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Vol.62 医療に「効率」を求めるとどうなるのか

医療ガバナンス学会 (2011年3月12日 06:00)


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規制緩和と生産性向上で医療が失うもの

武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田智裕

※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/

2011年3月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


2月6日 日本経済新聞に「医療・介護の生産性低く 全産業の6割止まり」と題された記事が掲載されました。
記事では「菅政権が成長の要として期待している医療・介護サービスの生産性の水準は全産業平均の6割にとどまり、様々な業種の中でも低い部類」という事実を提示しています。

その上で医療・介護の問題点として、以下の2点を挙げています。
(1)参入障壁があり事業者間の競争が乏しく、生産性を高めようという動機づけが働きにくい。
(2)福祉サービスの料金は公定価格が基本で、サービスの差が生まれにくい。
解決策として、(1)に対しては「競争原理の導入による生産性向上」、(2)に対しては「自由価格の導入」を提唱していました。

この記事を読んだ読者のほとんどが、「生産性が低いのであれば、医療費の公的負担を増やす前に市場経済の原理を取り入れて(つまり規制緩和して)、生産性を高めるべき」と考えてしまうことでしょう。

確かに、日本の医療と介護は国民皆保険制度のもと、様々な規制があり、価格も公的に全国一律に決められています。
でも、様々な規制と全国一律の公定価格は、「広く、安く、平等に、一定水準の医療を供給するため」に存在しているのです。効率性を追求して、医療における規制緩和と価格自由化を進めることは、医療そのものをダメにしてしまう危険性があります。

■売り上げが低いのは医療費が安く設定されているから

日経の記事によれば、「企業で働く人1人が生み出す平均的な付加価値額(粗利益)は564万円」。それに対して「医療・介護で働く人は342万 円」と生産性が低く、全産業平均の6割しかない事実を指摘しています。確かに付加価値額は全産業中でワーストレベルですし、労働者派遣業よりも低い状況で す。

ここで言う「付加価値額」とは、「売り上げから経費を引いた金額」です。医療分野の付加価値が低いということは、「売り上げが低い」、または「経費である医療材料や医療設備の減価償却費などが高い(良い医療材料や高度な医療設備を使用している)」ことを意味します。

記事では、「医療の1人あたり年間売り上げは876万円と大きいが、それでもサービス産業平均の1083万円を下回る」と指摘しています。売り上げの低さが、医療における付加価値の低さにつながっている、というわけです。
でも、売り上げが低いのは、医療従事者が十分に働いていないからではありません。
国民皆保険制度の日本においては、売り上げは政府が定める医療価格(保険点数)によって決まります。この公的な医療価格が安く抑えられているため、いくら働いても他業種平均に追いつけないのです。
米国の1人当たりの医療費は7500ドル。それに対して、日本の1人当たりの医療費は2700ドルです。実に3倍近くもの差があります。
医療費が安いのは、利用者にとっては間違いなくメリットであるはずです。しかし、それゆえに「付加価値を生み出していない」と評価されてしまうのは、現場に立つ者とするとどうにも納得できません。

■「生産性の向上」は「医療の質の上昇」につながらない

多くの人は、医療の生産性が向上すれば、医療サービスの質もそれに伴い向上すると考えることでしょう。しかし、医療の性格上、医療の質を落とさずに生産性の向上を図ることは、本質的に困難なのです。
例えば、内視鏡検査を今まで1日に18件行っていたとします。生産性を向上させるというのは、この件数を増やすということです。
スタッフの練度を上げ、医師も技量を向上すれば、1日に20~22件くらいまで増やすことは可能かもしれません。現場の感覚から言えば、医療の質を落とさずに生産性を向上させるのは、この程度(10~20%程度)が限度ではないでしょうか。
1日に診察していた人数を40人から80人に増やせば、生産性は2倍になります。しかし、1人にかけられる時間は半分になります。1人あたりの診察時間がここまで短くなってしまうと、現場がいくら努力しても、医療サービスの質が下がるのは避けられないでしょう。

製造業では、作業を機械に置き換えることで、数倍から数十倍の効率化を図ることが可能です。そうした産業と効率性で比較されると、医療は全く太刀打ちできません。
医療において生産性を高めるということは、むしろ質の低下につながるのです。
そのため、多くの医療機関は、生産性を高めるのではなく、やむなく医療スタッフを増やすことで、医療の質を向上させようとしています。

■医療の規制の目的が忘れ去られている

医療に市場原理を導入して生産性向上の競争を促すと、どうなるのでしょうか?
生産性を高めるためには、1人ひとりの医療スタッフが、より多くのサービスを提供する必要があります。
しかし、言うまでもなく、医療は工業製品のように大量生産できるものではありません。医療は、人と人が接することによって成立します。効率性の追求は、医療の質を低下させるだけになる危険が伴うのです。

また、医療に自由価格を導入するとどうなるでしょうか?
現在は、2年に1度、保険点数という形で全国一律の公定価格が決められています。この状態が崩されると、各医療機関と各保険者がバラバラに価格交渉することになります。

その価格交渉に費やされる労力は膨大なものになることでしょう。実際に米国では、医療そのものではなく、価格交渉に要する事務作業費用が医療費の2割を使う状態になってしまっているのです。
繰り返しになりますが、医療における規制は「広く、安く、平等に、一定水準の医療を提供する」ために存在しています。今回の日経の記事のような、医療を巡る議論を見るたびに、この事実が忘れ去られてしまっているのではないかと思えてならないのでした。

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