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Vol.24177 救える命を失って~神奈川県立こども医療センター患者死亡事故~その2(2)

医療ガバナンス学会 (2024年9月17日 12:00)


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神奈川県議会議員
小川久仁子

2024年9月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

◆この文章は長文のため2回に分けて配信いたしますが、こちらから全文お読みいただけます。
http://expres.umin.jp/mric/mric_24176-7.pdf

こども医療センター死亡事故時系列
http://expres.umin.jp/mric/mric_24175-2.pdf

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副知事を委員会に招聘して質疑をするには、委員の承認が必要になる。そして、また質疑項目を明確にしておかなければならない。議会規則にのっとり、私は以下の質疑内容を提示して、首藤副知事の出席を求めた。
1、神奈川県立病院機構こども医療センターの大改革の方向性
2、医療・福祉関連の地方独立行政法人と県の向き合い方

1については、本会議場で「こども医療を大改革する」と知事答弁があったので、その具体的方向性を確認しておきたかったのだ。改革する、とさえ言えば免罪符になると思われてはかなわない。ご遺族は2度と自分たちと同じ悲しみ・苦しみを味わう人が出ないようにと、心から願っているのだ。
まず、首藤副知事は亡くなられた患者とそのご遺族にお詫びの言葉を述べた。その後に、知事が吉川病院機構理事長に、徹底的に課題を洗い出し、根本的な大改革を行うように求めたと明らかにした。その根本的という意味の中に2つの重要要素があると述べた。

ひとつは虐待問題が明らかになった県立障害者施設中井やまゆり園での改革のプロセスを例にだして説明をした。中井やまゆり園で行ったように、こども医療でもアンケートをとる、直接ヒアリングを行う。こども医療センターの職員、辞職した方、患者さんたちから、真情を聞き出すことから始めるそうだ。課題を徹底的に洗い出さないと根本的なものは見えてこない。

それがこれまでに自発的に行われてこなかったことが大きな問題であるし、すでに機構に存在する内部・外部通報制度では、機能していないので、全く新しい、事実が伝わるような方法を工夫してほしいと、私から要望した。
ふたつは、ダメなところを直すだけでは、根本的な改革にはならない。マイナスからゼロで終わりでなくできる限りプラスにもっていくこと。これは、職員たちのプラスを目指す「やる気」をもってもらうためとの説明もあった。
かつてのこども医療は全国から受診にやってくるすばらしい病院であったと記憶している。それがいつから、どこから、どんな理由で、ここまで落ちてしまったのか?個々スタッフの力量のおかげでまだ表面は繕われているが、ガバナンスはすでに崩壊している。だからこそ、知事は「大改革する」と答弁しているのだ。

こども医療では、21年2月にレジオネラ肺炎を発生させていた。幼い命が生死の境をさまよったと聞いている。発生の前年20年8月に、レジオネラ菌が検出されていたのに、その事実を総長・院長をはじめとする幹部が、自分達だけに留め置いた。横浜市保健所にも届け出せず、事実を隠蔽してしまったために、肺炎発生に至ったのだった。この時は本庁県立病院課も同様に経過を隠蔽していた。私はすべてを承知しているのだから、全てを公表するようにと、担当課に迫り、理事長に直談判も行い、ようやく、レジオネラ対応が表だって行われるようになったのだ。その時、隠蔽せずに、レジオネラ菌対応をすぐに行っていれば、肺炎罹患は発生しなかったはずだ。
そもそも、大衆浴場などで発生するレジオネラ菌が、病院で、しかも重篤な小児患者さんを治療するこども医療で発生すること自体が信じられない。こういう重要な事実を隠蔽する幹部を、責任も問わず、放置したために、21年10月の死亡事件も起きてしまったのだ。無責任体質、隠蔽体質を放置してきたので、検証委員会報告も公表せず、遺族対応も不誠実なままに、事件そのものを闇に葬ろうとしたのだ。この責任は、人事を抜本的に変えなかった吉川理事長の責任である。

2 医療・福祉関連の独法との県の向き合い方 については、県立病院を地方独立法人化して十数年経過しているので、今一度県と地独との向き合い方を検証すべきと私は問うた。
それに対して副知事は、県民の命を守る形として最適であるかどうか、常に県と独法が対話をしながら進めないといけない、制度を弾力的に運用していくべきだ、制度が悪いなら、制度を変えなければいけないとさえ、述べた。ここに副知事の強い地独改革への決意が伺えた。

私は、レジオネラ菌の発生・術後死亡事件を隠蔽し、県民の皆様に対する説明責任を果たさない病院機構・こども医療の真実を暴いてきた。しかし、なぜ、ここまで堕落したのか?理事長は何をしてきたのか?知事には何を報告してきたのか?県立病院担当課は、病院機構とこれまで、どのように向き合ってきたのか?県と地独との向き合い方を、モニタリングの方法、人事の在り方など、全てを検証しなおさないと、根本的解決にはならないのではないか?と考える。
この考え方を踏まえ、最後に具体的議論として、県から病院機構に対する職員の出向について質疑した。

病院機構に対しての職員出向が、県庁人事ローテーションとして検討されてきたのであって、医療や病院経営に全く素人の職員が出向する結果になっている。病院機構の中でプロフェッショナルを養成し、機構の中での人事ローテを行い、しっかりと病院経営を進めていく、各病院の在り方、存在価値などをきちっと議論できるような形にしていくべきだ、とこれまでの出向の在り方の是正を私は求めた。

これに、副知事は、静岡県立がんセンターの例を取り上げ、トップのリーダーシップと事務が静岡がんセンターの成功のカギだと聞いていると持ち出した。私が視察した県立埼玉県立ども医療でも、事務方トップは県立病院間でのローテーションを行っており、プロフェッショナルとして養成している。これは、当然のことなのである。県庁内でも、福祉職は福祉職として採用され、退職まで福祉職として貢献する。医療も同様であるはずなのだ。そこを、これまで、規律的に行ってこなかった県庁人事の不明であり、病院機構本部の不明でもあると、私は考える。

首藤副知事との議論を終え、病院機構・こども医療の改革は、知事を支える副知事の双肩にかかっている、と強く感じた。徹底的改革への努力を継続してもらいたい。
地方独立法人と県との向き合い方を具体的に整理しなおしてもらいたい。県側の裁量の余地を明確にし、この法人を県民の命を守る最強の組織に変化させてもらいたい。そのためには、機構・こども医療の幹部人事の刷新が最重要事項である。理事長任命者の知事が責任をもって、改革をするべきである。
これらの思いを深くし、副知事にはご退席いただいた。

これらの質疑によって、責任の所在、今後の一定の具体的方向性が確認できたと、私は感じた。あとは、設置された外部委員会による調査結果や、提言を受けて、県・病院機構がどのように対応していくのか?特に県からの出向人事に関してどのような変化があらわれるのか?地独との向き合い方をどのように確立していくのか?
経過を待とう。

23年12月22日 「病院機構から職員処分発表」

10月の質疑から2か月後、病院機構から以下の記者発表(※4)が、22日に行われた。以下にあるとおり、後藤氏は、院長の職を奪われ、医務監となった。懲戒処分も同時に受けている。医務監は過去には存在しない役職だ。人事刷新を強く求めた私の提言が実現したのである。しかも、その全ての処分理由は、私がこれまで指摘してきた院長たちの不誠実な対応であった。10月2日に委員会でこども医療の記者会見の内容について、確認した質疑に対して、翌日釈明のためのウソのメールを院内に流したことについても具体的な理由にあげられている。

この処分によって、院長・医療安全対策室長は代わったが、この処分について、これらの医師の出身医学部からは、かなりのクレームが病院機構理事長に対して寄せられた、と後日、私の耳に入った。同様の理由から、レジオネラ肺炎が発生した時に、責任者である前こども医療総長の処分もできず、定年まで退職させられなかったことが、医療体制の不備を放置することにつながり、この死亡事件の遠因となったのである。
そのうえ、特定医大の医局ローテにより、配属される医師の供給が途絶えてしまうと、病院として存続しなくなるという、依存体質、危機感によって、研修医について多少のことには目をつぶってきた、その積み重ねが大きな事故に結びついてしまったのだ。
そして今回も後藤氏を退職させられなかったことに、今後の病院経営に大きな危機感を私は感じる。これでは、何ら、以前と変わらないではないか?忸怩たる思いであった。

※4 https://kanagawa-pho.jp/disclosure/files/press231222-1.pdf

24年3月7日の質疑
「人事刷新・エピローグ」

23年12月22日に発表された処分は、平成22年(地方独立病院機構に移行した年)以降、初めての大規模な処分であったと確認した。1年間にわたる、私の委員会質疑によって、こども医療の秘匿されていた死亡事故が公表され、強く求めた人事刷新も果たされた。質疑の目的は果たされたのであるが、それが今後どのように、こども医療の質の向上に結び付いていくのか?これはしっかりと見守っていかなければならない。

また、2月29日に、外部調査委員会から、調査結果報告書(※5)が公表され、手厳しい指摘・提言(42項目)を受けた。が、それに対しての病院機構やこども医療の県民の皆さんに対する真摯な姿勢が、HPのどこでにもコメントされていない。調査結果を受けてどのように対応していくのか?不安を感じているだろう患者ご家族に対して言うべき言葉があるのではないか?厳しい指摘をうけた病院の体質について、一日も早い立て直しを誓い、謝罪するなど、何らかの対応がなされるべきなのではないか?ただ結果報告書を掲載しただけでは、これまでと何ら変わらないではないか?

これらの私の指摘を受けてとめ、病院機構は後日コメントを添付した。しかし、これは病院機構の本質が改善していない証拠だ。非常に残念に感じた。
この質疑日の前、3月1日に、病院機構 新理事長任命の記者発表があった。3月末に吉川理事長が退任することに伴う任命であった。新理事長阿南英明氏は当時神奈川県医療危機対策担当理事であった。藤沢市民病院の副院長でもあり、神奈川県の新型コロナ対応に貢献した医師である。
実は、この人事については、以前から噂があった。

医療危機対策には秀でたキャリアを有する医師なので、病院機構の危機的現状を立て直すには最適なのかもしれないが、ただただ、奮闘努力をお願いするのみである。
また、退任する吉川理事長に対して、質疑では、労苦を労う発言を私はしている。しかし、これは不覚だった。後日聞いたところによると、1年間は顧問として残るらしいのだ。新理事長が手腕を遠慮なく振るえるように、きれいに身をひくのが、当然だろう。こども医療のガバナンスをここまで崩した責任は、吉川理事長にあるのだから。

これをもって23年度の厚生常任委員会、医療分野についての質問を終了した。

最後に、死亡された患者ご遺族からのコメントを私は読み上げた。ご遺族の置かれた環境によって、インタビューを受ける、記者会見する、これらができなかった無念な気持ちを代弁するものであった。
「報告書等でいろいろと公表されましたが、子供の容態が悪くなってきた時の看護師さんの対応や事故後の遺族対応についての実際はもっとひどかったです。でも子供が亡くなったのは付き添っていながらこのようなひどい病院と見抜けず、助けてあげられなかった私の責任です。天国にいる子供に会えるなら許してもらえるまで謝りたい。苦しんでいる家族に手を差し伸べてくれた小川議員を始め県議会の方々、黒岩知事、首藤副知事、現医療局の方々には本当に感謝をしております。今後、私達のように苦しむ人がでないよう病院改革をお願いいたします。」(再掲)

これを書いている今でも涙が止まらない。これを読み上げた時には、不覚にも泣いてしまった。ご遺族はもっと言いたいことはたくさんあったはずである。無念な気持ちが胸に迫る。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

21年10月発生した死亡事故は、院内調査結果を公表させ、病院側からご遺族への謝罪が行われ、賠償も24年3月に完了した。
そして、24年4月1日から、病院機構理事長に阿南英明医師が就任した。県からの出向職員もこれまでとは異なる印象であった。阿南新理事長が、選りすぐった人事、とも聞こえてくる。
外部調査委員会から厳しい指摘をされ、病院機構は提言に基づくアクションプランを策定、発表した。
こども医療の院長は総長が兼任することになり、医療安全対策室長も交代した。21年からの委員会質疑を中心の私の取り組みにより、やっと神奈川県立病院機構は改革の緒についた。
始まったばかりの病院改革を、必ず見届けることを改めて誓う。
しかし、心は晴れない。失われた命は戻らないからだ。

※5 医療安全推進体制に係る外部調査委員会 調査結果報告書
https://kanagawa-pho.jp/disclosure/files/press240229_houkokusho.pdf
24年3月の私の質疑は、自民党を離団し、一人会派「高津自由の会」小川久仁子としての質疑であった。23年12月をもって、私に対して2年間党員(自民党)資格停止処分が決定されたからである。自民党川崎市連党紀委員会での決定を県連がそのまま追認したのだ。
統一地方選挙後の地元自民党支部幹部会議において、新18区支部長は、新人を擁立すべきと私は発言した。

旧18区支部長は、旧統一教会との関係を問われた時に、不誠実な対応をしたことを批判され、大臣を辞職した山際代議士である。その足元ではその影響が色濃く出た統一地方選挙だった。全く旧統一教会とは関係していない私であるのに、同じ穴のむじなと、統一教会との関係を疑われ、批判され、逆風吹き荒れる厳しい選挙であった。結果、新18区内では、現職市議が二人落選し、自民党県議は一様に得票数を減らした。厳しい選挙結果の責任を取るべきだと主張し、その前大臣の支部長就任に私は反対した。
その後、私は自民党川崎市連党紀委員会に理不尽な嫌疑をかけられ、処分された。勿論離団や処分には納得していない。私は、不誠実な政治姿勢の代議士を私は支援することはできない。徹底的に対抗していく決意だ。が、最も心配だったのは、厚生常任委員会の質疑を完結し、ご遺族の思いに報いることができるか?この1点だった。処分の方向性をにらみながら、質疑の流れを組み立てる、ここに衷心したのである。 綱渡りの気分であった。

しかし、脳動脈瘤手術、自民党離団を乗り越えて、23年度神奈川県議会厚生常任委員として、神奈川県立病院機構・こども医療センターの改革の端緒を開けることができた。上昌広先生はじめ、有効なアドバイスをしてくださった方々、協力してくれた県議会の同僚、副知事・局長はじめ県行政の良心ある対応に心から敬意と感謝を表したい。引き続き、こども医療改革が果たされるよう見守っていく。

 

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