務局が残らなかったのには、理由があるが推測になるので避ける。
【病腎移植事件と臨床腎移植学会】
これまで「日本移植学会」の中の分科会にすぎなかった「臨床腎移植学会」が、急に脚光を浴びる契機となったのは、2006年11月に表面化した「病腎移植」事件である。移植学会は、「第三者間移植は移植学会倫理委員会を通す」という規定に違反しており、「がんの腎臓の移植は禁忌中の禁忌」であるとし、関係病院に調査委員を派遣し調査に当たるとともに、厚労省に働きかけてこれを禁止した。そのために07年3月31日に「移植学会・透析医学会・泌尿器科学会・腎臓学会・病理学会」の「5学会共同声明」を予定していた。この声明を受けて、厚労省が禁止の局長通達を出す手はずとなっていたのである。
ところが3月初めの日本病理学会理事会は、共同声明への参加を正式に拒否した。病理学的調査を行った3人の委員の誰も「腎癌の再発」を認めなかったのである。移植した臓器ががん化するのは小腸移植のような特殊な場合で、レシピエントに発生する癌はほとんどすべてレシピエントの細胞由来であることは、病理学的常識である。
昨年11月の病理学会(小倉市)で慶応大の向井萬起男助教授と朝食を共にした。宇宙飛行士向井千秋さんの夫である。開口一番「移植学会の連中は、腎癌が移るなんてバカなことをいうから、笑ってしまうよ」と彼は言った。向井君の話によると、移植医には驚くほど免疫学の基礎知識も、がんの基礎知識も欠けているという。慶応大の病理診断部に籍を置いているだけに、十分な経験に裏打ちされた発言だと思う。
同じような意見は、今回の「臨床腎移植学会」の招待講演者になっているハイデルベルグ大学移植免疫学オペルツ教授からローマの学会で聞いた。07年6月のことだ。「通常の免疫抑制剤は臓器拒絶にからむT細胞系は抑制するが、癌細胞を殺すNK細胞は抑制しない。だから仮に小さながんが移植時に持ち込まれても、NK細胞により破壊されてしまう」。それが彼の説明だった。
後付けの説明になるが、病理学会理事会は正しい決定を行ったのだ。少なくとも今春、創立100周年を迎える「日本病理学会」の歴史に汚点を残さなかったといえよう。
病理学会が参加を拒否したことで、数合わせのために急遽声がかかったのが「臨床腎移植学会」である。通常このような重要事項は理事長(高橋公太)だけでは決められず、常任理事会あるいは理事会、場合によっては評議員会の決定が必要になる。事実「日本腎臓学会」は理事会の議決を経ていないからという理由で当日の参加を保留している。従って3月31日(学会役員の任期満了日)の共同声明に正式に参加したのは「日本移植学会、日本透析医学会、日本泌尿器科学会、日本臨床腎移植学会」の4団体である。腎臓病学会は5月の理事会の後で正式に参加した。臨床腎移植学会が移植学会の下部団体であり、実質は「3学会」であることを正確に書いたのは「産経」だけで、他紙はすべて「日本腎臓学会」を入れて「四学会共同声明」と書いた。
【法人格のない学会】
07年6月以後、小径腎癌を用いた第三者間腎移植がオーストラリア・クイーンズランド州ブリスベーンで50例近く実施され、その成績が極めてよいことが日本で報道された。(ニコル移植)
ニコル教授の論文は英国の専門誌にも発表された。42例の日本の万波移植もヨーロッパやアメリカの学会で報告され、好意的に評価をうけ、08年1月にはフロリダの「全米移植学会冬のセミナー」で優秀論文トップ・テンの一つとして表彰された。
これらの影響を受けて、カリフルニア大学サンフランシスコ校やマリーランド大学でも小径腎癌を用いた移植術が始まった。ニコル教授はその後ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジ病院に移っており、英国でも修復腎移植が始まっている。
こうした世界の動きを無視して、日本の「臨床腎移植学会」は「病腎移植」(修復腎移植)をあくまで阻止しようとしている。その方策として彼らが採用しているのが、「学会に演題を発表させない」、「腎移植認定医制度を設け、修復腎移植をする医師を認定医から排除する」という二つの方法である。
この問題を掘り下げる前に、「日本移植学会」と「日本臨床腎移植学会」の「日本医学会」における位置ならびに法的位置について見ておこう。「日本医学会」は日本医師会の学術面を担当する学会で、正式に認可された学会はその「分科会」として位置づけられている。現在の会長は高久史麿である。日本医学会所属団体はグーグルで「日本医学会」を検索すると、その認定番号と「法的人格」の有無がすぐに一覧できる。
それによると「日本移植学会」は番号79、会員数3,100名、理事長寺岡 慧、日本医学会評議員寺岡 慧、法人格なし、認定・専門医制度なし、となっている。ちなみに「日本病理学会」は番号6、会員数4,100名、理事長青笹克之、日本医学会評議員青笹克之、法人格=社団法人、認定・専門医制度あり、となっている。
ところが問題の「日本臨床腎移植学会」は「日本医学会」に加盟しておらず、法的人格もない。理事長が新潟大学高橋公太で、事務局は京都府立医大移植・再生外科に置かれており、会員数は約1500名である。法人格がない点では「日本移植学会」も同様である。社団(結社)であって、法人格を持たないものを「権利能力なき社団」という。「任意団体」とも称する。営利を目的とする会社は商法の規定に基づいて登記すれば容易に法人となれるが、学会のように公益を目的とするものは民法の適用を受け、監督官庁の許可が必要である。
歴史の長い「日本移植学会」が「日本医学会」分科会であるにもかかわらず、未だに社団法人になっていない理由は不明だが、「移植専門医制度」を持っていないことに注目する必要がある。このことは日本おいて「移植専門医」がシステマティックに養成されていないことを意味する。外科医もしくは泌尿器科医がたまたま必要性に迫られて、肝臓や腎臓などの移植を手がけているだけで、養成にあたって視野の広い、基礎免疫学や免疫抑制剤などについての教育を受けていないことを示している。上述の向井発言やオペルツ・コメントは、このことを支持している。
ちなみに「病理専門医」の場合は、筆記及び実技(顕微鏡診断)の試験制でこれは相当高度の問題が出る。さらに受験資格において一定の病理解剖経験数、生検標本診断数、細胞診経験数、全国及び地方の学会への演題発表数・参加回数がチェックされる。同時に所属する施設から報告された年度別の病理解剖数、生検数、細胞診件数との照合が試験委員会で行われる。コネや情実の入る余地はまったくない。受験希望者は、皮膚、血液、脳など一般病院で経験する機会が少ない分野については、研鑽のために各地で開かれるセミナーに自主参加している。
病理学会はこのような制度で現在約2,000人の現役病理専門医を確保しているが、不足が喧伝されている小児科医よりもはるかに不足している。08年に「病理診断科」が標榜科として認定されたことから、全国で病理志望の研修医・大学院生は増加傾向にあるが、その効果が医療現場に現れてくるのはなお数年先のことである。
Ⅱ.腎移植認定医とは何か?
【権利能力なき集団による「腎移植認定医」制度設定】
「日本臨床腎移植学会」は任意団体であり、「権利能力なき社団」である。それが「腎移植認定医制度」制度を発足させたのは、厚労省がいわゆる「病腎移植」を禁止し、これを保険診療からはずした07年秋のことである。
「四学会共同声明」への参加でスポットの当たった「臨床腎移植学会」は2003年から「日本移植学会」内部で検討されていた「移植専門医」制度の検討を打ち切り、「腎移植認定医」制度を独自に発足させることを決め、理事会決定を経て07年2月の第43回日本臨床腎移植学会(学術会長、京都府立大吉村了勇)の総会で制度発足を決めた。
専門医制度発足に際しては、これまでに十分専門医としての実績のある医師と未経験な医師を同一の試験制度で扱うわけに行かず、経験者を優遇する「経過措置」と「新規認定」の二ステップに分かれるのが通常であり、この場合も07年9月から4年間の年限をかぎって「移行措置」が開始された。10年度9月受付分で移行措置は終了し、11年度からは「認定細則」が適用される。
「腎移植認定医」の実態とレベルは次項で詳しく検討するが、ここでは経過措置の場合も、新規認定による場合も、認定医の有効期間は5年であり、いずれの場 合も審査料2万円、登録料2万円の合計4万円を払わなければならないことになっている。つまり認定医であり続けるためには5年ごとに4万円を支払わなけれ ばならない。年会費は5000円だが、学会誌を発行しておらず、学会参加費は1万5000円であるから決して安くはない。
これだけの金銭的負担を行って「腎移植認定医」となって、何かメリットがあるかというと実はまったくない。10年7月 の「改正臓器移植法」施行を前に、厚労省は死体腎移植の保険点数を上げ、家族間移植を主体とする生体腎移植の保険点数を従来の半分に減額し、政策的に死体 腎移植の普及を誘導している。「腎移植認定医」となっても儲かる死体腎はほとんどなく、生体腎移植が中心であるから、こういう腎移植を行っても病院での評 価は上がらないのである。
また日本医学会の分科会でもなく社団法人でもない「権利能力なき社団」が作った制度を厚労省の役人が評価し、保険点数上でドクターズ・フィーを認めて優遇するというような事態も考えにくい。このような制度をあえて07年2月の総会で発足させることを決めた理由は、「病腎移植関係者を排除する」という意図があったとしか考えられない。
現に「認定医制度委員会委員長」の相川 厚は、「2006年10月、腎臓売買事件に端を発した病腎移植問題、そして渡航移植など多くの問題を抱える日本においては今まさに必要とされる制度であります」と、その制度発足説明文の中で述べている。語るに落ちるとはこのことだろう。
しかし多くの泌尿器科医が、日本臨床腎移植学会が「権利能力なき社団」であり、日本医学会の分科会でもないことを知らない。ただ漫然と「腎移植をやる以上、関連学会だから入っておこう」と考えているようである。
【「腎移植認定医」のうさん臭さ】
名前は実を表すものでなくてはならない。「腎臓移植認定医」と言われれば、素人はだれでも腎移植のプロフェッショナルだと思うだろう。ところが学会の「移 行措置」を読むと、「臨床腎移植学会」へ3年以上の加入歴と、内科認定医または専門医、小児科認定医または専門医、外科認定医、専門医または指導医、ある いは泌尿器科専門医の資格があれば、内科医でも小児科医でも、外科医でも「腎臓移植認定医」の資格が簡単に取れてしまうのである。
1) 経過措置:ここでは新規加入者も会費を3年分遡って支払えば、「3年以上の加入歴」と見なすと書かれている。
次に業績だが、論文と学会もしくは研究会発表数が合計で3以上あればよいことになっている。論文は筆頭者である必要はなく、学会/研究会発表のみの場合は、1個は筆頭であることが要求されている。
3番目は診療実績で、これは外科系と内科系に分かれている。
まず一番重要な外科系だが、腎臓のドナー、レシピエントの手術経験が各5例以上それもドナーに関しては助手であってもよく、10例を経験するのに要した期間も問題にされていない。
要するに腎移植を自ら5例以上行っていれば、認定医になれるのである。
内科系はどうか。まず第一は、移植後に生じる腎機能障害を人工透析、腹膜透析、血漿交換などで治療した経験で、3例が要求されている。ついで免疫抑制剤の 使用経験で、同じく3例。三番目が術後内科合併症の治療経験で、これも3例。その次に来るのが、思わず笑ってしまうが、「腎移植手術の見学」2例。
最後に非常に深刻なのは、「移植腎生検の診断」5検体である。これは腎臓内科医あるいは小児科医が、拒絶反応の有無の病理診断を行っていることを意味している。08年 に「病理診断科」の標榜が認められ、すべての病理標本は病理診断科で一元的に診断するようになったのに、まだ内科系の病理診断を認めているのである。病理 医にまかせれば、移植された腎臓内に浸潤しているリンパ球を免疫酵素抗体染色法でどのT細胞かを染め分けて、非特異的な炎症反応か拒絶反応かを容易に区別 することができる。
2)新 規認定:通常の場合、大先輩がいるので認定制度の移行措置は基準が緩やかで、新規認定になると筆記試験が導入され、認定医になるのが難しくなる。これは認 定医制度そのものが良質の専門医を育成することを目的としているからそうなる。相川委員長も挨拶では「腎移植認定医制度は腎移植の臨床の質を担保し、倫理 的に正しい腎移植の発展を期するものであり、腎不全患者さらには一般国民の福祉に貢献するものであります。」と述べている。
では本当に新規認定の「腎移植認定医」は「腎移植の臨床の質を担保する」ものになっているのだろうか? 11年度から始まる「新規認定」にかかわる「日本臨床腎移植学会認定医制度細則」を見てみよう。
第5条に「認定医申請資格」が書かれているが、日本国の医師免許があるのは当然として、他の3項目は1)申請時に3年以上継続して学会員であること、2)内科系は通算1年以上、外科系は通算3年以上の腎移植医療の臨床修練を行い、必要な経験と学識技術を修得し、かつ医療倫理を遵守していること、3)総 会に1回以上の参加かつ総会教育セミナーに1回(2単位)以上の参加があること。総会教育セミナーに参加が不可能な場合は1日集中セミナー(2単位)以上 の参加で代用できる、となっている。さらに第7条で「試験は口頭試問で行う」と規定されており、筆記試験はない。試験委員数は10名である。
重要なことは「移行措置」で必要とされていた他学会の「専門医」または「認定医」資格が必要とされていないことである。
これはとんでもない制度である。「移行措置」の方はそれでも各学会の専門医または認定医の資格を前提として、論文・学会発表数、手術件数などクリアすべき 具体的数値が明示されていた。新規認定の場合は他学会の専門医や認定医である必要はなく、内科系で1年、外科系で3年の臨床研修をすれば、基本的に「腎移 植認定医」の申請資格が得られ、申請書類を出せば試験は口頭試問で行うというのであるから、これは「認定医のダンピング」としか言いようがない。
聞くところによると日本移植学会の会員数は、08年の新規入会者82名に対して脱会者が403名もあり、300人以上の純減があったという。団塊の世代が現役を引退すると学会の会員数は急減するが、学会自体に魅力がないと、新入会員は増えず会員総数が減少に向かう。
移植学会で起こっていることは、「臨床腎移植学会」でも起こっていると見るのが妥当であろう。1500人の会員の大半が50代 の後半以上なのではないか。学会への出席が異常に強調されていることを合わせ考えると、「認定医制度」は「臨床の質の担保」などというものではなく、学会 員の確保と「認定医」という称号をばらまくことで、5年に1回4万円の更新料を確保する方策ではないかとさえ疑念を抱かせる。
もっと言えば2003年から日本医学会分科会である「日本移植学会」内部での「移植専門医」の議論が、臓器別分野の利害が錯綜してまとまらない状況を、06年11月の「病腎移植」事件を奇貨として、年間約1000件ある腎移植のみを対象に、この分野だけの先行設置に踏み切ったというのが「腎移植認定医」制度の本質であろう。
Ⅲ. 修復腎移植の臨床研究の展開
【「修復腎移植」の禁止と撤回】
「病腎移植」は前述のように、度重なる国際学会発表では高く評価されたが、国内では07年3月30日の髙原史郎阪大教授による「市立宇和島病院の25例の追跡調査結果がきわめて悪い」という、いわゆる「髙原発表」を受けて、翌31日「医学的にも医療倫理的にも受け入れがたい」とする「四学会共同声明」が発表され、すぐさま厚労省はこれを受けて「病腎移植」禁止の方向に動き、1ヶ月間のパブリックコメント聴取を経て、7月12日「病腎移植原則禁止」の局長通達を都道府県及び政令指定都市の首長宛に通達した。
これに対して「病腎移植」の恩恵を受けた患者らは06年12月11日患者会「移植への理解を求める会」を発足させ、「病腎移植」を「修復腎移植」と呼び、この新しい医療行為への理解と普及を図る運動を立ち上げた。
07年に入ると「修復腎移植を考える超党派の議員の会」が活動を始め、この問題について修復腎移植関係者、移植を受けた患者、学会関係者、国外の専門家、厚労省担当官の聴聞を行った。その結果、「修復腎移植」の有効性と安全性について確信を得て、08年12月厚労省に対して「臨床試験」としての再開を認めるように強く勧告した。
他方、すでにNPO法人になっていた「理解を求める会」は修復腎移植の禁止により移植待ち患者が被った「幸福追求権」の抑圧に対して損害賠償訴訟を国と学会幹部を相手取って起こす用意をしていたが、新たな「国家賠償裁判」の発生を恐れる厚労省は、国会議員と患者団体の圧力に屈し、09年1月、先の通達にいう「いわゆる病腎移植は臨床研究として行う以外に行ってはならない」という文言の「臨床研究」の対象疾患は限定しないという追加通達を出した。つまり「小径腎癌」を利用した修復腎移植の臨床研究を全面的に認めたわけである。
【「修復腎移植臨床研究」の開始と経過】
この結果を受けて医療法人徳洲会本部では、「臨床研究計画書(プロトコル)」の作成作業に入った。これには、①プロトコルのデザイン、②研究に必要な症例 数の決定、③研究参加施設の選定、④ドナーとレシピエントの選定方法、⑤ドナー及びレシピエントの手術場所、⑥レシピエントの治療と追跡の場所と方法、⑦ 「臨床計画」の登録場所の選定など、膨大な事務調整と書類作成の作業を必要とした。出来上がったプロトコルは、①厚労省、②大学医療情報ネットワーク(UMIN)、③米国NIH臨床試験ガバナンスへの登録を経て、09年12月にやっと実施体制に入り、暮れの12月30日やっと臨床試験第1例(第三者間)が実施された。
当初徳洲会は、「5年以内に第三者間及び親族間の修復腎移植各5例の実施を目指す」計画であったが、10年3月3日に行った50歳代妻(小径腎癌)から50歳代夫(糖尿病性腎症のため人工透析中)への腎移植において、移植手術と生着には成功したものの、入院中の5月16日 に早朝ベッドで急性心停止して死亡しているのが発見された。患者はヘビースモーカーであり、高血圧と不整脈があった。第三者間移植の場合であれば、レシピ エントの適応にならないケースであり、「夫婦間移植」は免疫学的には第三者間移植に他ならない。にも関わらず移植が実施されたのは、妻に腎癌が見つかり透 析中の夫に腎臓を提供したいという強い要望を
抱いて北九州市から宇和島を訪れたからである。
この事件後、「親族間修復腎移植」計画は中止されている。
第三者間移植については、その後、いずれも小径腎癌について、
第2例:4月6日、ドナー50歳代男性、レシピエント50歳代女性
第3例: 4月27日、ドナー70歳代男性、レシピエント60歳代女性(2度目の修復腎移植)
第4例: 7月24日、ドナー60歳代男性、レシピエント60歳代女性
第5例: 8月25日、ドナー60歳代男性、レシピエント50歳代女性
と実施され、手術はすべて成功しドナー、レシピエント共に社会復帰を果たしている。徳洲会プロトコルが「5年」と見積もった予定期間は、たった9ヶ月で達成されたのである。
このことは日本における腎癌の年間発生数とそれに占める直径4cm以下の「小径腎癌」の割合をもとに推計すると、「小径腎癌は年間2000例以上発生しており、これらを腎移植に利用すれば数年間で日本臓器移植ネットワークに登録している移植待ち患者を一掃できる」という雑誌「医学のあゆみ」での著者らの主張を支持するものである。
【ユニークなレシピエント選定】
このプロトコル実施に当たっては、東京西徳洲会病院(東京都昭島市)に移植事務室並びに倫理委員会が設置され、それぞれ泌尿器科医で琉球大学名誉教授の小川由英氏、心臓外科医で元筑波大学教授の三井利夫氏が統括した。
この中央委員会ではドナー及びレシピエントの適格性について医学的・倫理学的審査を行い、その結果をドナーに関してはドナー担当病院に、レシピエントに関しては、移植手術が行われる地元宇和島のNPO法人「移植への理解を求める会」の内部に設置された、5人の委員からなる「外部判定委員会」が中央判定の妥当性をチェックする仕組みを採用した。
この5人には、法学者、弁護士、生体腎移植者、現役移植医・泌尿器科医、元公立病院長が含まれているが、移植術を行う宇和島徳洲会病院関係者は含まれていない。
レシピエントの登録は宇和島徳洲会病院で行われ、腎機能検査を含め健康診断を受けた後、腎移植が必要と判断されれば移植待ち患者リストに登録される。「臨床研究」が始まった初期には、「修復腎移植」が知られておらず、登録者は6人程度であったが、現在では60名近くに増加している。
日本移植学会の理論によれば「がんの腎臓」の移植を受けたわけであるから、レシピエントに何時がんが再発・転移しても不思議ではない。その責任は負いかね る、という理由で患者が居住地の病院で診療拒否に遭う恐れがある。このため術後の患者の管理については、「宇和島徳洲会病院へ通院可能である」という条件 が「第一次臨床試験」の5例に関しては架せられた。具体的にはレシピエントは愛媛県内の患者に限る、ということである。
レシピエントの判定は各項目の点数付けで行われ、総点数の高いものが上位になったので、選定項目上、愛媛県居住者は他県に比べて15点という高配点をすることで、この差別化は行われた。
しかし、第一次臨床試験が成功し、第二次臨床試験が始まると、「修復腎移植」の認知度も高まり愛媛県外の協力病院も増え、県外からの移植希望者も増えたため「愛媛県内の患者優先」方針は見直しを迫られている。事実2011年1月12日に行われた通算6例目の修復腎移植では
初めて、愛媛県外(静岡県)の患者に対して移植が行われた。