医療ガバナンス学会 (2025年2月27日 09:00)
寒空の下震えながら相馬駅を降り立った私は、そのまま歩いて相馬中央病院に向かった。相馬中央病院で働いている齋藤宏章先生にご案内をいただき、先生の診察や診療の様子を見せてもらうためだ。
正直なところ私は不安だった。自分が風邪を引いたりして病院に行って診察にかかったことはある。しかし自分が診察をする側に立ったことはないし、その想像をして診察にかかったことも、恥ずかしながら一度もない。また私はまだ大学1年生で、はっきり言って何が出来るというわけでもない。そのような身で、患者さんの前に立つということは不安だった(もちろん私は特に何をするわけではないのだけれど)。
病院に着くと、医師の先生方が使っていらっしゃる部屋に通して頂き、そこから齋藤先生がなさっている外来や診療の様子を見せていただいた。
私がいつも空恐ろしいと感じてしまうことがある。それは、私がしばしば「先生」と呼ばれることである。上でも書いたように、私はまだ大学1年生で、はっきり言って病院の中でなんの能力もない。私はただ見ていることしかできず、医師の先生はもちろん、看護師の方々やその他のすべての病院で働いている皆さんに比べれば、何もできない存在である。そうであるにもかかわらず、「先生」と呼ばれるというのは、私にとって大きな衝撃である。
これを初めて経験したのは、昨年(2024年)夏の東大病院での研修のときだった。東京大学の学生は1・2年次の夏休みに東大病院の見学に行く機会が与えられているのだが、そこでは、学生が病院内を歩き回るにあたっては白衣を着ることになっている。それで白衣を着て(白衣といっても、化学の学生実験で使うようなものである)病院を歩いていると、たとえ一人で歩いているときであっても、すれ違う患者さんや関係者の皆さんからおしなべて会釈されるのである。これにはどうにも困ってしまった。
また、別件でとある学会に参加したときも似たような経験をした。学生向けのセッションに参加したところ、講演や指導をしてくださったのは、看護師やケアマネージャーとして20年以上働いていらっしゃるようなベテランの方々ばかりであった。そこで私が医学生として名乗ると、彼女たちは私のことを「先生」と呼んだ。明らかに私よりも千倍も万倍も経験豊富な彼女たちにそう呼ばれることに、どうも違和感を覚えて仕方なかった。
(もちろん、病院の中で白衣を着ている人がいたらとりあえず「先生」と呼んでおくのが無難であろう、というのはある種のリスク管理として正解なのであろうが、それはおいておいて、そう呼ばれる私からすれば驚かずにはいられない、ということである。)
今回、相馬中央病院でも私は「先生」と呼ばれた。これまではそれに対して、自分が分不相応な呼び方をされている、という見方しかできていなかったのだが、今回はふと冷静になって考えることができた。たとえば齋藤先生は、治療や外来において「先生」と呼ばれているし、齋藤先生が「先生」と呼ばれることは私の目から見て当然のように思える。それはなぜなのだろうか。端的に言うと、それは、齋藤先生が「先生」と呼ばれることの責任を自然と引き受けていらっしゃるからだと感じた。
患者さんたちは、病院にかかったり治療を受けたりするにあたって、たいていの場合、不安である。患者さんにとってその悩みは究極的に個人的なものだからだ。しかし医師の側からしたら、そのような症例は頻繁に見るものである。だからこそ、患者さんは医師を信頼したい、頼りたいと思う。患者さんが医師を「先生」と呼ぶことは、もはやほとんど慣例的なものにすぎないとも思うけれども、それでも、その「先生」という呼びかけの中にはどこか切々としたものが混じっている。
私からしたら、そのような切々としたものを受け止められる感じがしないから、私が「先生」と呼ばれることに対してどうしても違和感を覚えてしまうのだと思う。しかし、(齋藤先生に直接伺ったわけではないから正確にはわからないけれども)齋藤先生の場合は、「先生」という呼びかけに混じる痛切な部分を、しっかりと引き受けていらっしゃるように思える。それは齋藤先生に限らず、他の医師の先生方の皆に言えることでもあるだろう。
齋藤先生に病院の近くの寿司店、「美帆寿司」に連れて行っていただき、そこで大将と話しながら相馬の海鮮に舌鼓を打った。寿司の美味しさはもちろんなのだが、そこでの齋藤先生と大将の何気ない会話の雰囲気が印象に残っている。大将は相馬中央病院に定期的に通っている患者さんだそうだ。そのわずかな会話からも、齋藤先生が相馬に溶け込んで、大将から信頼されていることを感じ取れた。
考えてみれば、大将にとって齋藤先生は病院の中でも外でも齋藤「先生」なのだ。「先生」という呼ばれ方を引き受けることとは、患者さんの前でいつも「先生」である、ということ、と言い換えることができるのかもしれない。
冒頭で、知らない町を歩くのが好きだ、と述べた。自分で相馬駅から相馬中央病院まで歩いたり、齋藤先生に車で美帆寿司に連れて行っていただいたりして気づいたのは、相馬は基本的に車社会でありながら、そうであるからこそ想像よりも広い範囲に地域の緩やかなつながり、コミュニティが存在しているということだ。そしてその中に溶け込むようにして、相馬中央病院があり、齋藤先生がいる。
今回相馬を訪問して見えてきたことは二つある。まず一つには、自分を「先生」と呼ばず「清水」とか「清水くん」とかのように呼んでくれる人はとてもありがたく、貴重な存在であるということだ。今回で言えば、まさに齋藤先生がその好例である。そういう人たちに忌憚なく意見をもらったり、厳しく指導していただいたりしてもらえることによって、自分は支えられていて、それによって成長できるのだ、と気付かされた。
そしてもう一つには、それと同じくらい、「先生」と呼んでくださる方がいるということはありがたいことであり、貴重なことであるということだ。私はまだ何もしていないのに、患者さんから見ると私も「先生」に見える。そうであるからこそ、そういう人たちの期待や付託に答えるという意味合いで、成長しなければならない、という気持ちにさせられる。
私が「先生」と呼ばれるのは、正直まだ困惑するし、わけがわからないような気持ちになる。私は何もしていないのに。私は何もできないのに。でも、そのような困惑を「逃げの一手」とするようなことは、したくないと思う。今は「まだ」何もしていないけれど、何もできないけれど、これまでに出会った多くの医師の先生方と同様、「先生」と呼ばれるに足る医師になるために頑張りたい、と強く感じている。
この決意がいつ、どのように形になるのかはまだ予測がつかないけれど、少なくともいろいろな方々に支えられて、いま私が学ぶことができていることは間違いないし、そしてそれは今に限らず将来にも言えることだと思う。
今回の相馬訪問では、齋藤宏章にたいへんお世話になり、いろいろと教えていただきました。改めて御礼申し上げます。また標葉隆三郎院長をはじめとする相馬中央病院の先生方にもお世話になりました。研修医として相馬中央病院に来られていた芳野祐一先生、また仙台厚生病院で研修医をされている齊藤良佳先生にもお世話になりました。佐藤美希さんをはじめとする事務の皆様にも感謝申し上げます。訪問にあたっては上昌広先生にもお気遣いいただきました。改めて感謝いたします。
そして、私が病院を見学することをお許しくださったすべての患者さんにも御礼申し上げます。
皆様から受けた恩をもとに、必ず成長していく所存です。これからも見守り、指導し、ときには叱り、いろいろなことを教えて下さい。たくさん勉強します。