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Vol.55 抗CCR4抗体の第I相試験に見る日本の臨床試験の限界

医療ガバナンス学会 (2011年3月5日 06:00)


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名古屋大学 造血細胞移植情報管理学
鈴木律朗

2011年3月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


成人T細胞白血病(ATL)という白血病がある。この白血病は日本とラテンアメリカなどで認められるが、欧米白人にはみられない疾患で、アジアでも韓国 や中国には見られない。ヒトTリンパ球指向性ウイルス1型(HTLV-1)というウイルスが原因であるが、このウイルスに感染した人すべてが発症するわけ ではない(生涯発症率は約100分の1である)。
ATLには急性型・リンパ腫型・慢性型・くすぶり型の4種類があり、急性型とリンパ腫型は抗がん剤に対する反応性が悪く、他の白血病やリンパ腫より予後 が不良なことで知られている[1]。しかしながら疾患自体が欧米にはほとんど存在しないため(欧米での発症は移民や子孫など、人種的背景がある人にほぼ限 られる)、予後不良な疾患であっても治療開発は行われない。
HTLV-1の保因者やATLの発症は、日本でも九州(殊に鹿児島、長崎)、沖縄、北海道、一部の本州沿岸地域や島嶼などが主であったが、人口流動の活 発化に伴い全国に拡散している。東京でATLが増えているのは近年のトピックスである。ATLの治療法の改善は、日本が独自に行わなければならない宿命を 持っている。

CCR4というケモカイン受容体がある。これはATLの腫瘍細胞に高率に発現することが判明しており、これに対するモノクローナル抗体が日本で作成され た[2]。ATLの治療に使えないかということが検討され、試験管内の検討では腫瘍細胞に対する殺細胞効果があることが分かった[3]。このため、実際に 人体に投与して毒性や安全性をみる第I相臨床試験が行われた[4]。医薬品開発の世界では現在、抗体治療が花盛りである。既にいくつかの薬剤が日本でも承 認されているが、欧米ではより多くの抗体製剤が承認されており、さらに無数の抗体が臨床開発中である。ほとんどは欧米で製作・開発されているが、この抗 CCR4抗体は数少ない日本で製作され、日本で臨床開発される薬剤として注目されていた。

筆者はこの抗CCR4抗体の第I相試験には関与はしていない。ただ、一介の医師として関心を持っていただけである。日本の医療システムに則って、適切に遂行されると信じていた。

そうこうしている間に、この臨床試験が終了した。動物実験では問題もあったと聞いていたが、順調に第II相試験に入ったとのことなので、ヒトへの投与で は問題がなかったのだと安堵した。私は別に国粋主義者ではないが、日本からの薬剤が日本に特有の疾患の治療薬になることを、国民の一人として期待してい た。

そうこうしている間に、第I相試験の結果を研究会で聞く機会があり、有害事象の程度や頻度に大きな問題なく終了し、”最大耐用量”には届かなかったと報 告された。読者には医療関係者以外もいるのでここで説明しておくと、第I相試験とは試験薬剤の毒性に配慮しつつ次の段階の臨床試験での薬剤投与量を決める 試験である。抗がん剤の場合は実際の患者さんを対象に行われるのが通例である(抗がん剤以外の薬剤では、健常人の志願者を対象とする)。「薬剤の効果は、 投与量が多いほど高い」という一般原則に基づき、非常に少量の投与からスタートし、どこまで増量できるかを判断する。”この量まで投与できる”という量が 「最大耐用量」であり、”この毒性のため、これ以上投与できなかった”という毒性を「用量制限因子」と呼ぶ。後者は具体的には骨髄毒性(白血球や血小板が 減少する)や、肝毒性、神経毒性などであり、薬剤の特性を示す重要な情報である。実際に市販後に投与する場合でも、この「用量制限因子」の毒性が出てくる と、臨床医は「そろそろ危険かな?」などと考えて投与量の調節を考慮したりする。

驚いたことに国内での第I相試験では、通常の抗体療法では例外的とも言える低用量までの試験しか行われずに終了していた(表1)。通常、抗体療法では 500~1000 mg/m2もしくは10 mg/kgまでの投与が行われるはずで、体重50 kg、体表面積1.5 m2の成人であれば500~1000 mg程度に相当する。しかしながら抗CCR4抗体の第I相試験で吟味されたのは、1 mg/kgまでと他の薬剤のわずか10分の1であった。これなら最大耐用量には届かないはずである。
通常の抗がん剤ならば様々な分子量があるため一概に比較できないが、抗体製剤ではこれはほぼ一定であるためこのような比較が可能になる。製造会社・研究 者とも、安全にこの試験を遂行したかったのであろうことは想像に難くない。しかしながら、第I相試験では「どこまで安全に投与できるか」を見ておくのも目 的の一つである。これが分からないと、その後の臨床試験を余裕があるところで実施しているのか、危険な量に近いところで実施しているのかも分からなくな る。
また有効性の観点からも、もっと高用量での有効性は高いかもしれない。1 mg/kgでの有効性が期待できるほどではないが、3 mg/kgや5 mg/kgならばもっと効くかもしれない。1 mg/kgでの有効性が低いと分かってからでも再び第I相試験から行わねばならず、その労力やコストを考えると薬剤としての開発は断念される危険性もあ る。つまり、抗CCR4抗体の方針は、「一発勝負」への危険な賭けに出たとも解釈でき、これはこの薬剤に期待を持っていた私としては大きな疑念を感じざる を得なかった。

こうなった理由の一つには、日本での新薬の第I相試験の実施が空洞化していた背景が挙げられる。欧米で保険承認された薬剤が日本での承認を得る場合、そ の是非はさておき日本独自の臨床試験とデータが求められることになっている。これに従って日本でも第I相試験が行われるのであるが、その場合の最大投与量 は既に欧米で安全性と有効性が分かっている量までであるのが通例だ。「日本人の反応性が欧米人と異なるかもしれない」という建前とは裏腹に、ほとんどの第 I相試験は儀式と化しており、日本での開発が世界でもトップを切って行われる薬剤の場合、「安全性を確認できない投与量まで臨床試験を行う」ことのノウハ ウや覚悟が、製薬会社にも研究者にも医師にもなかったことが考えられる。
新薬の開発は、どうしても一部の患者の犠牲の上に成り立っているのは、まぎれもない事実である。抗CCR4抗体の試験にしても、「危険かもしれない投与 量」を投与された犠牲者はなかったが、「およそ有効とは言い難い投与量」を投与された患者は存在する。しかしこれは避けられないことであり、そのため臨床 試験にはルールが存在するのである。今回の抗CCR4の第I相試験は、そのルールを最大限活用したとは言い難い。低用量側の犠牲者は、高用量側に犠牲者が 置かれなかったことをどう考えるであろうか?

後半の感傷的な問題はともかく、この臨床試験が異例であることをまとめた私の指摘は論文掲載誌の編集者の賛同が得られ、米国臨床腫瘍学会が刊行するジャーナルオブクリニカルオンコロジー誌に掲載された[5]。

さて、この抗CCR4抗体製剤がどのような運命を辿るかは、歴史の証言に委ねるほかない。方法論としては「賭け」であったとしても、結果論として最小限 の努力と犠牲で最大限の効果を生み出せたのであれば、それはそれで成功の前例となるのかもしれない。ATLの患者さん、製薬会社、関係する医師にとっては それでよくても、「前例」となるのであれば大いに危険である。「第I相試験ごっこ」が日本での標準となることが恥ずかしいだけならともかく、日本発の新薬 が有効性を見い出されそこねるようなことがあれば、患者にとっても有害である。薬剤、特に抗がん剤は両刃の剣である。有害事象・副作用は必ず存在する。そ の前提を軽視して「副作用はけしからん」などと感情論に走れば、有効な新薬の開発は停滞し、将来の患者に大きな損害を与える。

時あたかも、世の中はイレッサの”薬害”訴訟が注目を集めている。これは薬害でも何でもない。不幸にも有害事象が生じた患者さんやご遺族にはご愁傷さま であるが、薬剤が持つ基本的な性質としての有害事象である。筆者には、”薬害”という言葉に乗じた一部弁護士の利得活動にしか思えない。

有害事象の存在を前提としないから点では、この”薬害”騒動も不適切な第I相試験も根は同じである。有害事象が生じた方に適切な補償をすることは必要で あるが、回避を目的とするような制度設計は将来の利益を損なう。医学における有害事象の存在を前提とできるか、社会の覚悟が問われているとも言える。

表1 リンパ腫で使用されるモノクローナル抗体の、第I相試験での最大投与量
抗体・薬剤名・開発コード・週あたりの最大投与量
CD20・リツキシマブ・IDEC-C2B8・500mg/m2
CD20・Veltuzumab・IMMu-106・750 mg/m2
CD20・Ofatumumab・MuMax-CD20・1000 mg/body
CD22・Epratuzumab・LL2・1000 mg/m2
CD23・Lumiliximab・IDEC-152・1500 mg/m2
CD30・-・SGN-30・12 mg/kg
CD30・Iratumumab・MDX-060・15 mg/kg
CD40・Dacetuzumab・SGN-40・8 mg/kg
CD52・アレムツズマブ・Campath-1H・240 mg/m2
CD80・Galiximab・IDEC-114・500 mg/m2
Anti-CCR4・-・KM2760・1 mg/kg

文献
[1] Shimoyama M. Diagnostic criteria and classification of clinical subtypes of adult T-cell leukaemia-lymphoma. A report from the Lymphoma Study Group (1984-87). Br J Haematol. 1991; 79: 428-437.
[2] Niwa R, Shoji-Hosaka E, Sakurada M, Shinkawa T, Uchida K, Nakamura K, Matsushima K, Ueda R, Hanai N, Shitara K. Defucosylated chimeric anti-CC chemokine receptor 4 IgG1 with enhanced antibody-dependent cellular cytotoxicity shows potent therapeutic activity to T-cell leukemia and lymphoma. Cancer Res 2004; 64: 2127-2133.
[3] Ishida T, Iida S, Akatsuka Y, Ishii T, Miyazaki M, Komatsu H, Inagaki H, Okada N, Fujita T, Shitara K, Akinaga S, Takahashi T, Utsunomiya A, Ueda R. The CC chemokine receptor 4 as a novel specific molecular target for immunotherapy in adult T-Cell leukemia/lymphoma. Clin Cancer Res 2004; 10: 7529-7539.
[4] Yamamoto K, Utsunomiya A, Tobinai K, Tsukasaki K, Uike N, Uozumi K, Yamaguchi K, Yamada Y, Hanada S, Tamura K, Nakamura S, Inagaki H, Ohshima K, Kiyoi H, Ishida T, Matsushima K, Akinaga S, Ogura M, Tomonaga M, Ueda R. Phase I Study of KW-0761, a Defucosylated Humanized Anti-CCR4 Antibody, in Relapsed Patients With Adult T-Cell Leukemia-Lymphoma and Peripheral T-Cell Lymphoma. J Clin Oncol 2010; 28: 1591-1598.
[5] Suzuki R. Dosing of a phase I study of KW-0761, an anti-CCR4 antibody, for adult T-cell leukemia-lymphoma and peripheral T-cell lymphoma. J Clin Oncol. 2010; 28: e404-405

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