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Vol.36 NIHグラントから見えたアメリカの医療イノベーション戦略

医療ガバナンス学会 (2011年2月14日 06:00)


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ベイラー研究所フォートワースキャンパス、ディレクター
松本慎一
2011年2月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


【NIHグラント獲得の反響】

昨年末、NIHから私の研究申請をサポートするという連絡が入りました。私がNIHから研究費(グラント)を獲得したという事実は、地元の新聞に取り上げ られ、私の職場であるベイラーヘルスケアシステムのホームページのトップを飾り、あげくの果てにシャンパンまで頂きました。今までは、研究費は、職場であ るベイラーのファウンデーションやテキサス州内の様々な基金、そして個人からの献金としてサポートしていただいていました。NIHからグラントをもらうと いうことは、お金をサポートしていただくという意味だけではなく、研究者としてNIHが認めたというステータスになるようで、私の想像していた以上の反響 でした。確かに、NIHグラントを獲得する過程において、私が想像さえしていなかった様々なことが起こり、最終的に獲得できた時には達成感がありました。 今回、このグラント獲得の過程で学んだことをお伝えしようと思います。

【医療イノベーションとNIH】

医療分野の研究は、一人でも多くの患者さんを救うという目的で行われてきました。しかし、医療分野における研究の結果として生まれる医療分野のイノベー ションは、病気を治すことだけではなく、より効率の高い医療技術を開発し高騰する医療費を抑制することや、新しい医療技術をライフサイエンス産業に発展さ せ国を豊かにすることなど、新しい使命を持ち始めました。このように、医療イノベーションは、患者さんのみならず国家を救うという意味合いも持ち始めたた め、米国では極めて重要な位置付けになっています。医療イノベーションにつながるライフサイエンス研究は、米国ではNational Institute of Health (NIH) が牽引しています。NIHは20の研究所と7つのセンターから成り、18000人のスタッフを抱え、この内6000名以上が医師や生物科学研究者で構成さ れています。NIHは、自身で研究するのみでなく、およそ300億ドルの年間予算の内8割を外部機関へ研究費(グラント)として提供しています。このグラ ントは、NIHのそれぞれの研究所から提供される仕組みになっています。
今回、私が申請しようと考えていた糖尿病に対する膵島移植の研究は、国立糖尿病・消化器・腎臓疾病研究所(NIDDK)および国立アレルギー・感染症研究 所(NIAID)の2施設が担当となっていました。NIHでは、グラント申請前に事前に担当官に相談することが勧められています。このため、とりあえず、 担当者にどのような研究を行いたいかという内容を書いたメールを送りました。

【担当部署からの連絡】

最初の予想外の出来事は、私のメールが担当者から部署のトップへ伝えられNIAIDのプログラムディレクターであるDr. BridgeとNIDDKのプログラムディレクターであるDr. Appelの両者から直接電話が私にかかってきたことです。この電話の中で、彼らは、私の研究を認めてくれただけでなく、鋭い問題点の指摘もしました 。たとえば、NIAIDは、アレルギーと感染症の研究所ですので、免疫学的に重要であると考えられる、私が提案した移植膵島の拒絶の新しい診断方法を賞賛 してくれました。 ただ、臨床の膵島移植は予算がかかりすぎるために、すでに臨床の膵島移植をNIHがサポートしている施設と共同研究として進めるべきだということで、ベイ ラーからの単独でのグラント申請は否定されました。また、膵島分離成功率の改善の研究は、NIDDKが膵島移植により多くの患者さんが救えるため重要だと 認識してくれましたが、どのように一般に広めるかについては、熟考が必要であることも指摘されました。このような感じで、よい研究を褒めて研究者のやる気 を出させるだけではなく、 言いにくい否定的なことも、成果を出すために遠慮なくきちんと相手に伝えるのです。
私は、一つの研究に対し役人であるNIHのプログラムディレクターが研究の可能性を最大限に引き出すための努力を惜しまないという姿勢に感心するととも に、NIHの役人と実際に研究を行う研究者が一緒にイノベーションを達成しようという意気込みを感じました。それと同時に、多くのスタッフを抱えている NIHだからこそこういったきめの細かいケアができる、逆に言うと、アメリカは、ライフサイエンスの研究は非常に重要であるという認識があるために人もお 金も十分にサポートしていることに気が付きました。

【グラント申請】

NIHグラントを申請するには、膨大な書類作成が必要です。ただし、最も重要な研究計画で要求されている項目は、Significance(意義), Innovation(イノベーション), Approach(方法)のたったの3つです。つまり、自分の研究がいかに人々の役に立つか、イノベーションとしてブレークスルーとなるか、そして、その 研究を結実させる計画がきちんとたっているかを審査官とNIHの担当官に納得してもらうことができればよいのです。特に何をどのように書くかなどの指定は なく、ほとんど自由作文で、研究者が自由に考え自由に表現できるようになっています。逆に、どのように伝えて説得するかは難しい作業で、NIHグラント申 請のために様々な講習会やセミナーがあります。私は、糖尿病根治につながる膵島細胞移植の効率を改善するための、新しい膵島分離に関する技術の研究を申請 しました。
グラント申請書は、スタディーセクションと呼ばれる会議で十数名の研究者により討論されますが、この会議の前に数名の担当者のレビューがあります。このレ ビューの結果、上位30%の申請にはJust In Timeと呼ばれる追加情報を提出する機会が与えられます。Just In Timeの締め切り後、しばらくしてから、申請内容に対する評価と点数が届きます。評価は、Significance, Innovation, Approachと人物評価そして施設評価からなり、それぞれの項目別に点数がつきます。採点は、問題点や欠点があると加点していく方式で、点数が少ない ほど優れているということになります。申請書にミスがあると容赦なく加点されてしまうため、完璧な申請書を出すことが重要とされます。

【NIHからの評価】

今回の私のグラント申請では、イノベーションの所に記載した事前データが高く評価されていました。特に、我々が申請している方法を使えば分離される膵島の 数が従来の方法より格段に多く回収できるというデータは、膵島移植を標準治療にするための実用的な技術革新であるという評価でした。私は、NIHはどちら かといえば基礎的な研究をサポートすると思っていました。そのため、基礎的な実験データも提出したのですが、基礎的なデータに関しては、そのデータが本当 に実際の臨床に役に立つとは思えないという評価がされていました。アプローチに関しても、新しい方法と従来法で、回収できる膵島の数と質を比べるという単 純な実験は認められましたが、最新の機械を使って遺伝子レベルでのメカニズムを解析するという項目に対しては意味がないと酷評されていました。グラントの 評価から一貫して私に伝えられたメッセージは、私が目指している膵島移植の標準化に直接つながることはサポートするが、つながりが目えにくいことはサポー トしないということです。私が学んだことは、イノベーションという言葉に、新しい機械や最新の検査法の導入など新しい方法が評価されると思っていたのです が、イノベーションという言葉は、従来解決できなかったことを解決する結果こそが重要で、方法は逆に単純な方がよいということです。

【すでに起こった未来】

今回のNIHグラント獲得は、我々の手法で膵島が格段に多く回収できるという事前データが最大の決め手となりました。イノベーションは、新しいものを生み 出すことが重要なのですが、今回の審査では新しいものが生まれたという結果を重視していました。最先端研究は、どういった研究が結果に結びつき実るかが分 からないと考えられがちです。しかしながら、NIHの審査を通るためには、事前データから、確実に問題を解決してみせますという説得力が必要です。未来に 問題が解決されるとしたら、事前データは問題が解決されている「すでに起こった未来」である必要があります。
さらに、今回は、事前データが実際に問題の解決につながるかの道のりを厳しく審査していました。つまり、事前データから実際に患者さんに還元されるまでの 道のりをすべて理論的につなげることが必要で、すこしでも、道のりに不明瞭な点があれば大きく減点されてしまいます。道のりに選択肢があれば、「Aの道の りをたどると考えているが、Bの道のりも否定できず、Bの道のりになった場合は、その後はこういう方法に変更する。」といういわゆるPotential Pitfall and Alternative Approachも不可欠で、実験の結果Aの場合もBも必ず成功すると示さなければなりません。今回の私のグラント申請では、道のりを示す’アプローチ’ が一番低く評価されており、研究計画の徹底した練り込みが不足していたことを痛感しました。例えば、実験でポジティブデータが出たときに、そのデータをど のように公表して国民に還元するかという、データシェアリングプランの不備を指摘されていました。NIHは、私が想像していたより遥かに細かくそして厳し く、きちんと結果を出せるか、そしてその過程を徹底的に考え抜いているかを審査していました。アメリカの研究者は、このような、具体的成果の到達まで厳し くチェックする審査に合格する研究計画をたてるトレーニングを積んでいるのでしょう。NIHは、グラントを通じて研究者の教育もしていると言われる理由が この辺りにあると思いました。

【ライフサイエンス研究のプロコーチ】

今回、私がグラント獲得を通じて体験したNIHの活動は、NIHの活動のほんの一部です。ただ、 私は今回、幸運にも医療イノベーションを実現化しようと思う、意識の高いプログラムディレクターに出会い、彼らの様々な問題解決法を学ぶことができました。
NIHのプログラムディレクターは、ライフサイエンス研究の経験をもつNIHの役人であり、彼らはサイエンスと社会の仕組みの両方に精通しているために、 舵取りが出来ることに気がつきました。つまり、米国では、研究費を研究者に任せるのではなく、ライフサイエンスの研究経験を持つNIHの役人が仕切ること で、きちんと成果を出させる仕組みを構築しているのです。このように、米国では、研究成果が国民に還元が出来るように研究者の指導が出来る役人をプログラ ムディレクターとしてNIHに抱えているのです。プログラムディレクターの大半は自分で研究をせず、研究者の指導やライフサイエンスの実現化のプロに専念 しています。これは、プロスポーツの仕組みと似ており、実際の主任研究者(PI)が現役のプレーヤーで、プレーヤーを指導し成果に導くのが研究のプロコー チつまりプログラムディレクターの役割です。プロスポーツのチームがたくさんあるようにNIHには研究所が20あり、それぞれのプログラムディレクターが プロスポーツのヘッドコーチつまり監督にあたります。プログラムディレクターは、PIの得意分野を見極めて、うまく活用し時には指導することで国民に還元 するという成果を出すのです。一方で、学会発表や論文といったより小さいながら量的に判断しやすい成果はPIの業績になり、すぐれた業績をだすPIは花形 研究者として認められます。このため、PIはNIHのプロコーチに指導されたり議論を重ねたりしながら、データや論文を出し続けるのです。

【最後に】

米国では、ライフサイエンス実現化のプロコーチであるプログラムディレクターが存在し、プロコーチを中心としたライフサイエンス実現化のシステムを構築す ることで次々と成果を出し続けています。この中で、重要なことは、このような指導的役人と研究者が、垣根を越えて本音で真摯に話し合い、すでに起こった未 来を活用し問題を解決するための知恵を絞っているということです。
研究の成果として得られる医療イノベーションを、医療費抑制に応用したり、ライフサイエンス産業に発展させたりするには、効果以外に安全性やコストを検討 することも必要です。そのためには、プロコーチが舵取りを行いつつ、様々な専門分野の人々が、垣根を越えて真摯に知恵を絞り合うことが成功の鍵ではないか と、今回の経験をふまえて実感しました。

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