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Vol.25005 知られざる医学者列伝② 鉄欠乏性貧血診断の黎明:カッパドキアのアレタイオス

医療ガバナンス学会 (2025年1月9日 09:00)


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内科医
谷本哲也

2025年1月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●人類と鉄欠乏性貧血

鉄欠乏性貧血は、女性に多い世界で最も一般的な栄養障害である。私も日常的に多数の貧血患者治療に当たっているが、実はこの疾患は人類の歴史とも深く結びついている。鉄は赤血球中のヘモグロビンの主要成分として酸素運搬に不可欠であり、その不足は全身の酸素供給に影響を及ぼし様々な症状を引き起こす。紀元前約1万年前に始まる農耕の発展に伴い、肉食を中心とする狩猟採集社会から穀物中心の食生活へ移行したことで、豆類や全粒穀物に多い低吸収率の非ヘム鉄の摂取が増加し、人類に鉄欠乏が広がったと考えられる。
また、感染症や寄生虫、慢性的な出血(特に女性の月経や出産)もリスクを高める。栄養教育や鉄補充療法により改善が進んでいるが、現代社会でも鉄欠乏性貧血は依然として深刻な健康問題となっている。

実際、20代から40代の日本人女性の7割は鉄欠乏の状態にあるとする報告もある。このことに着目し、私の同僚の濱木珠恵先生が「貧血さんに効く 鉄フライパンレシピ」(主婦と生活社、2024年12月)を出版したので、ぜひご一読頂ければ幸いである。
https://www.amazon.co.jp/貧血さんに効く-鉄フライパンレシピ-濱木珠恵-ebook/dp/B0DPPT81G4/

鉄欠乏により貧血を発症すると判明するのは19世紀まで待たなければならなかったが、その存在を示唆した医学者がすでに古代社会に存在していたことをご紹介しよう。

●ユネスコ世界遺産のカッパドキア

紀元2世紀後半頃に活躍したと考えられるローマ帝国時代の名医、カッパドキアのアレタイオス(Aretaeus of Cappadocia)の名をご存知だろうか。この時代は有名な五賢帝の治世で、ローマ帝国の支配下でギリシャの医学が大いに発展した時期である。彼は中央アナトリア(現在のトルコ)のカッパドキア地方で生まれ、アレクサンドリアはローマといった主要な学問の中心地で医学を学び実践したと推測される。これらの都市は、科学、哲学、医学の知識が交流するハブとして機能し、ギリシャの合理主義とローマの実用主義が融合する場でもあった。

私は塩野七生やオルハン・パムクの著作を愛読しており、海戦三部作や「私の名は赤」に触発され一人旅でトルコを訪れたことがある。その際、イスタンブールからバスでカッパドキアまで足を伸ばした。この地は古代から多くの文明が交錯した地域であり、紀元3世紀から4世紀のローマ帝国時代には、初期キリスト教の拠点ともなったことでも知られるユネスコ世界遺産の奇岩地帯だ。アレタイオスの出身地であったと思うと、古代から現代に至るまでの知識と信仰の重層的な歴史を感じる旅でもあった。

●アレタイオスと地中海世界

アレタイオスが活躍した時代、アレクサンドリアでは有名な図書館と博物館(ムセイオン)を中心に解剖学や外科学の専門知識も発展し、ローマでは都市住民や軍人など多様な社会階層の患者を治療する場として医学がますます専門化していた。多くの医師はさまざまな都市を巡回して訪れ、学びながら医療を実践していたようだ。アレタイオスも例外ではなく、彼の著作や臨床経験にはこのような幅広い旅から得た知識が反映されている。

当時の医学界は主に3つの競合する学派に分かれていた。ヒポクラテス派は、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁という「四体液」のバランスを重視していたことで知られる。ニューマ派は、生命は「ニューマ(生命の霊気)」によって調節されるとする説を唱えていた。ストア哲学は人体を自然秩序の一部と捉え、広い枠組みで理解しようとしていた。アレタイオスの著作は、これらの伝統を折衷的に取り入れているのが特徴で、ヒポクラテスの経験的手法を支持しながらも、ニューマ派の理論を統合し、観察と哲学的思索を調和させようとした。

アレタイオスの生涯に関する具体的な記録は乏しいものの、非常に博学で旅の多い医師であったと考えられている。当時の最先端の情報の中心地であったアレクサンドリアやローマ、ペルガモンやエフェソスといった都市で、アレタイオスは幅広い疾病や多様な患者層に接し、その臨床経験を蓄えていったのだろう。また、旅を通じ多様な医学文献に触れたことで、彼の疾患や治療に対する全体的なアプローチが形成されたと推測される。

●著作と文体

アレタイオスの名を後世に伝えたのは、彼がイオニア方言のギリシャ語で記した医学書だ。この方言は「医学の父」として高名なヒポクラテスも使用している。現在も残存するアレタイオスの疾患に関する8つの論文は、グレコ・ローマ医学の最も重要な著作の一つとされており、症状、予後、治療に関する記述が精緻かつ明確であることで知られる。科学的厳密性と文学的優美さを兼ね備えた彼の文章は、教育水準の高さとギリシャの知的伝統への深い理解を物語っている。現代に通じるほど病気を生き生きと詳細に描写し、単なる学問好きの観察者ではなく、患者を癒す治療者としての医師の役割を強調したことも特筆される。

彼の診療法は、主に紀元前5世紀の先駆者ヒポクラテスの方法に従っていたようだ。しかしアレタイオスは、体内の「自然な働き」とされるものに対し、それが有害だと判断した場合には抑制すべきと提唱し、ヒポクラテスの治療方針とは異なるアプローチを取ったようだ。疾患としては、喘息、てんかん、肺炎、破傷風、子宮がんおよび肝臓がん、さらに様々な種類の精神疾患について記述を行っている。
特に、神経疾患と精神障害を区別してヒステリー、頭痛、躁病、メランコリーを記述、中には19世紀や20世紀に登場する神経学の概念を先取りする考え方も含まれていた。また、糖尿病についての最初の記述も彼によることはよく知られており、「糖尿病(英語でdiabetes)」という名称の語源は、多尿を意味するギリシャ語の 「διαβαίνειν(diabainein)」に由来している。もちろん古代理論の多くは現代科学の進歩によって塗り替えらえたが、糖尿病、喘息、貧血などの疾患に関する彼の詳細な観察は基礎的なものとして残り続けている。

●貧血症状に対する洞察

アレタイオスは、その緻密な臨床観察と疾病の症状を現代医学にも通じる方法で記述する能力によって高く評価されている。当然、当時は血液の臨床検査などない時代だったが、彼が記録した多くの疾患の中でも、現代医学が鉄欠乏性貧血(当時この疾患名ももちろんなかった)を鑑別疾患として挙げるであろう、症状に関する初期の観察に注目してみよう。

彼は著作の中で、持続的な倦怠感、顔面蒼白、労作時の息切れ、全身の疲労感を特徴とする患者の状態を記述した。これらは貧血の代表的な症状として今でも認識されているものだ。彼の記述は、これらの症状に関する最も古い記録の一つだ。また、患者の日常生活への影響、すなわち活動能力の全体的な低下に焦点を当てたことで、慢性疾患の機能的影響を早期に認識していたことが分かる。このようなアプローチは、現代医学における生活の質(QOL)評価の概念と一致しており、患者への深い共感を反映している。アレタイオスは単なる症状の緩和だけでなく、患者が人生を再び充実して過ごせることを目指したのだろう。

アレタイオスはヒポクラテス派の医学の枠組みの中で活動したが、彼は観察を通じて、症状を全身的な機能不全と関連付けようとしていた。貧血の症状を、血液の量または質の不足に起因すると考えたわけだ。この解釈は体液理論に基づくが、ヘモグロビンや赤血球数の減少に関連する現代の貧血理解に驚くほど近い。さらに注目すべきは彼が提案した治療法だ。栄養の重要性を認識しており、体を温め、血液を補充すると考えられる食品を推奨した。例えば、肉や魚、ワインなどの濃厚な食品は、体力回復や血液生成を助けるとした。

活力を回復させるために食事療法を処方した彼のアプローチによって、食品からヘム鉄や鉄吸収を促進する成分が摂取されたのは間違いないだろう。アレタイオスは健康における栄養の役割を直感的に理解していたのかもしれない。この概念は、ようやく19世紀になり、フランスの生理学者ガブリエル・アンドラルやドイツの病理学者ルドルフ・ウィルヒョウによって、鉄が血液産生に必要不可欠な栄養素であると特定されるまで、正式に体系化されることはなかった。

さらに身体と心が相互に関連しているという彼の信念を反映し、全人的なアプローチを取り入れた治療法をも推奨していた。食事療法に加え、消化を促す薬草の使用や適切な休養を取るなど生活習慣改善といった、個々の患者に合わせたケアの必要性を認識し、現代の個別化医療に通じる概念の提唱もあった。アレタイオスが患者の生活全体や環境を考慮に入れることを強調した点は、「健康は単なる身体症状以上のものにも影響される」という普遍的な医学の真理を示している。

アレタイオスの貢献は、古代社会の科学的限界による制約があったにもかかわらず、医学思想の発展に大きな影響を与えた。その著作はビザンチンの学者たちによって保存され、その後イスラム世界に伝わり、アラビア語に翻訳された。そして、イブン・シーナ(アヴィケンナ)などの医学者たちの著作に組み込まれた。これらのテキストはルネサンス期のヨーロッパにも伝わり、古典医学の復興の基盤となり、現代の血液学に連なる系譜となった。

●現代医学に連なるアレタイオスの遺産

五賢帝の治世による政治的安定と文化的繁栄の恩恵を享受したのが、アレタイオスが活躍した時代だ。古代ローマ社会において、医師たちは都市部の不衛生な環境、栄養不良、感染症の流行など、多くの課題に直面した。この環境が、彼がギリシャ医学を体系化し、ローマ時代の患者に向けた実用的な治療法を発展させる土台を提供したと考えられる。
全人的アプローチは、現代医学でも重要な意味を持っている。臓器や疾患ではなく、患者全体をケアする信念や食事療法の提案は、栄養学や慢性疾患の管理における現代的な姿勢を先取りするものだった。また、彼の詳細な症状記録は、医学の基盤である臨床的な観察の重要性を再確認させるものだ。診断技術が進歩した21世紀でも、症状と病因を結びつける能力はアレタイオスの時代と同様に重要なのだ。

特に貧血に関する記述は、慢性疾患の理解と治療における進歩の礎を築くものとなった。その業績はビザンチンやイスラム世界の医学に影響を与え、古典医学のテキストが再発見されるルネサンス期にも大きな役割を果たした。現代の目から見ても、経験的観察と全人的ケアを組み合わせた医学の先駆者と評価できる。これらの原則は、今日の医療にも受け継がれ、その遺産は普遍的な輝きを持ち続けている。彼の著作は古代の医学知識を保存すると同時に、後の世代の医師たちが心身や環境の複雑な相互作用を探求する道を切り開いたと言えるだろう。

Aretaeus of Cappadocia and His Treatises on Diseases
https://www.turkishneurosurgery.org.tr/pdf/pdf_JTN_1541.pdf

 

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