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Vol.25016 最後の診断

医療ガバナンス学会 (2025年1月28日 09:00)


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中峯寛和

2025年1月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

● はじめに
昨秋に開催されたある医学学術集会のシンポジウムで、‘最後の診断’ という表現を含む演題の発表があった。その中で、‘最後の診断’ とはアーサー・ヘイリーによる ‘The Final Diagnosis’ と題する小説(1)の邦訳本(2)に由来することが紹介されていた。この物語は筆者が学生だった1977年および翌年に、「さらば愛 ₋最後の診断₋」の番組名でテレビ放映されており、日本ではおそらく病理医を題材とした最初のテレビドラマと思われる。これに関連して、筆者は「病理診断は ‘最終診断’ である」と教わっているので、‘final’ を ‘最後の’ としたのは誤訳であろうと思っていた。しかし後年に、血液病理学を教わった恩師から、そうではないと指摘された。

●‘最終診断’
病理診断が ‘最終診断’ とされるのは、担当する臨床医が患者に対し、薬剤を投与する、放射線照射を行う、手術を行う、あるいは無治療のままとする、といった判断を下す根拠となる診断であり、何人もこれを変更することはできないためと思われる。確かに、例えばOxford 現代英英辞典では、‘final’ の説明のひとつに、‘that cannot be argued with or changed’ がある。

標記物語のテーマの一つは、酒井和歌子扮するバレリーナ(原作では看護学生)の、膝の少し下あたりにできた腫瘤の一部から採取した組織(生検組織)に対する、病理診断の難しさである。三国廉太郎扮する老病理医は、竹脇無我扮する若手病理医とときに対立しながら、病変が骨肉腫なのか良性疾患なのか迷いに迷った。骨肉腫と診断すれば、患者は手術で患側の足を失う。良性疾患と診断したが実は骨肉腫であった場合、やがて肺などに転移して患者は命を失う。いずれにしても診断の責任はすべて病理医にあり、誤診すれば病理医が訴えられる(欧米では昔から、患者やその家族は誰が病気を診断しているのか知っている)。
因みに、日本で病理医が訴えられるようになったのはごく最近のことである(3)。物語では、老病理医は別の病院の専門家2人に、標本を送って見解を求めた(コンサルテーションした)ものの、意見が分かれてしまい、結局生検組織は最終的に骨肉腫と診断された。そして、切断された患側の足の腫瘤全体が詳しく調べられた結果、生検診断の正しかったことが確認され、老病理医は事なきを得た。

●‘最後の診断’
この物語のもう一つのテーマは、老病理医が引退するプロセスである。診断病理学も日進月歩であるのは言うまでもなく、一方これを担当する病理医も例にもれず、人は老化により記憶力、思考力、理解力、注意力、勉学意欲などの精神的能力や、視力、聴力、体力などの肉体的能力の持続的な衰えを経験する(おそらく唯一の ‘例外のない法則’)。そのため病理医にも引退すべき時が当然あり、その直前に業務として下す病理診断が、その病理医にとっての ‘最後の診断’となる。

つまり、標記小説のタイトルにある ‘final’ は、‘最終の’ と ‘最後の (the last)’ とを ‘掛ける’ という著者の意図を慮って、やむなく‘最後の’ と訳したのであろうと、恩師に教わったわけである。確かに ‘final’ には「それで完結」という意味があるが、‘the last’ には単に「順序がいちばん後」の意味しかない。例えば航空機への搭乗直前に耳にするアナウンス “Final call!” は、‘最終案内’ であって ‘最後の案内’ ではない。従って、このような特別な場合以外は、病理診断は ‘最後の診断’ ではなく ‘最終診断’ としなければならない。

● 病理診断は ‘最終診断’か?
では「病理診断は ‘最終診断’」が現在でも通用するかというと、必ずしもそうとは限らない。治療のために病理診断を必要とする疾患は幾種類かあるが、その大きな一つである腫瘍の診断は、医学の進歩とともに病理診断から遺伝子診断にシフトしつつある。なかでも筆者が専門を自認する血液腫瘍病理学(対象疾患は悪性リンパ腫・白血病)においては、病理診断は既に最終診断ではない場合があり、以下に説明する。
これらの腫瘍では、遺伝子異常が最も詳しく研究されており、幾つもの病型でそれぞれに特徴的な遺伝子異常が明らかにされている。しかし、病型によっては関連する遺伝子異常は多岐にわたり、例えばBリンパ球の腫瘍(リンパ腫・白血病)では、免疫グロブリンを造る遺伝子に関わるものだけでも一覧表ができるほどある(4)。これら遺伝子異常の有無をスクリーニングする方法が昔からあり、遺伝子異常を反映した染色体異常を調べる検査(染色体分析)がそれである。

筆者はリンパ腫・白血病の診断に際し、今でも染色体分析が最も重要と考えているが、この検査の短所として、染色体異常とは捉えられない遺伝子異常がある、腫瘍細胞の増える速度が遅いと異常が検出されないことがある、時間を要する(早くても10日間はかかる)などが挙げられる。このうちここでの問題は検査に時間を要することであり、検体が採取されてから染色体分析結果が出るまで病理診断を保留することは、特別な場合を除いて許されない。
そして、診断を下した後に届いた染色体分析結果によって、病理診断(あるいは病理分類)を無条件で変更しなければならない場合がある。従って検体の一部が染色体分析にも提出された場合には、病理診断は最終診断ではないことが明白である。今後は他の分野でもこのような診断のシフトが進むものと思われ、決まり文句のように「病理診断は ‘最終診断’」とするのは控えるべきと思われる。

● おわりに
この文書を執筆するきっかけは冒頭に示したが、それに関連する出来事がある。筆者が病理専門医資格を取得して40年が過ぎ、‘最後の診断’を下すべき時期を漠然と考えるようになった。そんな矢先、悪性リンパ腫診断支援のために定期的に訪問している病院で、悪性リンパ腫のひとつHodgkinリンパ腫の可能性に気付けない事態に陥った。筆者は日頃から「リンパ節検体の顕微鏡観察では、まずHodgkinリンパ腫かどうかを吟味することにしている」(5)にもかかわらずである。患者情報(免疫抑制剤による免疫不全状態にある)を重視しなかったためかもしれないと反省する一方で、‘最後の診断’を下すべき時期が現実味を帯び、標記小説を読み返していたところに、冒頭のシンポジウムを聴く機会が重なったのである。

[文献]
(1) Hailey A. The Final Diagnosis. Pan Books, Ltd, London, 1967
(2) 永井 淳(訳).最後の診断.新潮社,東京,1975
(3) 自著. 医療ガバナンス学会 2024; 24115, medg.jp/mt/?p=12431
(4) 自著.診断病理2018; 35:99-109
(5) 自著.診断病理2025(2025; 42:41-9)

 

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