医療ガバナンス学会 (2011年2月16日 06:00)
医師 村重直子
(日刊ゲンダイ2011年1月25日掲載「厚労省に国民の生命は預けられない(2)」を転載)
2011年2月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
今年もインフルエンザが流行している。昨シーズンの”新型インフルエンザ騒動”で、厚労省がつくった「新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会 議」は、官僚の失敗を認めないどころか、昨シーズンの法律や計画をそのまま温存しているから、必ず同じことを繰り返すだろう。「必要となる医療提供体制に ついて検討を進める」とあるから、さらに権限拡大の法改正を準備しているようにも見える。
政府は2009年4月28日から6月18日までの検疫強化期間中、航空機と船舶の乗客など346万人の検疫を行った。その中で見つかった新型インフルエンザ患者はわずか10人だった。
インフルエンザは強毒性か弱毒性かにかかわらず、症状だけでは他の疾患と区別できない。また、症状が出る前の潜伏期間中にも他の人に感染する。つまり、 水際でウイルスの侵入を食い止めるためにいくら人手と税金を投入しても、必ずすり抜ける人はいるわけで、この方針に医学的合理性はない。
こんなことをしても国民の不安をあおるだけだし、経済損失というマイナス面もある。関西地域だけで経済損失額2383億円、雇用喪失1万8097人で、特に観光関連産業への打撃が大きかったという報告もある。この方針自体が国民の不利益なのだ。
新型インフルエンザの流行期には、普段の何倍もの患者が医療機関に押し寄せる。医療者がてんてこ舞いでは、自然治癒する軽症者にまざって、重症者が医療 を受けられず命を落とす危険性も高くなる。これを避けるために、医療者の負担軽減は重要な課題だ。つまり厚労省は「軽症者は受診しないで下さい」と国民に 呼びかけるべきなのに、「新型インフルエンザかなと思ったら、医療機関を受診して下さい」と呼びかけた。米国政府が「症状のある人は家で静養して下さい」 と呼びかけたのと対照的だ。
これは患者にとっても危険なことだ。病院には感染症の患者も大勢来る。そんな危険な所へわざわざ行く場合とは、自分の具合がかなり悪い時に限定した方が よい。つまり、診てもらうメリットの方が、危ない所へ行くリスクを上回る時にだけ、病院に行くのが自分のためでもある。そうしたことを国民に知らせるのが 厚労省の役割だ。
ところが、厚労省はそれをしないどころか、患者に病院へ行くことを呼びかけ、大量の事務連絡や通知などを医療機関に送り続けた。こうした通知を出してお けば、厚労省は「きちんと行政指導しました」というアリバイ作りができるからだ。何かあったときには「行政指導に従わなかったのは医療機関です」と責任転 嫁する。こうした通達は国会のチェックを受けず、官僚が思うがままに発することができる。その回数は2009年4月末から9月半ばまでで200回を超えた (拙著「さらば厚労省」から)。医療機関には読み切れないほどの大量のFAXがなだれ込んだ。
たとえ医学的合理性や実行可能性を考慮していないルールであっても、すべて読んで従わなければならない。厚労省が現場を混乱させ、患者を危険にさらした ようなものだ。国民のニーズに応える医療とは、専門家の判断に従って、患者一人一人に対して柔軟な対応を取ることだ。1億2700万人の国民がいれば、1 億2700万人のニーズがある。それを全国一律ルールで規制する厚労省の手法では、不幸になる人が増えるだけだ。
▽むらしげ・なおこ 1998年東大医学部卒。ニューヨークのベス・イスラエル・メディカルセンター、国立がんセンター中央病院などに勤務後、厚労省へ。2010年3月退官。現在、東京大学勤務。