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Vol.24164 蒼(あお)を生きる ―東大を訴えた青年の今―

医療ガバナンス学会 (2024年8月28日 09:00)


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記者・編集
松岡瑛理

2024年8月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

週刊誌で記事の執筆・編集に携わっている松岡と申します。
皆さんは22年の夏、実名・顔出しで記者会見を行う一人の東大生の姿が、テレビや新聞の誌面を飾ったことをご記憶でしょうか。新型コロナウイルスへの感染がきっかけとなり、必修講義に出席できず留年したことを不服として大学を訴えた、東京大学医学部の杉浦蒼大さんのことです。
8月27日発売の『サンデー毎日』では、裁判を経た杉浦さんの「今」に焦点を当てた取材記事を執筆しました。

杉浦さんが留年訴訟を提起したのは、22年8月のこと。9月13日に東京地裁は杉浦さんの訴えを却下、翌23年1月には東京高裁が審理を地裁に差し戻しますが、地裁は再び却下。高裁も差し戻し後の地裁判決を支持し、23年9月には最高裁での敗訴が確定します。24年4月、杉浦さんは入学年度から1つ下に当たる学年のまま、医学部へと進みました。

敗訴が確定する少し前、杉浦さんは医療ガバナンス研究所で知り合った医学生らとともに、診療と薬の処方・決済をすべてオンラインで行うサービスを提供する「oxleap」(オクスリープ)という会社を起業しています。起業後の杉浦さんから約1年間、折に触れて話を聞き、日頃の杉浦さんについてよく知る立場にある同級生などにも取材を行った上で、杉浦さんが提起した訴訟が本人や大学の環境にもたらした影響を記事にまとめました。
このコラムでは、誌面では伝え切れなかった杉浦さんの素顔や成長について、記者である私自身の目線も交えつつお伝えしたいと思います。

「裁判に負けた人間のことを、なぜわざわざ記事にする必要があるのか」とお感じになる方もいるかもしれません。実際、留年訴訟で最高裁の敗訴判決が確定した後は、杉浦さんの訴訟に関する報道は減り、継続しているもう1つの裁判(東京大学がHPに杉浦さん個人への批判を含んだ文書を掲載したことは、名誉毀損に該当するとした民事訴訟)を傍聴しても、他社の記者を見かけることは明らかに少なくなりました。

しかし、たとえ裁判に負けたからといって、人の人生がそこで終わるわけではありません。
所属先の大学と法廷で争った稀有な経験は、一人の青年にどのような変化と成長をもたらしたのか。最初の出会いから約2年間、彼と付き合い続けたからこそ知りえた内容を、ここに記載したいと思います。

●蒼白な顔をした男の子
前回、MRICに寄稿したコラム(注1)でも記した通り、杉浦さんを取材することになったのは、灘高校時代の彼の担任(片田孫朝日さん)が、記者になる以前からの知り合いだったことがきっかけでした。
杉浦さんの裁判に関する片田さんの投稿をSNS上で見かけた際、受験業界では1つのブランドとして確立する「東大理Ⅲ」に現役合格し、将来の活躍が期待される立場でありながらも、一体なぜ顔も名前も晒してリスクのある道を選ぶのだろう、と関心を持ったのです。22年10月、彼が登壇するシンポジウムに出席。本人に挨拶をして取材をスタートしました。

初期の杉浦さんには、か細く、どこか思い詰めた印象がありました。

シンポジウムから約1週間後、都内にある喫茶店に現れた杉浦さんは、裁判に至るまでの経緯について、名前の通り、蒼白い顔で滔々と語り続けました。訴訟を提起した後は人間不信に陥り、食事が摂れなかった時期もあるといい、取材時の約2時間は目の前にある珈琲やお菓子にまったく手もつけようともしませんでした。

住んでいるマンションにはキッチンがなく、食事はカップラーメンで済ませいたり、抜いてしまうこともある。生野菜は苦手で、サラダは好んで食べない……。普段の生活について聞くと、医学生という立場は抜きにして、ちょっとダメな部分もある普通の男の子だな、という印象を持ちました。

口数は少なく、普段はどちらかといえば静かでおとなしいキャラクター。それだけに何を考えているのかわからない部分もあり、裁判を起こした時は驚いたーー高校時代の担任や、東大医学部の同級生から聞いた話などを総合しても、周囲が杉浦さんに抱いている印象は、おおむねこのような方向性で一致していました。

LINEを送ればすぐに返信をくれることもあるのですが、既読がつかなかったり、1~2日程度返信が途絶えてしまう。裁判の進捗について本人からの報告がなく、報道や共通の知り合いのSNSを通じて、その経過を知ることになる。
そのような出来事が続いて、私自身、取材者として不安な心境に陥った時期があることも、告白せねばなりません。
このままでは自信を持って杉浦さんについて伝えられないと感じ、本人と対面してその点を指摘したこともあります。杉浦さんは怒りも謝りもせず、自身の行動や発言の真意を説明した上で、対人関係においてできること、できないことを冷静に伝えてきました。
年齢が離れた相手にも物おじせず、はっきりと自分の意見を言う姿に、やはり芯が強い子なのだなと感じ、以降は極力、彼のキャラクターを踏まえながら付き合うようになりました。

●「『東大理Ⅲ』を乗り越えたい」

杉浦さんと知り合った当時、私は『週刊朝日』編集部(23年5月に休刊)に所属し、「東大・京大合格ランキング」を始めとする一連の入試特集に関わっていました。東大合格者や現役東大生には日常的に取材を行う環境にあったものの、灘校出身者とも、理科Ⅲ類に属する学生とも真正面から接するのはこの時が初めてで、最初はどこか物珍しい気持ちも相まって本人と接していた部分がありました。

ある時、本人にそのような気持ちを伝えたところ、杉浦さんは
「自分自身は、起業も含めて、出身校の肩書を乗り越えようと努力している部分がある。『灘出身だから』『東大理Ⅲだから』ということでなく、僕個人の魅力を見てお付き合いくださったら嬉しい」
と、これまたはっきりと、自分の気持ちを伝えてきました。

また別の機会には、出身である灘校では、単に頭がいいだけではなく、課題意識を持って何かしらの活動を行っている同級生が周りに多かった。勉強だけではいけないという気持ちがあり、そのことが会社の起業にもつながっている、という思いも聞かせてくれました。

灘から東大に進学し、医師としての将来に向かって邁進しているーー傍からは輝かしく見えても、典型的なエリートコースを歩んでいる(本人の言葉でいうと「レールの上を型通りに走っている」)ことについては、本人にしかわからない葛藤があるのだと、杉浦さんの言葉から教えられる日々が続きました。

●杉浦さんにとっての「蒼い時間」

24年に入ってからは「東大生の挫折」という特集をサンデー毎日で企画し、杉浦さん以外にも、浪人や地方からの東大受験など、挫折経験を持った現役東大生に話を伺う機会がありました。
メディアで「エリート」「神童」など華々しく語られ、輝いているように見えても、挫折をしたことがない人間などいない。東大生と言えども皆それぞれに弱点や欠点を持ち、迷いつつ生きているのだという思いは、確信に近づいていきました。

杉浦さんもまた、例外ではありません。裁判に負けたままでは終われず、「目に見える形で結果を出したい」と起業に踏み切ったはいいものの、いざ会社を立ち上げてみれば物事が思うように進まないーー。苦しみつつも、杉浦さんは自分にしか歩めない青春、「蒼い時間」を生きているように、記者である私の目に映りました。

暗中模索の時期を経て、本人から受ける印象も少しずつ変わっていきました。
先に日頃のやり取りで何度か不安を抱くことがあったと書きましたが、会社の立ち上げ以降は返信が滞ることも減り、締切を提示すれば期限もきちんと守ってくれることが増えていきました。

会社の創業メンバーである吉村弘記さんも、杉浦さんに同様の変化を感じていたようで、「訴訟では色々な人に支えられたこともあり、周囲への感謝が芽生え、人のために何かをするという意識が強くなったのではないか」と語っています。

本来よりも1つ下の学年で医学部に進級した当初、杉浦さんはどこか浮かない表情で、医学部の同級生から「周囲は杉浦について、裁判の一件を全く気にせず、普通に扱っている。ただ学校での本人は暗く、『本当は自分たちと学びたくないんじゃないか』と思うことがある」と話を聞くこともありました。
しかし、24年の夏頃からは、表情も明るくなっていきました。杉浦さん本人も「とくに解剖学実習は、医学をやっている実感があります。班に分かれてご献体の解剖を行いますが、手を動かすと勉強になりますし、班員も素敵な子ばかりで楽しくやっています」と、学校の様子を楽し気に話してくれます。

冒頭でも記しましたが、留年訴訟では敗訴となったものの、新聞報道をめぐり東京大学が「当該学生(杉浦さん)の自己認識と主張が謝ったものである」などと記した文書(批判文書)をHPに掲載したことをめぐる裁判は現在も継続しており、24年10月28日(13時10分~)には、東京地裁7階705法廷で判決が言い渡される予定です。

2回目の訴訟判決を経て、杉浦さんの人生は、どのような方向に進んで行くのか。法廷でも法廷の外でも、その行方を見守り続けたいと思っています。

(注1)
「週刊誌記者が見た、東大を訴えた青年の素顔」(2023年4月5日配信)
http://medg.jp/mt/?p=11589

略歴:
一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位習得満期退学。杉浦さんの取材を始めた当時は『週刊朝日』記者でしたが、23年5月で雑誌が休刊。放逐後、約1年の流浪生活を経て、24年6月から『週刊SPA!』編集部へ。今年に入ってからは、東大学費値上げ問題についても継続的に取材しています。

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