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Vol.23 『ボストン便り』(第21回) 人々の健康(パブリック・ヘルス)のための「言葉」

医療ガバナンス学会 (2011年1月31日 06:00)


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『ボストン便り』(第21回)
人々の健康(パブリック・ヘルス)のための「言葉」

細田 満和子(ほそだ みわこ)
2011年1月31日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から 05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医 療」の理念と現実』(日本看護協会出版会、オンデマンド版)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

アリゾナの民主党議員銃撃事件

ボストンの年明けは比較的穏やかな気候で、12時にボストン湾に上る花火を眺めつつ、新年を迎えました。ところがその後、何度か大雪が続き、最近では我が家のあたりで30時間に及ぶ停電もありました。
そんな中、2011年1月8日、アリゾナ州のトゥーソンで民主党下院議員が銃撃され、9人の死者、16人の負傷者がでたというニュースが入ってきまし た。銃撃されたガブリエル・ギフォーズ氏は、ヘルスケア改革を推進し、銃の規制を強化することを主張する若手の女性議員でした。
ギフォーズ氏は、この銃撃事件が起きる前も、脅迫状を送られたり、事務所のガラス製のドアを破壊されたりなどの嫌がらせを受けていました。それは、彼女 がヘルスケア改革を支持したり、銃の規制を強化することを求めたり、排斥問題が起きている不法移民に対して寛容な態度をとったりしてきたからと考えられて います。
ヘルスケア改革反対、銃の規制反対、移民排斥というのは、共和党と近いティー・パーティが激しく主張してきた事です。ギフォーズ氏の父親は、「娘はいつ もティー・パーティに脅迫されていた」と、ニューヨーク・ポスト誌のインタビューに答えていたそうです。銃撃の後、ティー・パーティはすぐさま自分たちの 会員名簿に容疑者の名前がないか確認して、なかったとアナウンスしました。

攻撃の言葉

ティー・パーティと近い関係にある前共和党副大統領候補サラ・ペイリン氏は、かねてよりギフォーズ氏を「銃撃」の対象にしていました。ちょうどヘルスケ ア改革法が2010年の春に通過した直後、ペイリン氏はツイッターで、ギフォーズ氏を含む20人の民主党議員の選出州に、銃のターゲットとなるマークを付 けた地図を紹介して、「ひるむな、再装填せよ!Don’t retreat, instead- RELOAD!」とつぶやきました。
ペイリン氏がこうつぶやいたとき、本当の銃撃ではなくて、レトリックとして「銃撃」のイメージを使ったと考えられます(もしかしたら、本当に銃撃を扇動 していたのかもしれませんし、よく分かりません)。しかし、この攻撃的な言葉はレトリックというだけではすみませんでした。このペイリン氏のつぶやきの数 日後に、実際にギフォーズ氏の事務所に、何者かによって銃が撃ち込まれたのです。そして、今年に入って、ギフォーズ氏本人に銃口が向けられたのです。
容疑者は、社会非難をネットに書いていた若年男性でした。ティー・パーティとの関係は不明で、彼はかつてギフォーズ氏に面会しに行ったこともあるそうで す。ネットの中の仮想世界と現実との区別がつかなくなっていたのでしょうか。現在、精神鑑定がされているとのことでした。

価値の衝突

「ボストン便り17回 声と民主主義」で書きましたが、ジョン・ダワーは、911の起こった後に、「Day of Infamy(汚名の日)」や「We will never forget(われわれは決して忘れない)」という言葉が、マスコミで踊っていたといいます。そして、ワールド・トレード・センターに追突していったテロ リストたちは、真珠湾攻撃や「カミカゼ特攻隊」と表現され、自爆のイメージが強調されたといいます。ダワーは、その結果、イラクを攻撃すべきという好戦的 な雰囲気がアメリカ社会において醸し出されてきたと指摘し、このような「戦争の文化」を止めなくてはならない、と訴えました。
言葉は独り歩きします。今回のギフォーズ氏の銃撃事件は、ダワーが心配したような事態が再び起こってしまった悲劇です。このような方向に行かないよう、言葉は慎重に、理性を持って使うべきだということを、ペイリン氏に教える人はいなかったのでしょうか。

医療が大切だということは所与ではない

ところで、このアリゾナの事件を聞いたのは、フロリダにおいてでした。アメリカ社会科学会議と国際交流基金がホストを務める会議で、社会学に限らず、政 治学や経済学や法学を専門とする日米の研究者やジャーナリストが、それぞれの問題意識と研究成果を持ち寄って、互いに建設的批判をしながら前進してゆこう という趣旨の集まりでした。
私は、直近の研究テーマである患者団体の意味と役割、患者アドボカシー、患者団体が対抗公共圏となる可能性などについて発表しました。日米の患者団体 が、医療的・社会的サービスの向上のために、どのような方法で、どのように活動をしてきたか、それがどのような肯定的変化をもたらしたか、課題は何かとい うことを示しつつ発表を終えると、とりあえずは好意的な感想を参加者から受けました。ただし、すぐに根源的な質問を投げかけられました。
つまり日本が直面する問題はいろいろあり、すでに医療には巨額の財政が投入されているのに、なぜさらに費用のかかる医療サービスの向上が大事なのかとい う質問でした。異分野の人と話すとはこういうことなのだと思いました。たしかに、フロリダの会議に集まった研究者のテーマは、アジアの安全保障 (security)、人間の安全保障(human security)、日銀の経済介入の評価、インターネットのインフラ整備など、どれも大切な課題で相応の財源を必要とする課題でした。私自身は、発表の 中で公共圏(public sphere)、市民社会と国家(Civil Society and State)、熟議する民主主義(Deliberative Democracy)、社会関係資本(Social Capital)、人間開発(Human Development)という概念を使って、少なくとも患者参加の社会的重要性を説明したつもりでしたが、さらにどうして医療や健康が大事なのかという ところから説明し、テーマ設定自体を正当化すべきだと改めて考える機会となりました。

健康の正義論

たとえばハーバード公衆衛生の哲学の教授ノーマン・ダニエルズ氏の著書『Just Health』は、健康がどうして大事なのかを考える上で示唆に富んでいます。この本の中でダニエルズ氏は、ジョン・ロールズを時には支持的に、時には批 判的に援用しながら、健康への権利は平等に与えられていて、不平等な配分は是正されるべきことを示しました。
ダニエルズ氏は、健康に関する正義論を展開するために、3つの問いを立てました。それは、第1に健康において特別に重要な道徳は何か、第2にいつから健 康格差は不正義となるのか、第3に一部の人の健康が充足されない状況で、いかに人々の健康へのニーズを公正に満たしてゆけるか、です。
第1の問いについては、人々は確かに健康に関するニーズが満たされることを重要と考えており、そうした福祉への機会(opportunity for welfare)はそもそも守られる義務があるという回答を導きました。第2の問いに関しては、健康における不平等はヘルスケアの分配が不公正になされて いた結果であるので、不平等な分配(unjust distribution)を導いた社会的要因があるときに、健康格差は不正義になることを示しました。そして第3の問いへの回答としては、人々の健康の 状況とヘルスケアの提供のされ方に関する正確なデータを示し、分配が正当になされているかどうか合理的に説明できること(accountability for reasonableness)が大切であることを示しました。
このように、健康に「正義」、「平等」、「説明責任」といった言葉が付与され、長生きや病気がないこと以上のものであることが論じられることは、医療や健康を再考する機会となります。

改めて考えるアメリカのヘルスケア改革の困難さ

第19回のボストン便りでは、オバマ大統領の率いる民主党が中間選挙で大敗したことを受けて、なぜヘルスケア改革がうまくいかないのかという理由を、新 聞記事やテレビやラジオ、シンポジウムや個人的面会で知った学者の意見などをまとめて、自由の侵害、法律上の問題、医療費高騰への懸念という3つに整理し ました。(保険会社の反対というのは、あまりにも自明なので敢えて入れませんでしたが、もちろん最大の理由のひとつです。)
しかし、過激さを増すティー・パーティのヘルスケア改革法への反対運動、共和党のヘルスケア改革法撤廃への動き、そしてギフォーズ氏など民主党議員への 脅迫的態度という現状を見てみると、問題はヘルスケア改革そのものなのではない、と思うようになりました。つまり問題は、反民主党、反オバマという政治の 力争いで、ヘルスケア改革は完全に政争の具にされているのではないかと思うのです。
すべての政策が政治的というのは、一部の人にとっては当たり前のことなのかもしれません。しかし、健康が「正義」、「平等」、「説明責任」という言葉で語られるなら、人々の健康に関してもなりふり構わずに政治的であることは、批判されるべきと言わざるを得ないでしょう。

政治的に、政治を超えて

日本においても、人々の健康へのニーズが政治に利用されたことがありました。2009年夏の自民党から民主党に政権交代が起こった選挙においてです。民 主党は、リハビリ診療報酬180日制限撤廃を約束して一定の支持者を集めました。実際、リハビリ制限撤廃運動を起こしてきた人々は、民主党のこの約束を喜 びを持って迎え、この政策が実現されるために民主党を応援したといいます。しかし、現在に至るまで政策は変わっておらず、リハビリ制限撤廃の運動をしてき た人からは、政治に利用されたという義憤の声が上がっています。
人々の健康や医療に関わることは、公的なもので政治的です。しかし逆説的なのですが、それと同時に、健康や医療は、人それぞれの生命であり人生であり、 政治的思惑とは関係なく、とにかく守っていかなくてはならない「ただの健康 just health」なのではないかと思います。今の日本で、健康がどのような言葉で語られているのか。どのような言葉で語られうるのか。現状を注視しながら、 導き出していきたいと思います。

<参考資料>
・Daniels N, 2008, Just Health, Cambridge University Press
・Dower, John, 2010, Culture of War: Pearl Harbor/ Hiroshima/ 9-11/ Iraq, W.W. Norton: NY.
・細田満和子, 2009, アメリカにおけるバイオエシックスの変容:個人の生命に関する問題からパブリック・ヘルスへ、生命倫理, Vol. 19, No.1, pp.120-126
・ニューヨーク・タイムズの記事、New York Times, January 9, 2011, page 1 and 18
・グローバル・ポスト、モート・ローゼンバウム氏の署名記事Special to GlobalPost Published: January 10, 2011 06:01 ET in Worldview

http://www.globalpost.com/dispatch/worldview/110109/gabrielle-giffords-analysis-rosenblum

・襲撃の言葉を使ったサラ・ペイリンのFacebookに関する記事

http://gawker.com/5728545/shot-congresswoman-was-in-sarah-palins-crosshairs

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