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Vol.24157 「日本リンパ網内系学会」から「日本リンパ腫学会」への名称変更

医療ガバナンス学会 (2024年8月19日 09:00)


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日本バプテスト病院 臨床検査科/中央検査部
中峯寛和

2024年8月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

● はじめに
医学界で用いられる誤った用語は、誤りを承知のうえで用いられているものと、大勢が誤りに気付いていないものとに分けることができる。前者の例として ‘多発性骨髄腫’、‘網内系’ などが、後者の例として ‘病理組織学’ (1)、‘古典的Hodgkinリンパ腫 (classic Hodgkin lymphoma)’ などが、それぞれ挙げられる。ここでは、いったん定着してしまうと、誤りが明らかとなっても、訂正するのに大変な労力と長期間を要した例として、前者のうち ‘網内系’ を取り上げる。

● ‘網内系’ および関連学会
‘網内系’ とは ‘細網内皮系 (reticuloendothelial system)’ の略であり、様々な臓器に分布する、異物を貪食することで生体防御を担う細胞群(大食細胞/マクロファージ、細網細胞、内皮細胞など)が一つの系とみなされたものである。網内系学説はドイツの病理学者Aschoffにより1913年に提唱され、1924年に本格的に発表された。この学説が広く受け入れられると、国外では1954年に学術会議として「Reticuloendothelial Society」が創設され、国内でも1961年に「日本網内系学会」が設立された。

● 網内系学説の終焉と国外学会の対応
網内系学説は生体防御の領域で一世を風靡したが、その後の研究の結果、マクロファージがもつような貪食能は、細網細胞および内皮細胞にはないことが判明し、やがて終焉を迎えた。これを受けて、「Reticuloendothelial Society」は1984年に「Society for Leukocyte Biology」という(‘reticuloendothelial’ を含まない)名称に変更され、学会誌名もこれに準じた。

● 網内系学説の終焉と国内学会の対応-1
一方、国内では1983年に、「日本網内系学会」が81番目の日本医学会分科会に認定されたが、翌年に国外で学会名が変更されたことは、ある意味 ‘梯子を外された’ ようにも受け取れる。これに関連して、1988年に発刊された医学生向けの邦文教科書に、‘網内系はもうない’ との記述がある (2)。卓越した2人の解剖学者による教科書に、かかる ‘しゃれ’ が掲載されたのは、とりもなおさず今後の医学界を背負う医学生に、‘網内系’ が過去の遺物であることを印象付ける狙いがあったためと思われる。にもかかわらず、その10年後にようやく変更された「日本網内系学会」の新名称は「日本リンパ網内系学会」であり何を目的とした学会名か、首を傾げてしまった。

ただ、2001年になり、それまでの邦文学会誌「日本リンパ網内系学会雑誌」に加え、英文誌Journal of Clinical and Experimental Hematopathologyが創刊され、ここに ‘reticuloendothelial’ は用いられなかった。このことは、学会名から ‘網内系’ を削除しようとしてできなかった関係者による、再度の学会名変更への ‘布石’ とも受け取れた。しかし、これによっても邦文誌は廃刊とはならず、年次総会の抄録掲載誌として存続した。

● 網内系学説の終焉と国内学会の対応-2
学会名は変更するが ‘網内系’ は残すという、意味不明な学会の方針に対し、筆者は2010年に同学会将来構想実施委員として、改めて学会名から ‘網内系’ を削除すべく提案した。その際、上記の国外状況を説明し、次いで ‘reticuloendothelial’ をキーワードとした文献検索によるヒット件数減少をデータで示し、さらに、国外で ‘本家’が消滅したにもかかわらず国内で残っている集団は、ある政党くらいしか思い当たらない、とのコメントを添えた。

奇しくもこの年の本学会年次総会で企画された特別講演では、「Aschoffの網内系学説を一部壊したのは、かつてAschoffのもとに留学していた清野謙次先生,これをもとに全部潰したのが小島 瑞先生と解釈できる」との解説がなされた (3)。学会名から ‘網内系’ を削除すべきとの意見は複数の委員から提出されたため、これまでの経緯も踏まえ、将来構想実施委員会の提言として理事会に提出された。
しかし結果は ‘継続審議’ であり、事実上の否決と受け取っていたところ、「提言は一蹴された」と聞こえてきた。これを受け、当時は若手であった将来構想実施委員会委員に続いて、筆者も同委員を辞任した。結局 「日本リンパ網内系学会」が ‘網内系’ を含まない学会名(日本リンパ腫学会)に変更されたのは2024年度である。

● 学会名のなかの ‘網内系’ 排除に長期間を要した理由(推定)
国外での「Reticuloendothelial Society」創設から「日本網内系学会」設立までに要した期間(7年)とは対照的に、国外で学会名が変更されてから「日本網内系学会」が ‘網内系’ を含まない学会名に変更されるまで、実に40年も要した。

筆者が思い当たるその理由は、「日本(リンパ)網内系学会」の傘下にあった2つの研究会のうち、「日本樹状細胞研究会」(1990年に設立)の存在である。樹状細胞はリンパ球に比べると、‘網内系’ との関わりが深いとの考えが大勢を占めていたため、この研究会活動を包含しつつ ‘網内系’ を含まない学会名に変更することが困難であったことは、想像に難くない。その結果1998年の名称変更で、‘網内系’ を削除するかわりに ‘リンパ’ が追加されたのは、‘苦肉の策’ とも受け取れた。この研究会を 「日本リンパ網内系学会」から独立させて、「日本樹状細胞学会」に発展させる構想も当然あったものと思われるが、実現しなかった理由は以下のように推定される。

免疫系のなかで、樹状細胞はリンパ球やマクロファージより上位にあり、免疫系の頂点の細胞とも考えられる。従ってこの細胞の研究は非常に重要かつ魅力的であるが、リンパ球やマクロファージに比べて研究材料が得にくいこと、この細胞に関連する疾患の頻度が極端に低いことなどから、この細胞に関わる研究者の絶対数が少なく、学会設立には至らなかったのであろう。

筆者自身も、「日本(リンパ)網内系学会」傘下にあるもう一つの研究会(日本血液病理研究会)による、‘樹状細胞由来の腫瘍’ に関するセミナーの1/4を担当した(4)が、セミナーを通してフロアで聴いていた参加者は10名に満たなかった。従って、このように関心度の低かった「日本樹状細胞研究会」が、残念ながら2020年に解散されたことが、「日本(リンパ)網内系学会」改名においては ‘後押し’ となったことに間違いないと考えている。

学会名変更に長期間を要した他の理由は、‘網内系がもうない’ ことは誰もが認めていたので、筆者には思い当たらなかった。しかし、ある時に知り合いから「‘網内系’ を残そうとする ‘勢力’ のうちには、その用語にノスタルジアを感じている人がいるためではないか」との指摘を受けた。筆者は、没した研究者への追悼文などは別として、サイエンスにノスタルジアなど入り込む余地はないと考えていたため、当初はこの意見に賛同できなかった。しかし、将来構想実施委員会による改名提言が理事会で一蹴されたらしいこと、学会名が日本リンパ腫学会に改名されることが決定した後の、これに反対した側の態度などから、その可能性もあるのではないかと思うようになった。

● おわりに
今回、学会名を日本リンパ腫学会に変更するに際して尽力された方々に、心から敬意を表するとともに、そのたゆまない努力を労いたい。国外で学会名が ‘網内系’と無関係な名称に変更されてから、国内でそうなるまでに要した40年間は、いわば ‘過ちて改めざる、これを過ちという’ (5) の状態であった。今後「日本リンパ腫学会」との新名称に不都合が生じても、決して ‘同じ轍’ は踏まず、‘過ちては改むるに憚ることなかれ’ (6) に沿って迅速に対応頂くことを願うばかりである。
文献
(1) 自著.リンパ節炎とリンパ節症.In: リンパ組織(非腫瘍性疾患病理アトラス).佐藤康晴,竹内賢吾編.文光堂、東京,2023, pp 82-4
(2) 藤田尚男,藤田恒夫.標準組織学総論.第3版,医学書院.1988, p 148
(3) 柴田 昭.日本リンパ網内系学会50年の歩み.第50回日本リンパ網内系学会総会.2010年6月18日,新潟市
(4) 自発表.ランゲルハンス細胞由来腫瘍(ランゲルハンス細胞組織球症とランゲルハンス細胞肉腫).血液病理セミナー.第15回日本血液病理研究会.2012年6月16日,福島市
(5) 論語 衛霊公
(6) 論語 学而

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