医療ガバナンス学会 (2025年1月10日 09:00)
井上法律事務所 弁護士
井上清成
2025年1月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
産科診療所は、年10%以上の出生数減少という少子化の急加速や、大学病院等の産科病院の集約化・無痛分娩推進・働き方改革などの諸要因の狭間で、苦境に立たされている。このままの体制では、多くの産科診療所が廃院せざるをえなくなったり、商業資本(ひいては、外国資本)に買収されて吸収されてしまったりする恐れが顕著だと言ってよい。それらの資本の蠢動は、産科の周辺でもすでに見え隠れしている。
「産科医療」と同じ自由診療中心体制の「美容医療」は、すでに商業資本や外国資本に侵蝕され始めた。それらの資本は「営利」を追求するものであるために、時には極端なコストカット(人員削減、給与削減、〔非生産部門と見うるとして〕医療安全対策の諸費用を削減)を伴い、そのコスト削減分を膨大な宣伝広告費用に回して、集客と売上げの増加につなげようとしている。それを「経営」と称する商売人(外国人も含む。)によって、一部の「美容医療」が食い荒されつつあるように思う。とは言え、厚生労働省の地方厚生局が営利排除権限を有している保険診療とは異なり、自由診療がメインなので、「営利目的」禁止の観点からの規制をしにくい。
今現在、特に産科診療所は、経営が苦しくなっており、4割強が赤字とのことである(2024年11月26日付け日医総研ワーキングペーパー「産科診療所の特別調査」より)。地方部では「分娩の減少」、都市部では 「物価高騰、賃上げ等の医業費用の増加」などの要因から経営が悪化してしまった。
このままの状態が続けば、少なからぬ産科診療所は「商業資本」「外国資本」に足元を見られ、叩かれて買収されてしまうか、それとも、買収されるのを潔しとせず、もう諦めて廃院してしまうか、どちらかであろう。しかしながら、「美容」より遙かに「公共性」の高い「産科」が、そのようなことになってしまっては、妊産婦にとっても国家にとっても由々しき事態である。
「産科診療所」は社会のインフラにほかならない。かつて経済学者のヴェブレンや宇沢弘文氏が経営者の持つべき資質として「公益性」「職人気質」をも強調されていた。公共的なインフラである「産科診療所」は、「営利的な資本」によってではなく、公益目的で職人気質の「医師」によって経営されるべきである。この「営利性」排除の趣旨は、「保険医療機関及び保険医療養担当規則」の「健康保険事業の健全な運営」(第2条の4~5)にもよく表わされていると言えよう。
とは言え、現在の自由診療体制のままでは過酷な過当競争にさらされ、挙句の果ては、営利的な資本に買収されてしまいかねない産科診療所を保護するのための「営利性排除」の効果をも有する「正常分娩の保険化」への移行もしようとしないままで、ただ単に、「補助金を多くしろ。」「出産育児一時金を増額しろ。」と言うだけでは、(産科以外にも「公共性」の高い分野は、全国家的には多く存在するだけに、)現実的ではないし、(自ら「身を切る改革」なども何もしないままでは)説得的でもない。
そこで、本稿ではここに、「周産期医療体制の確保」の一環としての私的な政策提案として、「産科診療所の支援策」を提示することにする。
2.支援策のメニューリストの一覧
・収益拡大策
(1)マクロでの少子化対策による全国家的な出生数増加への積極的な協力―少子化対策の一環―
(2)内診・会陰切開・無痛分娩・帝王切開の可及的な回避によるリピート客の増加
―「より良い出産ケア」を目指した「出産ケアの質」の改善―
(3)嘱託医療機関受託による助産所への協力
①診療所と助産所の連携強化による搬送数・転送数の増加
②嘱託医療機関・嘱託医の嘱託料の創設
(4)「ふるさと出産奨励金」と「ふるさと出産加算」による里帰り出産数の増加―地方創生政策の一環―
・経費削減策
(1)ベテラン助産師の独立開業推進と若手助産師の雇用拡大―高コスト体
質から人件費節減へ―
(2)附帯サービス重視から分娩介助本体重視へのシフトと過剰投資の抑制
―高コスト体質から設備投資節減へ―
(3)産科診療所の概算経費特例の拡大
(4)産科診療所再建策の政策運用や法律制定
3.収益拡大策
(1)マクロでの少子化対策による全国家的な出生数増加への積極的な協力―少子化対策の一環―
真の少子化対策(注・「少子化社会」対策ではない。)は、結婚・妊娠・「出産」・子供・子育てのすべての局面への支援策が出揃い、足並みを揃えて同時並行して進まなければ、実効性がない。「出産」の局面でも関係者皆が少子化対策に賛同し、「多様な市場ニーズに対応した新たな標準化戦略」の下で、「分娩介助の多様化と標準コース化(包括払い)」等によって保険化(現物給付化)を推進していくべきである。
なお、ここに言う「分娩介助の多様化」とは、正常分娩における分娩介助本体を指す。今までは、分娩介助本体はパターナリズム的に画一化したままで、附帯サービスの特別室・特別食・アロマなどばかりに多様化を進めようとしていた。これは、方向性が違う。あくまでも正常分娩の分娩介助の「本体」にこそ、「(質的な)多様化」と「標準化(包括払い化)」を施さなければならない。こうしてこそ、真に、少子化対策の実効性が生じるのである。
マクロでの出生数の増加こそが、すなわち、市場拡大、収益拡大につながることであろう
(2)内診・会陰切開・無痛分娩・帝王切開の可及的な回避によるリピート客の増加―「より良い出産ケア」を目指した「出産ケアの質」の改善―
重要なのは「多子化戦略」のあり方である。少しでも多くの夫婦に1~2人の子を生んでもらうことを重視する政策ではない。多くの子を生みたい夫婦に、3人以上の子を生んでもらうことを重視する政策である。これを「多子化戦略」と呼ぶ。つまり、「リピート客(常連客)」を育てる方策であるから、「次子出生意欲」を高めることこそが肝要である。「より良い出産ケア」を目指し、「出産ケアの質」を改善しなければならない。
具体的には、内診や会陰切開はできるだけ行わず、無痛分娩はできるだけ控え目にし、吸引分娩・鉗子分娩や帝王切開への誘導をしないように心掛けるべきであろう。
また、産科診療所では出産ケアの多くは助産師によってなされている。ほとんどタスクシフトをしていると言ってもよいぐらいであろう。
つまり、現在の「分娩料」(注・ 出産育児一時金の専用請求書の書式上の概念。医師・助産師の技術料及び分娩時の看護・介助科〔分娩時の助産及び助産師管理料、分娩時の安全確保に係るものを含む〕)の多くは「助産師の活躍」によって獲得されていると言ってもよい。
いつも個々の医療行為ごとの「出来高払い」として認識している産婦人科医のイメージでは、なかなか上手く把握できないのかも知れないけれども、その点がまさに重要なポイントである。そのような個々の行為の積み上げといった量的な観点ではなく、連続した不可分一体の一連の助産行為を質的な観点でとらえて「包括払い」としつつ、より良い出産ケアに対して質的向上の評価として加算していくという発想に転換しなければならない。そのような出産ケアの質の改善の発想に虚心坦懐に転換すれば、そのような産婦人科医には、たとえば、継続ケア・かかりつけ・見守り(専従)などに加算の点数を付けることの意味が分かって来るであろう。
なお、現在の「療養の給付」には、原則、「混合診療の禁止」というルールが適用されている。ところが、産科の正常分娩においては、それが異常分娩に移行した場合でも、自由診療から保険診療に変化して構わないという特殊なルール(いわば自由診療中心型混合診療。通常言われる混合診療のイメージは「保険診療中心型混合診療」であるので、産科で事実上通用している混合診療は特殊なタイプである。)が適用されていると言ってよい。
正常分娩の保険化というのは、自由診療を(出産)保険診療に置き換えて、いわゆる「分娩料」と「分娩介助料」の垣根を取り払うという変化をさせたものに過ぎないのである。したがって、「分娩料」の現物給付化が可能なのも当然のことであって、旧来の視点に凝り固まっている産婦人科医の目には不思議だと映ることもあるかも知れないが、いずれ自然に目が慣れてくることと思う。
(3)嘱託医療機関受託による助産所への協力
①診療所と助産所の連携強化による搬送数・転送数の増加
「多子化戦略」に最も威力を発揮するのが「助産所」である。そうすると、「助産所」との連携を強化することによって、助産所からの搬送数や転送数を増加させることが、患者増加の早道であろう。つまり、今まで以上に、嘱託医や嘱託医療機関となることを積極化すべきなのである。
なお、正常分娩が保険化されたとしたら、そもそも保険指定された助産所が嘱託医療機関がないために分娩できないなどという事態は、保険制度としてナンセンスというほかない。そこで、保険化と同時に、嘱託医療機関・嘱託医受託に妊婦等のための応招義務を課すべきである。具体的には、医師法第19条第1項後段に、「正常分娩に関する産婦人科診療に従事する医師は、助産所での分娩(妊婦等の自宅等に出張して助産師が助産を行う分娩も含む。)の助産を行うために、助産を担当する当該助産所又は助産師の嘱託を妊婦等より求められた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」という規定を挿入するのがよい。
②嘱託医療機関・嘱託医の嘱託料の創設
厚生労働省医政局長は、「周産期医療対策事業等実施要綱」を作成し、その第1の3(1)イにおいて「周産期医療協議会においては、次に掲げる事項に関し、地域の実情に応じて検討及び協議を行うものとする。」と定めている。そこで、その(オ)に「地域における周産期医療に関する病院、診療所と助産所との間での医療法第19条に定める嘱託の整備に関する事項」という条項を新設して挿入し、元の「その他周産期医療体制の整備に関し必要な事項」は(カ) にずらせばよい 。
それと共に、周産期医療体制の一つに組み込まれた当該嘱託医療機関や嘱 託医に対しては、「妊婦等からの相当な額の嘱託医療機関・嘱託医委嘱料」を算定すべきである(もちろん、保険化された段階では、当該嘱託自体も「現物給付化」されるので、妊婦等には実際には費用負担はない)。
(4)「ふるさと出産奨励金」と「ふるさと出産加算」による里帰り出産数の増加―地方創生政策の一環―
特に地方部では「分娩数の減少」が顕著であるが、その一因は「里帰り出産」数の減少であろう。都市部での「無痛分娩」人気にその原因があるかも知れない。このままでは、地方創生政策に添わないことになる。
そこで、妊婦等に「ふるさと出産奨励金」を支給し、都市部(転送元)と地方部(転送先)双方の産科診療所等に「ふるさと出産加算」を算定し、里帰り出産にインセンティブを与えてはどうであろうか。その財源は、正常分娩の保険化と連動させて、健康保険料からの拠出か、または、地方創生推進交付金からの拠出かが望ましいように思う。
4.経費削減策
(1)ベテラン助産師の独立開業推進と若手助産師の雇用拡大―高コスト体質から人件費節減へ―
現在、産科診療所におけるベテラン勤務助産師の給付水準は高騰している状況のように感じる。産科診療所における人件費の過重負担の主因となって
いる診療所も少なくないものであろうと思う。
他方、マクロの少子化対策のうちで重要な柱の1つは、独立開業の助産所数の増加であるところ、その開設者・管理者となりうる適格者は、ベテラン勤務助産師を除いてほかにはいない。
したがって、ベテラン勤務助産師には脱サラして助産所を独立開業してもらい、代わりに、給与の安い若手助産師の雇用拡大をすることが適切であろう。悩ましいのは労働基準法であろうが、それは 後述の「産科診療所再建法」によって対処できるようにすべきである。
(2)附帯サービス重視から分娩介助本体重視へのシフトと過剰投資の抑制―高
コスト体質から設備投資節減へ―
特に産科診療所は、従来から附帯サービスばかりを重視して来てしまった。附帯サービスとは、「特別室」のようなリッチな部屋、「特別食」のようなバラエティに富んだ美味しい食事、「アロマ」のような癒し、「希望による無痛分娩」のような技術性の高い麻酔分娩の手技、など諸々のサービスの追求を指す。しかし、それらの附帯サービスを余りに重視したがために、立派な建物その他の高級設備や、特殊サービス分野の人員配置に、巨額の投資をせざるを得なくなってしまった。これらの過剰投資を節減して、高コスト体質から脱却しなければならない。
ただし、既に多額の借入れをして投資してしまった場合など、なかなか今さらの過剰投資の抑制と過去の既投資分の削減は難しいであろう。これらも後述の「産科診療所再建策」によって対処できるようにすべきである。
そして、今後は、王道の「分娩介助本体」の多様性と質の向上を重視して、まさにそこでの「助産師の活躍」を中心にシフトさせて行くべきであろう。
(3)産科診療所の概算経費特例の拡大
産科診療所の概算経費の特例(社会保険診療報酬の所得計算の特例)は、正常分娩を保険化した場合には、その適用範囲を拡大しなければならない。現在の特例は、「社会保険診療につき支払いを受けるべき金額が5000万円以下」 であり、かつ、「総収入金額の合計額が7000万円以下」という適用範囲である。
しかし、正常分娩を保険化したならば、当然、そもそもその保険部分が大幅に拡大されることであるし、さらには、そもそも大胆な経費削減策としての一環でもあることから、その適用範囲は、「社会保険診療につき支払いを受けるべき金額(出産保険の金額も含む。)が1億5000万円以下」であり、かつ、「総収入金額の合計額が2億1000万円以下」くらいに大幅に拡大すべきであろう。
また、概算経費率も、最高で72%のところを、86%くらいに引き上げ、当然、86%を基準にして、そこから総収入金額に応じて滑らかに逆スライドしていくとよい。
なお、むしろ正確には、前述3の収益拡大策(3)の「助産所への協力」に位置付けられるものではあろうが、便宜上ここで挙げておくと、「助産業」にも、正常分娩の保険化を契機に、この「概算経費の特例」を医業・歯科医業と並べて適用すべきであろう。
(4)産科診療所再建策の政策運用や法律制定
経費削減策はこれから導入するとしても、今までに経営が悪化してしまっていた分、すなわち、過剰投資や巨額の借入金については、直ちに整理できるものではない。既に述べた高コスト体質分(人件費、設備投資、借金など)の清算は、猶予してもらわなくてはならないし、少なくとも、立て直し中や再構築中にそのことが外部に表面化してしまっては、その産科診療所の社会的信用が失墜してしまう。
そうすると、まず少なくとも、産科診療所再建策の柔軟な政策的な運用が必要である。この点については、 新型コロナの感染時に採用された政策が参考になるであろう。たとえば、独立行政法人福祉医療機構は、当時、融資限度額の引き上げ、無担保・無利子での長期運転資金の融資、既往貸付の返済猶予などの寛大な政策運用を行ってくれていた。このような政策運用を今回も採用し、福祉医療機構で他の金融機関での既存借入れの大胆かつ全面的な借り換えを認めてくれるようにすればよい。
また、民事再生と同じような債務整理をした場合にも、それを公表してはならないことにしたり、個人情報等の信用情報センターに登録してはならないことにしたり、金融業者が誠実に債務整理交渉に応じなければならないようにしたり、金融業者は返済期限切れでも交渉・整理期間中は猶予して債務不履行にしてはならないようにしたり、産科診療所職員の整理解雇における「解雇回避努力義務」を緩和したりするなど、実効的な法的効力を有する法律を制定することが望ましいところである。いわば民事再生法や会社更生法に類するこのような「産科診療所再建特別措置法」を制定することも効果的であるので、前向きに検討すべきことであろう。