医療ガバナンス学会 (2011年1月28日 06:00)
Ⅳ.学会への演題投稿と理由なき演題却下
【世界初の前向き「臨床試験」】
「臨床研究」の形で小径腎癌を移植に用いた研究は世界初である。Buellら(2005)が報告した14例はシンシナチ大移植腫瘍登録に偶々含まれていた症例の追跡調査である。万波移植(2008)の7例は一定の計画性と方針の下に行われたものではない。同様にNicolら(2008)の49例も数は多いが、経験的に安全を確かめつつ徐々に適応を拡大しており、「前向き(prospective)」の臨床研究とはいえない。
このような世界初の研究は、当然に「医学コミュニティ」の強い関心を呼ぶはずであり、他方担当した医師は利害を共有する「医学コミュニティ」に対して、結果を公表する義務を負う。それが本来の「学会発表」である。
またこの研究では、純粋に医学的問題だけでなく、「多くの希望者の中から誰をレシピエントとして選ぶか」言い換えると「人工透析の苦痛を脱して普通の生活に誰を戻すか」という難しい選択を、NPO法人内の「外部判定委員会」が行った。死体臓器移植に関してはこの選定作業は「日本臓器移植ネットワーク」が行っており、医師も一般人も関与する余地がない。(寺岡 慧現日本移植学会理事長が、脳死判定者でありながら臓器移植実施者となったスキャンダルはあるが。)
従ってこのNPOの外部判定委員会の経験も、腎移植順位優先者をどのようにして決めたのか、死体腎の配分にかかわる移植コーディネーターにとっても、あるいは将来「修復腎移植」の実施を考えている医師にとっても、貴重な情報となると思われる。
学会とはそのような未知の新しい経験の報告があり、十分な学問的議論が行われて、初めて発展するのであり、さもないと「学会栄えて、学問滅ぶ」ことになりかねない。
冬の時期に開かれる腎移植関連学会は「臨床腎移植学会」しかない。今年の学会長は兵庫県立西宮病院市川靖二副院長で、宝塚市の宝塚ホテルで「第44回」の学会が1月26日から28日までの3日間予定されていた。この学会は医師のみの学会ではなく、看護師やコーディネーターなどいわゆるコメディカルの参加と演題発表を認めている。演題申し込みの締め切りは10年9月25日であった。
【医師側の演題応募と却下】
まず「臨床研究」の演題だが、これは研究総括者の小川名誉教授が筆頭となり、以下のような抄録をまとめ、電子メールで投稿した。
「修復腎移植に関する臨床研究(中間報告)
小川由英 東京西徳洲会病院
小林智治 東京西徳洲会病院
小島啓明 宇和島徳洲会病院
万波廉介 宇和島徳洲会病院
北島敬一 鹿児島徳洲会病院
西 光雄 香川労災病院
光畑直喜 呉共済病院
万波 誠 宇和島徳洲会病院
【背景】1991年~06年に42件の修復腎移植が実施された。医学的に妥当性がないと中断。「植臨床研究に際し、対象疾患については特段制限していない」と厚生労働省からの通知を受け、臨床研究の準備に入り、2009年7月に徳洲会グループ共同倫理委員会において小径腎腫瘍を対象とした修復腎移植臨床研究(第三者間生体腎移植)が承認、米国ClinicalTrials.Gov、大学医療情報ネットワーク(UMIN)、日本医師会治験促進センターへの臨床研究に登録、2009年10月よりレシピエント登録開始。
【目的】小径腎腫瘍(<4 cm)にて摘出された腎を用いた修復腎移植の有用性、安全性を評価
【進行状況】ドナーは年齢51-79歳 男性5、A型1、B型2、O型2名、RENAL scoreは6-7であった。現在までに56名が修復腎移植レシピエント登録(待機中2名死亡)。男性39名、女性15名。年齢31-83歳(平均58.7歳)、血液型A型24名、B型6名、O型19名、AB型5名。2009年12月30日に第1例手術実施、20010年9月現在までに第三者間5例、親族間1例の修復腎移植が宇和島徳洲会病院にて実施、経過観察中。現在のCREは0.77-3 mg/dlで、拒絶反応は合計4回経験した。修復腎臨床研究の概要を紹介し、詳細な臨床経過について報告する。」
この抄録には「親族間移植」の1例が死亡したことが書いてないが、それは口頭で述べる予定だったと思われる。合計4度の拒絶反応が起きており、第三者間移植の難しさを物語るが、血中クレアチニン(CRE)値は0.77-3と正常またはほぼ正常域にある(正常値男性1.2,女性0.7)。
臨床試験そのものの公開も、厚労省への届け出ではもちろん、米国NIHの「臨床試験統括委員会」、東大のコンピュータを利用した「大学医療情報ネットワーク」、「日医の治験促進センター」に登録されている。
研究目的は「小径腎癌を用いた腎移植が死体腎、健康腎を用いる腎移植の代替治療法となるかどうか」であり、5例では症例数が不足のため「中間報告」となったものである。「臨床研究」そのものは、法的に適正な手続を踏んで行われており、関係者の誰もこれが却下されるとは思わなかった。
しかし主催者側は10月30日にプログラム委員会を開催し、個々の演題を審査した結果として、この演題を却下した。その通知は学会長名で行われ、不採用の理由は不明である。
【NPO側演題の応募と却下】
上述のようにNPO(特定非営利活動法人)「移植への理解を求める会」では、レシピエント選定の作業経験をまとめて、次のような演題を応募した。
「修復腎移植における当NPOの関わりと今後の活動について
野村正良 特定非営利活動法人 移植への理解を求める会
河野和博 特定非営利活動法人 移植への理解を求める会
向田陽二 特定非営利活動法人 移植への理解を求める会
仲田篤敏 特定非営利活動法人 移植への理解を求める会
修復腎移植は2009年1月厚生労働省ががんを含め対象疾患に制限を加えないとの見解を示したことが後押しとなり、医療法人徳洲会が第三者を対象とする修復腎移植の臨床研究を実施し、2010年8月までに当初実施計画の5例を宇和島徳洲会病院において実施した。NPO法人移植への理解を求める会は徳洲会との協議を経て、第三者として当該臨床研究におけるレシピエント選定の適格性を判断するため、法人内にレシピエント選定確認委員会を設置し、徳洲会の倫理委員会等の審査機関を経たレシピエント選定を第三者として移植実施以前に確認を行ってきた。レシピエント選定確認委員会は学識経験者、腎移植医、内科医、弁護士、患者団体代表者の5名の医院で構成し、修復腎移植に係るレシピエントの移植候補者の選定に関する確認について、臨床研究に係わる移植事務室から依頼があった場合に、その確認を行っている。演題では当該臨床研究のドナー発生からレシピエント選定、移植までの過程についてその概要を示すとともに、臨床研究における特定非営利法人の関わりについて述べる。また、当NPOは当該臨床研究の拡充のため、特区申請として、「特区修復腎移植ネットワークの構築による臨床研究の推進」を要望事項として申請した。演題ではその内容を示し、腎移植関係者に修復腎移植の推進に理解を求めたい。」
この演題が示すことは、日本で初めて腎移植においてレシピエントの選定作業に、腎不全と人工透析の苦しさを知る患者が積極的に、もっとも妥当なレシピエントを選ぶという作業に加わったという点である。患者、医師、弁護士、学識経験者が一緒になってレシピエントを選定する(実際には本部の選定の妥当性を検証する)というようなことは、日本の移植医療に歴史にかつてなかった画期的なことである。従って、この方法への賛否はともかく、十分に学会の演題として取り上げるに値するものと思われた。
実際、市川会長もこの演題を採用する予定であったことは、10月8日付メールで「学会抄録集」に掲載する筆頭発表者(この場合は野村氏)の顔写真の送付を依頼していることでも明らかである。
ところが11月17日になって「10月30日に開催されたプログラム委員会において審査の結果、貴演題は不採用になった」という市川会長からのメールが届いた。不採用の理由は明らかにされていない。
【演題不採用はなぜ不当か】
06年に表面化した「病気腎移植」問題において、移植学会幹部はさまざまな批判を行ったが、その一つに「こういう新しい医療を学会に報告することもなく、秘密に行って来たのがけしからない」というのがあった。
事実はそうではない。動脈瘤の腎臓移植もネフローゼ腎の移植も、1973年発足以来、毎年開催されてきた「中四国腎移植懇話会」という地方会で発表されている。臨床腎移植学会には60名の医師評議員がいるが、中四国所属6名のうち3名は懇話会の発表を視聴しており、「病腎移植」について認識していた。
「発表しなかったのがけしからない」というから、病腎移植42例の成績をまとめて、07年2月に、5月開催(サンフランシスコ)予定の「全米移植外科学会総会」演題として応募し、採用されると、日本移植学会理事長田中紘一は、メイタス会長宛に「警察が事件として捜査中であり、病理学会を含むいくつかの学会が共同声明を発表する予定であり、貴学会の演題として相応しくない」として却下するように求める公式の手紙を送った。宇和島腎臓売買事件の判決は06年12月に下りており、警察は「病腎移植」に事件性があると考えておらず、捜査していなかった。また、3月末に予定されていた「共同声明」に日本病理学会は参加しない決定をすでに下していた。
このような虚偽を並べ立てた手紙を送り、メイタス会長を動揺させることで、演題発表の妨害を行ったのである。この日本移植学会の公式書簡用紙にタイプされた、脅迫状まがいの手紙はすぐにスキャナーで読み取られて全米の要所に配布され、日本の病腎移植推進派にも届いた。「君の意見には反対だが、その発表を妨害する奴がいたら、生命をかけて阻止する」というのがアメリカ民主主義の根底にある。田中書簡の圧力に動揺し、「本演題は時期尚早であり、来年の学会に再応募することを薦める」という理由で、最終的に演題を却下したメイタス会長をアメリカ人は「腰抜けメイタス」と侮蔑的ニックネームで呼んだ。
このメイタス却下でもその理由は明らかにされていた。一般的に学会の演題却下や雑誌投稿の論文を却下するに際して、その理由を説明するのは学会や雑誌編集部に要求される礼儀である。だが、S紙の記者の電話取材に対して市川学会長は「不採用の理由を説明しないのは、国際的ルールである」と虚偽の説明を行ったという。
仮に演題に手法の上で、あるいはデータからの結論の導き方に問題があるとしても、それを演題として取り上げ、相互批判するのが学会の役割であり、それが開かれた学会というものである。特定の演題を狙い撃ち的に排除するのは、学会そのものが特定の党派であることを宣言しているに等しい。
【二つの演題はなぜ、どのように排除されたのか】
この学会のプログラム委員会は30人であり、その構成は医師26名、看護師2名、移植コーディネーター2名となっている。医師委員が異常に多く、看護師部門、コーディネーター部門の演題選択を独自に行うには、それらの部門の委員数が足りない。
従って10月30日に開催されたプログラム委員会では、部門毎に事前チェックされた19の問題ありとされた演題が全体会議にかけられた。この委員会には、委員だけでなく市川会長と高橋公太理事長が出席していた。つまり純粋な「プログラム委員会」ではなかった。
学会抄録集には学会の年度毎の演題総数の一覧表が掲載されており、この総数が多いほどその学会は盛会であったと見られている。従って、学会長はできるだけ多くの演題応募があることを望むもので、わざわざ演題を審査し却下することはしない。プログラム委員会の仕事は、類似演題をまとめて一つのセッションとし、招待講演、教育講演、シンポジウムなどの特別枠の間にはめ込む作業である。
それなのに今回の臨床腎移植学会では演題採択権をプログラム委員会に付与している。
事前チェックを受けた19演題のうち16演題は大きな反対がなく、ほぼすんなりと採用が決まったが、残り3演題が問題となり、最終的に却下となった。このうち2演題が「修復腎移植」に関するものである。
プログラム委員会には髙原史郎阪大教授(修復腎移植患者訴訟の被告)、吉田克法奈良医大透析部助教授など修復腎移植反対派も加わっていた。これに「四学会共同声明」に加わった高橋公太理事長が参加したのであるから、「演題に発表の場を与えるべきだ」とする良識派の意見は押さえ込まれてしまった。高橋理事長は「上部団体の日本移植学会がその倫理指針において小径腎癌の移植を禁止している以上、下部団体である本学会はこの倫理指針に反する演題を採用するわけに行かない」という主張を展開し、髙原、吉田らの支持を得て、2演題却下を多数決で可決したようである。却下された他の1演題については、状況が不明である。
Ⅴ.移植学会も臨床腎移植学会も頭を切り換えよ
【時代遅れのドナー基準】
以上が臨床腎移植学会における「修復腎移植」の臨床研究に関係した2演題却下の実情レポートである。ところが少し遅れて、「米国泌尿器科学会」の演題に応 募した同じ内容の医師側演題は、採用が決まり5月に開かれる学会で発表されることになった。米国の学会は実質的に世界学会で、世界中から演題が集まる。会 場のスペースの関係で、演題の選択制があるが、レベルの高い演題が集まるから、応募者の方で自己規制を行い自信のある演題しか応募してこない。これが本来 の学会である。
日本は誰が見ても「移植後進国」であり、慢性的なドナー不足に悩まされている。年間腎移植の件数が1000件を超したというが、登録した腎移植待ち患者は1万2000人もおり、移植待ち期間の死亡率は21%に達する。移植待ちの経費負担に耐えきれなくて、登録取り消しをした患者は1万5000人に上る。どういう計算をしても、年間1万人が新たな慢性腎臓病(CKD)として加わる日本の腎疾患構造では、1000件の腎移植で移植待ち患者リストを解消できないのは自明である。
だからこそ、2007年に日本はWHOから「自国のドナーを増やすように」勧告を受けたのである。
その「移植後進国」の学会が腎臓ドナーの供給源を増やす臨床研究の発表を却下し、「移植先進国」の米国が同じ演題を採用する。一体どうなっているのか?
高橋理事長が固執する「移植学会の倫理指針」なるものは、07年11月24日の総会つまり厚労省が「病腎移植原則禁止」の通達を出した後に改正されたもので、「第三者間腎移植」についは、以下のように定めている。
〔2〕(1)-1-② 「当該医療機関の倫理委員会において、症例毎に個別に承認を受けるものとする。実施を計画する場合には日本移植学会に意見を求めるものとする。日本移植学 会は倫理委員会において当該の親族以外のドナーからの移植の妥当性について審議して、その是非についての見解を当該施設に伝えるものとするが、最終的な実 施の決定と責任は当該施設にあるものとする。」つまり移植学会は口は出すが、責任は取らないというのである。この規定が施行されてから3年が過ぎたが、親族外第三者移植について、移植学会倫理委員会に意見を求めた施設と症例数を公表してもらいたいものである。恐らくゼロであろう。
「臨床研究」に関しては次のような文言が「改正倫理指針」にある。
〔5〕 臨床研究:「臓器移植に関する臨床研究を計画する場合には、当該施設の倫理委員会の審査を経て施設長の承認を得た上で日本移植学会に意見を求めるものとす る。日本移植学会は倫理委員会において当該臨床研究の妥当性について審議して、その是非についての見解を当該施設に伝えるものとするが、最終的な実施と決 定と責任は当該施設にあるものとする。」
ここでも口は出すが責任は取らない、という態度が明白であるし、何よりも「臨床研究」というものの本質が理解されていない。例えば病腎移植の臨床研究や腎 移植に先立ってドナーからの骨髄移植を行いレシピエントの免疫系をドナーのそれに置き換えておけば拒絶反応は回避できるが、臨床血液学を巻き込むそのよう な「臨床研究」を評価する能力がいまの日本移植学会にあるのか?そもそも国家であれ、学会であれ「臨床研究」を統制することが学問研究の自由を統制するこ とではないのか?
さらに日本移植学会は08年5月18日の理事会で以下のような「生体腎移植ガイドライン」を制定している。これはドナーとレシピエントの適応基準を項目化したものである。レシピエントに関しては国際的に受け入れられている基準なので割愛するが、問題はドナー基準である。
「1. 以下の疾患または状態を伴わないこととする。
という項目がある。これは20年 以上前のイスラエル・ペンの学説であり、今日欧米で廃れているものである。むしろ日本では胃を中心とした早期がんや子宮上皮内がんが多いが、これを欧米で は「がん」として扱っていないのに対して日本では「がん」として扱っている。がんつまり「悪性腫瘍」の定義と診断基準が日本と外国で異なっている現実に まったく無知である。
さらに、
「 2. 以下の疾患または状態が存在する場合は、慎重に適応を決定する。
a. 器質的腎疾患の存在(疾患の治療上の必要から摘出したものは移植の対象から除く)」
という項目がある。
これは具体的には何を意味しているかというと、親族間のドナー候補で術前の検査で破裂の可能性の高い腎動脈瘤の存在が見つかった。しかしこの場合には、移 植が目的なので、腎臓を摘出して動脈瘤を切除し(修復し)移植することは構わない。しかし第三者の場合、健康診断で破裂寸前の腎動脈瘤が見つかり、腎切除 術がおこなわれることになっても、腎切除の目的が治療にあるので、たとえ修復しても移植に用いてはならない、つまり修復腎移植は禁止する、という意味であ る。同じ病変でも、移植を目的とするかどうかで、移植の適否が分かれるという馬鹿げたダブル・スタンダードである。
日本移植学会の「倫理指針(07.11.22改訂)」は生体臓器移植について、「健常であるドナーに侵襲を及ぼすような医療行為は本来望ましくないと考える。」と唱い、「例外としてやむを得ず行う」ものと位置づけている。ところが現在日本で年間約1000例行われている腎移植手術の80%は親族からの健常ドナーからの移植であり、これは「例外」ではなく「常態」というべきである。移植学会はおそらく移植先進国の指針をコピーして自前の「倫理指針」を作ったつもりであろうが、現実とあまりにも乖離した指針に妥当性はない。
【間違った学会基準】
さて以上の「日本移植学会倫理指針」及び「腎移植ガイドライン」に照らせば、「修復腎移植の臨床研究」は1)第三者間移植であるにもかかわらず、移植学会倫理委員会に届け出ていない(「倫理指針」〔2〕(1)-1-②違反)、2)「臨床研究」を行うことを移植学会倫理委員会に届け出ていない(「倫理指針」〔5〕違反)、3)治療目的で摘出したがんの腎臓を移植に用いている(「生体腎移植ガイドライン」2.a違反)ということになる。
従って、「下部組織として移植学会の倫理指針に従うのが自分の役目である」と公言する臨床腎移植学会の高橋公太理事長は、そのかぎりにおいて間違っていない。しかしそれは「官僚的忠実さ」であり、「移植学会指導部の無謬性」を前提として初めて成り立つものである。
同じようなことは中世から近世への移行期に起こった。ガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見し、ついでアリストテレスの「重さが2倍ある物体は2倍の 早さで落下する」という命題が誤っていることをピサの斜塔の実験で証明し、さらに木星の4つの衛星の観測から、「天が動くのでなく、地球が動くとしか考え られない」と地動説を唱えたとき、法王庁の神父たちは聖書に基づいてではなく、「法皇の無謬性」を根拠に宗教裁判を開き、ガリレオを断罪した。
「日本移植学会」は法人ではなく任意団体であることはすでに指摘した。「人格権能なき団体」を訴訟対象とすることには困難があるので、患者団体はNPO法人を作り提訴権を獲得した上で、学会を構成する主要幹部を損害賠償裁判の被告として選んだのである。
その任意団体が作った「倫理指針」や「ガイドライン」にどれほどの権威や拘束力があるのか?
繰り返しになるが事実関係をもう一度確認しよう。日本移植学会は07年3月30日の「髙原発表」を受けて3月31日に「四学会共同声明」を発表し、「病腎移植」を医学的にも倫理的にも受け入れられない医療だと断罪した。これを受ける形で厚労省は「臓器移植対策委員会」での審議を経て、「臓器移植法」の運用に関する指針(ガイドライン)に一部改訂を加え、いわゆる「病腎移植禁止」を2007年9月15日、指針8として追加した。以下原文を引用する。
「8. 疾 患の治療上の必要から腎臓が摘出された場合において、摘出された腎臓を移植に用いるいわゆる病腎移植については、現時点で医学的に妥当性がないとされてい る。したがって、病腎移植は、医学・医療の専門家において一般的に受け入れられた科学的原則に従い、有効性及び安全性が予測されるときの臨床研究として行 う以外は、これをおこなってはならないこと。また、当該臨床研究を行う者は「臨床研究に関する倫理指針」(平成16年厚生労働省告示第459号)に規定する事項を遵守すべきであること。さらに、研究実施に当たっての適正な手続の確保、臓器の提供者からの研究に関する問合わせへの的確な対応、研究に関する情報の適切かつ正確な公開等を通じて、研究の透明性の確保を図らねばならないこと。」
この厚労省のガイドライン改訂を受けて、日本移植学会の「日本移植学会倫理指針」が同年11月27日に改訂され、翌08年5月18日理事会決定として、「生体腎移植ガイドライン」を制定し「治療目的で摘出した腎臓の移植禁止」を打ち出したのである。注目すべきことは、いずれも自分たちの学問的権威や社会的影響力に依拠したものではなく、厚労省ガイドラインという「虎の威」を借りていることである。
厚労省ガイドライン8は「いわゆる病腎移植」の臨床研究に当たっては、「研究に関する情報の適切かつ正確な公開」による「研究の透明性の確保」を求めており、演題を学会で発表させないという措置は、このガイドラインの精神をまったく無視したものといわざるを得ない。
【「現時点」は刻々と動く】
ところで移植学会幹部が金科玉条としたこのガイドラインは10年1月14日に変更された。つまり厚労省は「現時点」という語句をガイドライン改訂時の07年と狭く解釈し、3年後の「現時点」には当てはまらないとしたのである。「病腎移植」関係のガイドライン変更部分は以下の通りである。
「いわゆる病腎移植の臨床研究の実施に際し、疾患対象についてはガイドラインにおいて特段制限していないこと。
個別の臨床研究の実施に関しては、臨床研究を行う者等が、「臨床研究に関する倫理指針」に規定する事項を遵守し、実施するものであること。」
第1項は移植学会が真っ向から反対している「小径腎癌」を臨床研究の対象として含めてもよいことを意味している。
第2項は、厚労省の「臨床研究に関する倫理指針」に従って行う臨床研究であれば、特定の学会や団体に拘束されないことを意味している。
換言すれば、「日本移植学会」が要求する第三者移植の場合の届け出と学会審査、「臨床研究」の届け出と学会審査、「治療目的で摘出した腎臓の移植への利用禁止」などの規則が、厚労省により否定されたことを意味している。
2008年12月に厚労省が「超党派議員の会」代表及びNPO法人「移植への理解を求める会」代表と会合を持ち、患者団体から突きつけられた新たな「国家賠償裁判」の道を回避するために、「臨床研究」の承認とそのための「対象疾患に制限を設けない」ことを約束することで、2007年9月の局長通達で封印された「病腎移植」は封印が解かれたのである。09年1月の文書はそれを追認するものでしかない。
ところが06年11月から07年3月31日に至るなりふり構わぬ学問的虚偽と政治的動きにより、厚労省を動かし9月17日の「病腎移植」禁止の局長通達を出させることに成功した移植学会と臨床腎移植学会は、勝利に酔うあまり自己絶対化に陥り、病気腎移植禁止を学会指針に盛り込み、第三者間移植と移植に関する臨床研究をも自分たちの管轄下に置こうと、規定改正を行った。
腎移植の行われる施設は「医療法人」または「独立行政法人」などの法人であり、それを行う医師またはコメディカルはその職員である。任意団体である日本移植学会や臨床腎移植学会がこれらの施設や職員を規制する法的権限などないのである。
09年12月30日から開始され、現在までに6例が実施された修復腎移植「臨床研究」の進展により、事態は3年前と大きく変わったのである。今や移植学会が07年に作った「倫理指針」と08年 に作った「生体腎移植ガイドライン」が時代遅れとなり、厚労省新ガイドラインと不一致を来しているのだ。人間は自分に不利な情報は耳に入らないという特性 をもつ。修復腎移植は頭から「悪い医療だ」と信じ込んでいるから、その進展状況も情報が入らず、上部団体の移植学会に遠慮して、今回の2演題却下という措 置に出たのであろう。それが「移植学会の無謬性」を信じてのことだとすれば、「法皇の無謬性」を信じてガリレオを弾圧した法王庁の神父たちと変わるところ がない。つまり学会の形式は近代的だが、中身は中世のままだというしかない。
何度でもいうが、修復腎移植は「コロンブスの卵」、「第三の移植」と呼ばれるように、ドナーとレシピエントの両方を同時に救うことのできる「コペルニクス的転回」をもたらす移植術である。1991年に最初の移植を受けた44歳の男性は、この1月に生着20周年を達成し、この3月には関係者による祝賀会が予定されている。
【患者裁判の現状】
移植学会の幹部5名(田中紘一、大島伸一、寺岡 慧、髙原史郎、相川 厚)を被告としてNPO法人「理解を求める会」のメンバー6人が総額約6500万 円の損害賠償訴訟を起こした。「病腎移植禁止」により、憲法が認めている「幸福追求権」が妨げられたことへの損害賠償である。松山地裁で行われているこの 裁判に筆者は傍聴に通っているが、当初、被告側弁護団長に面会し、「長期にわたる裁判となり、原告側に死者も出るから和解してはどうか」と申し入れたとこ ろ、「学会の名誉がかかっているから、和解には絶対に応じられない」という返事であった。
被告側弁護団の戦略は「本件は高度に医学的判断がからんでいるので、裁判になじまない」という主張を展開し、裁判長に提訴を却下させる方針であった。当初 担当した裁判官は、定年を目前にしており、本気で裁判を行う気配がなく、3回ほど審理したところで弁護士になるため辞任してしまった。4回目の公判は第一 陪席であった女性判事が臨時に務め、新たに別の裁判官が訴訟を受け継ぐことと次回公判のおよその日時を決めた。
毎回の裁判は小法廷で開かれ、原告側は途中死亡した透析患者の訴訟を継承した母親が遺影を抱いて出廷したのを初め、全員が出廷し、弁護団も全員出席した。これに対して被告側は被告の出廷は一度もなく、弁護団の出廷も5名のうち2〜3名に留まった。傍聴席はおよそ30席あるが、報道陣以外の一般人はすべて修復腎移植支持派で、反対派の傍聴者はいなかった。
2010年4月 に新裁判長が着任し、「実質審理を行い、しかる後に司法判断になじむかどうかを決定する」という新たな訴訟指揮方針を明らかにした。これは被告側弁護団の 「門前払い」戦略が破れたことを意味する。事態の急変を弁護団から聞かされた移植学会は大慌てで、「公判支援」資金集めのための「特別委員会」を立ち上 げ、一般会員、評議員、理事という立場に応じて寄付金額を定めその徴収に乗り出した。さらに07年3月31日の「四学会共同声明」に参加した、日本泌尿器科学会、日本臨床腎移植学会、日本腎臓学会に対しても、寄付集めを要請し「特別委員」の選出依頼が行われた。
一方、裁判の方も実質審理に入ったことで、原告側が立証のための「準備書面」として用意すべき資料を裁判長命令により被告側に提出させることが可能になっ た。目下問題になっているのは、①「小径腎癌は摘出するのでなく、がんを切除した後患者に自家移植すべき」という被告らの当時の主張で、該当年を含むその 前後6年の統計が提出された結果、自家移植率は0.2%にも達していないことが明らかになった。②今、問題になっているのは市立宇和島病院の25症例を解析した髙原史郎の患者生存曲線が正しいかどうかで、全カルテが弁護団の手に渡り、解析中である。07年3月30日の髙原発表が捏造であったかどうかは、次回公判で明らかにされる予定である。このように患者裁判も少しずつ原告有利に展開し始めている。