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Vol.51 臍帯血は宝の宝庫

医療ガバナンス学会 (2011年3月1日 06:00)


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臍帯血は宝の宝庫

名古屋大学大学院医学系研究科
造血細胞移植情報管理・生物統計学
鈴木律朗
2011年3月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


臍帯血とは、赤ちゃんの”へその緒”に含まれる血液である。子宮内では胎児の血液と交通があるが、出産時に”へその緒”を切る際に、”へその緒”から胎盤 までの血管内に取り残される血液のことである。十数年前までは胎盤などとともに捨てられる廃物であったが、この中に含まれる細胞には不思議な特性があるこ とが分かった。
臍帯血中の細胞は、骨髄細胞と同じように、それのみで血液を作る能力がある。数がある程度あれば、大人の造血でさえ再構築できるのだ。このことが分かって、骨髄移植の代わりに”臍帯血移植”が血液疾患の治療法として注目されたのは1990年代の後半である。
日本では1999年に「日本さい帯血バンクネットワーク」が設立され、移植以外では治らない血液疾患の治療法として進化を遂げてきた。この十数年、臍帯血 移植件数は右肩上がりの増加を続け、2010年は遂に年間1000件を超え、同時に骨髄バンクからの非血縁骨髄移植を凌駕した月があった。累積移植件数は7000件 を超え、臍帯血移植が造血細胞移植の主役に躍り出た記念すべき年となった。

ところが、血液難病患者の希望の灯である臍帯血移植を脅かす施策が2011年から始まった。
環境省のエコチル調査という事業である。「臍帯血=廃物」という前時代的な価値観をもとに、臍帯血中の有害物質を測定して捨ててしまう「調査」である。何 十年か後に成果が社会に還元されるのかもしれないが、現時点では世の中の役には立たない。この「エコチル調査」が臍帯血医療を壊す問題点は、以前に書かせ ていただいたが(内憂外患「環境省の調査が医療を壊す」2010年11月15日)、こういった長期疫学調査の別の視点からの問題点は毎日新聞でも指摘され ている(反射鏡:「エコチル調査」は最初が肝心:青野由利

http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20110206ddm004070002000c.html)。

結果が出るのが何十年も先で、果たして余の役に立つかどうか分からない代物に、一研究だけで880億円という破格の大予算をつける必要があるのかは議論の 余地がある。この研究の問題点が指摘されてから、環境省は事業の存続に躍起になっている。無理もない、環境省は数年前に庁から昇格になった省で、天下り先 が少ないことは想像に難くない。私は天下り問題の専門家でないので真偽のほどは定かでないが、有害物質測定会社が新たに環境省の天下り先になっていると知 人から聞いた。真実かどうかは、その道の専門家が今後明らかにしてくれるであろう。

今回本稿では、臍帯血の別の医学的価値について考察してみたい。臍帯血移植が医療として確立してから十余年。その間も幹細胞研究者にとって臍帯血は魅力的な研究対象で、医療への別の応用可能性を探る医学研究が連綿と続けられてきたのである。

臍帯血中の細胞がすべての血液細胞を作ることができることは既に述べた。このような性質を持つ細胞を「幹細胞」と呼ぶ。同じ「幹細胞」と呼ばれる細胞にも いろいろなレベルがあり、骨髄細胞はすべての血液を作ることができる「造血幹細胞」である。それに加えて血液以外の細胞、血管や筋肉などの細胞を作る能力 が骨髄細胞にあることは試験管内の実験で分かっているが、その能力は高くない。人体のどの細胞でも作ることができる万能細胞として能力が高く、最近話題に なっているのがiPS細胞であるが、このような細胞は「多能性幹細胞」と呼ばれる。臍帯血細胞はiPS細胞ほどではないが、骨髄細胞より血液以外の細胞を 作る能力が高いことが分かってきた。その中で、神経の細胞を作る能力が高いことが注目された。

クリストファー・リーブという俳優がいた。あの「スーパーマン」の主演俳優、クラーク・ケント役である。彼は不幸にして落馬事故で脊髄損傷を負い、下半身 不随となった。神経細胞の再生に期待をかけ末梢血幹細胞移植を受けたが、成功しなかった。大人の細胞では、やはり限界があるのかもしれない。

これが臍帯血ならどうか、という研究が米国で注目を集めている。2010年12月に行われた米国血液学会の会長シンポジウムで、Duke大学の Joanna Kurtzberg博士は脳性麻痺(脳性小児麻痺とも言う、cerebral palsy)の患児を対象に、自己の臍帯血移植の臨床試験を行っていることを公表した。脳性麻痺の原因は様々であるが、産まれた時点ではその子に麻痺があ るか・今後生ずるかは分からない。ゆえに試験対象となる参加者全員の臍帯血を保存し、神経系に異常があれば自分の臍帯血細胞を戻すという自家移植を実施す るのである。
この移植はもちろん有効性が確立されているわけではない。ゆえに臨床試験として有効性を確認しようとしているのである。しかしながら、もし有効であったと したら、参加者たちは世界で初めてこの自家臍帯血移植の恩恵を受ける子供たちになるであろうし、何よりこの機会を逃すと障害は一生残ることになる。 Kurtzberg博士は、直接この研究の被験者になった患児ではないが、臍帯血移植によって救われた先天性難病の子供たちの写真を巧みに使いながら講演 を進めた。まさに感動の名講演で、2010年の米国血液学会のフィナーレを飾るにふさわしい会長シンポジウムであった。

さて、脳性麻痺に対する自己臍帯血の臨床研究に話を戻そう。このような研究に特別な技能や薬剤は必要ではない。既存の臍帯血移植の医療技術で十分可能であ る。ただ、必要なのは大量の臍帯血を保存して運用するための資金だけである。既存の臍帯血バンクの運営規模から考えると、年間数億円で可能である。

一方でエコチル調査に使われる研究費は総額880億円である。元はどちらも税金だ。エコチル調査では10万検体の臍帯血を有害物質の測定対象にしている。日本は国際的に見ても最大規模の数を調べるとホームページには誇らしげに書かれているが、本当に誇らしいことだろうか?
臍帯血の調査件数を増やすと、そこにはスケールデメリットとでも呼ぶべき現象が起きる。調査件数を1000検体から1万検体、1万検体から10万検体に増 やすとそれぞれ費用は10倍増しで等比級数的に増加するが、検討できる疾患の数は等差級数的にしか増えない。「低頻度の疾患のデータが得られる」ことが、 件数を増やした場合のメリットとして挙げられているが、コストを考慮すればデメリットになる。
環境省の資料では、対象を1万人から10万人に増やした場合に追加で解析できるようになる疾患数は、3疾患と試算されている(高暴露群の頻度が 3%~25%の場合)。予算規模を80億円から880億円に増加させても、データが新たに得られる疾患が3つでは、一疾患のデータを取るためだけに200 億円以上もの国費を投入することになる。
繰り返すが、エコチル調査は単なる調査であって、何かの対策が打ち出せる研究ではない。対策にはまた別の費用が必要だ。エコチル調査はあの事業仕訳でも仕 訳けられなかったそうであるが、そうなると事業仕訳そのものの適確性にも疑問を呈さざるを得ない。調査件数を10分の1にして臍帯血移植医療の破壊をや め、浮いた予算の20分の1でも使えば5年程度で、米国で進行中の自己臍帯血移植が脳性麻痺に有効かどうかの結論を得ることができる。20分の19は他の 分野の医療研究に使えばよい。国民福祉という観点からは、それで何の不都合があろうか。

こういった自己臍帯血移植研究を実施することは、運用のしかたで他のメリットもある。産まれた新生児が脳性麻痺になるかどうか分からないので、出産時には とりあえず対象者全例の臍帯血を採取することになるが、実際に移植対象になるのは0.1%程度である。1年ほど経過して移植対象にならないことが分かれ ば、それは公的臍帯血バンクに管理を移管して血液疾患患者用の臍帯血にすればよい。増加する臍帯血移植の需要に応えるべく、日本ではまだまだ臍帯血は足り ていないのである。公的資金を使用する臨床研究である。使わない臍帯血は使用される可能性がほぼなくなれば、次の目的に使用することをあらかじめ定めてお き、同意できる人だけが参加すればよい。

「せっかく自分の子供の臍帯血であるから、子供のためだけに使用したい」と思う親もいるかもしれない。しかしそれは方向性として誤っている。ここをうまく制度化できれば、臍帯血をめぐる医療のもう一つの問題、”私的臍帯血バンク問題”の解決にもつながるかもしれない。
“私的臍帯血バンク”とは、臍帯血の使用目的を自分のためだけに限定したバンクのことである。運営主体が公営か私営かという問題ではない。白血球の型であ るHLAを調べて、広く血液疾患の患者さんに使ってもらおうという”公的臍帯血バンク”とは、目的を異にするバンクである。

子供が血液疾患を発症する可能性はゼロではないが、非常に低い。小児人口10万人に3~4人である。実際に造血細胞移植が必要になるのは、更にその数分の 1である。しかも、自分の細胞より他人の細胞の方が、白血病などの悪性疾患に対する抗腫瘍効果は強い。こう考えると、「子供が万一白血病になった時の保 険」を謳い文句にする”私的臍帯血バンク”がいかに現実離れしたものであるか理解できると思う。実際、これは保険ではない。十万件の臍帯血が保存されて初 めて、臍帯血移植が1件できるかどうかである。実際、これまでに日本で行われた血液疾患に対する自己臍帯血移植は1件のみである。その意味で”私的臍帯血 バンク”は、ほぼ使う見込みのない臍帯血を有料で保存していることになる。「詐欺まがい」と評される理由がそこにある。

また、使われる見込みがなければ管理は当然杜撰になる。前述のKurtzberg博士はこの問題も検討しており、米国の私的臍帯血バンクでは保存臍帯血の 約10%が不適切な保存工程管理のために細菌汚染されていたことを発表している。彼女の所属するDuke大学は、今回の自己臍帯血移植の臨床試験のために 一つの私的臍帯血バンクを買い取って、保存の手順を改善することで細菌汚染率ゼロを達成できたと報告している。大学病院が関与することで、保存臍帯血の質 の問題だけでなく、営利を目的とする経営体質の改善にも寄与することが期待される。

筆者はもちろん、すべての私的臍帯血バンクが詐欺であると言っているわけではない。たとえ使用可能性が非常に低くても、約30万円という保存費用など安い と思うお金持ちにはそのような選択肢もあってよい。ただ現状では、適切な使用可能性の説明ができているか分からない。またそのような一部の富裕層だけを対 象にしていては、ビジネスモデルが成立しない危険性もある。少し前に日本であった”私的臍帯血バンク”の経営破たんは、こういった視点からの日米の国民性 の違いを反映しているのかもしれない。脳性麻痺に対する臨床試験が成功すればであるが、希望や目的によって複数の選択肢が整備されるのであれば”私的臍帯 血バンク”の関係者の方々も、むしろ安心できるのではないかと考える。

こうして見てくると、臍帯血を廃棄物として検査だけして捨ててしまうエコチル調査を見直すことで、(1)臍帯血移植医療の危機の回避、(2)臍帯血バンク の経営問題の改善、(3)国民福祉・医療への予算的貢献、(4)新しい医療の早期開発、(5)使われなかった臍帯血の別の利用方法の確立、(6)私的臍帯 血バンク問題の整理、とまさに一石六鳥である。

省益を優先するのか、国民福祉を優先するのか、環境省の英断に期待したい。

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