医療ガバナンス学会 (2011年3月11日 06:00)
筆者の専門である血液病理学の分野では、1960年代には「悪性リンパ腫」という概念すら日本になくリンパ節の悪性腫瘍は「リンパ肉腫、細網肉腫、ホジキン病、Brill-Symmers病」の4種しかなかった。しかも4病型に対応した化学療法もなかった。
1980年代になって「悪性リンパ腫」という概念が受け入れられ、米NCIによる「国際分類(WF)」が利用されるようになり、臨床的悪性度の概念が導 入され、それが病理組織学的亜型分類と結びつけられ、新しい化学療法の開発につながっていった。本欄の投稿者の一人である平岡諦氏も、これに努力された血 液内科医である。
1950年代にウガンダで見つかった小児悪性腫瘍がある。発見者は外科医でその名を冠してバーキットリンパ腫と呼ばれる。これは化学療法でも放射線療法 でも実によく治る。この病気が米国にもあることを見つけたのが、南ア連邦から移住したR.ドルフマンで、後にスタンフォード大学病理学教授となった。以後 アメリカのバーキットリンパ腫は「高度悪性だが、治療により寛解に入りやすい」疾患の代表となった。
「WF国際分類」では10の組織学的亜型を認め、それを悪性度により、Low Grade, Intermediate Grade, High Gradeに3分した。ここに「Rosenbergのパラドックス」が強調され、臨床家への指針となった。ローゼンバーグはスタンフォード大学の腫瘍内科 の教授で、「悪性度の高いリンパ腫は寛解に持ち込みやすいが、悪性度の低いリンパ腫患者の生存期間は長いが、完全緩解を達成するのは困難である」と唱えた ひとである。
90年代に入ると、悪性リンパ腫の研究は細胞分化マーカー(CD)や遺伝子異常の研究と結びつき、その亜型は10種どころではないことが明らかにされて 来た。1994年に暫定的な「REAL分類」が発表され、これが叩き台となり2001年にはWHOから新しい分類(WHO分類)が出た。これは2008年 までに3回改訂されている。それほどこの分野の進歩は早い。
2008年版ではかつての悪性リンパ腫は、細胞型、組織型、表面マーカー、遺伝子異常などの組み合わせにより86の病型に分けられている。移植後に発生するリンパ腫さえ、3病型に分類されている。
重要なことはこれだけ細分化することでhomogeneousな疾患群を見つけ出すことができ、それに対する最適な治療法(臨床病期により異なる)を選 択することができるようになる、ということである。悪性リンパ腫と白血病は放置すれば致死的だが、治療すれば完全緩解がもっとも高率にえられる癌であるこ とは、誰も異存がないだろう。
地理病理学的観点から見ると、造血器悪性腫瘍の発生率は、民族により大きな差がある。それは民族(ethnos)のゲノムが異なっているからで、米国白 人の悪性リンパ腫発生率は日本人の2倍である。しかも米白人ではホジキン病と非ホジキンリンパ腫がほぼ同率で見られるのに対し、日本人ではホジキン病は極 めてまれで、大細胞性びまん性リンパ腫が圧倒的多数を占める。
このように病型の頻度は国、民族により異なるが、ひとたび「同じ病型」と確定できれば、アメリカで効く治療法なら日本人でも同じように効くのである。
例を挙げよう。「有毛細胞白血病」(Hairy Cell Leukemia)という慢性リンパ性白血病に似た病気がある。脾腫を来すのが特徴である。これは今日ではリンパ節濾胞周辺帯、脾臓濾胞周辺帯などにある 「周辺体細胞」(Marginal Zone Cell)が腫瘍化したものと考えられている。米国白人には多いが、日本人にはきわめてまれで「緩慢な経過(indolent Course)」を辿ることもあり、有病率は100人/全国、罹患率は20人/年程度である。
筆者はこの病気の特効薬クラドリビンの治験にかかわった経験がある。全例の病理組織標本を見直して、診断がまちがっていないかどうかをチェックしたので ある。さもないと、年間罹患率20人では製薬会社は輸入販売しても儲からないから「オーファンドラッグ」になってしまう。幸い国立がんセンターの方で low grade B-cell lymphomaにも効くというデータを出してくれて、新薬承認と会社の採算ベースという二つの関門を通過した。
余談だがクラドリビンは多発性硬化症に予防効果があるとして、最近また注目されている。
さて回り道をしたが、本論にもどる。人のゲノムは99.9%一致しているが、SNPなどがあるので残りの0.1%は異なっている可能性がある。さらに肺 癌といっても悪性リンパ腫の分類史をみれば、とても3病型しかないとは思えず、10以上の亜型に分かれる可能性がある。イレッサはたぶんよく効くのであろ うが、それは一体どういう亜型に対してなのか、悪性リンパ腫なみの基礎的研究をして欲しいと思う。5人の病理学者が同一の肺腫瘍の標本を見て、その診断一 致率はわずか20%というのが、現状である。肺線維症を起こした症例が本当に原発性肺癌だったのか、中皮腫を誤診したのではないか、転移性のもので原発巣 がdormantだったのではないか、そんなことは裁判では決められない。患者側もじっくりものごとを考えて欲しいものだ。